2 トラウマスイッチはいきなり作動する
朝、日の光によって目が覚める。いつもの部屋じゃなかったので一瞬驚くが、すぐに思い出した。
ああ、オレ達異世界にいるんだったな。
洗面台で水を汲み、顔を洗う。立てかけられている鏡をのぞくと、そこにいたのはぼさぼさの髪の毛の、どちらかというと整っている方の少しけだるげな顔。異世界に来たからといって変わることのないそれに、オレはいくばくかの安心感を覚える。
洋タンスを開き、昨日侍女さんに用意してもらった服を取り出して着替える。学校帰りに召喚されたので、当然着替えは持っていない。
「おはよう。珍しく起きるのが早いな」
寝室を出ると、優はすでに起きていた。椅子に座ってテーブルに置いてある朝食を食べている。
「おはよう。幸助は?」
「まだ寝ている。だから珍しいと思ったんだ」
「ああ、なるほど」
確かにオレはいつも一番遅く起きている。そのため今も幸助はすでに起きているものだと思っていた。
優の向かいに座り、オレも料理に手を伸ばす。昨日の夕食もそうなのだが、この世界の料理はかなり味がいい。
「おはよーう。あれ?時雨が起きてる」
オレが朝食をほとんど食べ終えたころに、幸助は起きた。
「おはよう。お前っていつもこの時間に起きているのか?」
「うーん、どうだろう。僕は優ほど体内時計がしっかりしてないからわかんないや。ここには時計もないみたいだし」
「いつもより遅いな。いつもはもう5分速い」
「そこまでわかるお前おかしいから」
席に着く幸助。パンを三つとると、あっという間に食べつくした。半分以上残っていた料理も、すぐになくなる。
「ところで、今日って何をするかとか聞いていない?」
「いや、朝食を摂ったら呼び鈴を鳴らせと言われたから、その時に教えられるんじゃないだろうか?」
「あ、そうなんだ。もう僕も食べ終わったから、呼んでもいいんじゃない?」
優は頷くと、机の上のベルをとって振る。侍女さんはすぐにやってきた。
「みなさま。朝食はもうよろしいので?」
「はい。それで、今日は何をすれば?」
「モルドール様から礼拝堂へと呼び出しがかかっております」
「礼拝堂?」
「私が案内いたしますので、ご安心を」
なんだろう、礼拝堂に行って、オレ達を召喚するよう指示した神サマに祈りでもささげるのだろうか?
侍女さんの後に続くこと20分ほど
オレ達は白い、召喚された部屋と非常によく似た雰囲気の部屋の前へと案内された。
「ご武運を」
侍女さんは入らないらしく、入り口の外で一礼するとどこかへ立ち去る。いや、ご武運って何かと戦うわけじゃあるまいし。
……いや、ここは異世界だから何かと戦うことになる可能性もゼロじゃない…?
しかしそんなオレの脱走した思考を優と幸助が察するはずもなく、部屋へと入っていく二人をオレは慌てて追いかけた。
「勇者様、おはようございます」
先客がいた。オレ達をこの世界へと召喚した張本人、教皇モルドールだ。右手には昨日同じく赤い宝石のついた杖を持ち、直径1メートルほどの小さな(?)魔法陣の前に立っている。
「おはようございます、モルドールさん……オレ達をここに呼んだのって、モルドールさんですか?」
挨拶もそこそこに、オレは早速本題を切り出す。
「ええ。そうですよ。勇者様方には今日、鑑定の儀を受けていただきます」
「鑑定の儀?」
「はい。鑑定の儀とは、我らが神アルス様の力を借りて、神格を調べる儀式のことです」
神格――元の世界にない、この世界特有ののシステムの一つだ。理性を持つすべての生物がこれを持ち、魔法を行使するためには必要不可欠なものであると言われている。
え? 特殊能力なんじゃないのか? だって?
