2、目覚めと始まり
夜明け前にグレイは目を覚ました。
彼はいつも早起きである。
流れるように顔を洗い、外に出て体をほぐす。
村の方角を見ながらストレッチをしている時、彼は異変に気づく。
地平線に見慣れない影がいた。
その影はこちらに近づいているのか、どんどん大きくなっていく。
グレイは目を擦り、もう一度ジーッと影を見つめる。
「あれは……、魔物か……!?」
グレイの判断は正しかった。
大きな魔物が住宅街の方へ迫って来ている。
彼はすぐさま家に飛び込み、家族全員を起こす。
魔物が来た時の対処は、一応だが決まっていた。
グレイが魔物を引き付け、家族を住宅街はずれの避難所に移す。
その間に誰か動ける者が、一頭だけいる年老いた馬に乗り、近くの村に助けを呼ぶ。
老いた馬の名はハース。
もともと家族の馬ではないが、いつ間にか一頭だけでこの地に残っていた為、面倒を見ている。
年老いているとはいえ、まだまだ人間より早く走れる。
気性も荒く、緊急時ならば騎手に関わらず、その力を十分に発揮してくれる名馬だ。
一番危険な役目を負うグレイの体は、採掘作業によって鍛えられているため、小柄ながら身軽で腕っぷしも強い。
小型の魔物程度なら対処しきれるが、今回の魔物は大きい。
村への移動時間も考慮すると、この作戦にあまり現実味はない。
「なんでまた、あんな奴がっ!」
ミリィがリートの体を支えながら逃げたことを確認すると、グレイは家から持ち出した鉄の剣を構える。
「ハイロ! ハースの準備は!」
「も、問題ないぜ。えっと、北門から抜けてウード村に行けばいいんだな!」
馬具をハースに装着したハイロが、青ざめた顔で手順を確認する。
手順と言っても、誰も試した事がないものだ。
「ああ! 魔物はこっちに向かってる! 急いで、でも無理するなよ!」
「兄貴こそ死ぬなよ!」
そういうとハイロはハースを駆け、北門から村へ向かった。
「……ふー」
寂れた住宅街に一人、グレイは佇んでいた。
精神を落ち着かせ、相手を確認する。
敵はよく見ると手負いだ。
頭部の角や肌に切り傷がついている。
そのことから彼はある推測を立てた。
(こいつ……、誰かから逃げてるんだ。その誰かは……、十中八九、新人冒険者! こっちに僕たちが住んでることを知らなかったんだ!)
手負いとはいえ魔物は強大。
しかし、グレイには逃げることは許されない。
家族が安全な位置に逃げ切るまでの間、敵の注意を引く必要があるからだ。
偶然、母が見つかってしまえば逃げることは困難だろう。
少年は迫りくる敵をグッと見据え、剣を構えた。
魔物も剣を構えるグレイに、一直線に向かいだしている。
とにかく、視界内の動く物は敵と捕らえているのであろう。
その魔物は上半身、特に腕が非常に発達した種類だった。
(脚だ! 脚を狙えば……)
グレイは迫りくる敵に突っ込む。
魔物はそれを見て、大きく腕を振り上げ、叩きつける。
その巨体から想像できないほど、魔物の振りは速かった。
しかし、グレイの動きはそれ以上に速い。
すでに攻撃をかいくぐり、魔物の足元まで潜り込んでいた。
「もらったぁ!」
叫び声をあげて、少年は魔物の脚に剣を振り下ろす。
ガキィン!!
大きな音を立て、剣が折れる。
魔物にはわずかな切り傷のみ。
戸惑うグレイに魔物が攻撃を仕掛ける。
すんでのところでそれを察知し、回避行動をとるグレイ。
しかし、横腹のあたりに攻撃を受けてしまった。
「うぐぅ……!」
彼は鈍い衝撃を受け、顔をゆがめる。
そのまま体が吹っ飛び地面に叩きつけられた。
しかし、すぐに立ち上がり、思案する。
(くっ……武器が無い。家の中には予備がある……でも、取りに行く隙はないし、効かないだろうなぁ……。こうなったら……!)
