第三話
本日二話目。
「おわっ」
大通りを抜け、開けた広場に差し掛かったところで、エルマーは声を上げ、仰け反った。
アレクもびっくりして足を止める。
空から人が降ってきた。
アレクはその人物を確認する前に思わず、上を見た。
建物は離れているし、木から飛び降りたのなら真上から垂直に落ちては来まい。生憎と木とも距離があるのだ。
どこから来たのか全く想像もつかず、首を傾げる。
「アリーセ」
降ってきた人物は平然たる様子で立ち上がり、アレクを呼んだ。
黒い服を身に纏った長身の人物は、アレクの前にいるエルマーは無視しーーというかどかしてーーアレクの前に立った。
焦げ茶色の髪に薄い青の瞳、整った顔立ちの青年は、その空から降ってきた突飛な行動だけでなく、外見も目立つ。
夕方とはいえまだ日は明るく、人の目に晒されて、一にも二にも正体を隠さねばならないアレクは内心で呻いたが、そこは元王子、表に出すことなく目の前の人物に礼をとった。
「ジークムント殿下におかれましては、ご機嫌麗しく」
「・・・・」
頭を下げていたので顔は分からないが、ジークムントが動きを止めたのは分かった。
顔を上げてみれば眉間にくっきりと皺を寄せている。
「アリーセ、俺はあなたに殿下なんて呼ばれたくない。
その呼ばれ方をすると、なんだかあなたが遠くなった気がする」
ジークムントはアレクのことを先ごろからアリーセと呼ぶ。
アレクーーアリーセ・アレクシアの名前に間違いはないが、男の格好の時はやめてもらいたいものだ。
「そう言われましても殿下は殿下。目下の者が呼び捨てにはできかねます」
アレクは笑顔で返す。ジークムントの眉間の皺がさらに深くなった。
「目下の者などと・・・、あなたは俺のことを今まで通りジークと呼ぶと、二週間前に約束した筈」
「そうでしたか?」
アレクがとぼけると、ジークムントの皺はさらに深くなる。定着しないか心配だ。
「しかしあれは、もうあなた様とお会いすることはな・・・」
「わーー!!」
アレクの言葉の途中で、エルマーが急に大声をあげる。
わー、わー、とひとしきり声をあげてから、アレクを睨みつけた。
その顔は『絶対言うなと言っただだろうがっ』と言っていた。
「えーっと、わたくしは臣下の娘ですから。
あまり馴れ馴れしくするわけにもいかないのです。まあ、こんな格好の時になんですけど」
アレクは軽く肩を竦める。
アレクの現在の格好は男物。
栗色のカツラも毛先は短いし、顔を隠す眼鏡をかけているので女には見えない。
ジークムントはこれ以上ないほどに眉間に皺を寄せ、呻くような低い声を出す。
「・・・ 二週間前、俺の求婚を断った後、友人として付き合ってくれると言っていたのは嘘なのか?」
「嘘ではありません。でも、それとこれとは別です」
「友人ならば、ジークと呼んでくれ」
「なりません」
アレクが首を振り言うと、ジークムントは目を瞑った。
ジークムントがなぜすぐに戻ってきたのか分からないが、アレクは次に会った時は臣下の娘としての線引きをしっかりしようと決めていた。
もう兄弟ではなく、王族と臣下の娘なのだから。
しかしジークムントはそんなアレクの考えを真っ向から突き崩す。
ジークムントは目を開けると、
「あなたがジークと呼んでくれないなら、私もあなたの言うことを聞きません。
あなたのことを昔のように兄上と呼び、敬いましょう」
口調や態度を一変させたジークムントを、アレクは困った顔で見上げる。
「ジークムント殿下、無茶を言わないでください」
「言わせたのはあなたです。あなたが約束を破るから」
「そう言われても。
もう立場が違うのですから、線引きは必要でしょう?」
アレクが肩を竦めて軽く言うと、ジークムントの目がすっと細まった。
「そうですか。ではやはり、あなたを王宮に連れ帰る事にします」
アレクはぎょっとした。
「なにを言っているのですか?
