ガーベラとアカデミックガウン
「ターニア・ローズリィ伯爵令嬢! お前との婚約を破棄するっ!!」
「承りました。では、失礼します」
すたすたとそのまま通り過ぎていく小さなその背を、チャールズは上履きのまま慌てて追い掛けた。自身の行動がそこにいる全ての生徒から好奇の視線を向けられていることすら気にできる状況ではないようだ。
満14歳になった翌年の春から3年掛けて、この国のすべての貴族令息令嬢が通うことになっているラプロス貴族学院。ここはその学院のカフェテラスだ。今は昼休みを半分過ぎたところで、丁度ランチを食べ終わって席を立とうとしていた者、デザートやお喋りを愉しむ者、少し遅れてここに辿り着きこれからようやくランチにありつこうという者でごった返していた。その全ての目が好奇心いっぱいの色を乗せてこの学院でも有名な2人が起こしている騒動に向けれらている。
1人は、大声で自身の婚約破棄を宣言をしたこの国の第三王子チャールズ・キロノン殿下。美貌で謳われる王妃にそっくりの美しい金髪と海の様に澄んだ青い瞳の持ち主だ。ただし、正直なところあまり座学も剣術などの実技も才能があるとは言い難く、優秀な兄達と比べられては生温い視線を浴びることが多い。御年15歳。真面目ではあるがどこか抜けているというのが周囲からの評価で、そういった意味でも向けられる目は生温い。
1人は、婚約破棄を学園の呑気な昼下がりに声高に宣言されたターニア・ローズリィ伯爵令嬢。15歳という年齢にしてもかなり背が低く、身体は薄く、表情も薄く、顔も薄い。これまでどこのお茶会に呼ばれようとも本を片時も離さず話し掛けられても碌に返事もしないことで有名だ。しかし、この令嬢を学院で一目置かれる存在足らしめているのはそのような表面的なことではない。この学院始まって以来の才女といわれるその頭脳、その分野は多岐に渡り既にこの歳にして数々の論文を発表しその実力を認められている。地味な外見と反する華々しい功績は、男女問わずやっかまれて陰口をたたかれることも多かった。
「タニ、ちょっと待ってよっ!」
上履きのまま飛び出したチャールズが強引に腕を掴んで振り向かせた。
その拍子に、ターニアの頭の上に乗っていた角帽が落ちる。
心底嫌そうな顔をしたターニアは、自分を掴んでいる失礼な手を引き剥がし、角帽を拾い上げた。元婚約者の顔も碌に見ず、ついた埃を手で払う。
「第三王子殿下、婚約を破棄されたのは殿下です。婚約者でもない独身の女性に勝手に触るのはお止めください」
ターニアはつい先ほどまで自分の婚約者であったチャールズを名前で呼ぶことすら拒否した。そうして言いたい事だけ言い終えると、ターニアは空になった弁当箱と本そして拾い上げた角帽を脇に持ち直すと、チャールズに捕まれた場所もわざとらしく手で払う仕草をしてから再び前へと歩を進める。
ちなみに、ターニアはここで提供されている豪華なランチではなく家から持参した野菜をたっぷり使ったお弁当をカフェテラスに続いている中庭で食べ終えてこのカフェテラスの前を通りかかっただけである。大声で騒ぎ立てているチャールズは散々ターニアを探して見つからず、諦めてカフェテラスにやってきて見つけたと焦った結果が、中庭へと続くオープンテラスの枠にしがみついての婚約破棄宣言だ。
「タニ! ちょっと待ってって言ってるじゃないか!!」
大きなその声に先ほどの婚約破棄宣言が聞こえていなかった者からまでも注目が集まる。こそこそひそひそと交わされる言葉が、波のようにいまここで何が起こっているかを伝えていく。
その何かを知った者には、こんなところでする話かと眉を顰める者、発展著しいローズリィ伯爵家と王家の間でこれから起こるであろう悶着について家に情報を持ち帰らねばと息を潜める者、興味津々で面白おかしそうだと喜ぶ者、馬鹿らしいと冷めた者など様々だったが、チャールズはそれどころではないとばかりに、なんとかしてターニアの足を止めようと追い縋った。