グレイは魔物に背を向け、走り出す。
走り出した方向には鉱山がある。
(採掘場なら道具もいくつかある。その上、足場も悪い。こいつの巨体ではまともに動けないはずだ!)
魔物も微かとはいえ、自らを傷つけた相手を放ってはおかない。
グレイを追い、魔物も駆けだした。
逃げるグレイと追う魔物の間は縮まらない。
走力は同程度。
そのまま、両者は鉱山に到達した。
自分に地の利がある場所に敵を誘い込み、幾分か表情に余裕が戻るグレイ。
しかし、その顔も長くは続かない。
魔物は足元に転がる岩を掴み、グレイに投げつけ始めたからだ。
魔物にとっては手のひらサイズでも、少年にとっては自分の頭以上のサイズの岩である。
何とか急所に当たることは避けつつも、じりじりと追い詰められていくグレイ。
(くそ……意外に頭がいい……。その大きな頭は飾りじゃないってことか……)
魔物の頭は脳が大きいわけではなく、それを守る頭蓋骨が大きいのだが、そんなこと今のグレイには関係ない。
頭部どころか、弱点である脚にすら攻撃は通らない。
(どうする……。ん! えっ、そこ……、か……?)
グレイは傷ついた体を奮い立たせ、何かに誘われるように採掘場で一番狭い坑道に逃げ込む。
それを追い、魔物も坑道へ入る。
坑道は狭い。
ここでは魔物も自慢の腕を振り回すことはできない。
しかし、彼には敵にダメージを与える手段がない。
このままでは、魔物に小突き回されて死ぬだけだ。
(なんでここに逃げ込んだんだっけ!? えっと、狭いからもあるけど……。それだけじゃなかったはずだ!)
走るグレイの前に、無慈悲にも行き止まりの壁が迫る。
彼は立ち止まらざるを得なかった。
絶望の表情で壁を見つめていると、あることに気づく。
壁の一部から、棒のようなものが付き出している。
グレイは藁にもすがる思いでその棒を掴み、引っこ抜こうとする。
先端が硬い岩に埋まっているのか、棒は抜けそうにもない。
魔物の足音がグレイの背後に迫ってきた。
「くうぅ! 攻撃が……攻撃さえ通れば何とかなるのに!! 抜けろ! 抜けてくれ!」
グレイは叫び声をあげ、必死で棒を引き抜こうとする。
抜けたところで、ボロボロの棒が状況を打開できるはずもない。
しかし、彼はまだ諦めていなかった。
その時、彼はその棒が何か、わかった気がした。
正確にはその棒の名前。
いや、その棒は棒ではないということを。
グレイはその名を叫んだ。
「力を貸してくれ! 『クレーアート』!!」
その瞬間、行き止まりの壁に金色のひびが入り、砕け散る。
壁の中から現れたそれは――ピッケル。
金色の光を発するピッケルであった。
魔物はその輝きに怯み、腕で目を覆っている。
「これは……、いったい? なんなんだ……」
引き抜いたグレイ自身もその輝きが眩しく、目を細めてそれを眺める。
先ほどは一部分しか見えなかった棒が、今はすべてが露わになっていた。
そのピッケルには美しい装飾が施されており、とても採掘現場で使うために造られたとは思えないほどである。
光に慣れ、うっとりと美しいそれを眺めていたグレイは、魔物の咆哮で現実に引き戻された。
魔物の方も光に慣れ、その目はグレイをしっかりと見据えている。
鼻息を荒げ、今にも襲い掛かってきそうだ。
しかし、彼は恐れなかった。
手の中にある輝きが、妙な自信と冷静さを与えている。
「いける……。勝てる! この輝きがあれば……」
自らに言い聞かせるようグレイは叫び、強く握りしめたピッケル――『クレーアート』を正面に構えた。