第八十一話 魔境越え作戦
転移の魔素術が完成してからまもなく。
僕はとうとう魔境側(隠者の里)から隣国のカスツゥエラ王国の四大都市である魔術都市ルベンザ側へ、魔境越え作戦を開始した。
隠者の里から出発後、十数キロごとに転移の魔素陣を描く。これは一度ではルベンザにたどり着けないため、複数回に分けておこなう必要がった。もしルベンザ側までつなぐ転移陣を一度完成さえしてしまえば、魔境からの撤退は転移陣のある場所まで戻ることでたった十数秒で帰還できる。
ちなみに術を準備する時は僕が無防備なので、周囲に護衛をつける必要があった。この点はコトエやギンジ、さらにはタクヤとコウタロウまで交代でついてくれることですでに解決した。
今日は初回で要領を掴むために全員で隠者の里へ来ている。
「さて、いきますか」
僕は仲間を伴い装備の最終確認をすると、隠者の里から魔境の海沿い側へと軽快に駆け出した。
魔境内では進路上の魔物を排除しつつ移動するが、こちら側の戦力は整っているので多少の魔物集団であっても進行に支障はない。それは僕とコトエたち忍者の先制攻撃が圧倒的であったのが大きな要因だったが、それ以外にもタクヤたちが腕を上げていたためである。
同じ魔境内でも、海と反対側の内陸奥へ進むと、強い魔素をもつ魔物の存在を感じるが、あいにくそちら側には用はない。指輪は陸地奥(魔境の海と反対方向)の方角に強い魔素を感じると教えてくれた。遠くにあっても探知できるのだから強力な魔物なのだろう。
僕たちは海と並行する魔境の陸地をひたすら突き進む。その方がルベンザへの最短距離になるのだから。
やがて転移の魔素陣の一回目中継予定地点まで到達した。本日は二つほど中継を繋いで隠者の里に引き返す予定である。
「ここらへんかな」
足を止めて周囲を見渡すと樹齢百年は越えるであろう大きな木があった。その根元を選んで、僕は異空間から直径一メートルほどの石を取り出した。この石はすでに半分に割られていて、その割面に転移の魔素陣を描く。
地面に描く方法もあるが、それだとなんらかの理由で陣が傷ついた場合に、転移が発動しなくなる恐れがあった。硬くてありふれた物質として、大石を採用するに至ったのだ。
この石は、自分の短剣を石に突き刺して数センチ押し込んだのち、割る面に沿って繰り返し繰り返し傷つけてようやく割った。そうすると割面が平面になるため、魔素陣を描きやすい。さらに今回用いる転移陣の片方側はすでに隠者の里に置いてあり、対になるように同じ魔素陣を描いていた。尚、一度転移陣を描いた石は僕の保管庫にしまうことはできなかったので、先に転移術を準備した石を置いてくるだけというのは不可能だった。
みなの協力で割れた大石を立て、僕は割面にさっさと転移の魔素陣を描き始める。
一時間ぐらいだろうか。集中していた時間が思ったより長く、汗が額に出ていた。ふぅという息を吐き出して割面に見入る。
(……できた)
『見事じゃ』
指輪が珍しく褒めてくれた。もう一回魔素文字を見直して、間違いないことを確認する。それは綺麗な魔素文字が密に並んだ、しかも転移者の防御を考慮する式を組み込んだ術だった。
「ちょっと行ってくるよ」
「ああ、気を付けて」
タクヤの返事を聞くと、僕は一定量の魔素を放つ。途端に魔素文字が光り輝き、その数秒後に今日のスタート地点である隠者の里に戻った。転移成功だ。
それが確認できるとすぐに魔境の森に戻るべく、もう一度魔素を放った。その数秒後、僕の体は元の魔境に戻る。
「大丈夫だ、この調子でいこう」
ちょっとだけ心配そうだったタクヤたちだったが、無事戻ってきた僕をみて安堵していた。
体内の残り魔素量を考えると本日はあと一つほど中継地点を伸ばせそうだ感じた。
この日。合計で二か所、距離にして約三十キロほど隣国の都市ルベンザへ近づくことに僕たちは成功した。
******
―――数日後、王都クラスノの宿 火雲亭にて―――
「冒険者のシュウはいるかっ?」
宿の階下から大きな声が聞こえてくる。それが王都の役人の声だとすぐにわかり、身支度を整えて受付へ降りた。
僕は昨日も転移の魔素陣を描くため魔境へ行っていたが、今日がチャードに誘われた模擬戦があったため、早めに切り上げて就寝していた。すでに百キロを超える距離分の転移魔素陣を確保していて、隣国側へたどり着くのはもはや時間の問題と考えていた。距離にして百キロは優に超えている。
作戦途中で指輪は内地側の巨大な魔素が気になったみたいで寄るように僕に要望した。が、僕はそれを一蹴していた。仲間と一緒に魔境奥で死ぬつもりはなく、目的が達せられればそれでよかったからだ。指輪はすこぶる不機嫌となっていた。
日課である早朝訓練もすでに終えており、いまは昼前の時刻である。そろそろ役人が来る頃だと思っていたので、短剣と保管庫内の折れた魔剣を再確認して、僕は宿の外へ出た。
「貴様がシュウか」
「はい」
「今日はチャード様が用意した模擬戦の日である。体調は問題ないな?」
「大丈夫です」
「よしっ! ついてこい」
驚いたことに外に出ると馬車が待機していた。破格の待遇である。促されるがまま僕は乗り込むと王都の中心へ移動した。
