第十七話
「今のは借りにしておくからな、ローズマリー! いい気になるなよ!」
毒の治癒が終わると、クライヴはローズマリーをびしっと指さしてそう言って、今度は自分のパーティのプリーストに傷の治癒をさせた。
プリーストは少し嫌な顔をしつつも、クライヴに治癒魔法を使っていく。
解毒魔法は比較的高度な魔法で、使える者は稀なのだが、傷を治癒する魔法はレアリティホルダーのプリーストなら誰でも使えるものだ。
一方のローズマリーはというと、そんなクライヴの様子を見て、少し微笑ましげな表情になっていた。
「さっきみたいなところを見ていると、クライヴも少し可愛らしく思えてきますわね」
「いや、騙されんなよローズマリー。あれを可愛いと思うと、ずぶずぶいっちまうんだよ」
答えるのはカミラだ。
ローズマリーはなるほど、と手を打つ。
「そういうのもありますのね。さすが、経験者の言葉は重いですわ」
「ああ。あれは若気の至りだったよ……」
そう言って遠い目をするカミラ。
ローズマリーはその横で、ひっそりとカミラの手を握りつつ、苦笑をしていた。
そんな二人を横目に見つつ、シノが言う。
「それじゃ全部終わったし、そろそろ帰ろうか。いくらなんでも四体のキマイラを倒して、それ以上いるってことはないでしょ」
「ああ、そうだな。んじゃ、帰るか」
カミラがそう言って、ティーセットや敷物を片付けに入る。
と、そこに再び、クライヴがずかずかと歩み寄ってきた。
「おい、待て。その前に──そこのクソガキ」
そう言ってクライヴが指さしたのは、一緒に片づけを始めたルーシャだった。
ルーシャはそれに少しムッとする。
「クソガキじゃありません。おじいさんがつけてくれた、ルーシャという名前があります」
「どっちでも構うものか。それよりお前、さっきのあれは何だ」
「……? さっきのあれ、ですか?」
「そうだ。フレイムアローのような魔法で、キマイラをあっという間に倒していただろう。あれは何だと聞いているんだ。教えろ」
最初に会ったときには猫なで声で「お嬢ちゃん」と言って、あのときはあのときで嫌なことを言ってきたが、態度が変わってもやっぱり嫌なことを言う。
ルーシャはやはりムスッとしながら答える。
「何って、普通にフレイムアローですよ」
「そんなわけがあるか。フレイムアローのごとき初級魔法で、あんなに簡単にキマイラが倒せるはずがない」
「はずがないと言われても、そうですし」
「あくまでもシラを切るつもりか、クソガキ」
「だから、クソガキなんて名前じゃないし、嘘もついてません」
クライヴを見上げ、腰に手をあてて言い返すルーシャ。
それを見たシノが、こういうところは普通に子供なんだよなぁと思いながら、後ろからルーシャに抱き着いてなだめにかかる。
「どうどう、落ち着いてルーシャちゃん。この人、ちょっと頭が残念だからしょうがないんだよ」
今度はそれを聞いたクライヴが、カチンとした顔を見せた。
「……なんだ貴様? 女がこの僕に対して立場を勘違いした口を聞くだけでも腹が立つというのに、無礼もほどほどにしておけ。その首を落とされたいのか」
「はっ、無礼はどっちさ。あーあー、頭悪い人の相手って、これだから嫌だよ」
「……どうやらこの場で斬って捨てられたいようだな」
「はんっ、やれるもんならやってみなよ。キマイラにボロボロにされたくせに偉そうに。こっちにはルーシャちゃんがついてるんだからね」
なだめに入ったはずのシノが、いつの間にかクライヴと角をつっつき合わせていがみ合っている。
シノも他力本願なあたりがちょっと情けない。
それを見ていたカミラとローズマリーが苦笑する。
どうやらクライヴの挑発能力ばかりは、一流と評価するしかないようだ、と。
──と、そんなときだった。
「……ん? 何の音だろ?」
クライヴといがみ合っていたシノが、ふと耳を澄ませる。
そしてしゃがみ込み、地面にぴたりと耳を当てた。
「……地鳴り、かな? たくさんの動物の群れが走ってくるような──」
そこまでつぶやいたシノが、突然弾かれるように立ち上がって、驚愕の表情を浮かべつつ、ある方角を見た。
「ん、どうしたシノ?」
「何かありましたの──って、ちょっと、シノさん?」
カミラとローズマリーが不思議そうな顔をする中、黒装束の少女は近くにあった木に素早くよじ登っていく。
そして太めの木の枝の上に立つと、おでこに手をあてて遠くを見て、顔を引きつらせながらつぶやいた。
「じょ、冗談でしょ……?」
シノは素早く木から飛び降りて、それから周囲にいた全員に向かって叫んだ。
「みんな、逃げよう! キマイラの群れが来る! 数は──十体以上!」
「「「はあぁっ!?」」」
森の中に、歴戦の冒険者たちの驚きの声が響き渡った。
***
「十体以上だと!? バカか貴様! キマイラがそんな、ゴブリンのような数で群れるわけがなかろう!」
クライヴがそう言って、木の上から下りてきたシノに食って掛かる。
だがシノも、負けずに言い返す。
「バカはキミだよ! なかろうったって現実に来てるんだからしょうがないだろ! なんならキミだけここに残っていなよ!」
「なんだとぉっ!」
「なんだよっ!」