それに、まっすぐに歩いていた少女がふと足を止めて振り返った。
眼鏡の向こう側から、チャールズを碧と翠と榛色の瞳が見返している。
世界そのもののような不思議な色合いをした大きな瞳は、少し吊り目気味ではあるものの美しいアーモンド形をしている。ぎゅっときつく編まれて頭に巻き付けられた三つ編みと同じ灰色をした濃い睫毛に縁どられていた。
その不思議な瞳で見つめられた者は、男であろうと女であろうと、誰もが声を失い見惚れることしかできなくなる。ただし、その瞳は武骨なセルフレームの眼鏡の陰でいつも本に向けられてばかりで、誰かに対してまっすぐに向けられることは少ない。
ガリ勉、頭でっかち、野暮地味令嬢と揶揄されることの多い影の薄い伯爵令嬢において、唯一判り易くその非凡さを表わしているその瞳に射竦められたように、チャールズは咄嗟に動けなくなった。
「殿下、すでに私達は殿下のお言葉により婚約が破棄されております。以後、わたくしの事を愛称で呼ぶのはお止めください」
美しい瞳に何の感情も乗せず言い切る。小さな声で発せられたその拒絶は、しかし静まり返った周囲にはよく届いた。
返す言葉を無くして棒立ちになったチャールズの様子に興味を無くしたのか、ターニアは今では彼女以外は誰も真面目に着用しなくなった黒いアカデミックガウンを翻してその場から歩き去った。
「タニ、婚約破棄されたんだって?」
その声に、嫌そうに一瞬だけ視線を投げたターニアは「図書室での私語はお慎みください」とだけ告げて読みかけの本へと視線を戻した。
そんなにべもない対応に全くめげず、にやにやとした顔で横に立っているのはエネル・キサシン。侯爵家嫡男でターニアの二つ年上の幼馴染であり、ターニアがちゃんと会話を交わす数少ない相手だった。チャールズ第三王子との婚約が調うまでは。
「もういいじゃないか。あいつとの婚約は破棄されたんだろう? 私達と一緒にいても、もう誰にも文句を言われたりしないんだからさ」
図々しくも本を読むターニアの横に座り、まるで囲い込むように距離を縮める。
角帽についたタッセルを指でちょいちょいと突っつきながら笑いかける。その笑顔には見慣れていた筈のターニアですら五年ぶりということもあるのかドキリとするものがある。
端正な顔立ちの中でもひと際人目を惹くのが甘く溶けたチョコレートの様な焦げ茶色の瞳だ。完璧なラインを描く眉の下で煌めく切れ長のその瞳に見つめられたいと願うご令嬢はそれこそ星の数ほどいる。
「五月蠅くて本を読んでいられないわ」
赤くなった頬を誤魔化すように、ターニアはカタンと小さな音を立てて席を立ち、重そうな本をカウンターまで運んだ。
貸し出し手続きを終えて重い本を受け取ったターニアの後ろ姿を笑顔のままのエネルが追う。
「あ」
「手続き、終わったんだろ?」そう言ってターニアの手から分厚い本を取り上げてすたすたと歩きだした。
「ちょっと。私は教室に戻るつもりなのに」
エネルに向かって小声で怒るターニアの肩に、後ろから重い腕が圧し掛かった。
「タニ、婚約破棄おめでとう」
やったな、と親指を持ち上げてぐっと突き出してきたのはグラド・ユースライト。騎士団長の息子でターニアの二つ年上のもう一人の幼馴染だ。
大きな身体と敏捷な動きの持ち主で、すでに卒業後の騎士団への仮入団許可を得ている未来のエリート騎士様だ。日焼けした浅黒い肌と端正な顔つきも相まって令嬢からの人気も高い。
三人はいつも一緒だった。ターニアが突然第三王子の婚約者として選ばれるまでは。
その日を境に、傍で話をすることすら大人は眉を顰めるようになり、一緒にいることは叶わなくなった。
「これで幼馴染トリオ復活だな」
「幼馴染であることにはずっと変わりなかったので復活もなにもないでしょ」
強引に連れてこられたのは勝手知ったる化学教員室だった。ターニアの家庭教師をしていたライト・アクアチムが現在この学院で化学の講師になっている、その教員室である。
