田中を落としただけなのに
「今すぐ犯人は名乗りを上げよ!!」
少女の透き通った声が、突如広間に響き渡った。
金色のポニーテール。
陶器のような白い肌に、すらっとした長身。
それでいて、誰もが羨む豊満な胸部。
細長の、鷹の目のように鋭い視線が、集まった人々をジロリと眺め回した。
まだ学生だろうか。発展途上中の若者だけに許される、咲き誇る前の瑞瑞しさがある。その上、見ている者が思わず姿勢を正さずにはいられない、凛と澄ました清廉さも兼ね備えていた。一目見ただけで、礼儀正しく、育ちが良いのが分かる……そんな感じだ。
だが人々が押し黙ったのは、何もその可憐さだけではない。
「どうした? 犯人よ!」
背中に巨大な剣、全身を隙間なく守る銀色の鎧……その少女は何故か、甲冑を身に纏っていた。まるで仮装だ。彼女の異様な格好に、広間に集まっていた人々が呆気にとられた。
「この中にいるのは分かっておる! 名乗らぬのか!?」
10代ほどの若い少女はそう叫ぶと、背中に担いでいた巨大な剣に手をかけ、人々を鋭い眼光で射抜いた。広間は静まり返ったままだった。誰も動こうとしない。あんまり突拍子もない出来事に、誰もが声を失っていた。
しばらくして、また別の少女が女騎士の元に駆け寄り、ヒソヒソと耳元で話しかけた。
「……先パイ、貴志子先パイ」
彼女の知り合いらしきツインテールの少女が、恥ずかしそうに頬を染めた。
「これは一体何の真似ですか?」
「決まっておろう! 犯人を探しているのだ!!」
貴志子と呼ばれた金髪少女が、高らかにそう宣言した。
ツインテールの少女が呆れ顔になった。
「ヤメてくださいよ。アホなんですか? アホなんでしょう? そんなことして、犯人が名乗り出てくる訳ないじゃないですか」
「阿呆ではない、刀流。可愛い後輩よ」
貴志子はすずやかな笑みを返した。
「良いか? 証拠もない。だがこれ以上犠牲者を増やすわけにもいかない。このまま事件を解決できなかったら、私の騎士道精神に反する。だからこの身を持って、私が事件を解決しようと言うのだ!」
「やっぱこの人アホだ」
刀流と呼ばれた小柄な少女が、諦めたように呟いた。
道菅楽貴志子。その美しい容姿とは裏腹に、中身は残念な高校生であった。
貴志子は、まるで舞台にでも立っているかのような口調で叫んだ。
「誉れ高き騎士の名にかけてッ!!」
貴志子はガシャガシャと重そうな鎧を鳴らし、床の上にドンッ!! 大剣を振り下ろした。ところどころ返り血のついた剣の重みで、たちまち床が砕け、大穴が開く。明らかな器物損害だ。きっと旅館から多額の修理代を請求されるだろう。刀流が顔を顰めた。
「さあ、いざ尋常に勝負ッ!!」
貴志子はそんなことなど歯牙にもかけず、金色のポニーテールを振り乱し叫んだ。途端に旅館の広間は大騒ぎになった。
そもそも事の発端は、郊外の寂れた旅館で起きた、凄惨なる殺人事件。
探偵役を買って出た金髪少女は、「私に任せろ!」と自信満々に胸を叩いた。彼女はしばらく旅館を歩き回った後、「謎は全て解けた」とばかりに関係者を広間に集め……そして何故か、自身は甲冑を身に纏って現れた。
そして開口一番、冒頭の台詞を、堂々と言い放ったのである。
「ヒィィッ!?」
「止めろ、止めさせろッ!!」
剣を手に暴れ出そうとする貴志子を、団体客たちが慌てて取り押さえた。
「な……貴様ら、何をするッ!? せっかく私が、姿を見せぬ卑怯者に推理を叩きつけてやろうと……」
「お前こそ何をするつもりだ!?」
「お前が叩き付けようとしているのは推理じゃない、殺傷武器だ!」
団体客の協力の元、貴志子は武器と甲冑を取り上げられ、暖炉のそばの柱に縄で縛り付けられた。真っ白な薄手の襦袢姿になった女子高生が、肩を上下させながら息を荒げた。
「はぁ、はぁ……くっ」
「全く。何が『私に任せろ!』だよ。これのどこが推理なんだ」
「どこで用意したんだ、この甲冑」
旅館の宿泊客たちが、呆れたように少女を見下ろした。
「……殺せ」
「はい?」
少女は全員の前で悔しそうに顔を歪め、目を閉じて静かに呟いた。
「殺せと言ってるんだ。このまま欲情に駆られた獣の辱めを受けるくらいなら……私は死を選ぶッ」
「彼女は何を言ってるんだ?」
