双頭の田中
二月五日
撮影開始。監禁部屋。
カメラを部屋の隅に固定し、彼女をレンズの正面に向かい合わせる。一昨日車に乗せようとした時は激しく抵抗した彼女だったが、縛り上げて一晩中放置していたおかげか、大分憔悴しきった顔で大人しくなった。
外の世界は寒さが本番だが、地下の監禁部屋には窓も空調もない。
私も彼女も、着ていた服が汗でべっとりと肌にまとわりついていた。これからどう彼女を”撮影”してやろうか。汗まみれの上着を脱ぎ捨てながら、私はカメラの位置に気をつけてゆっくりと彼女に近づいて行った。
二月八日
撮影四日目。自分の書斎。
ライブ中継で撮影中の彼女の様子をモニタで眺めつつ、一緒に奪ってきた荷物を漁った。
携帯電話、財布、化粧道具、携帯ゲーム機、可愛らしいスケジュール帳に彼女の通う高校の学生証……。学生証には、整った顔立ちの美少女が少し微笑みながら写っていた。何とも可愛らしい、優しい性格を感じさせるような素敵な笑顔。それから小型の一眼レフも入っていた。彼女とは趣味が合いそうだ。
私は顔を上げた。
時計を見ると夜の三時を指している。彼女にはすでに時間の感覚はないだろうが、もうすぐ”餌”の時間だ。私は一眼レフを持ったまま、無意識に唾を飲み込んだ。
二月一十四日
撮影十日目。会社から帰宅。
どうやら彼女の学校が、失踪事件として警察に報告したらしい。
地元の放送局が一回二十分程度の特集を組み、朝からやたらと報道を繰り返している。テレビ画面には、彼女の通っていた高校が映し出されていた。録画しておいたそれを、監禁部屋で彼女と一緒に鑑賞しながら、私はビールを飲み干した。画面の中では、教室で彼女のクラスメイト、そして彼女の母親が出てきてインタビューを受けている。行方不明になる前、彼女はカメラ好きでよく山に小鳥を撮影しに行っていたらしい。やはり彼女とは趣味が合うな、と思った。ただ、今までは撮影する側だったのだろうが、今や立場は逆転した。
私はちらと彼女を盗み見た。
いつのまにか、彼女は泣いていた。どんなに厳しく”撮影”しても泣かなかった彼女が、大粒の涙を流して顔を歪ませていた。アルコールが体中を駆け巡り、私は次第に興奮していくのがわかった。
二月二十一日
撮影十七日目。モニタの前。
何でもない平穏な日常に、変化が訪れた。私の家の前で、一人の男子高校生がうろうろと中の様子を伺っていた。玄関に取り付けられたカメラをチラチラと気にしている。その様子を彼女に見せると、彼女は驚いたように目を見開いてその映像に釘付けになった。反応を見るに、どうやら彼女の知り合いらしい。
彼氏だろうか。だとしても、どうやってこの場所が分かったのだろう。
どちらにせよ証拠はないはずだ。これ以上彼女に映像を見せていたくなくて、私は目隠しを巻いた。監禁部屋を出て、狭く短い通路から階段をゆっくりと登っていく。あの少年……私の”撮影”には予定のなかったキャスティングだ。言い知れない不安の渦が胸をかき乱していく。
何とかしなくては……。
三月九日
撮影中断。応接間。
進路相談をさせて欲しい、と先日の男子高校生が言ってきたので、私は迷ったが自宅に招き入れることにした。彼の担任でもない、”教頭”である私に言ってくるということは、恐らく真の目的は彼女の探索だろう。
私にとっても、この生徒の事を知る願ってもないチャンスだった。昨日引っ張り出した接客用の紅茶を飲みながら、私たちはお互いの腹を探り合った。どうやってこの場所が分かったのか。場合によってはこの男子生徒も処分しなくてはならない。
何より監禁中の彼女が、この男子生徒の登場で希望を持ち始めたことが気に食わなかった。何となく、ずっと彼女と一緒だったから分かる。先日の映像のせいで、彼が助けてくれるんじゃないか、などと淡い期待を抱いているのだ。
一見痩せぎすの、飄々とした目の前の男子生徒を、私はジロリと睨め付けた。なるほど、確かに爽やかな風貌で女子生徒にはモテるだろう。成績表を確認してみると、学年でも上位の成績を収めていた。ますます気に入らなくなって、私はフン、と鼻を鳴らした。