上機嫌の講師によって振舞われた温かな紅茶を手にしながら、ぷい、と横を向いてターニアが小さな声で言い返す。
そこにはいつもの、まるで自動人形のような印象の薄い少女は見当たらなかった。ごく普通にくるくると表情の変わる、愛らしい令嬢そのものだ。
「髪も解いちゃおう。こんなにぎっちぎちに編んだりしたら、せっかくのタニの綺麗な髪が痛んでしまうよ」
するりと髪を止めていたピンが頭から抜かれていく。
「やだ、止めて」とオロオロするターニアに構うことなく、エネルとグラド、そして講師たるライトによる共同作業は速やかに終えられて、三人は満足そうに豊かな毛量を誇るタニの髪を手で梳いて回る。
「あはは。きつく編み込むのも悪い事ばかりじゃないね。髪が綺麗にうねって妖精のようだ」
綺麗だよ、そう甘くエネルから耳元で囁かれてターニアの顔は真っ赤になった。
きつく編まれていた時は地味な灰色にしか見えなかったその髪は今、綺麗なうねりが光を生み出して光り輝いていた。まるで流れ落ちる銀色の河のようだと見ていた三人は感嘆のため息を吐く。
その様子に、真っ赤になったままのターニアが拳を握りしめて怒っていた。
「…いっつもそうやって馬鹿にして。揶揄おうったって騙されないんだからぁ」
きゃんきゃん喚くターニアを嬉しそうに見つめるもう一人、グラドがそっとその手を取り唇を寄せた。
「婚約がなくなったタニになら、次のダンスパーティーで俺のパートナーになって貰えるだろうか」
16歳のデビュタント以来ずっと、これまで誰も誘ったことがなく、すでに結婚している姉を呼びだしてパートナーを頼んでいたグラドがタニの瞳を覗き込んでいた。その瞳には揶揄いの色などどこにもない。真摯な光だけがそこにはあった。
「グラド、ずるいぞ。それは私がタニに希おうと思っていた言葉だ」
すい、とタニの前に綺麗な手が差し出される。
「タニ。次のダンスバーティーには私のパートナーとして一緒に参加してほしい」
正式に愛を請うように跪いて差し出されたその手に、ターニアの不思議な色をした瞳が揺れる。
学院で次に開かれるダンスパーティーといえば卒業パーティーの謝恩会のそれである。そこで自分の婚約者を連れて行きファーストダンスとラストダンスを踊れば、その後の二人の結婚生活は幸せなものになると言われている。
だから、婚約している者は勿論、婚約者がいない者もこの日までに一生涯を共にできるパートナーを見つけて一緒に参加したいと駆けずり回っていた。
ターニアの、その不思議な色をした瞳に映るのが自分だけであって欲しいと希うようになったのはいつからだったろうか。多分、エネルにとってもグラドにとってもターニアと初めて会ったその時からだ。
母親同士が同じ歳の三人は、ターニアが洗礼を受ける場に共にいた。
そこで眠っていたターニアがその不思議な色をした目を開いて二人の方を見つめたその瞬間から、二人はずっといつかこの女の子の手を取る、そんな日を夢見てきたのだ。
「…グラド。…エネル」
どうしていいのかオロオロとするばかりのターニアを、後ろからそっと優しい腕が抱きしめた。
「駄目ですよ。グラドとエネルでは、タニ様を自分の腕の中に閉じ込めて誰にも見せないとか言い出すでしょう?」
折角、王子殿下から婚約破棄を申し付けて貰ったのに、タニ様が新しい籠に入れられるだけではありませんか。それでは自由になった甲斐がないでしょう、そう甘く微笑みかける。
「…ライト先生?」
まるで、先ほどの婚約破棄を画策したのは自分だとでもいうようなライト講師の言葉に、三人揃って目を瞬かせた。
「私は伯爵様からのお云い付けに従ったまでです」
しれっと言い切る講師に、誰が最初に噴き出したのか。それを皮切りに三人の笑う声が重なる。
その内に、その笑い声は四人分となりしばらく続いたのだった。
「ここにいたのか!」