******
迎えに来た役人はリザーフと名乗った。待機させていた馬車内に僕を座らせると、その正面にドスンと腰を下ろす。
「たいした強そうには見えないな」
「はいっ?」
僕の地獄耳が確かにリザーフのディスりを拾ったのだが、あえて聞き返した。
「いや、なんでもない。シュウとやら、良い体格をしているな」
「とんでもないです」
この数か月でまた少しだけ身長が伸び、体はしなやかで瞬発力と持続力に長けた筋を増やしていた。今の僕は百八十センチメートルを優に超えて、体重も九十キロ近くあると思っている。
おそらく……であるが、こちらの世界の階位が上がると体内にもてる魔素の総量が増えるのだが、それと同時に基礎の身体能力が上がり、さらに骨格も成長を続けているらしかった。ただこの変化は万人に起きているわけではないようで、タクヤたちは筋力増加については実感しているが、身長は変わっていないと言う。
リザーフは僕の体格を(正確にはそれだけを)しきりに褒めていた。
移動中は世間話もした。彼の印象はどちらかというと初めは悪かったが、話しているうちに王都クラスノのことを真剣に考えているらしい役人だと分かった。その話の延長で、今日の結果がどうであれ王都警備兵に勧誘された。が、僕はこの国の警備兵になるつもりはなく、丁寧に断らせていただいた。
馬車が王都クラスノの主城入り口前に到達すると、城中には入らず右へ曲がる。しばらくして城横に闘技場があることがわかった。以前に娯楽都市ラファエルで戦闘に巻き込まれた時も闘技場があってそれなりの大きさだったが、ここは段違いだ。
周囲一キロメートル以上ある。馬車が闘技場内へ入ってくと、中にはおそらく半径百五十メートルほどの円形戦闘フィールドが備えられていた。観客席はそれを取り囲むように配置されて、段差もつけられている。収容人数は五千人を下らないのではないか。
よく見れば壁に魔素術も施されていて、フィールド中の戦闘の影響が伝わりにくいようになっているようだ。
そこから少し顔を上げると、闘技場内観客席の高い位置に数十個の隣同士の座席の間隔が離れている見合しの良い場所が目に入り、リザーフはそこが国王や貴賓、招待客の席だと言った。
やがて闘技場内の端で馬車は止まる。土の上へ降り立ったわけだが、その下には硬い石が敷かれているようで、足裏の間隔でそれに気づいた。
(ずいぶんと立派な闘技場だな)
徒歩となってからは闘技場の室内通路を、おそらくは闘技者がフィールドに出てくる時と反対方向へ歩いているのだろう、まっすぐ進んだ。やがて一室に通された僕は、中にチャード執政官の姿を見つけた。
「揃ったな」
僕が最後だったようで、一室の用意された椅子へ座るとチャードがすぐに話し始める。チャードと王都側の役人以外で、座っているのは僕を含めてちょうど十名。それぞれが前回の平原での選抜とは比較にならない強さを感じるので、何かの達人に違いないと思った。
「皆の者、今日はよく来てくれた。すでに個別に話した通り、この後すぐに模擬戦をしてもらう。相手は一人で、一対一。武器や魔素術の使用を当然認める。今回は闘技場内の区画を区切らせてもらい、試合が終わるまでは中からは出られない。それは相手も同じじゃ。各自、全力を尽くしてもらいたい」
「質問がある」
僕の横に座っていた大柄な男の冒険者が手を挙げた。
「どうぞ」
チャードが答える。
「相手の素性は教えない、って話なんだな?」
「その通り」
「そいつが死んだ場合はどうなるんだ?」
「相手は実力者である。お主らと戦っても死ぬことはないと思うが、それぞれが死に至りそうな場合は、我々が試合を止めることもある」
「なるほど。『お目にかかる』っやつの基準はあるか?」
「強いか否か。それだけじゃ」
「……」
室内が静まり返った。
「質問はこれ以上ないようじゃな。では一番初めにまずお主からじゃ。ついてこい」
チャードは一番近くにいた冒険者風情を指名した後、伴って待機部屋を退室した。遠くまで離れている音を僕は耳を澄まして拾ってみたが、どうも闘技場内へ戻っているらしかった。
待機部屋では皆話さない。僕もずっと黙り、相手の姿かたちを想像していた。
『どうじゃ。騙されたとわかり、後悔してきたじゃろう?』
指輪からの念話が頭に響いてくる。
(そんなことはない。これは経費獲得のための必要な依頼だ)
強気で切り返した。きな臭さはあるが、先ほどの会話である程度ではあるが僕は安心していた。
『よく言うわ。ところで依頼の本当の狙いや対戦相手の見当はついたのか?』
(まぁな)
『ほぅ』
(チャードたちは模擬戦参加者の死亡を望んでいない。つまり依頼にケチのつく可能性は低いってことだ)
『なぜそう思う?』
(僕が役人なら支払う報酬は少ない方がいい。それならば模擬戦者に死者を出した方が手元に資金は残る。だが今回は死ぬ間際に試合そのものを止めると言った)
『確かに』
(さらに『我々が止めることもある』という。これは対戦相手が試合を止めることもあるように聞こえた。それならば相手はチャードと同じかそれ以上の権限を持っていると思う。もしそうでなければ、『我々が止めることがある』となるはずだ。対戦相手は王都クラスノの役人かつチャードと同じく高位の者だ)
『ほぅ、お主にしては冴えとる』
(指輪こそ何かわかったか?)