団体客の一人が、呆然とした様子で後ろを振り返った。誰もが困惑した表情を見せる中、刀流が申し訳なさそうにおずおずと右手を上げた。
「すみません。貴志子先パイは……こないだからライトノベルにハマっていて。自分のことを、『異世界から転生してきた女騎士』だと思い込んでいるんです」
「ライトノベル?」
「女騎士だって?」
男性客の一人が目を丸くした。
刀流が深々とため息を漏らした。
いっつもそうだ。
道菅楽貴志子は、刀流の近所に住んでいる幼馴染で、華道で名を馳せた道菅楽家の箱入り娘だった。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。誰もがそう言って彼女を褒め称えた。そのまま黙っていれば可憐な乙女でいられたものの、しかしながら成長するたびに、彼女の自由奔放さは増していった。
ある時はミステリー小説にハマり探偵になりたがり。またある時は時代劇にハマり剣道を始め。そして最近は『異世界転生』モノにハマって、自分は女騎士だと言い始めた。
どうも好奇心が旺盛過ぎるのだ。その時その時目の前のものに夢中になって、カーッとのぼせ上がるのが彼女の残念なところだった。そしてその都度、刀流がいつも振り回される。そして今回の温泉旅行も、案の定……刀流のため息は、このところ深くなるばかりであった。
「しかし……」
全員が改めて縛り上げられた貴志子に視線を戻した。貴志子は、一体何を想像しているのか、先ほどから「くっ……殺せ」と繰り返し、ほんのりと頬を染めていた。
「じゃあ結局、事件は何も解決してないってことか?」
客の一人が、うんざりしたように顔を顰めた。
「証拠もないって言ってたし……どうするんだよ?」
「勘弁してくれよ。ミステリーはファンタジーじゃないんだぜ?」
「すみません」
刀流が貴志子の代わりに頭を下げた。それから貴志子の元に近づき、こっそりと耳打ちした。
「先パイ、貴志子先パイ。マズイですよ、ちゃんと推理しないと。何のためにみんなを呼び出したんですか? まさか、本当に決闘するためじゃないでしょう?」
「正にそのためだが」
貴志子は真顔で刀流を見つめ返した。
「証拠も無しに咎人を炙り出そうなどそんな卑怯な真似、騎士である私にはできない。ここは、犯人が自ら名乗り出てくれるのが善いッ!」
「『善いッ』、とか言われても」
キラキラとした真っ直ぐな目を向ける貴志子に、刀流が耐えられなくなって目を背けた。
「さあ犯人よ、私はこの通りだ! 名乗りを上げよ。それとも私の気迫に怖気付いたか!?」
「ダメだ……やっぱこの人に推理は無理だよぉ」
「ならば致し方がない……私を殺すがいい!」
「だから、何でそうなるんですか!」
刀流が呆れたように貴志子を諭した。
「先パイ。先パイが死んでも、事件は何の解決もしませんよ。それよりもっと建設的なことを……」
「殺せと言っているのだ。このまま事件が未解決のまま生き残るなど、私の騎士道精神に反するッ!!」
だが貴志子は一歩も引かなかった。しばらくの沈黙の後、関係者たちはお互い顔を見合わせた。
「しょうがない……だったら、殺すか」
「えっ?」
刀流と貴志子が驚いて顔を上げた。客の中でも一番若い男性が、床に転がっていた1メートル以上はあろうかと言う大剣を手に取った。
「え? ちょっ……本気ですか?」
刀流が慌てて立ち上がった。
「だって、本人も『殺せ』と言ってるし」
男性客が至極真面目な顔で頷いた。刀流の後ろで、貴志子が目を丸くしてゴクリと唾を飲み込んだ。客たちが女騎士を取り囲んだ。
「確かに……」
「そうだな。このお嬢ちゃん、可愛らしい顔をしているが。犯人が分からないからと言って、凶器を振り回すような輩だ」
「放っておいたら、犯人の前に探偵に殺されかねん」
団体客が納得した様子で頷き合った。刀流が泣き出しそうな声で叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 女騎士に『殺せ』と言われたからと言って、本当に殺すだなんて……! もっと他に、やることあるでしょう?」
「他って例えばなんだ?」
「それは、その……」
刀流が何故か顔を赤らめモゴモゴ言った。
