傷だらけの田中
目を覚ましベッドから身を起こすと、机に”昨日の私”が突っ伏して寝ているのが見えた。夜中に資格試験の教材とノートを開き、そのまま寝てしまったことを思い出す。
「…………」
……ああ、嫌だな。
そう思ったけれど、後処理をしない訳にもいかず、私はベッド脇の金属バットを掴んで”昨日の私”の頭に思い切り叩きつけた。
ゴトン
と鈍い音がして”昨日の私”の首があらぬ方向に曲がる。半開きになった”昨日の私”の口から、赤黒い液体がドロリと溢れ出した。
何で今更、資格の勉強なんて始めちゃったんだろう。
どれだけ無駄な努力を繰り返したって、何にもなりゃしないのにな……。
私はため息をついて、昨日買ったばっかりの教材をゴミ箱に放り込み、のろのろと会社に出かける用意を始めた。
□□□
会社に行く途中。
混みだした電車の中で、次に私は”三年前の私”が同じ車両に乗っているのを見かけた。
「…………」
……ああ、嫌だな。
”過去の自分自身”と出会うのはこれまでも度々あったが、今日はもうこれで二回目だった。”三年前の私”は就職活動の帰りだろうか、似合わないスーツに身を包み、疲れた顔で優先席にもたれかかっていた。”三年前の私”をよく観察してみると、ちらちらと隣に立つ老婦人を盗み見ていた。私は舌打ちした。席を譲るべきか譲らないべきか、躊躇っているのがありありと伝わってきた。
「ちょっとすみません」
人の壁を押しのけ”三年前の私”の元へと近づくと、私は”三年前の私”の首根っこをぐいっと締め上げた。驚く周りを制しながら、急いで”三年前の私”の息の根を止める。
「どうぞ」
若干息を切らしながら、私は老婦人を空けた席に座らせた。
何をもたついているんだろう。
人に親切にできない弱さなんて、持ってても仕方ないよな。
私は息絶えた”三年前の私”を抱えて、足早に次の駅で降りた。
□□□
結局仕事が終わったのは、もう日付が変わる直前だった。フラフラになりながら玄関を開けると、”中学生の私”が部屋で小躍りしながら喜んでいた。
「…………」
……ああ……またか。
今日はやたらと多い。疲れている時は大体そうなのだ。”過去の自分自身”の残像が、私の前によく現れる。
”過去の自分自身”は、今の私の現状なんて何も分かっちゃくれなくて、いつも無責任なことばかりやっている。”昨日の私”だって、急に受かるはずもない資格の勉強をし出したり、今考えるとそんなことやめればいいのに……と思うようなことばっかりだ。
だけど残念ながら過去は変えられないし、どうすることもできない。出来るだけ”過去”の過ちを直視せずに済むように、速やかに”処分”するより致し方ない。
私は仕事帰りの朦朧とした頭で、踊り狂う”中学生の私”をじっと眺めた。
……何をあんなに喜んでいるのだろう。
中学生の時は、私に一体何があったんだっけ。
好きだった男の子にOKをもらえた時か、
夢だったオーディションの一次審査に受かった時か。
”中学生の私”は、今の私では考えられないほど喜びを爆発させていた。昔はあんな風に笑えていたんだと、自分でも驚くくらいだった。普段は”過去の自分自身”の残像を見ると無性にイライラしてしまうのだが、今回はそうでもなかった。むしろ、何だか胸の奥から熱いものが込み上がってくるのを感じた。
「…………?」
何だろう。
懐かしいのか。
いやそれ以上に、”今”も含めて、喜んでいる自分の姿を見るのが本当に久しぶりだからだろうか。
「…………」
私はしばらく玄関に立ち尽くしたまま、”中学生の私”の小躍りを見つめ続けた。
……もし、このまま”過去の自分自身”を”処分”せずにいたら、どうなるのだろう?
これまではずっと、今の自分に都合の悪い”過去”なんて葬り去ってきた。そうすることが、当たり前だった。
だけど……目の前の”中学生の私”は、本当にあまりにも……。
「…………」
「……貴方、まだそんな”しょうもないこと”大事にしてるの?」
すると、不意に後ろから呆れたような声をかけられ、驚いて私は振り返った。
「!」
そこに、”私”が立っていた。私は腕時計を覗き込んだ。時計の針は、もう十二時を回っていた。
「!!」
”明日の私”は金属バットを片手に、心底嫌そうな顔をして私に呟いた。
「馬鹿ねえ……いつまでも中学時代の思い出なんかに浸っちゃって。もういい加減、前に進まなきゃ。やっぱり”過去”の自分って、”今”の私のこと、何にも分かっちゃくれないんだわ」




