第四話
煌めくシャンデリア、翻るドレスは色の洪水。さざめく人々はその心を笑顔の下に隠して。
本日、抜けるような青空の下、王宮広場は解放され、王族がバルコニーに現れる一般参賀があった。
第二王位継承者、カールハインツの十六歳の誕生日。
王一家がバルコニーに現れると、人々は三ヶ月前に亡くなった王太子を思い出しそっとため息をつく。しかしすぐに、現王太子ジークムントの堂々とした姿に見惚れ、これからの王国に期待を馳せるのだった。
そして夜、カールハインツの祝いの宴が開かれた。しかし人々の関心は誰が新しい王太子の妃に相応しいか、誰が王太子の心を射止めるか。
招かれた貴族達は娘、親戚縁者を着飾らせ、場を華やかに彩る。その裏で、根回し、牽制、智謀策略、笑顔に皮肉を込めて、会話がなされる。
そんな、華やかながらも魑魅魍魎溢れる広間の片隅に一組の男女がいた。
一人は、栗色のふわふわした髪に緑の目、たれ目がちな甘い顔立ちの二十歳ほどの優男、紺の衣装は彼にしては地味で、隣の女性を引き立てる。
隣に立つのは、栗色の髪を結い上げ、細かな宝石で飾った若い女。
首元までレースで覆われ、夜会にしては露出の少ないドレス。薄桃色と白のそのドレスは銀糸や宝石で彩られ、シャンデリアの光を受け輝いている。
人々の関心を集める豪奢なドレス。だが、周りの人々は女を見ると眉を顰めた。
「なあ、エルマー」
女は周りの人には聞こえないよう小声で隣の男に話しかける。エルマーと呼ばれた男は僅かに眉根を寄せた。
「お兄さまと呼びなさい。なんだい? アリーセ」
「お兄さま、色の洪水に酔った」
アリーセこと、アリーセ・アレクシアーーアレクは顔を覆う扇の奥から呻き声を出す。エルマーは呆れたように嘆息した。
「そりゃあ、そんなもの掛けて会場見てればそうなるだろうな」
エルマーの視線の先、アレクの顔には顔を隠すほど大きな眼鏡がかけられていた。
先程からの人々の胡乱な視線はそのせいである。豪奢なドレスと野暮ったい大きな眼鏡の組み合わせはあまりにあり得ない。
「そんな事を言ってもこれがないと顔を隠せないのだから仕方ないだろ?」
「扇だけでは駄目なのか?」
「扇はたまに顔から離すからね。しっかり顔を隠せない」
「そもそも、隠さなくてもいいんじゃないか?」
エルマーは先程から思っていた事を口にする。
アレクが顔を晒したくない、目立ちたくないと言うのは分かっているのだが、これでは寧ろ目立っているというか、人々の心に悪い意味で印象に残るというか。
「顔を晒して、先の王太子に似ているなんて噂が立ったら面倒じゃないか」
「そうか? それよりその眼鏡の女はなんなんだという視線と釈明のほうが面倒だ」
「・・・」
アレクは無言で見つめてくる。最も眼鏡と扇のせいでどんな顔をしているのか分からないが。
「お兄さま。それより、妹が気持ちが悪いと言っているのだからここから連れ出してくれません?
ぐずぐずしてると勝手に外に行きますわよ」
「はいはい、分かったよ。お姫様」
機嫌を損ねていたらしい。
エルマーは嘆息し、絹の白手袋に包まれたアレクの手を取った。
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人のいないバルコニーに着くと、アレクは広間の光の届かない先まで行く。
満月のためバルコニーもかなり明るい。
しかし、広いバルコニーの先まで行ってしまえば広間からは顔は分からないだろうと、アレクは眼鏡を外して大きく息をついた。
「あー、疲れた。さっさと帰りたい」
眼鏡を外したアレクの顔は、化粧が施されているため多少印象が違うが、亡くなった王太子、アレクシスとよく似ていた。
整った顔立ちは冷たい美貌。中性的な顔立ちのため、女性らしい愛らしさに欠けるが人目を引く。
これで髪が白く、気の抜けた顔をきりりと正せばアレクシス。
それもそのはず、アレクシス本人なのだから似ているのは当然だった。
二十数年前、この国の王家は魔女により呪いがかけられた。
王太子は十八歳になる前に死ぬという呪い。
二人の王子を亡くし、悲嘆にくれる王家に、守り神である白蛇の姫が慈悲をみせた。
王の従姉妹の腹にいる子に魔女の呪いを跳ね返す力を与えると。
アレクを王の子という事にし周囲をあざむけと。
アレクは王の子として仮初めの王太子を演じ、自分も本当の王太子も十八歳になり、役目を終えた。
もう社交界へと出るつもりもなかったが、現在、兄と夜会にいる。
カールハインツの立派な姿を見て欲しいという王妃の泣き落としに、結局負けたのだ。
ふう、と溜息をつけば、幸せが逃げるとエルマーに小突かれる。
アレクはうるさいと肘打ちを返してやった。
「このドレスも脱ぎたい。きつい、苦しい、動きづらい。
今まで知らなかったけど、ご婦人方はすごいな、こんなもの着て踊って笑っているのだから」
アレクははーっと大きく息をつく。隣でエルマーがははっと笑い声を上げた。
「そんなに辛いのか、ドレスは」
「辛いね。エルマーも着てみればいい」
「冗談だろ。僕が着れるドレスなんかないさ」
「大丈夫だよ。エルマーぐらいの体型なら合うドレスは沢山ある。
なんなら僕のこのドレスを着てみる? 丈は足りないけど、コルセットで内臓が出るまで絞り上げれば入るよ、多分」
エルマーは背はほどほどにあるが、なで肩で細い。
女性にしては身長のあるアレクのドレスならば入る気がする。
アレクが紐をぎゅーっと引き締める動作をすると、エルマーは嫌そうに顔を顰めた。
「冗談言うな、そんな恐ろしい事を誰がするか。内臓が出たら死ぬじゃないか」
「おや、エルマーは知らないのか?