「それに、こうとも考えられる。他所様に遠慮なく剣を振り下ろそうとする、その女騎士こそ、真犯人かもしれないじゃないか」
「そんな……!」
若い男性客……田中が両手に剣を構え、貴志子に一歩近づいた。どうやら本気で、貴志子を斬り捨てるつもりらしい。広間が途端に騒つき出した。刀流が貴志子を庇うように彼女の前に覆い被さり、小さく悲鳴を上げた。二人の少女が剣の間合いに入った時、縛られていた貴志子が、不意にニヤリと笑みを零した。
「かかったな」
「何?」
巨大な剣を構え、ジリジリと二人ににじり寄っていた田中が、ピタリと止まった。
「そのクレイモアを持ち上げられる人物を探していた……」
「何だと?」
田中が眉を顰め、小さく呻いた。貴志子は勝ち誇ったように瞳を光らせた。
「そいつは儀礼用に作られた特別な装飾剣で、この旅館の壁に飾られていたものさ……重さは10kg以上にもなる。持ってみたら分かるが、普通の人は、重たい鉄の棒をそんな風に水平に構えることすら出来ない」
「……ッ」
田中がハッとなって、大剣を構えたまま貴志子を睨みつけた。貴志子が勝ち誇ったように高らかに宣言した。
「それは被害者が殺害された時にも使われた凶器だッ! そんな重たい剣を持ち上げられる者は、犯人しかいないッ!!」
「き、貴様……ッ!」
田中が歯軋りし、顔を真っ赤にしたかと思うと、いきなり目の前にいた刀流に斬りかかった。
「騙したなァアアッ!!」
ギラリと光る銀色の刃に対し、刀流は覚悟を決めて前に飛び込んだ。
後ろに引くと、リーチの差でやられる。
横に避けると、薙ぎ払われる危険性が高い。
逃げるなら、前。振り下ろされる刃の軌道の、斜め前だ。それは刀流が、貴志子からいつも口酸っぱく言われていた、護身術の一種だった。「ハァッ!!」刀流が気合いを入れて息を吐き出した。振り下ろされる刀身の横をすり抜けるように、少女は素早く斜め前に足を運ぶ。
「何ッ!?」
相手の勢いも相まって、上手く体を捻り田中の背中を取った。男は慌てて体を捻ったが、刀流はそのまま彼の襟に手をかけ、ガラ空きになった背中の方向に引き倒した。田中の手を離れた大剣が、床に音を立て転がった。
「く……っ!?」
一瞬の早業だった。田中が目を見開いた。二人のうち小柄で弱い方を狙ったつもりが、思わぬ逆襲にあってしまった形だ。刀流は涼しい顔のまま、慣れた手つきで男の両腕を後ろで捻り上げた。床に押さえつけられた田中が顔を上げると、縄を解かれた貴志子がクレイモアを杖のように顔の前で構え、冷たい目で彼を見下ろしていた。
「観念しろ。万人には持てない凶器を手にした時点で、貴様の負けは確定していたのだ」
「……それなら!」
田中が唸った。
「お前だって、現にそうやって持ってるじゃないか! 俺だけじゃない、お前だって容疑者だろう!?」
「私は騎士だぞ。日頃からちゃんと鍛えているからな……重たい剣だって持てるさ」
「そんなの屁理屈だ! 俺とお前で何が違うッ!?」
「ふむ」
もちろん、刀流を襲った時点で、何一つ言い逃れはできない。それは犯人も分かっていた。関係者が全員で取り囲む中、男が観念したようにがっくりとうな垂れた。
「そうだな。私とお前で、何か違うところがあるとすれば……」
貴志子が田中を興味深げに眺めた。
「私は殺しはせん。無益な殺戮は私の騎士道精神に反する。何も私が、お前と同じところまで堕ちてやる必要はない」
「何だと……?」
田中が憤った。
「殺せ……殺せよ! こんな辱め……殺せないのか!? 殺す度胸もないんだろう! 騎士のくせに!」
「そんな度胸はいらん。この国の法律に準ずる」
「騎士なのに、法令は遵守するんだ……」
貴志子の言葉に、刀流が半ば呆れたようにポツリと呟いた。それから、今度は逆に田中が縄で縛り上げられた。強引な力技だったが、これで一応、事件解決ということになる。貴志子は再び甲冑を身に纏うと、高らかに宣言した。
「さあ行くぞ、刀流! 我が可愛い後輩よ! 私の推理力と騎士道精神で、この世に蔓延る悪を成敗するのだ!! ハーッハッハッハッハ!!」
「先パイ! あぁ、もう! 待ってくださいよ、貴志子先パァイ!」
貴志子が高笑いし、赤いマントを翻した。大股で広間を出て行く貴志子を見て、刀流は慌てた様子で彼女の後を追った。