がらりとノックもなしに化学教員室の扉が開かれた。
そこに立っていたのは、つい先ほどターニアに婚約破棄を突きつけたこの国の第三王子チャールズ・キロノン殿下その人だった。
しばらく、室内を見回した後、真ん中に立っているターニアをじぃっと見つめた。
つかつかと近寄ったチャールズが無造作にターニアに向かって手を伸ばす。
しかし、その手はターニアに届く前にグラドによって掴まれ上に捻り上げられ、エネルがターニアを覆い隠すように立ちふさがり、ライトがその腕の中へとターニアを隠すように包み込んだ。
「おい、講師。生徒をちゃっかり抱きしめてんじゃねえぞ」
グラドがその怒りからチャールズの腕を更に捩じ上げ、
「何をしているんですか、インコー講師」
そう激高したエネルが邪魔だとばかりにチャールズを突き飛ばした。
そんな二人に構うことなくライトが腕の中に閉じ込めたターニアに向かって微笑む。
「大丈夫。僕たちがちゃんと守ってあげますからね」
ずるいぞ、大人汚いと、やんやと騒ぐグラドとエネルを横目にライトがターニアを囲いに掛かる。
そこへ、焦れた様子の我が儘王子が割って入った。
「おい。不敬だぞ。俺の婚約者に何をしている!」
その言葉に、四人がゆっくりと視線を合わせた。
「間違えてはいけません。元婚約者ですよ、第三王子殿下?」
「自分から破棄しておいて、なんと勝手なことを。恥ずかしくないのですか?」
「おい、王子だからってタニを傷つけたら許さねえぞ?」
口々に責められチャールズは既に涙目だった。甘やかされる事には慣れていたが、貶され叱責される事には慣れていない。
それでも。一度は引いてしまった自分に喝を入れて、チャールズは声を張り上げた。
「ずっと前から好きでした! おれ…私の、ダンスパーティーのパートナーになってください!」
ガバッと頭を下げて手を差し出す。ぷるぷると震える手と足。全身どこも全てが真っ赤であり、ふざけている様子はどこにも見つけることができない。それでも、
「殿下? 誰に対して言っているのか、判ってますか?」
「なにを血迷っているんです?」
「ふざけるなよ。馬鹿にしてるんですか?」
三方を囲まれ口々に貶されるが、チャールズは頭を下げたまま微動だにしなかった。
手も、ターニアに向かって差し出したままだ。
じぃっとその様子を見つめていたターニアは、数回、その小さな頤をはくはくと動かしながらもなんと答えたらいいのか、言葉を見つけることができなかった。
第三王子は、自分が誰なのか判っていないのだろうか、そう思うと何をどう言えばいいのか、まったく判らない。たかだか髪型が違うだけでこの反応。そう思うと情けなさに瞳が潤む。このまま逃げ出してしまおうか、ターニアの頭にはそんなことすら頭に浮かぶ。
婚約したての頃は、ターニアだって王子との婚約に胸を躍らせたのだ。
その一挙手一投足に心を奪われ、なんて綺麗な王子様だと夜ごと夢に見たほどだ。しかし。その綺麗な王子様がターニアに笑いかけてくれることは、なかった。
「おい、いい加減にしないか!」
どん、とグラドの手によって大きく突き飛ばされたチャールズが机にぶつかる。
がしゃんと大きな音を立ててそのまま転がり、床に手をついたチャールズだったが、それでもそのまま片膝をついて再び手を差し出した。
「…タニ、ターニア・ローズリィ伯爵令嬢。
お願いだ。私の人生の、一生のパートナーになって欲しい」
見上げるチャールズの顔は、五年もの歳月を王に定められた婚約者として過ごしてきたターニアにとっても初めてみるほど真剣だった。
「…チャールズ殿下?」
ちゃんと自分が誰なのか判っていたと知って、却ってターニアの心に混乱が生まれる。周りを囲む三人も混乱していた。
つい先ほど婚約破棄をと叫んでいた筈の少年の言葉に、才女と名高いターニアであっても困惑しかなかった。
