第十一話
「あーあ、今日も退屈だなぁ。だいたいさ、レジェンドレアなんて超強い子供が、そうそう危険な目になんて遭うわけがないってのに」
住居の屋根の上。
冒険者ギルドの入り口がギリギリ見えるぐらいの位置に、その黒ずくめの少女はいた。
黒装束に黒頭巾。
隠れ方がうまいので常人に見つかることはそうそうないが、早朝に街中でこの姿は逆に目立つ。
なお、彼女の手には今、露店で買ったじゃがバターがあり、それをハフハフ言いながら食べていた。
屋根の上で。
この黒ずくめの少女の名前はシノ。
冒険者ギルドのギルドマスターことバートランドから、一人の少女の監視と警護を任じられたスカウトである。
依頼されたときから三日と半日、シノはおはようからおやすみまで、ずっとあの小さなお姫様の監視任務についている。
シノはいい加減、この任務に飽きていた。
「まったく、バートランドのおっさんも分かってないよなぁ。ボクみたいな優秀なスカウトを、こんな退屈な任務につけるなんてさ。──っと、出てきた出てきた」
監視対象が、冒険者ギルドの入り口から出てきた。
シノはじゃがバターを屋根の上に置いて、本腰を入れて隠れに入る。
監視対象である少女──★★★★★ことレジェンドレアの子供ルーシャは、その能力のせいか妙に勘がいい。
シノ自身も★★のレアリティを持つ極めて優秀なスカウトなのだが、その比類なき隠密能力をもってしても、気付かれそうになったことが何度かあった。
一度などは、監視中にバッチリ目が合ってしまったと感じたときがあった。
そのときは距離がだいぶ遠く、シノが慌てて隠れると、少女は首を傾げて立ち去っていったので、ホッとため息をついたのだが。
何にせよ、あの子供は感覚が鋭すぎる。
陰ながら見守れということなので隠密行動をとっているが、相当注意して隠れていないといけないので、シノとしては厄介な監視対象だった。
だが逆に、警護対象としては楽でいい。
何しろウィザードのくせに、レアリティホルダーの熟練ファイターを近接戦闘で凌駕してしまうほどの化け物である。
あれに警護の必要があるとも思えない。
そんな感想を抱きながらも、シノは対象の監視を続けていた。
「そういえば、いつもいるあのお姉さん二人がいないな……別れたのか……?」
監視対象の少女は、冒険者ギルドから一人で出てくると、そのままひと気のない路地のほうへと歩いていく。
その周囲に、いつもいるあの二人の女性がいない。
シノが、珍しいなと思っていると──
突如、道端を歩いていた監視対象の少女に、横手の細道から二本の手が伸びた。
その手は少女の口をふさぎ、さらに少女の細い手を引っつかんで、彼女を細道へと引きずり込んでしまう。
あっという間に、シノの視界から、少女の姿が消え去ってしまった。
「ちょっ……!? 嘘だろ、なんでっ!?」
シノは慌てて、屋根から屋根へと渡り、現場へと急行する。
抜群の運動神経と敏捷性。
常人はおろか、凡百のレアリティホルダーでもまず追いつけないほどの速度で、あっという間に現場の細道にたどり着いた。
そしてシノは、細道の真上にある住居の屋根の上から顔を出し、件の細道をのぞくのだが──
ひと気のない路地裏の細道では、警護対象の少女が、フード付きマントで身を隠した何者かに押し倒され、組み伏せられ、その喉元に刃物をつきつけられていた。
「そんな、なんで……!? くそっ──!」
シノはやむなく腰の短剣を抜き、屋根の上から路地裏の細道へと飛び降りる。
住居の壁と壁を使って、三角跳びの要領でフード付きマントの何者かに飛び掛かり──
そのとき、押し倒されていた警護対象の少女ルーシャと、シノの目が合った。
少女が叫ぶ。
「──カミラさん!」
「ほい来た」
「えっ……?」
むぎゅっ。
シノは路地裏の死角から現れた、ウォーリアのお姉さんに取り押さえられた。
「あ、あれ……?」
シノが呆然としていると、その目の前でフード付きマントの人物が立ち上がる。
「ルーシャの言ったとおり、本当にいましたわね」
フード付きマントの人物が外衣を脱ぎ捨てると、その下から現れたのはプリーストの女性。
そして──
「こんにちは、いつもついてきていたお姉さん。あのじゃがバターは、屋根の上に置いてきたんですか?」
そう言って、何事もなかったかのように立ち上がった監視対象の少女が、シノに向かって笑顔を向けてくる。
──やられた。
取り押さえられたシノは、嵌められたことに気付いて、がっくりと肩を落としたのだった。
***
カミラやローズマリーと一緒に一芝居を打ったルーシャは、自分を尾行していた黒ずくめの少女を捕獲することに成功していた。
しかし捕獲といっても、黒ずくめの少女はルーシャたちに危害を加えようとしていたわけではない。
なので、黒ずくめの少女から「逃げないから放して」と言われれば、素直に解放した。
そうして今は、冒険者ギルドまでの道を、彼女と一緒に歩いているところだ。
その道すがら、ルーシャは黒ずくめの少女シノと交流をする。
「じゃあシノさんは、ギルドマスターのバートランドさんに頼まれて、ずっと私を見守っていたんですか」