それは終わった話でしょう。あなたも納得した筈です」
「さあ? 約束を破られたショックで忘れました。
戻りましょう。また担ぎますよ」
ジークムントが伸ばす手からアレクは跳びすさって、エルマーの後ろに逃げた。
この会話は二週間前にもした。さらにその時ジークムントに荷物のように担がれた。
アレクが忘れようとしている過去をほじくり出すとは、ジークムントも案外性格が悪い。
「ジークムント殿下、お戯れはおやめ下さい」
「私は本気です。
あなたが私と距離を取るというなら、手段を厭わずその分以上距離を詰めます」
青い瞳で冷たく見下ろされ、アレクはぐうと唸る。
(あれー、おかしいなー。
ジークはいつも口数少なくて大人しい子だったから、今回もすぐ引いてくれると思ったのに)
ジークムントの今までの印象とのあまりの違いにアレクは首を捻るが、事実はなんてことはない。
今までジークムントはアレクの前では巨大な猫を被っていた。
今はその皮がほんの少しめくれただけである。
取り繕っていないジークムントの怖さをアレクはまだまだ知らない。
アレクは自分で何とかするのを諦め、兄を見上げた。
「エルマー、なんとかしてくれ」
「いや、おまえが約束を破るのが悪いんだろ?」
「そうだとしても! なんとかしてくれ。
エルマーはジークムント殿下の一番の親友だろう?」
「いや、一番というか」
ただ単に、傍若無人なジークムントの近くにいられる人間が少ないだけである。
「頼んだよ、エルマー」
「あー、えーと」
エルマーは二人に挟まれ、冷や汗を垂らした。
可愛い妹とその背後に控える恐い兄たちにつくか、友人であり自分の弱みを掴み、さらに自分が結婚しないうちはエルマーの結婚を潰すと脅してくるジークムントにつくか。
「あー、名前ぐらい呼んでやればいいんじゃないか? ジーク様本人が望んでるんだし」
取りあえず今は、目の前の脅威に屈服した。
アレクは『裏切り者』と目で訴えてくる。エルマーはつつっと目を逸らした。
「ジークムント様」
譲歩したアレクの声は不機嫌が滲んでいた。しかし、ジークムントは納得しないようで首を振る。
「ジークです」
「・・・・ジーク様。この辺りでお許しくださいませんか?」
「嫌です。ジークと呼んで下さい。敬語もいりません」
「・・・・」
エルマーの後ろに張り付くアレクは小さく息を漏らした。
「分かった。なら、ジークって呼ぶし、敬語も使わない」
「分かってくれましたか」
ジークムントは珍しく声を弾ませる。
エルマーはその様子に珍しいものを見たと思わずにいられなかった。
普段のジークムントは笑う時は口の端を上げてにやりと笑うか、鼻で笑うか。
どちらにしても相手を小馬鹿にした笑みが多い。嬉しそうに笑うのはあまり見たことがない。
そして、低くなったアレクの声に、嫌な予感が胸を掠めた。
アレクは王宮にいた時はもの静かで微笑を浮かべる儚げな王子を演じていたが、蓋を開けるとじゃじゃ馬で子供っぽい。
それは親しい人間といる時は顕著で、王都から離れて気が抜けているからか、エルマーの前だからか、その蓋は全開だった。
「そのかわり、ジークにはもう会わない。会わなければ、どう呼ぼうと勝手だろう」
そう言って、ふんっと顔を背ける様は、まさしくお子様で、気が抜けまくっている。
裏を返すとリラックスしていて、相手に気を許しているのだが、ジークムントにはそこまで思い当たらないだろう。
言われた当人は目を見開いて固まっている。
求婚を断られてもなんとか友人という名目で近づこうと画策したのに、それがあっさりと崩れてしまえば呆然とするだろう。
またも珍しいものを見たと動かないジークムントを観察するが、そろそろ止めた方がいいかもしれない。
なにせ、今固まっているのは、英傑ジークムント。
軍事において国の守護であり、魔獣殺し。
唯我独尊、逆らうな危険、と呼ばれている人物なのだから。
「あー、ジーク様? 取りあえず屋敷に戻ろう。アレクも、あまり目立ちたくないだろ」
「そうだね。じゃあ僕はあっちに馬を預けてあるから」
アレクは広場の右の方を指し示す。
「ジーク様も馬だろう。一緒に・・・」
エルマーが言うと、アレクは冷たい目でジークムントを見やった。
やっと動き出したジークムントがまた止まる。
やめれっと、エルマーは心の中で叫んだ。
ジークムントの普段見ることのない姿を見るのは面白いが、さすがに可哀想すぎる。
好きな女に会わないと言われた挙句に冷めた目で見られるなんて。
さらに言うと、アレクはジークムントを男として意識していない。
もちろん求婚もなかった事にされている。
もうジークムントが可哀想で可哀想で、ここ何日か爆笑していたが、そろそろ、そうも言ってられない。
「アレクは馬車で帰れ。僕が馬を引き取るから。
ジーク様の馬はどこだ? あっち? なら先に僕が馬をとってくるから、ジーク様はここで待って・・、っちょ、ジーク様、アレクの後を追うなよ。冷静になろう、お互いに」