国王陛下の一存だという第三王子と伯爵家の間で交わされた婚約は、身分差がありすぎるという点から『どれだけ金を積んで買ったのか』とう謂れのない誹りを受けたり、『地味過ぎる』とターニアに対して直接伝えにくる令嬢も多くて、正直、ローズリィ伯爵家では苦々しい思いをすることも多かった。
なにより、婚約していた五年間、二人で会うのは取り決めにあった月一のお茶会のみ。そのお茶会の席ですら会話はなく、時間までただ向かい合ってお茶を飲むばかりだった。
一度だけ掛けられた言葉が、ふわふわの布で作った花のモチーフが襟元とスカートに沢山ついたピンク色をしたとても可愛らしいドレスを着た時で、『……そんな服。可愛すぎじゃないのか』と苦々しく吐き捨てられた時だけだ。以来、ターニアは可愛い服を見せられるとその時のチャールズを思い出して嫌な気分になったし、おしゃれというものを遠ざけるようになった。
誕生日に届くプレゼントはいつも同じ花束に、サインのみのカードがついてくるだけ。
そんな婚約の末に受けた婚約破棄宣言。
だからこそ、受け入れるしかないと理由を訊ねることすらしないでターニアは頷いた。
それなのに。
「殿下は、いったい何をお考えなのですか?」
すっとターニアの前に出たのは白衣を身に纏ったすらりとした姿。ライト・アクアチムだった。その背にターニアを隠して立ちはだかる。
濃い藍色の前髪と、銀縁の眼鏡の向こうに見える切れ長の瞳は涼やかを通り越して今は冷徹という言葉が似合う剣呑な光を帯びている。
いつまでも来ない返事に焦れた様子で名前を繰り返す。
「殿下?」
その声はどこまでも冷たい。容赦なくチャールズの覚悟を問い質す。
「…タニと、…ターニアの、本当のパートナーになりたいんだ。
陛下が決めただけの、…唯の、婚約者じゃなくてっ!」
ぼろぼろとぼたぼたと。
チャールズの瞳から大粒の涙が床に落ちていく。
「「「…殿下」」」
エネルも、グラドも、ライトも。初めてみるチャールズの真剣な様子に言葉が続かなかった。
「………」
立ち塞がる三人の間から、ターニアがゆっくりと前に出る。
「タニ!?」
それを引き留めようとしたグラドを、ライトが腕を取りそっと首を振った。
「……っ」
ぱっとその手を振り払い、グラドは後ろを向く。
それは、これから始まる二人の会話を聞くことを拒否するかのようだった。
「…チャールズ殿下」
「……タニ」
見つめ合う二人には、今ここにいる他の三人の姿は目に入っていないようだった。
「次の…ダンスパーティーでファーストダンスとラストダンスを、俺と一緒に踊ってください!」
ファーストダンスとラストダンスを一緒に踊る、つまりはパーティーの始まりから終わりまで、ずっと共に過ごして欲しいという申し入れ。それは則ち他の人のことなど見ない、自分にはあなたしか要らないという熱愛の証だ。
再び目の前に差し出された手に、躊躇いながらも、ターニアはそっと自分のそれを重ねた。
「…タニ。本当に?」
ぼろぼろとぼろぼろと。
再びチャールズの顔が大粒の涙で汚れていく。
それをポケットから出した綺麗なハンカチでターニアが拭き取る。
「…タニ」
ハンカチを持ったターニアの手へ、チャールズの手が重ねられた。そのまま自分の口元へと運び、誓いのキスを贈る。
「タニ…タニ……」
何度も何度も、愛しい人の名前を呼ぶ。
呼ぶなと言われた愛称を口にできる幸せを噛み締めるようなチャールズに、ターニアも、ようやく掛ける言葉が見つかった気がした。
「チャールズ…チャーリー。これ、このハンカチを貰ってくれる、かしら」
先ほど差し出したハンカチをそのまま手渡される。
自分の涙でぐちゃぐちゃになっていたそれを広げれば、そこには王家の紋章である鷹とピンクのガーベラを合わせた図案が、拙いながらも刺繍されていた。
「これ…タニが刺繍してくれたの?」
下手でごめんなさいと真っ赤になったターニアが頷く。
「大切にする。俺の、一等の宝物だ」
ぎゅっと握りしめ胸に抱く。
