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田中の悲劇

「やはり、犯人は君だったか……田中さん」


 私が研究室の電気を付けると、彼女はギョッとした顔でこちらを振り向いた。薄暗かった狭い研究室に、天井のブルーライトが次々と灯っていく。青白く照らされた彼女の手には、部屋の隅の金庫にしまってあった筈の極秘資料が握られていた。私はできるだけ声を荒げないように、一回り年下の彼女にそっと語りかけた。


「さあ、田中さん。その資料を置くんだ……。それは私が、十年かけて研究してきた大切なものなんだ。これ以上、罪を重ねるのは止めたまえ」

「所長……どうしてここに……!」

「午後の発表会なら、キャンセルしたよ。最近何だか、金庫の中身が勝手に動いているのがどうしても気になってね……。残念だよ、君が我が研究所に入った本当の目的が、まさか”産業スパイ”だったなんて……」


 私は一つしかないドアの前に立ちふさがり、狼狽える彼女をじっと見つめた。


□□□


 一ヶ月前に彼女を研究者として採用した時は、未来ある有望な若者だと見込んでいたが……まさかこんなことになるとは。今思えば、偶然の出会いにしては、道理で出来すぎだった訳だ。たまたま私のアパートの隣に引っ越してきて、たまたま同じ研究を志していた、だなんて……信じた私が馬鹿だったのかもしれない。

 冷たい視線を投げかける私に、彼女が声を上ずらせた。


「信じてください! 所長……私は決して……!」

「私だって、出来れば君を信じたかった……。君が”もっと研究がしたいから”と此処の警備を買って出たときも、私は疑わなかったよ」


 そう言って、自分でも予想以上に落胆した声が出てきて、私は驚いた。きっと、私は彼女に期待していたのだ。何十年間も、孤独に一人でこの研究を続けてきた。そんな中出来た、初めての”同志”と呼べる存在。二人で同じ方向を見れることに、私はこの年にして久々に熱いものを感じていた。それから、若い彼女に対する年不相応の淡い”恋心”も……。


「……だけどそれも、結局は間違っていた。信じられるのは、最初から自分だけだったんだ」

「所長……お願い……! 私を信じて……!」

「黙れ!」

「そこまでだ」


 私が激昂し叫んだ瞬間、突如背中のドアが開かれた。


「うっ……!?」


 振り向く暇も無く、まるで糸が切れたかの如く全身の力が抜け、私はそのまま床に膝から崩れ落ちた。

「……?」

「きゃあああっ!?」


 つんざくような彼女の叫び声が、狭い研究室に木霊した。何が起こったのか、さっぱり分からなかった。突然、燃えるように熱を帯び始めた私の胸に手をやると、ドロリ……と鮮やかな赤い液体が零れ落ち、生々しい鉄の匂いが鼻をついた。


「……?」

「二人とも殺せ。必要なのは資料だけだ……クフフ」


 後ろから若い男の声がして、けたたましい発砲音とともに、今度は目の前の彼女が胸を押さえて倒れこんだ。男は彼女の手から資料を無理やり奪い取ると、そのまま荒々しく音を立て研究室を出て行った。


「……!」


 研究室の床に、二人分の真っ赤な水たまりが広がっていく。彼女が撃たれたのだと理解したのは、それから数秒後だった。さらにそれから数秒後、私は”自分も”何者かに撃たれたのだと気づき、研究資料を奪われたことをようやく理解した。

 

 「う……くそ……!」


 長年の研究が、こんな形で終わりを迎えることになるなんて。十年間。文字通り心血注いで、命を削って捧げた私の人生そのものとも言える研究資料……。

 一体誰が。

 犯人は……いや、今はそれどころではない。寒くもないのに、全身がガクガクと震えだした。薄れ行く意識の中、私は最後の力を振り絞り、机の下まで這いつくばって進んだ。それから”緊急用”の装置を作動させ、私はとうとうそこで力尽きた。


□□□


「……!」


 ……そして気がつくと、私は都内の路地裏で目を覚ました。

「はぁ……はぁ……っ!」

 冷や汗が止まらない。慌てて胸に手をやり、服の中を覗き込む。

 穴は、開いていなかった。


 生きている。

 やはり長年の研究……”タイムマシン装置”は完成していたのだ。”緊急用”のプロトタイプとは言え、死に際に時間軸を歪めることで私は何とか一命を取り留めた。

 私は汗を拭い、すぐに近くのコンビニに飛び込んで今の日付を確認した。


 三月十五日。


 ……ちょうど装置の作動時間から一ヶ月前の日付を、新聞は示していた。「やったぞ!」周りの客達が不審な目で怖がるのも気にせず、私はその場で涙ながらにガッツポーズした。自分の研究が正しかったことに加え、さらにそのおかげで自らの命を救ったのだ。


 早速、一ヶ月前の自分に報告しなければ。私は小躍りしながらコンビニを出た。


「あっ!?」

「よお、”田中”」


 外で待っていた人物を見て、私は驚いてその場に立ち尽くした。


 何と、私自身が目の前に立っていたのである。

 その男はニヤニヤしながら私に手を振ると、ゆっくりとこちらに近づいてきた。私はまじまじと彼を眺めた。見れば見るほど、私にそっくりだ。若しかしたら、一ヶ月前のこの時間軸の私だろうか? 