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部屋はシーンとしていた。
重厚な焦げ茶色の家具が並ぶ応接間。
上座の奥の長椅子に王太子ジークムント。向かいの長椅子にはバークリー侯爵家の兄妹、エルマーとアレクが座っていた。
王妃マクダレーナからの書状に目を通していたアレクは、読み終わるとそれを丁寧に折りたたみ、テーブルに置いた。
「王妃殿下は、ひと月後に行われるカールハインツ殿下の16歳の祝宴に、僕を招待したいんだって」
通常ならば、侯爵の娘を招待したいならば侯爵に王家から招待状を出せばいい。
そこに一言書き添えれば、侯爵は娘を伴うだろう。
しかしアレクの場合、王と侯爵の間での話で、アレクが社交界に出るも出ないも自由、さらに言うならどんな生き方をしようと自由とされている。
王家からは秘密裏に年金が出ており、アレクは王の庇護下にある。
だから王妃マクダレーナといえども、アレクを無理に社交界に引っ張れないのだ。
と、いうことで、手紙の内容は泣き落としだった。
『カールハインツが16歳になって、これから立派な大人になる門出を一緒に祝ってほしい。
あなたも弟の立派な姿を見たいでしょう? せめて、一目だけでも立派になったカールハインツを見てあげて。うんぬんかんぬん』
アレクは顔をあげて、ジークムントを見た。
「王妃殿下には、祝宴には参加しないけど、近々伺いますと、伝えてくれ」
「祝宴に出ないなら、なにをしに王都へ? 母に会うだけの為ですか?」
「陛下に用があるんだ。だから王都に行って謁見を申し込む。
父さまに許可をもらってから王都に行くから、少し先になるな。
たぶん、父さま達が祝宴に参加のために、王都へ行く為の馬車に乗せてもらうことになる」
「陛下に用とは?」
ジークムントは眉を寄せる。
「それはこっちの話。君には言えない」
「また、私は仲間はずれですか?
何か困ったことがあるなら私が相談に乗ります。いつでも言って下さい」
「ありがとう、いつか会うことがあったら頼らせてもらうよ」
「!」
アレクの言葉にジークムントは顔を強張らせ、エルマーが嘆息する。
「まさか、もう会わないというのは本気ではないですよね?」
「知らない」
伺うようなジークムントの言葉に、アレクはふいっと顔を逸らした。
「あ、ああっと、アレク。取りあえず王都には行くんだよな。
王宮に行くんだから、会うこともあるよな」
絶望的な顔でアレクに手を伸ばそうとするジークムントを遮るように、エルマーが慌てて声をあげた。
「謁見に行くんだ。
祝宴に出ないし、なるべく顔を晒したくない。
男としては勿論だけど、女としてもね。秘密裏に行って帰ってくるつもりだ」
「秘密裏にってどうやってだ?
侯爵令嬢が陛下に謁見したら、 まあ父さんに着いて行くにしても、多少は噂になるだろう?」
「アリーセとして行けばね。
父さまの侍従ってことで、変装して着いて行けば誰も気にしないよ」
「ああ、そうか。変装して行くのか。
なら王都で出掛けることもできるな」
エルマーはジークムントに目配せした。ジークムントはそれを読み取って頷く。
「アリーセ」
「なに?」
「王都に来たら案内したい場所がある。
よかったら一緒に・・」
「嫌だ」
アレクはバッサリ切り落とす。
絶句したジークムントは助けを求めるようにエルマーを見た。
その目の必死さに若干引きつつ、エルマーはそっぽを向くアレクを窘めた。
「アレク、いい加減にしてやれよ。ジーク様が可哀想だろ。
僕はこんなに凹んでいるジーク様を見たことがないぞ」
「ジークが悪いんだ。終わった話を蒸し返すから」
「そもそもおまえが約束を破るのが悪いんだろ」
「そうだけど。
だからって、王宮に連れ帰るとか担ぐとか。冗談でもむかつく」
「まあ、それはジーク様も悪いが・・」
エルマーは横目でジークムントを見た。
ジークムントは頭を抱えていた。
むかつくと言われたことにショックを受けたのだろうか。
エルマーはチラリと思う。国の英傑ジークムント。
国で、一、二を争う剣の使い手。今なら殴って簡単に倒せるのではないかと。
そしてもう一つ、想像したくないが、国の勢力ピラミットの次代の頂点は、王になるジークムントではなく自分の妹ではないかと。
嫁の尻に敷かれる王。そんなものは見たくない。
「とにかく、ジーク様も反省してるんだから、許してやれよ、な」
アレクは胡乱な目をジークムントに向ける。
だからやめれって。好きな女にそんな目を向けられたら、女と違って繊細な男は立ち直れない。
「もう王宮に連れ帰るとか、兄上と呼ぶとか言わないのなら、さっきの言葉は取り消すけど・・」
「言わない。だからもう会わないなんて言わないでくれ」
言い募るジークムントを見てーー未来の王が王妃に頭を下げている図が浮かんでしまい、エルマーは必死にその不敬過ぎる想像を打ち消した。
お読みいただきありがとうございます。