そうして。チャールズはじっと視線をターニアに合わせて心の内を告白した。
「ずっと、ずっと。本当はずっと言いたかったんだ。好きだ、ターニア」
その言葉に、今度はターニアの瞳からぼろぼろと涙が溢れだす。
「…ったしも。わたしも、チャールズ殿下のことがすきぃ」
ずっと、好きじゃない振りなんかしてごめんなさいと泣きじゃくるターニアを、チャールズが抱き寄せた。
頬を擦り合わせ、何度も「ごめん」と繰り返す。
そうして。そのまま二人は唇を寄せあ…わせようとして、ぐいっ、と左右に引き離された。
チャールズの頭を持って引き剥がしたのはグラド。真ん中に割って入ったのがライト。ターニアを抱き寄せたのはエネルだ。
三人はすっかり空気として扱われていたけれど、それでも、目の前で易々とターニアのファーストキスが奪われるのだけは阻止した。
チャールズがカンカンになって暴れていたけれど、ターニアは真っ赤になって「セーフ。セーフだわ」と皆の前でそれを晒すことにならなかったことに感謝した。
「それで。殿下の言うダンスパーティーってデビュタント前の私でも参加できるのですか?」
いろいろと準備しないといけませんね、と恥じらいながらターニアがカップの中の紅茶を見つめながら言った。
あの突然の婚約破棄からの告白があった翌日。いつものお茶会を一週間繰り上げて行われた席でのターニアは、普段の地味な何の飾りもないそれとは違って、伯爵家の侍女たちの全力を尽くして飾り立てられていた。
軽く巻かれてからハーフアップにされた髪を彩るヘッドドレスや、ほっそりとした身体のラインを惹き立てる愛らしいAラインのドレスの胸元とスカートにも。チャールズがいつも贈ってくれるピンクのガーベラがモチーフとして彩りを添えていてとても愛らしい。その姿は、あの日のお茶会でのドレス姿を彷彿させるものだった。
あの後、あの幼い日のお茶会でチャールズが言った言葉の本当の意味を教えて貰ったターニアは、真っ赤になって自分におしゃれというものを解禁することをチャールズと約束したのだった。
元々大した度の入っていなかった眼鏡も奪われて今日のお茶会で対面した時、耳まで赤く染めた自分の婚約者から初めて「可愛い」「とても可愛い」「滅茶苦茶可愛い」と語彙少なく大絶賛を受けたターニアは、首まで真っ赤に染めながらも嬉しくその言葉を受け取った。
でも、ターニアが一番嬉しく思ったのは、
「でも、おれ…私は、アカデミックガウンを着たタニも好きだ。真面目に本を読む姿も。大好きだ」そう言われた時だった。
「学院で行われる卒業式後の謝恩パーティーのことだよ。
知ってる? あのダンスパーティーでファーストダンスとラストダンスを一緒に踊ると幸せな結婚ができるんだって」
だから絶対に恋人としてタニと踊りたかったんだ、と、こちらも真っ赤になってチャールズは説明をした。
すると。
くすくすと、ターニアが笑いだした。目に涙まで浮かべている様子に、チャールズは焦った。
「え? どうしたの? タニ?」
ぐるぐると泣き出した理由を考えるが何も浮かばなくて、チャールズまでもが泣きそうだった。
(もし、ターニアが嫌だって泣き出したんだったら、どうしよう)
そんな嫌な想像だけが頭でグルグルとし出した時だった。
「卒業の謝恩ダンスパーティーに参加できるのは、卒業生とそのパートナーだけですよ?」
私達はまだ一年生だから再来年ですね、と楽しそうにターニアが笑って言った。
「え、あ。うそ…えー…」
汗だらだらになって焦るチャールズを、ターニアは嬉しそうに涙を拭いながら見つめていた。
「第二王子に騙された!!」
そんな叫びがその日の王宮に響き渡ったとかなんとか。
~おしまい~
お腹痛くて甘い話以外
書きたくないし読みたくない(コラ
そういえば逆ハーってこれでいいのかしら?
書いてみたかったんだけど、書いてるうちに
よく判んなくなってきちゃったw
いつも読みに来て下さってありがとうございますですv