第七十八話 どんなもんですか?
ブックマーク、誤字報告をいただきました。ありがとうございました。
「ぶぁっかもん!」
僕は先ほどからずっとケンザブロウさんの口唾を顔面で受け続けている。
「そんな怒らなくても……」
彼の曲がっていた左腕は僕の予想通りで折れていた。自分の転移陣でケガをしてしまったことを申し訳なく思いながら、患部の具合をよくみて治癒術をかけた。左腕が薄く輝いてゆっくり……ゆっくりと……骨折していた腕が直線に戻っていく。
「なんじゃ? お主は他人への治癒術もできるのか?」
「ええ、まぁ……」
(……でもすごく効率が悪いんです)
ナオキやほかの人の治癒術と見比べると自分の体内の魔素が圧倒的な速度で消費されていくのは以前からわかってはいた。彼らは他人を治癒していても、激しく魔素が枯渇する様子はないし、治癒速度もずっと早い。
対して自分は、この分だと今の体内の魔素が保有できる限界まである状態であっても、他人の大けがに治癒を施したと仮定して、半分ぐらい治癒した段階で自分の全ての魔素を吐き出してしまいそうだ。
現にケンザブロウの骨折に対して体内の半分とまでは言わないが、それに近い量の魔素が急激に失われていった。
「……はい。治りました。すいませんでした」
「ふんっ」
先ほどはえらく不機嫌だったが、治癒が終わると多少は機嫌が戻ったらしい。ケンザブロウさんは転移の魔素術が描ける筆を取り出した。
「お主の転移陣は他人を防御する式を組み込んでおらんのじゃ」
「はい」
「なんじゃ、気づいておったのか?」
「ええ、実は……」
以前にダメだったので、やむなく転移の時に自分の魔素で包み込むことでその問題を解決していたことを話した。
「悪くない。が、転移の術はいつでも、どこでも、だれでも、使える方が良い。使用者を限定したり、使用条件を厳しくするのはあまりよろしくない」
「僕もそう思います」
「それでは……」
ケンザブロウは筆で地面に、僕と同じように左右に分けて転移陣を描いた。
自分の陣も見事だと思っているが、初代お頭特製の筆で描かれた転移陣はその上をいく。綺麗な魔素文字が等間隔でかつ密に並んでいる。
(相当な実力者……か)
これには適わないなと僕は驚嘆した。契約魔素術を指導してくれたクリスも上手く魔素文字を描く。しかし筆の性能はそれをも遥かに上回っていた。
「みろ」
ケンザブロウが地面に描いた転移陣を指差した。
「はい」
「初代お頭は魔素術において、歴代のお頭より頭一つ抜き出ていたと儂は思っとる。いい例がこの筆じゃ。本来は字を書くためだけの道具らしい」
(実は知っています)
彼は地面に描いた術式に目線を落とす。
「よくみたか」
「はい」
彼はもう一度僕に転移の術式を見せてくれたのだ。実際には初代お頭が作製した筆によって描かれる魔素術式ではあるが……。
前は気づかなかったが、術式の中に転移者を防護する魔素言語が入っている。
「ケンザブロウさんの言いたいことがわかりました。僕が作製した転移の術式には、防護の式が入っていません。なので僕の転移陣では生身で安全な転移ができないのです」
「ふむ、わかったようじゃな」
「術式を組みなおします」
僕は術式を真似て描いてみた。
転移の術式に魔素文字を新しく加えるのは決して簡単なことではない。
すでに転移の術式を組んでいたので、そこからさらに中へと防護の魔素文字を付け加えなければいけない。一言に加えるといっても、全体のバランスを考えて描いて最後に一周した状態でつなげて完成させる必要がある。
長くなれば集中力が必要だし、何より追加の式を入れる場所を間違うと術が作動しなくなる。
(だいたいこんなもんか……)
以前にクリス王女に教えてもらった契約魔素術のうち、発展させた転移の魔素術。
彼女の教えと今まで培ってきたカンを頼りに全体の文字配置を頭で描いて、そのまま地面へ描き切った。
「ほぅ」
ケンザブロウさんが腕組みを解いた。
(式としては悪くない)
「作動するか試してみます」
さすがに真新しい術式を生物で試す気にはなれず、そこらへんの石ころでやってみることにした。
陣の上に石を置いて、自分の魔素で起動させる……。
(あれっ?)