 いや、それにしては……彼はまだ若い。まるで十歳か、二十歳くらい若返ったような……ちょうど三十代頃の、古いアルバムの中の私にそっくりだった。何が何だか分からず、私は目を疑った。


「どうやら”お互い”、無事タイムトラベル出来たようだな」

「何だって?」

「く……クク、クハハハッ!」

「!?」

 突然、私にそっくりなその男が大声で笑い始めた。


「私ですよ、私。所長。気づきませんか? あの時研究室にした、田中です」


 ”私”はそう言って、戯けたようにお辞儀をしてみせた。

 私は眉を吊り上げた。その仕草に、私は見覚えがあった。一ヶ月前に助手として雇った、あの女性だ。”産業スパイ”として追い詰めて、謎の襲撃に遭い私と同じく床にひれ伏したあの……。


 あの時、あの研究室で、私以外に彼女もまた”装置”によってこの時間に転送されていたのだ。


「一体どういう……その身体は……!?」

「まだ気づきませんか? ご自分の身体をご覧になってくださいよ」


 ”私”はそういって、動揺する私にコンビニのガラスを見るよう促した。


 「な……!?」


 コンビニのドアに映る自分の姿を見て、私は驚愕した。そこに映っていた自分の表情は……驚いた女性の顔、田中助手そのものだったのだ。


「なんだ、これは……!?」

「恐らく時間軸を遡る間に、人格が入れ替わってしまったのでしょう。まだまだタイムマシン研究は、解明されていないことが多そうですね……」


 動揺を隠せないでいる私に、”私”がゆっくりと近づいて来て、耳元に口を寄せクスクスと笑いながらそう囁いた。私はまだ、ガラスに映る自分の姿から目が離せなかった。


「バカな……入れ替わりだと……!?」

「おかげで私は、何の因果かこんなに若い所長の肉体まで手に入れてしまった。本当に数奇な運命ですね……クフフ」


 ”私”の姿をした若い男が、さも可笑しそうに笑った。

 どういう理屈か分からないが、あの研究室から時間旅行した際、助手と私の体が入れ替わっている。さらに、私の体は数十年分若返っていた。

 ”タイムトラベル”研究の、あまりの衝撃的な副作用……それよりも、私は男の笑い方に驚かされた。死の間際……背中から銃で撃たれたときの、あの襲撃犯の笑い方そっくりだ。

 まさか……。私はゾッとした。


「こ……これからどうするつもりなんだ?」

「どうするって?」

 ”私”が冷たい笑みを浮かべた。


「もう分かってるんでしょう。もちろん一ヶ月前の所長に会って、あの研究を”返して”もらいます。なんたってあの研究は、”私”のものなんですからねえ、”元”所長の、田中さん?」

「力ずくで、資料を奪う気だな……?」

「どうなんでしょう? 未来から来た人ならあるいは、知っているかもね……」

「そんなことさせない……おい、待て!」


 ”私”は一層大きな声で笑うと、私の静止を無視して路地裏へと消えていった。数分も立たないうちに”私”を見失い、とうとう私は息を切らしその場に蹲った。それから改めて、ビルの窓ガラスに写った今の自分の姿を確認する。


 どう見ても、若い女性だ。

 まさかタイムマシンに、こんな副作用があったなんて。このままの姿で一ヶ月前の私に会いにいったところで、きっと話を信じてくれはしないだろう。私は辺りを見渡した。道行く人々が、男物の衣服を纏った私を訝しげにじろじろと眺めた。私は途方に暮れた。こんな姿になってしまっては、身分証明書も役に立たない。僅か一ヶ月前の景色なのに、いきなり知らない世界に一人取り残されたような気分だった。


「……!」

 だが……みすみす自分が殺されるのを、黙ってみている訳にも行かない。

 あの男を……いや、あの女を止めなければ。私は早速自宅の横の空き部屋を借りるため、不動産屋へと走った。


 今度こそ、私が私を信じてくれることを願って。

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