確かに神格は特殊能力を持つが、それは“覚醒”した神格に限った話。ほとんどの神格は“種”の状態で眠っており、覚醒するのは数十万人に一人らしい。召喚時に神格を与えられたオレ達はもちろん、“種”の状態だ。
“種”の状態の神格には効果は皆無といっていいほどないが、宿主の魔力の性質を決めるとされている。魔力とはMP、つまり魔法の燃料だ。そして魔力の性質は魔法の適正に直結しているとのこと。
まどろっこしくなってしまったがつまるところ、神格を調べるというのは魔法の適正を調べるという認識で合っているだろう。
「流石は勇者様、頭がよろしいのですね」
正解したみたいだ。
「それで、僕たちは一体何をすれば?」
話を進めるために、幸助がモルドールにそう聞く。するとモルドールは彼の後の、祭壇のようなものに乗っている三つの水晶玉をオレ達に渡した。
「これを持って、魔法陣の中央にいてください。ただ、少々の不快感を伴うことがありますが、決して玉を離さないようにお願いします」
「それだけでいいんですか?」
「はい。術は私が制御するので、勇者様はただじっとしていれば問題ないです」
オレ達は頷いて、魔法陣の中央に立つ。
「それでは、始めます」
魔法陣の外に出たモルドールが何かを唱え始める。よく聞こえないが、何やら“神”や“祝福”といった単語が聞こえた。魔法もそうだが、こういうのを見ると高一だけど中二心がうずいてくる。
ふと違和感を感じる。なんというか、体の中に何かが入ってくるような、体中をまさぐられているような、そんな違和感だ。モルドールの言っていた不快感なのだろう。
もし儀式が数十分もあるんだったら、ちょいときついぞこれ。
だが、うれしいことに十分ほどで儀式は終了した。
「それでは勇者様。最後に玉に一滴の血をたらしてください」
祭壇にあったナイフを持って、モルドールはそういった。
「安心してください、ちゃんと魔法で治療をいたします」
最初に優が行う。渡されたナイフで、指先を小さく切った。
垂れた血が玉に触れると、玉が発光する。垂らした血で染まったのではないかと思うほどに赤く、紅く光った
「『汝の者を癒せ』……おお、どうやらユウ様は赤色魔力をお持ちのようだ。その上この色の濃さ。かなり相性が良いのでしょう。まさしく勇者にふさわしい」
この魔力の色が魔法の属性に対応しているらしい。赤色だから、優の適正魔法は赤魔法となる。ちなみに魔法の属性は赤、青、黄、緑、白の六つだそうだ。
「コウスケ様は……なんと!赤、青、黄、緑…それに白も!コウスケ様は全色の魔力使いのようだ!」
幸助の水晶玉は虹色に輝いていた。全属性を持っているのって、やっぱり珍しいことなのかな。
「珍しいなんてものじゃあありません!ここまで濃い光となると、数十万人に一人いるかいないかというほどです!」
なるほど、とりあえずすごいってことはわかった。
最後にオレだ。ナイフを受け取って、指に触れる。
が、オレはそれ以上のこと――ナイフを滑らせ、ほんの小さな傷をつけるだけのことがどうしてもできない。腕を動かそうにも、まるで石になったかのようだ。
「……シグレ様?どうかなされましたか?」
やらないとダメだってわかってるけど、できない。心に残っている深い傷が、オレの行動を妨げる。
額から脂汗がにじみ出るのを感じる。呼吸は乱れ、視界はぼやけていく。
「時雨、ちょっとごめん」
幸助がオレの手を軽くたいた。その衝撃によってナイフはずれ、浅い傷からは赤い血液がにじみ出て、玉へと垂れていく。
血が玉に触れた瞬間、強烈な光が発せられた。
……あれ、色がない?