転移陣は僕の魔素に反応して少しだけ光ったが、作動した気配はない。当然石もそのままだった。何回やっても変わらない。
「……失敗ですかね……」
「そのようじゃ」
転移陣をじっと見つめる。
「それほど悪くないと思うぞ」
気落ちする僕を見てケンザブロウさんがフォローしてくれた。
「全く魔素に反応しなかったわけではない。あと一工夫か二工夫ぐらいで、作動しそうな様子じゃ」
「……そうですね……」
「そんなに落ち込むでない。先ほど儂に施した治癒術は見事じゃった。転移の魔素術も今日は作動しなかったが同じじゃ。きっと相当な鍛錬を積んだのじゃろう。それと同じことをすればよい。お主は努力という才能を持っておる。決して悲観するな」
「……はい」
「短距離でもいいので、修正した転移の魔素術が作動したらもう一度ここに来い。その時はお主の望み通り、この里から隣国の魔術都市ルベンザまで転移陣を少しずつ伸ばしていくがよい」
「わかりました」
ケンザブロウさんは気を付けてというと再び里の中心へ戻っていく。
僕はというと仕方なく来た道を走って、王都クラスノまで戻ることにした。
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――王都クラスノ、主城のとある一室にて――
執務をおこなう机でう~んと唸りながら、悩む男がいた。
名はチャード=コペルスキー。
五十歳すぎの細身の体格で、白髪の立派な髭をたくわえている。頭はすっかり薄くなったが、それでも同年代の同じ執務官よりはずっと毛が多いのが彼の密かな自慢だった。
その身には光沢のある素材でできたローブを羽織っていた。これは執務官皆の制服として採用されていたが、彼はほかの者たちと違い肩の部分の縦線の刺繡の数が多かった。
これは執務官の中でも上に位置することを示してる。これによって面会する者は彼がただの執務官ではないことが見てすぐにわかる。
チャードの仕事は激務だ。
王都クラスノおよびストラスプール国で起きるすべての問題を解決するのが彼らの仕事で、日常的に相談が舞い込んでくる。
あまりの忙しさに王都の役人には嫌煙され、数年で別部署へと移動するのが慣例となっていた。
が、このチャードという壮年期男性はもう十年以上も同じ執務官についていた。
彼は過去に一度、職場転換を望んだが上司が許さなかった。
理由は彼の職業である。
『鑑定官』、階位は六十以上。能力は物事を見抜くことであり、彼の右に出る者がいなかったのだ。
これは過去に起きた事件であるが、とある貴族一家に惨殺事件が起きたと連絡が入り、就任当初まもない彼は現場に入ったことがあった。
事件発覚から二日経過したが、依然として犯人の手掛かりがないため、その突破口を見つけるべく呼ばれたのだ。当時の上司はチャードのことを『新人だが多少腕がいい部下』ぐらいの認識であった。通常はそんな新人が難事件に呼ばれることはないが、あまりにも事件解明が進まないので人海戦術の一環として彼が現場に呼ばれた。
家の荒れようはひどく、特に寝室は壁中に血が残っていた。気の弱い役人はすぐに部屋を出て、腹の中の食事をそこらの草木に栄養として出すハメになっていた。
チャードは寝室に入って一瞥するなり、
「ああ、そういうことですか」
と言った。周囲の者は悲惨な犯行現場を目の当たりにして頭がおかしくなったかと思ったが、そうではなかった。
彼はその職業が階位四十を越えたときに、両目に真実を見抜く眼を授かった。魔素を集中させると人物鑑定、さらには常人では見えない痕跡やその情報まで読み取ることができるのである。
現場に巻き散った血と荒れた室内、住んでいたはずの貴族とその一家が姿を消したことから王都警備側は殺害されて遺体をどこかへ運んだと判断していた。
チャードはまず血の鑑定をおこなった。すると動物の血であることがわかった。この家には犬などが飼われているという情報はない。ではこの動物の血はどこからきたのか?
