第十四話
街を出て、ぽかぽか陽気の街道を進んでいくルーシャたち。
街道脇の草むらではうさぎが跳ね、蝶々が数匹パタパタと飛び回っている、そんな風景。
「いやぁ、のどかだねぇ。本当にこの先に、キマイラなんて出るのかなって思っちゃうよね」
全身黒ずくめの少女が戯れにうさぎに忍び寄ってその頭をなでると、うさぎはびっくりして逃げて行ってしまった。
それを目で追って、シノはあははと笑う。
ルーシャはそれを見て、格好に似合わないなぁと思いつつ、別で疑問に思ったことを口にする。
「あの、カミラさん。キマイラってどんなモンスターですか? 私の住んでいた山にはいませんでした。強いですか?」
「ああ……キマイラはかなり強いモンスターだぜ。魔獣の中では、ドラゴンとまでは言わないけど、ワイバーンに匹敵するぐらいって言われてるな」
前を歩くカミラが振り返って答えてくれるが、それでもルーシャには今ひとつピンとこない。
「んー、ドラゴンもワイバーンも戦ったことがないので分からないです。えっと、グリズリーとどっちのほうが強いですか?」
「あっはは、ルーシャにとって強さの基準はグリズリーか。──ま、普通の動物と魔獣ってこともあるし、キマイラのほうが何倍も上のはずだぜ。何しろライオンとヤギと大蛇が合体したようなモンスターだ。頭が三つあって、その全部がいっぺんに攻撃してくるんだよ。その上パワーとタフネス、それにスピードも普通の猛獣より数段上だな」
「おー……それは強そうです」
ルーシャは待ち受けるカミラが抱っこしようとしてくるので、それにぴょんとしがみついた。
カミラは力持ちだ。
ルーシャの小さな体など軽々と抱きかかえて、持ち上げてしまう。
そしてカミラがルーシャを抱えてまた歩き始めると、その隣ではローズマリーが「えっ、だからどうして突然そうなるんですの? ずるい……ずるい……」とショックを受けた顔をしていた。
一方ルーシャは、カミラの体をよじ登って肩車の体勢に移行すると、続けてカミラに質問する。
「じゃあカミラさんとキマイラだったら、どっちのほうが強いですか?」
「えー、あたしと? ……うーん、どうだろうな。一対一でやり合おうとか考えたことないな。キマイラってのは、レアリティホルダーの冒険者でも普通は二、三人以上──要するにパーティ全員で一体を相手にするってモンスターなんだよ。あたしの場合、ローズマリーから援護がもらえるなら負ける気はしないかな」
「カミラさんとローズマリーさんで、キマイラ一体とですか」
「おう。ま、無理して危ない橋渡ってたら、冒険者なんて命がいくつあっても足りない仕事だしな。いつも余裕を持って戦うのは大事だぜ」
そんな話をしながら、ルーシャを肩に乗せたカミラ、それにローズマリーとシノは街道を進んでいく。
するとやがて、ルーシャたちの行く手の先に小さく、何台かの幌馬車と数人の人影らしきものが見えてきた。
それが視界に入ってくるなり、シノがおでこに手をあてて目を細め、注意深く観察する。
「あれは……例のキマイラの襲撃を受けたっていう事件の現場みたいだね。クライヴたちもいるみたいだよ。立ち往生しているみたいだ」
それを聞いたカミラが、あきれ顔で言う。
「……シノお前、よくこの距離から見えるな。あたしには豆粒ぐらいにしか見えねぇんだけど」
「ふふん、そりゃあボクはこの道のプロだからね。もっと褒めていいよ」
シノはえへんと胸を張る。
あまり豊かな体型ではないので、そうしたところでさほど胸部は目立たないのだが。
その一方で──
「なんかクライヴさん、仲間の女の人に怒っているようにも見えますけど」
カミラの肩車で見晴らしのいいルーシャが、そう付け加える。
シノがずっこけた。
「る、ルーシャちゃん! ここボクの見せ場! 詳細はボクにしか見えないっていうシーン!」
「え……? あ、えっと……?」
「シノ、大人げねぇぞ。ルーシャ、気にしなくていいからな」
「あ……はい」
シノに恨み言を言われて戸惑うルーシャ、それにツッコミを入れるカミラ。
一方カミラから無碍にあしらわれたシノは、「ひぐっ」と喘いで瞳に涙をためる。
「うわぁん! ボクは本当は優秀なスカウトなのにぃっ! カミラ姐さんのバカぁっ! ローズマリーさん、ボクの傷ついた心を癒してよぉおおおおおっ!」
「あら……よしよしですわ、シノ。いい子いい子」
シノがローズマリーの胸に飛び込むと、プリースト姿の美女はそれを嬉々として抱いてよしよしとなでた。
そこに唐突に百合の花が咲き誇ったのを、カミラがあきれた様子のジト目で眺める。
一方ルーシャは、それをきょとんとした様子で見る。
「あの、カミラさん。シノさんあれ、頬ずりしています……?」
「あー、気にすんな。あれはなんか、二人とも人肌が恋しいんだろ。生暖かい目で見守っといてやれ」
「はあ……。よく分からないですけど、分かりました」
