第八十七話 半年ぶりの合流
霧が晴れた小山の上から流れる泉と小川。今度は隠者の里へと帰るべく、下る方向へ道を間違えないように降りていく。
途中から周囲の雰囲気が変わっていることに気づいた。闇の魔素の塊だった黒い霧が晴れた影響だと思っていたが、どうもそれだけではないようだ。魔物の気配自体が薄くなっている。全くいなくなったわけではないが、先ほどよりも警戒度は下げて良さそうと思われた。
移動する最中で僕はなぜこんな魔境の奥に闇の魔素があったのか? という疑問を指輪にぶつけた。
(ホワンの家は元々ここだったのか?)
『よくは覚えておらんぞ。カスツゥエラ王国の都市トレドにホワン所縁の王妃と王女が作らせた魔素道具が保存されていたことから考えると、お主の想像通り元々ここがホワンの住処だった可能性はある』
(ふぅん。その時からこんなに魔物で警戒するような土地だったのか? それならホワンはよっぽど危険を冒して家を構えたと思うんだが)
『彼はそのような愚行はせんよ。住みやすい土地に家を構えていたことには違いない。後から魔物が住み着いたのじゃ』
(もしかしてもしかするとだけど、指輪の影響じゃないのか? その住みやすい土地にあんたの強い魔素が留まって――正確には術に失敗して散在した魔素の一部が思い出のホワンの家に残って――魔物を呼び寄せて。長い長い年月をかけて人を追い出して、とうとう魔境と呼ばれるようになったんじゃないのかって思うんだ)
『可能性はあるな』
(さっきから魔境の中にしては魔物の気配が薄くなったように思う。僕は闇の魔素を吸収したからじゃないのかな)
『……確かに』
この仮説だと僕の最も身近に魔境の原因がいたことになる。
突然木の陰から何かが飛び出してきた。驚いた僕は一瞬ドキっとしたが、ふわふわした姿からすぐに幽霊とわかった。こいつはただ魔素が好きなだけだ。霧が晴れて直射日光が当たる様になり木の陰に隠れていたところを気配を感じて飛び出してきたのだろう。
僕は魔素を、それも闇の魔素を出してそいつに喰わせた。レブナントはたいそう気に入ったらしく周囲から離れなくなった。
以前にもレブナントを従えていたのだが、カーターとの戦いで消し飛ばされていた。
『お主のことが気に入ったみたいだぞ』
(まるでエサやりだ。こいつは前と大きさが違うな。それに形も微妙に違っている)
以前のレブナントはもっと小さくて数が多かった。対して今回の奴は人間の体ぐらいの大きさで、しかも一体だけ。指輪はこいつを「進化した幽霊」と呼んだ。
僕は餌を巻きつつ、レブナントを近づけた状態で主従の契約の魔素術を結んだ。条件を僕が魔素を提供、向こうは僕に協力するという緩い条件に設定した。魔素文字が僕たちの周囲を取り囲み、輪を縮めてそのうち取り込まれていく――契約成功だ。
このままだと目立つので新・雷哮の剣の鞘へと取りつかせた。これもレブナントは気に入ったらしく姿形を消した。
クリーチャーが設置した転移の魔素陣へもうすぐ到着するというところで、向こう側から走ってくる人影を捉えた。それはコトエであった。
彼女は僕と別れた後、心配ではあったがその場に留まることはせずに、いつでも戻れる転移陣付近で待機していたのだ。しばらくして脅威がなくなり、僕の身を案じてくれたが安易に動くことはせずにじっと帰りを待っていた。
僕はあの先にあった魔素を吸収したことと、落ちていた魔剣を回収したことを告げる。
驚いたことに僕の階位が上昇した時間帯と同じくして、コトエも階位が上昇していた。戦闘なしに上昇するということは僕の影響を受けた可能性が高い。僕と彼女をつなげているものは仲間としての契約の魔素術であるから、繋がりを通じて彼女の方へも経験値が流れ込んだと思われた。この点はあとでタクヤたちにも確認しなければいけない。