続いて彼だけが見抜いたわずかな血の痕跡をたどると、地下へ部屋につながっていた。そのまま追っていくと壁にあたる。が、隙間からわずかな空気が漏れていた。その奥に足跡が続いていそうだ。
「この壁の向こうに通路があります。おそらく外と通じています」
周囲の者が確かめてみると本当にあった。
「これは殺害事件というよりは、自作自演の可能性があります。もう一度いなくなった貴族の背景を調査してください。仕事、女性関係、金、違法な事業。そういったことに手を出していないかよ~く調べてください」
間もなく王都内の冒険者を相手にする安宿で、いなくなったはずの貴族一家が見つかる。これから商隊の護衛を装って王都から出るという寸前のところだった。
理由は借金。
高利貸しに多額の金を借りては、別の場所に金を返すという自転車操業をしていたが、とうとう首が回らなくなった。考えた結果、夜逃げを選んだのである。ただ逃げるだけでは借金取りに追われる。そこで自作自演の殺人事件を組み立てたのだ。
彼はこの事件をわずか数分で解決に導いたものとして王都の役人からは知らぬものがいない存在になる。
以後十年以上にわたり、この国の難題を解決してきた。
そのチャードが今、目の前の書類を見ながら、自分でも気づかぬ間に唸っている。
周囲に同じ執務官が複数いるが、それに気づくものは少数だし、気づいたとしても注意する気はない。
この春、自分が長年面倒をみてきた青年、今はすでに自分と同じ壮年に入りそうな男だが、その彼が昇進する。
警備の頂点である王都クラスノの守護聖になるのだ。
名はビヨンド=ストラード。ついこの間まで王都クラスノの竜騎士団副長だった男だ。
前任者の勇退に伴って、彼が新しく竜騎士団長、すなわち守護聖へと就任する。その式典をチャードが取り仕切っていた。
就任式はただ国民へと新しい守護聖を披露するだけではない。
国外へ自国の強さをアピールする必要がある。国王から守護聖の証である聖剣を賜り、その剣で大観衆の前で戦うのだ。
新しい守護聖の戦闘をみた者たちに『この国に、この守護聖あり』という安心を与えて、噂を広めてもらう必要がある。
すでにビヨンドはドルドビ盗賊団の判明した本拠地を文字通り吹き飛ばしていた。その実力は王都内のすべての実力者を含めて、五本の指に入ることは間違いない。他国でも彼と同じ実力者を見つけ出すのは難しいだろう。その領域に到達した人物だ。
就任式で行われる余興では当然ビヨンドが勝つし、観衆もそれを知っている。
だが弱い相手では観衆は興ざめ、自国の評価を下げる要因となる。
ここらへんのさじ加減が非常に難しいのだ。
魔物を選ぶ方法もあったが、強い魔物は捕獲が難しいし、仮に捕獲しても半分死んだような魔物では観衆は満足しないだろう。
就任式において、適度な強さで戦い、観衆を沸かせ、国王の前でも負けることのできる人物がどうしても必要で、その選定にチャードはずっと悩んでいた。
有名どころの貴族は引き受けない。負け戦に自分の息子や兵士を易々と出すわけがなかった。
つい先ほども交渉中だった身分のある貴族家から正式に『就任式には余興相手としては出席しない』と断られた。
(こうなれば……)
冒険者ギルドから金を積んででも、適当に引っ張ってくるしかないか。
チャードはこの結論に至った。
善は急げ。
さすればすぐにでもふさわしい相手を見つけなければと思い、身支度を整えて執務室を出る。
途中で部下が先日のドルドビ盗賊団の件で報告と依頼を持ってきた。
内容は王都内の拠点についての詳細な報告である。そこで捕縛された盗賊団は皆口をそろえて雷の魔素術を放たれたと言った。それも同時刻に別の場所にいた複数の盗賊団が同じことをいうのである。
いまだに捕縛をおこなった人物や組織は見つかっていない。
(何かがおかしい……)
雷の魔素術は一般に知られてはいるが、扱える者は決して多くない。なのに、ほぼ同時に複数個所で雷の魔素術で捕縛された盗賊団員が多数いる。
解釈としては、複数人の雷の魔素術を使える者を抱える組織がやったと考えると妥当だ。報告書もその通りに書いてあり、推測としては当然だと思うのだが、チャードはこの考えに違和感があった。
そして依頼とは、盗賊団を全滅に追いやった人物や組織を特定せよというものだ。
放置すれば別の大きな組織となり、いずれ王都に牙をむくかもしれない。それを懸念しているのである。
だが彼はその場で取り合わなかった。盗賊団はすでに壊滅に追い込み、王都と周辺の街道は正常となり、物流も安定してきた。この件の優先順位は低く、今は就任式が最優先事項だ。
チャードは人員をかけて聞き込みを続けることと、過去に同じような方法で解決された事件がなかったか記録を見ることを指示して、足早に執務室を出た。
お読みいただきありがとうございます。




