暑中見舞はロケットに乗せて
小学三年生、だったと思う。帰省先の祖父の家で暇を持て余していた僕は、父に連れられてロケットの打ち上げを見に行った。暇だし行くかと誘われた時、あまり乗り気じゃなかった事だけはその時着ていたTシャツの色よりも鮮明に覚えている。
なんて事はない、蝉の声のうるさい田舎によくある郵便ロケットの打ち上げだ。週に一度、金曜の正午に決まって打ち上げられるそれは、その時持っていた虫取りあみ四半分程度の長さしかない小さなものだ。
それを見た僕は露骨にがっかりそうな顔をして、空っぽの虫篭をじっと見つめていたらしい。だから父は僕の背中を叩いて「そうつまらなそうな顔をするな、ここのロケットは間近で見れるから迫力が違うんだ」と励ましてくれた。
けれど僕としては、こんなものに何の意味があるのか理解できなかった。何せ僕はこの田舎に帰省するために定員一万人の軌道シャトルに乗ってやって来たのだ、今更虫籠ぐらいの荷物しか乗せられないロケットを見て何か感じろという方が難しい。
けれど父と僕はその辺の石に腰を下ろし、正午までの短いけれど長い時間を蝉の声を聞きながら待った。途中父を見かけた近所の人が何人か声をかけてくれたが、日本語を少ししか学んでいなかったためよく聞き取れなかったし、何より逐一説明してくれたその内容も頭に残ってなどいない。
サイレンの音というものをその時始めて僕は聞いた。救急車のそれとは違う長く伸びる甲高い音に耳があまりに痛くなり、つい両手で覆ってしまう。すると父は満足そうにうなづいて、自分も両手で耳を塞いで顎でロケットを指していた。
轟音で耳がおかしくならなかったのは、耳を塞いでいたお陰だった。それから遅れて来た地響きが体を震わせ、竹のようにか細いロケットが白煙を吹いて上を目指す。
一直線を描く煙は緑色の山を越え、青空に新しい雲を描いていく。気がつけば消えていたサイレンにつられ両手を離せば、もうロケットは見えない位置へと消えていた。青空にうっすらと浮か僕らの軌道コロニーに向けただ愚直に線を描く。
満足そうに笑う父と、やっぱり森でカブトムシを探しに行きたかったと嘯く僕。こうして夏休みの思い出はあっさりと幕を閉じた筈だった。
今はもう定年し、あの田舎に母と二人で住む父から一通の葉書が届いた。消印は二週間も前で、あのロケットの効率の悪さに思わず苦笑いしてしまう。
メッセージと呼べるものは暑中見舞いの四文字だけ、後の文字は住所と名前と番号ぐらい。けれど裏の写真には、あの緑の山と青空と、ロケットが残した一筋の白煙が残っていた。メールで1秒もかからない、随分と非効率的な葉書だったけれど。
今はただ、あのサイレンの音を立てて聞きたくなった。