すぐに転移の魔素陣を作動させて洞窟へ戻り、そこから隠者の里へ戻った。
隠者の里では確保した子供たちの両親に非常に感謝された。今日はもう休んで食事と宿泊をと強く勧められた。しかし階位が上昇したことで転移の魔素術が強化されて、転移できる距離が伸びた可能性があり、その検証を早くに済ませたかった。そのため僕はせっかくの申し出を固辞して、すぐに隣国側への転移陣を伸ばすため再度出発した。
今までは十数キロ置きに転移陣を生成する必要があったが、予想通り距離が大幅に伸びていて約二倍は対応可であった。これで作業にかかる日数を大幅に減らすことができるようになった。
******
今日も魔境内の隠者の里から、隣国のカスツゥエラ王国の都市ルベンザまで転移の魔素陣を伸ばすべく出発していた。お供はコトエのみである。
先日、闇の魔素を吸収してからは魔物が少なくなり、魔境内の脅威が全体的に下がっていた。護衛は少なくても大丈夫だろうとの判断にて、今タクヤたちは別動隊として修行を兼ねてギンジをつけて別場所に魔物を狩りに行っている。夢幻の団の生活費はいまコトエが預かっているが、残りが少なくなると彼女に突っつかれるのであった。
魔境には闇の魔素が関与していて、取り除いたため魔境が穏やかになりつつある――僕と指輪の仮説は今のところ正しそうだった。
今日は二つか、できれば三つほど転移陣を伸ばしたいと考えていた。一つ目の設置が終わり、二つ目への移動の途中にとうとう覚えのある山道が出てきた。
(やった! これはチゴリ鉱山への道だ)
魔術都市ルベンザの所有するチゴリ鉱山。そこで夢幻の団はクエストを受けた後、廃城へ誘い込まれ、僕はカーターに敗れた。
チゴリ鉱山からルベンザまではほぼ一本道である。コトエに目的の隣国の都市が近いことを告げた。
千鳥鉱山には寄らなかったが、僕は廃城へは寄った。その手前の雑木林は無造作に倒れたままで、半年前に僕が秘術『雷哮』を使用した跡である。桟橋は僕が斬り落としたままで、廃城側には徒歩で渡れない。
コトエを待たせて、僕は雷に変化してそのまま向こう岸へ渡り、廃墟を眺めた。
――あれからもう半年――
ここから落っこちて、隣国の漁村まで流れ着き、どうにか命を取り留めて今僕はここにいる。
僕は廃城横の断崖絶壁に立った。ここで致命傷を受けた。両の拳を握りしめて、あの時のくやしさを思い出す。カーターはまだ当然生きているだろうが、二度と同じことを繰り返すわけにはいかない。
奴への雪辱を果たす決意をもう一度思い出して僕はその地を去ろうとする。ふと足元に何かが落ちている。拾い上げるとそれは折れた雷哮の剣の先であった。僕はそれを保管庫へ仕舞い、コトエの場所まで戻った。
二人で廃城へと来た道を戻り、再びルベンザ側への移動を開始する。
木々はだんだんと低くなり、草木もひざ下ぐらいとなった。当然前方が見やすくなる。
とうとう魔術都市ルベンザの城壁が見てきた!
「帰ってきたぞー」と大きく叫びたい。だんだんと早足に、そして駆け足となる。コトエは周囲を警戒していて通常通りに音を立てずに歩いていた。遅いので僕に掴まれて無理やり走らされる。大丈夫、この都市の周囲には驚異的な魔物はいない。
完全に森を抜けて城壁が見てくるころには懐かしい仲間の気配をはっきりと感じた。これは僕たちで結んだ契約の魔素術の影響で、その気になればお互いにおおよその位置と方向が探知できる。それは僕から一方通行ではなく、仲間からもできた。彼らも同じことをしていたのであろう。
残すところわずかとなり、ルベンザの入口門までしっかり視えている。番兵のほかに見知った仲間がいた!