シノがクライブとおでこがぶつかるぐらいの距離でにらみ合っていると、そのシノの黒装束を、ルーシャがくいくいと引っ張った。
「あの、シノさん」
「何っ、ルーシャちゃん! ボクは今、このバカ男とやり合ってて忙し──」
「そんなこと言っている間に、もうあそこまで来てますけど」
そう言ってルーシャが指を指した先には、砂煙を上げて猛然と走ってくる大型魔獣の姿。
その数、たくさん。
まだ遠くだが、器用に木々をよけながら、まるで鞭のように連なって冒険者たちのほうに向かってくる。
「「「ぎゃああああああっ!」」」
悲鳴を上げ、わたわたと慌てふためく冒険者たち。
「どどど、どうするんだよっ! いくら僕でもあの数は──いや、倒せないわけではないが、ちょっと、ちょっとばかり苦戦するぞ!」
「嘘つけぇっ! 倒せるわけあるか、あんな数のキマイラ! 一体でも厄介なんだぞ!」
「だから早く逃げようって言ったんだよ! 今からでも逃げるよ! ほら早く!」
「だいたいどうしてあんな数のキマイラが群れてるんだ! おかしいだろ!」
「おかしいと言ったって、現実に来るんだから仕方ないじゃありませんの!」
そんなことをギャーギャー叫びながらも、八人の冒険者たちは回れ右をして走り始めた。
だがキマイラのスピードは、思いのほか速い。
全員レアリティホルダーの冒険者であるにも関わらず、足の遅い者は瞬く間に距離を詰められていく。
その中でも特に遅れが目立ったのは、クライヴのパーティの女性冒険者のうち、プリーストとウィザードの二人だった。
「はぁっ、はぁっ……!」
「も、もう……追いつかれる……!」
彼女らとキマイラの先頭との距離は、すでにいくらも離れていない。
もう少しで追いつかれてしまうことは明白だった。
それを見たカミラが、先行するクライヴに向かって叫ぶ!
「おい、クライヴ! お前の仲間だろ! 助けてやれよ!」
「はっ、バカを言うな! どうしてこの僕が、無能な女どものためにこの大事な身を張らなければならないんだ! そんなことはこの世の損失だろうが!」
「こ、のっ……! とことん根性腐ってやがんなテメェ!」
カミラがブレーキをかけ、遅れている二人と並走を始める。
それを見たローズマリー、シノ、ルーシャも、その速度を緩めて彼女らに合流した。
一方、まっしぐらに逃走を続けていたのはクライヴと、彼のパーティのスカウトの少女だ。
クライヴは後ろを見て、カミラたちの行動を嘲笑う。
「ははっ、いい心がけだぁ! 僕のための囮になってくれるとはな! よしミィナ、僕たちだけでも街に帰還するぞ。あの女どもは名誉の戦死だ。この僕のために死ねたんだ、女としても本望だろう」
だが──そこに、クライヴにとっての罠があった。
「……いい加減にしろ」
彼が後ろを向いてよそ見をしていた時、彼の数歩前を走っていたスカウトの少女が立ち止まり、クライヴに足払いを仕掛けたのだ。
「へっ……? ──のわぁっ!?」
ズシャアアアアアアッ!
クライヴは顔面から、地面にヘッドスライディングを決める。
そこにスカウトの少女が、手早くロープを取り出して飛び掛かった。
「痛っつぅ……い、いったい何が……っておい、何をしているミィナ!?」
「ロープで縛ってんの。分かるでしょ」
「分かるわけあるか! どうして僕を縛るんだ! この状況で仲間を縛るバカがどこにいる!」
「はぁっ……。もう何も言う気にならない。お前みたいなやつは、ここでキマイラに食われればいいんだ」
スカウトの少女は、倒れたクライヴをぐるぐる巻きにしてからキュッと結ぶと、彼を動けない状態にした。
そして彼女は、クライヴを放置して仲間のプリーストとウィザードに合流すると、三人で通り過ぎざまに一回ずつクライヴを踏んずけて、そのまま逃走した。
それを見て呆れたのは、彼女らと並走していたカミラ達だ。
クライヴが倒れている場所を少し通り過ぎたあたりで、彼女ら四人は足を止める。
「うっわぁ……えげつねぇな。女って怖ぇえ」
「カミラ、あなたも女性ですわよね? それはそうと、クライヴはどうしますの? 彼がキマイラの餌になってくれれば、私たちも安全に逃げられるかもしれませんけど」
「うーん、さすがにそれも寝覚めが良くないよねぇ……。ねぇルーシャちゃん、何とかならない? ──ならないよね、うん、分かってた、聞いてみただけ」
「ええと、あのキマイラたちを倒せばいいなら、できると思います。みんなが逃げ始めたので、なんとなくここまでついてきましたけど」
「「「えっ?」」」
カミラ、ローズマリー、シノの三人が首を傾げた。
すでにキマイラの群れの先頭は近くまで迫っていたが、そうせずにはいられなかった。
ルーシャはワンドを手に、キマイラたちのほうを向く。
「えっと、時間がないので手短に。ローズマリーさん、魔法防御力を上げるような魔法って使えますか?」
「え、ええ。マジックプロテクションの魔法なら」
「じゃあそれを、あそこにいるクライヴさんにかけてください」
「クライヴに、ですの?」
「はい。そのあと治癒魔法もありったけ、あの人に連発してください」
「「「???」」」
頭上に疑問符が浮かんだ三人を尻目に、ルーシャは精神集中を始めた。