「そうだよ。でも捕まっちゃったんじゃしょうがない、陰ながら見守るっていうのはもう無理だから、一緒にいても変わんないけどさ。あー、バートランドのおっさんにどやされる~!」
「ふぅん。でもまたなんでルーシャを? まるでVIPみたいな扱いだよな」
「「あー……」」
横からカミラにそう質問されて、ルーシャとシノは困ってしまった。
レアリティ保持数の話、それにルーシャがレジェンドレアというまさにベリーインポータントなピープルであるという秘匿事実を話さないことには、どうにも説明できない事柄だ。
ちなみに冒険者ギルド抱えのスカウトであるシノは、そのあたりの話はすべて聞かされていた。
「そ、それはほら、ルーシャちゃんは大賢者マーリンの養子だから」
「あー、なるほどな」
ひとまずシノがそんな取りつくろいをして、場を凌いだが。
ルーシャはカミラたちの目を盗んで、シノに耳打ちをする。
「あの、シノさん。カミラさんやローズマリーさんには、話してもよくないですか?」
「うーん、それはボクには決められないなぁ。ボクは所詮、ギルドに雇われている下っ端だからね。でも彼女らに隠しておくのも無理があるし、あとでバートランドに聞いてみたら?」
「そうですね。あとでギルドマスターさんに聞いてみます。……でもそもそも、どうしてレアリティの数の話って隠されているんですか?」
「いやぁ、それはさ。生まれつき才能が決まってるよって確定しちゃったら、普通の人はやる気失くすじゃない。自分たちはレアリティホルダーっていう特別な存在で、自分も英雄になれるかもしれないと思ってる人たちの存在で、冒険者の数が足りている現実があるから。★の人たちにやる気をなくされちゃ困るんだよ、国や冒険者ギルドとしては」
「それって……なんか騙しているみたいで、ずるいですね」
「うん、ずるいんだよ大人は。それでもって、そういうずるい人たちがいるからこそ、社会がうまく回ってる部分もある。……難しいかな、ルーシャちゃんには」
「はい。でもシノさんが、見た目と違ってあんまりバカっぽくないことは分かりました」
「ちょっと待って。それはボクの見た目がバカっぽいってことだよね?」
「はい」
「がーん」
黒ずくめの少女はショックを受けた。
ちなみにシノは、年の頃は十代中頃を少し過ぎたぐらいで、カミラやローズマリーと比べるとだいぶ若い。
黒頭巾を取れば、その下には銀髪ショートカットと紫色の瞳の整った顔立ちがある。
その容姿は、比較的平坦な体型も含めて、どこか少年的にも見える。
ただそれでも、黒装束に隠されたきめ細やかな白い肌、それに緩やかに膨らんだ胸や、寸胴というほどでもない確かに細い腰、それにお尻の曲線美などをよく見れば、彼女を少年と見間違う者はそうはいないだろうが。
「それはそうと、ルーシャちゃん」
「なんですかシノさん」
「そもそも、ボクはなんで捕まえられたの?」
「はい。シノさんに私たちのパーティに入ってもらいたくて、捕まえました」
「……え、マジで?」
「マジです」
ルーシャはシノに事情を説明した。
クライヴという『嫌な人』をぎゃふんと言わせるためCランクのクエストを受けたいが、パーティの人数が足りないこと。
カミラがクライヴのせいでトラウマになって、男と組みたくないこと。
そもそもパーティに加入していない冒険者がほとんどいないこと。
それらの事情を聴いたシノは、うん、うんと大きくうなずいていた。
「分かる、カミラさんのその気持ち……! ボクが今ぼっちで活動してるのだって、それが原因だもん。男の冒険者って、ボクらのことそういう目で見てくるから嫌なんだよ。こっちは仲間として普通に一緒に冒険したいだけなのにさ」
するとそれを聞いたカミラが、嬉々として話に割り込んでくる。
「おお、分かってくれるか! そうなんだよ、そう! ホントそれ!」
「うん、分かるよカミラ姐さん! ──姐さん、ボクも協力する! 一緒にそのクライヴとかいうクソ野郎をぶっ飛ばそう!」
「おお、シノ! 可愛いやつめ!」
「カミラ姐さん!」
ひしっ。
シノとカミラが、何やら意気投合してがっちりと抱き合った。
その周囲をローズマリーが、「いいですわ、最高ですわ……!」と言って指で額縁を作る仕草をしながら駆けずり回っていた。
が、さておき。
カミラから離れたシノが、ひとつ疑問を口にする。
「……でも、キマイラ退治で大規模クエストって珍しいね。キマイラって確か、縄張り意識が強い一匹狼で、群れるってことをしないモンスターだったと思うけど」
「そうなんだよなー。その辺、詳しい話を聞いてみないと何ともだけど」
「……? ……えっと、どういうことです?」
ルーシャが疑問を口にする。
それにはローズマリーが横から答えてくれた。
「モンスター退治系の大規模クエストは普通、多数のモンスターを掃討する必要があるときに出されるんですわ。例えば百体からなるゴブリンの大集落を潰す、とかですわね。だから群れを作らないキマイラに大規模クエストというのは、変といえば変ですの」
「なるほど……」
「まあ、なんかあるんだろ。クエストを受けてみれば、何か分かるかもな」
そんな話をしながら、ルーシャたちは冒険者ギルドへと戻っていった。