08,番長SOS
アルガリア帝国の若き中将、ブロード・グレスト。
潔癖なまでに丁寧にまとめられた銀髪のオールバックスタイルが特徴的。
その白亜の軍服にはしわひとつなく、両胸には夥しい数の勲章。
万葉アリスターン――かつてアリスターン・ヴァイパーと呼ばれていた生物兵器の管理運用を任されていた軍将校である。
「どうし、て……あなたが、ここに……!?」
二度と見たくもなかった凛々しい顔。
アリスターンの背を、不愉快な汗が舐めずっていく。
「当然、貴様を探して辿り着いた」
アリスターンの振り絞ったような疑問に、ブロードは何の事は無いと軽く答えてみせた。
「分際を弁えろ。救世の英雄。世界を救うための装置である貴様が、人間の手を煩わせるな」
「ッ…………」
どこまでも、当然として。
帝国軍の連中は、アリスターンを物としてしか扱わない。
その態度が、洗脳教育めいた積み重ねが。
一度は彼女に「人としての幸福を追求する事」を諦めさせた。
「もう……放っておいてよ……!」
「……なに?」
「ひとまずの危機は去ったはずでしょ!? 世の中、平和になったでしょ!?」
「だから御役御免にしてくれと? 先を考える頭も無いのか?」
「次に何か起きた時のために、アタシがいなくてもどうにかできるように備えれば良いじゃない!」
「ああ、無論。貴様がいなくても問題無い防衛体制を構築したその上で貴様を配備すれば、完全以上の布陣が完成する」
そもそもからして。
アリスターン個人の生など、度外視している。
何がどうなろうと、アリスターンに自由を与えるつもりなどない――と言うよりも、そんなものを与えるか否かを考えると言う発想が無い。
彼らに取って、アリスターンは銃火器の延長戦に在る【物】なのだ。
くたびれた大砲を労わって休ませる兵士などいない。
くたびれた大砲は、整備してから再配置するだけだ。
「……アタシは、帰らないわよ……! 無理に連れ戻そうって言うなら、怪我をしてもらうわ!」
「強がるな。強烈な【天与能】以外に価値の無い特化型兵器が」
「……!」
「それとも、なんだ? 授け主である我が世界の主――かの恩恵が届かぬこの地で、天与能を万全に振るえる訳があるのか?」
アリスターンを英雄たらしめた莫大な力は、元の世界でこそ真価を発揮する。
それが無ければアリスターンは、「名残でちょっとした怪力が発揮できるだけ」の女番長でしかない。
「望み通り、今の貴様はただの小娘でしかないだろう? 皮肉だな。おかげで――」
ブロードが懐から取り出したもの、それは――拳銃だ。
「こんな武器しか持てない常人たる私でも、充分に制圧が可能だ」
「……ッ……」
あの世界に戻れば、【蘇生】の【天与能】を持った神官なんかもいる。
故に、ブロードは平気で撃つだろう。
仮に殺してしまっても、よほど肉体的に酷い損壊を与えない限りは生き返らせて使う事ができるのだから。
むしろ、そちらの方が好都合だとすら考えるかも知れない。
殺して復活させる前に、アリスターンの体に色々と仕込んで、もう逆らえないようにする――そんな酷い事も、平気でやれる連中だから。
――まずい……!
いくら山ほどの不良を独りで捻じ伏せられる程度の力は残っていても。
さすがに、プロの軍人を相手に、拳銃を向けられては勝ち目が無い。
独りでは、やられる。
助けを求めようとして、最初に脳裏を過ぎったのは。
緑の頭と赤い頭。
善央はともかく、愛雅は、不思議体質も相まってすごく強い。
ポケットのスマホには彼らの連絡先も入っている。SOSを求める事は可能。
――でも……拳銃相手は……!
どれだけ格闘技が強くても、飛び道具を持ち出されては文字通り手も足も出せない。
頼っても、被害者が増えて終わるだけ。
本音を言えば、細かい事は考えずに「助けて」と叫びたい。
でも、ダメだ。
ここは――
「逃げる!」
「あ、貴様! 待て!」
◆
「――あぁん?」
アパートの前に辿り着いたその時。
愛雅はふと、ある声を聞いた。
「どしたのー? 愛雅ー」
「んー……いや、なんつぅか……こんなに糖分を摂りまくったのは久々で、妙に感覚が冴え過ぎちまったみたいだぜ」
あー、面倒くせー……とボリボリ首筋を掻きながら、愛雅はとある方角の夜空を睨みつけた。
見ているだけで重苦しくなる、巨大な暗雲が空を覆い潰している。
「……確かに聞こえたぜ。どっかのバカ番長が、【本音】を押し殺してんのがよ」