『さきほどの一番手は闘技場内へ移動して、そこで魔素が急に途絶えた。その直前魔素術の発動を感じたから、チャードとやらの話は本当じゃろう』
(外部からの干渉を許さない、か)
『で、相手は?』
(うーん……)
『なんじゃ、結局中途半端な推測だけか』
(うっさいわ)
ふと隣の男がこちらを見ているのに気付く。彼は先ほどチャードに質問した大柄な男だった。年齢は三十後半ぐらいで坊主頭だ。体格はなんと僕より良くて、腕周りは丸太のように太い。身長は二メートル以上あるのではないだろうか。
「よぅ」
ガラガラ声だったが、嫌味を感じなかった。思ったよりも好印象だった僕は、静けさに耐えられず返事をする。
「……こんにちは」
「へっ。こんにちは、か。いい育ちじゃねーか」
「それほどでも」
「お前、どう思っている?」
「どう思っているとは?」
「明らかな報酬と不釣り合いの依頼だ。それも討伐じゃなくて模擬戦ときている」
「違和感しかないです」
「だよな」
「対戦相手について何か知っていますか?」
「わからねぇな。だが……」
二人の会話を遮って役人が入室してきた。早くも二番目の男が呼ばれて一緒に退室していった。思っていた以上に次が呼ばれるまでの間隔は短い。
「だが、最近戦争のうわさがある」
「戦争?」
「そうだ。北のデカい国が軍備を増強しているって話だ。もしかしたら関連しているかもしれねぇ」
僕は自分だったら戦争をする場合に、自国の冒険者を引っ張るか考えた。もし、実力者がいれば手っ取り早いのは金だろうと思う。しかもギルドを経由すれば、なんなく依頼自体は受け取らせることができるだろう。頭の中でそれは違うと結論を出した。
北の国といえば、魔境側である。もし戦争になれば魔境側へ侵攻されると、魔境越え作戦が邪魔される可能性があった。早く作戦を進めた方がよさそうだとの考えに至り、そこで僕は貴重な情報をくれた模擬戦参加者に感謝を示す。
「情報をありがとう」
「いいってことよ。お前、見た目以上に若いみたいだな。名前は?」
「……シュウと言います」
「そんな警戒するな。おれはタウロスだ」
名乗ろうか迷ったが、良い情報をもらったので名乗らないは無礼だと思った。タウロスという冒険者は近くにあった棍を手元に手繰り寄せる。彼の武器のようで、彼が持つと少しだけ魔素が溢れだした。この武器もなんらかの技を隠し持っているに違いない。
やがてタウロスも僕も黙り込んだ。
その後次々と参加者は呼ばれていった。短い時間で呼ばれることもあれば、十分以上あけて呼ばれることもある。どうやら部屋に入った順番通りに呼びつけられるようで、僕は最後らしい。その前にはタウロスが呼ばれていった。部屋を出るときに僕は彼に目礼を送ると、彼はそれを返してきた。
部屋には僕だけが残された。
(さすがにここにいる人たちの武器は良さそうなものばかりだな。結局、短剣は僕だけか)
『そうじゃろう』
(できることだけして、さっさと宿に戻るかな)
『それが無難じゃ。ここはお主の命を賭ける場所ではない』
(それもそうだな)
僕は日本に帰るための冒険者だ。目的を達する前に死ぬわけにはいかない。指輪との念話はほかに聞こえないので、周りの者は僕が一点をみつめているだけで動かないのを緊張しているように思ったかもしれない。
タウロスの模擬戦は長く、十分以上僕が呼ばれることはなかったが、とうとう扉の奥から足音が近づいてきた。
(きたか)
僕はもう一度短剣を確かめた。すぐに扉が開き、僕は兵士に伴われて闘技場へ出た。