街の人たちや大人たちの世界は、まだまだ分からないことばかりだ。
ルーシャはこれもまた勉強だと思って、その光景を脳裏に刻み込んでおくことにした。
***
ルーシャたちが現場に近付くと、ルーシャの耳にクライヴの声が聞えてきた。
「チッ……お前がもたもたしているから、カミラたちに追いつかれたじゃないか! まったく、使えない女だな!」
そんな心がささくれ立つような言葉を耳にして不快感を覚えながら、ルーシャはその場所へと向かっていく。
そこは平原に伸びていた街道が、横切る川を橋によって乗り越え、向こう岸では森を貫く道へと変わっている、そんな地形だった。
川の向こう側ではキャラバンの荷馬車が何台か横転していて、幌は引き裂かれ、荷物は荒らされている。
目的のキマイラの姿はなく、荷馬車の周辺には、動く人の姿はクライヴたちのものだけだ。
そして当のクライヴはというと、彼の足元で泣きべそをかきながら地面を調べているスカウトらしき一人の女性冒険者に向かって、叱責の声を飛ばしているようだった。
残る仲間の女性冒険者二人は、その光景を困惑した様子で見ているようだ。
そんなクライヴたちの様子を見たカミラが、ルーシャを肩から下ろしつつ、こんな言葉を口にする。
「あの野郎……相変わらずだな。あいつちょっと物事がうまくいかないと、すぐにああやってまわりに当たり散らすんだよ」
「人間、追い詰められたときに本性が出ると言うけれど、あれは特にひどいですわね」
ローズマリーが同意の言葉を重ねる。
ルーシャも、ああいう声を聞くのは、なんとなく気分が良くないなと思った。
仲間なんだからもっと仲良くすればいいのに、とも。
一方クライヴは、ルーシャたちが橋を渡って目の前まで近付いていくと、それを出迎えるように両腕を広げてみせる。
「やぁカミラ、怖気づかずによく来たね。だけどいいのかい? キマイラ退治なんて危険なクエストに、そんな子供まで巻き込んで」
「ったく、ホント見栄を張るのに忙しいやつだなお前。いい歳して、いつまでそんなこと続けてるつもりだよ」
カミラがそう返すと、クライヴは額に青筋を浮かべて顔をゆがめる。
「カミラ……僕はキミに、そういう上から目線のところを直せって言ったよな? それは女が男に向ける態度じゃないって」
「あたしのほうこそ言ったはずだぜ、クライヴ。女とか男とか、くだらねぇ括りで人の関係を語るなって」
「ハッ、相変わらず口だけは一丁前だな。僕より全然弱いくせに」
「…………」
カミラは言い返す言葉が思い浮かばなかったのか、口をへの字にして黙ってしまう。
ルーシャはそんな二人のやり取りを見ていて、この二人、ひょっとしたら昔は仲が良かったのかなぁなどと漠然と思っていた。
そして、どうしてみんな仲良くしないのかと不思議に思ったが、自分も目の前のクライヴという人を嫌いになったことを思い出す。
人が人を好きになったり、嫌いになったりは、難しいなと思った。
と、そこに──
「はいはいー、ちょっとそこどいてねー」
黒装束の少女──シノがいつの間にかクライヴたちのすぐそばまで近付いていて、クライヴのパーティのスカウトらしき少女が調べているあたりを散策しはじめた。
シノは這うようにしてそのあたりの草木の様子などをひと通り見て回ると、「ん、分かった」と言って立ち上がる。
「この右手の森のほうに、比較的新しい四足獣の足あと、それも重量級のやつのが続いてるね。それも数体分。キャラバンを襲ったっていうキマイラには、こっちに行けば遭えると思うよ」
「「「おおー」」」
ルーシャ、カミラ、ローズマリーの三人が感嘆の声とともにパチパチと拍手をする。
シノは「どうもどうもー」と言って満更でもなさそうにしていた。
一方のクライヴはというと──
「チッ……! お前のせいで、僕が恥をかいたじゃないか! この愚図! ノロマ! ホント使えないなお前!」
そう言ってスカウトらしき仲間の女性冒険者をなじり、さらにはその手で女性冒険者の尻を引っぱたいていた。
それを見たルーシャは、ちょっと我慢できないぐらい不愉快な気持ちになった。
意を決したルーシャは、クライヴの背中に向かってずんずんと歩いていくと──
──ゲシッ!
そのクライヴのお尻に向けて、ちょっと強めのキックをした。
「痛ったあっ!? ──なっ、なっ、何がっ……!?」
突然の激痛に跳ね上がるクライヴ。
クライヴはその少女の行動が思いもよらなかったのか、ルーシャの姿を認めても困惑するばかりで何もできない。
「クライヴさん! そういうの、良くないと思います! 反省してください!」
「なっ……えぇぇっ……」
ルーシャがクライヴの前に立って彼を見上げ「お説教」をしても、クライヴは口をパクパクとさせるばかりだ。
その一方で──
「「「ぷぷぷっ……」」」
それを見たカミラやローズマリー、シノらは笑いをこらえきれず、噴き出しているのだった。