「すみません田中先生。ちょっとお手洗いを借りてもよろしいですか?」
男子生徒がさりげなく尋ねた。私は頷いた。本当にただ借りるだけだろうか? それとも……。もし彼女のことを探るような素振りを見せれば……申し訳ないが、殺すつもりだった。私は内心を彼に悟られないように、ゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます」
そういって出て行った彼を確認して、私も後を追うように応接間をそっと抜け出した。それから足音を立てないように素早く書斎に駆け込み、モニタの前に滑り込んだ。
彼が来る前に、自分の家の至るところに隠しカメラを仕掛けてあった。映像がライブ中継で映し出され、廊下を進んでいく彼が確認できた。暗闇で青白く光るモニタに目を凝らしていると、男子生徒が曲がり角で周りに人がいないのを確認しながら、こっそりと携帯ゲーム機を取り出すのが見えた。
「!」
携帯ゲーム機。
携帯電話の方は処分していたが、そちらの方は荷物と一緒に放り出したままだった。今時のゲーム機にはGPS機能もバッチリと載っているようだ。ゲームなど全くと言っていいほどやらないのでわからないが、どうやらそれを使って彼女の居場所を特定したらしい。映像の中で彼はゲーム機を頼りに、素早く地下室に向かう階段を下りていった。
これで確定だ。
やるしかない。
モニタの前で、私の心臓が激しく踊りだした。用意していた十六センチの出刃包丁を取り出す。私は書斎を飛び出した。
急いで監禁部屋へと向かう。鍵はしまったままだ。開けられるはずはない。一方通行の狭い階段の先で、男子生徒は袋の鼠になっているはずだ。私は廊下の角を曲がり、明かりはつけないまま、地下へと続く階段を駆け下りた。
「!」
だが、目の前には監禁部屋の扉があるだけで、男子生徒の姿はなかった。確かに……彼がこの階段を降りていく映像が見えた。一体何処に……。
私が振り返ったその瞬間。私の後から階段を降りてきた男子生徒に、思いっきりバットで頭を殴打された。
三月九日
撮影再開。監禁部屋。
気がつくと私は手足を縛り上げられていた。
どうやら彼は、家の中に隠しカメラが設置してあったのを目ざとく見つけていたのだろう。私が見張っている事を分かってて……わざと自分が階段を下りる姿を私に確認させ……もう一度階段を戻り、私が降りて行くを待ち構えていたというわけだ。
私は舌を巻いた。単純な子供騙しに、まんまとしてやられたというわけだ。
身動きが取れない椅子の上で途方に暮れていると、私の目の前で監禁部屋の扉が向こうからキィ……と音を立てて開き始めた。
「!」
現れたのは……私が監禁していたあの少女だった。彼女はお盆に乗せたビールとコーラ、それにグラス二つ分を私の目の前に運んできた。
「それにしても、まさか応接間で出した紅茶に睡眠薬を仕込んでいたとは、流石ですね」
彼女は私の口元にグラスを持って来て傾けながら、可笑しそうに笑った。
「中々良い案だったと思いますよ、田中先生。おかげで”手間”が省けた……」
私の唇の端から、黄金色のビールが一筋零れ落ちた。私は身動きが取れないまま、彼女にされるがままになった。それから彼女は、私の足元に転がっていた少年の口元に、私と同じようにコーラをあてがった。魂の抜けた物言わぬ人形となった少年を、彼女はポケットから取り出した一眼レフで撮影し始めた。監禁部屋にフラッシュの光が何度も瞬いた。
やがて彼女が頬を上気させ、興奮冷めやらぬ感じで捲し立てた。
「最初に私が先生を襲った時……抵抗されて逆に捕まった瞬間、あ、私もうダメだって思ってたんですけど……。先生が私と”同じ趣味”で助かりました」
「田中さん……貴方……」
そう言って彼女はカメラを部屋の隅に固定し、この間私がやったのと同じように、私をレンズの正面に向かい合わせた。分かってる。やはり、彼女とは”趣味”が合う。今や立場は逆転した。これから私がどんな目に遭うのか想像して、私は椅子の上で身動きが取れないまま身震いした。