女性はドレスを着るためなら内臓の一つや二つ、絞り出すんだよ」
「うげぇ。僕は女性を尊敬するよ」
「だろう。だから代わってくれ。きっとエルマーに似合うよ」
「似合うか!」
「似合うって、僕よりずっと似合うよ」
「いやだね。誰が着るか」
とーーいきなり第三者の声が割って入った。
「俺はエルマーがそのドレスを着ていたら躊躇なく抹殺する」
「!」
誰もいないと思っていたところからの声に、アレクはすぐさまそちらを向く。
月明かりで明るいバルコニーの端に長身の男が降り立つところだった。
「ジーク、一体どこから」
白の布地に金糸をあしらった華やかな正装に、細身で装飾性の高い儀礼用の剣を下げたジークムントは、アレクの戸惑う声にふっと笑った。
「その辺りを伝ってきた」
ジークムントは無造作にバルコニーの向こうを指差す。
大広間は二階に作られており、下からバルコニーに登る取っ掛かりもないし、バルコニーとバルコニーの間も広く、常人には飛び越せない。
しかし身体能力において、常人とは一線を画くしているジークムントに常識は通じないのだろう。
「その辺りって?」
「向こうのバルコニーから飛んで伝って、また飛んで」
「・・・」
ジークムントは遠くに見えるバルコニーから上へ下へ指差すが、凡人のアレクには彼の辿った道程は思い描けなかった。
「・・・さすがは英傑ジークムント殿下だね」
「お褒めいただき光栄です」
ジークムントは笑みを浮かべると、胸に手を当て首を垂れた。
アレクはぎょっとして、広間のほうへと視線を向ける。
こちらを見ている者はいないようで、ほっとした。こんなことを誰かに見られたらどんな噂が立つか分からない。
「あれ? エルマー」
いつの間に移動したのかエルマーがいない。
「エルマーなら広間に戻った」
「ジークに挨拶もなしに? 何やってるんだ」
文句を言いつつ向き直れば、ジークムントはアレクのすぐ目の前にいた。
見下ろされ、じーっと顔を見られる。アレクは首を傾げた。
「なんだい? ジーク。僕の顔になにかついてる?」
「いや・・・」
曖昧に呟いたまま、ジークムントは黙ってしまう。
惚けた顔で微動だにしない。アレクが動かないジークムントに困惑していると、
「今日のあなたはとても美しい。人を惑わす月の女神・・・、誰にも見せずにこの腕の中に囲っておきたい・・・」
(・・・ジークの頭が沸いている)
何かに憑かれたように呟くジークムントの言葉に、アレクは無感動に心の中で呟きを漏らした。
「ジーク・・・大丈夫か?」
心配になってジークムントの顔の前で手を振ると、ジークはハッと正気に戻り、右手で顔半分を隠した。
「悪い、危なく・・」
「危なく?」
アレクが首を傾げると、ジークは顔を背けた。
「なんでもない」
「? 別にいいけどさ。それよりなぜここへ? 息抜きかい?」
「息抜きもそうだが、あなたが会いに来てくれないようだから、俺が来たんだ」
「ああ、そうか、悪い悪い。
陛下から無理に挨拶に来なくてもいいと言われているから、中央に行く気はないんだ。
今日は端で見てるよ」
「そうか。それは残念だな。
アリーセが社交界に顔を晒したくないというのは分かっているが、しかしせっかくの機会だ。
俺と一曲、踊ってくれないか?」
ジークムントは右手を差し出す。アレクはその手を上から叩いた。
「冗談だろう? ジークと踊るなんてとんでもない。
せっかく目立たないように端でじっとしてるのに、ジークと踊るなんて一番の注目の的だ」
ジークは叩かれた手を見て、眉根を下げる。
「広間でなんて言わない。ここで、ほんの少しでいい。踊ってくれ」
再度の懇願にアレクは渋々折れた。
「たぶん足を踏むよ。女性パートは慣れていないから」
口を尖らせたアレクの言葉にジークムントは嬉しそうに笑みを浮かべた。
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