(アオイ!それにナオキとレイナ!)
目じりに涙が浮かんできた。
もはや全力疾走に変わっていた。
彼らも僕と同じ喜んでいる。少なく遠目からでは僕はそのように視えた。
だが近づくにつれて、アオイたちの顔は笑顔からどんどん険しくなっていく。直後、強い魔素を彼女たちから感じた。これはきっと周囲を警戒してくれているのだろうと僕はより安心した。
残る距離が二十メートルを切ったころに、走りながらではあるがもう一度表情をよく視た。が、先ほどよりずっと険しい。というか……怒っている⁉
何かの間違いだろうと思ってそのまま駆け寄ろうとすると、レイナから強烈な熱線が放たれて僕のもみあげが焦げた。次いでアオイの姿が一瞬で消える。「どうしたんだよ!」と叫ぼうとするが体が動かないことに気づく。自分の足元からは茎の太い植物が生えていて体を雁字搦めにしていた。
――ボフゥ――
次に来たのは胸部への強烈な一撃。
僕は忘れていた。いや気づかなかったというほうが正しい。
嬉しさのあまり森から全力で駆けていた僕はコトエの腕を握って走り続け、彼女に移動速度を合わせてもらっていたことを。そして向こう側からは、嫌がる一人の女性を連れまわしている男に見えることを。
胸部への一撃はアオイの容赦ない峰打ちで、植物を引きちぎってぶっ飛ぶ。僕は感動の再開を楽しむ間もなく、向こう十数メートルまで地面を転がった。
******
「あら、私としたことが。ごめんなさい、シュウ様」
「まぁ、そうだよな。お前がそんなことするはずないもんな」
「ごめんね。シュウ。誤解だったわ」
この謝罪はアオイ、ナオキ、レイナの順である。
すぐに僕はアオイたちが大きな誤解していることを説明した。コトエ自らの話もあり、決して無理強いされてこの場に連れてこられたわけではないことを理解してもらった。ナオキはすぐにわかってくれたようだが、女性二人の誤解が続くこと三十分。日本の芸能界不倫会見のごとく浴びせられる質問に答えるコトエを見て、彼女を知って、ようやく誤解が解けた。
門番に怪しまれないわけがなく、込み入った話をするのにルベンザ内のシェリル邸へ移動した。
「さて、ようやくこの半年の話だが……」
そこにはなんと自衛隊の板垣さんもいた。どういうことだと僕は思うのだが、先に自分の半年の動きを伝えた。
「あの廃城クエストが偽の依頼だったのはみんなが知っているとおり。桟橋を切り離してから僕は……」
カーターを引き付けて戦って敗れてしまい海に転落したこと、どうにか一命を取り留めつつ隣のストラスプール王国の漁村まで流れ着いたこと、漁村から街を経由して王都クラスノに行ったこと、そこで残された日本人タクヤ・コウシロウ・アリサと出会ったことと彼らがまだそちら側にいること、魔境を経由してここにたどり着いたことを話した。
要点だけを話せば数分だが、この間の僕の苦労は並大抵ではない。
ここでイタガキさんが話し始めた。
「本当に生きていたんだな。良かった、良かった。それにほかの生存者の情報まで持ち帰ってくれるとは」
「僕もみんなと会えてうれしいです」
嘘ではない。予想された感動の再開は七割から八割減ではあったが。
「イタガキさんはなぜこちら(異世界)のルベンザにいるんですか?」
「そうだったな。それを話すために君が行方不明になってからの半年間を話す必要があるな」
僕はチラリとアオイの方を見た。ここにいるシェリルとコトエは、僕たちが異世界(日本)から来ていることを説明していない。するとアオイから『私たちが異世界人で日本から来ていることをシェリルは知っていますわ』と言われ、僕は驚く。
「そうなんだ。君が行方不明になってから……」
お読みいただき本当にありがとうございました。