「……?どういうことでしょうか?儀式が失敗?いえ、今までにそんなことは一回も起きていない…まさか……」
オレの玉を見て、モルドールは首をかしげる。しかし何かに思い至ったようで、深刻そうな顔つきへと変わっていった。
「何か問題が起きたんですか?」
「……シグレ様、どうやらあなたの魔力は、属性を持たないようです」
「属性を持たない?」
「はい。無色魔力、とでも呼ぶのが適切でしょう。前代未聞のことです」
そういう割には、モルドールの声には二人の時のような高揚感がない。むしろ、お通夜みたいな雰囲気である。
「えーっと、それは何かだめなんですか?」
「……属性がないということは、おそらく適正である魔法は無色魔法ということになりますが…無色魔法に、攻撃魔法は存在しません」
「……え?」
「つまり、シグレ様は魔法を使った戦いが難しいということです」
ま、マジかよ……魔法といえばファンタジーの醍醐味なのに……
「あの、神格は変わったりすることは……?」
「残念ながら、神格は一生変わることはありません……」
「マジっすか……」
無慈悲な宣言に、オレの意気は完全に消沈する。
「ともかく、鑑定の儀はこれにて終了です。部屋に戻っておやすみになってください」
部屋に戻ると、オレは椅子に座り込む。運動をしたわけではないのに、なぜかひどく疲れている気がした。
「……時雨、大丈夫?」
心配そうに幸助が声をかけてくる。
「ああ、思いっきりはずれって言われたようなもんだけど、まあ仕方が……」
「そっちじゃなくて」
言葉の途中を遮られる。見ると、真面目な表情で幸助はこちらを見ていた。
「……どうなんだろうな。割り切っていたつもりだし、実際刃物を怖がることもなかったんだが…やっぱり、トラウマって消えないんだな」
「仕方ないさ……両親が目の前で殺されたんだ、忘れられるはずがない」
「……両親がいないのはお前らも同じだけどな」
オレは、いやオレ達は孤児である。
優は捨て子で、幸助は物心つかないうちに交通事故で親を亡くしている。
オレの両親は、優が言ったように殺された。九歳のころに起きたことだ。
犯人は、一人の強盗。金品を盗るために、オレの家に侵入してきた。
父は通報をしようとして背中を刺され、母は幼いオレをかばって殺された。
ここでオレも殺されていたのなら、一家惨殺といったありふれた事件の一つとなっていただろう。
「……いってはいけないと思うんだけど、時雨ってよく生きていたね」
「それはオレも思っているんだけど、何故か記憶がないんだよなあ」
これは嘘である。本当は覚えているんだけど、二人には言いたくない。孤児院でずっと共同生活をして、家族同然な二人だからこそ、言いたくないのだ。
「……話を戻すよ」
咳ばらいを一つして、幸助がそういった。
「時雨、おそらくだけど、この世界は地球の中世当たりまでしか文明が発達していないと思う。魔法があるからわかんないんだけど、おそらくこの世界の武器といったら剣や弓といったものだろうね。……魔王がどんなものかわからないけど、討伐をするとなると戦いは避けられないだろう。時雨、本当に大丈夫なの?」
ようするに、刃物にトラウマがあるオレが刃物で戦えるのか心配なのだろう。
「大丈夫だ。問題ない……トラウマくらい、すぐに克服してやる」
微妙にフラグっぽいけど、やるしかない。
何もできないのは、もう嫌なんだ。
深夜、礼拝堂にて
金の刺繍の入った、白ローブを来た一人の男――教皇グリム・モルドールが祈りをささげていた。
6時間、それがモルドールが微動だにしていない時間である。日が落ちる前から、ずっと祈っているのだ。
「……神よ、それは事実なのでしょうか」
モルドールの口が初めて開かれた。その声は、どこか震えている。
部屋の中にはモルドール以外誰もいない。
「……仰せのままに」
再び発せられたその声には、覚悟を決めたような色が含まれていた。
読んでいただきありがとうございます
17/10/7 改稿版投稿しました