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第二話

「こんの宿六!! 大金持ちになってあたしに楽させるって言ってたくせに大嘘つき!! こんの腐れ亭主が!!」

「なにおう! てめえ言っていい事と悪いことがあらあな!!

てめえだって昔は細っこくて可愛かったのになんでえ、その腹回り!

子供でも腹にいるのか、誰の子だよ!」

「なんだってえ! あんた言っちゃあならないことを言ったねえ!」

「おう、言ったさ! それがどうした!!」


さして大きくもない街の下町、昼時を過ぎた食堂では、店の名物女将が亭主と派手な喧嘩を繰り広げていた。

共に50歳を過ぎた二人。

ふくよかで人の良さで親しまれる女将はフライパンを持ち、鬼の形相。背は高くないが筋肉ダルマの亭主は銅鍋とお玉で威嚇する。

一触即発の緊迫した事態だが、近所の人はさして気にしていない。

それは何時ものことで、なんだかんだいっても仲のいい二人だ。夫婦喧嘩は犬も食わない。


そんな中、一人の少年が店の扉をくぐった。

十代後半の少年は、肩までの栗色の髪、眼鏡の奥の瞳は鮮やかな緑色。

眼鏡でよく分からないが整った顔立ちは育ちの良さが滲み出ている。

仕立ての良いシャツにズボン、ジャケットにブーツ。

見るからに場違いな、いい所の坊ちゃんは気負いもなく二人に対して、手を上げ挨拶した。


「こんにちは、お二人とも。賑やかだね」


かけられた声に、今にも飛びかからん勢いで罵り合っていた夫婦は動きを止める。

少年を見とめると、女将は顔に手を当て、喜びの声をあげた。


「まあまあ、アレクちゃん! 久しぶりじゃないか!

あんまりにも見かけないからおばちゃん心配してたんだよ!」

「おう、坊主! 元気そうじゃねえか! 1年ぶりか?

いい所の坊ちゃんがこんなところに来れねえのは分かるが、たまには顔出せよ!

こいつが心配で俺に当たるんだよ」


気のいい夫婦は少年ーーアレクに満面の笑みを向ける。アレクも笑みを返した。


「ごめんね。おじさん、おばさん。僕も来たかったんだけど、いろいろあってね」

「まあ、いいさ。来てくれるだけありがてえよ。

いつものもう一人の坊主はどうした?」


亭主が椅子に腰掛けながら問いかける。

女将は厨房へ入っていった。なにか出してくれる気なのだろう。

アレクは亭主の向かいに座った。


「ラドは故郷に帰っちゃったんだ。もう会えないと思う」

「そうかい。そりゃあ、寂しいな。

お前さんらは一緒に冒険してたもんな。いい所の坊ちゃんが下町をうろうろ。

5年前に初めて見かけた時は、いつ誘拐されるかと気が気じゃなかったぜ」

「そうだね。昔は何にも知らなかったからね。

見るもの触るもの珍しくて、うろうろしてたらおじさんに思いっきり説教されたね」

「あたりめえだ。

ラド坊はまだ道理を分かっていたが、お前さんときたら世間知らずもいい所だったぜ。

金も知らねえ、食べ物や品物が降って湧いてくると思ってやがる。

ちょっと脅せばもう来なくなると思っていたのに、また街で見かけた時は自分の目を疑ったね」


亭主は両方の手を顔に当て、指で目をぐわっと開く。

アレクはそれを見て、思いっきり噴き出した。

亭主はアレクに会うたびに色々な変顔を披露する。

昔、アレクが亭主の変顔にあまりにも驚いたことが面白かったらしい。

アレクとしても普段自分の周りにいる人間は絶対にこんなことをしないので、新鮮でいつも大笑いする。

それに亭主が張り切るという無限のループだ。


「おやめ! アレクちゃんに変な顔を晒すんじゃないよ!」


厨房から戻ってきた女将は、コップに果汁を入れて持ってきてくれた。

アレクが初めてこの店に来たのは、13歳。それから5年経っても子供扱いだ。アレクが華奢で男らしさがまるでないのもその要因かもしれない。

女将も同じテーブルについた。


「アレクちゃん、ちゃんと食べてんのかい? 細っこいねえ。いくつになった?」

「この間18歳になったよ」

「18⁉︎ 」


女将は目を真ん丸くする。


「18歳なのにこんな細っこくちゃ心配だよ。男の子なのに潰れそうじゃないか」

「ひどいな、おばさん。これでも剣で鍛えてるんだよ」


アレクは苦笑して力瘤を作る真似をする。向かいで亭主ががっはっはと笑った。


「全然ダメだな。力瘤ってのはこう作るんだぜ」


向かいで、亭主が両腕を曲げて力瘤を作る。薄い布越しに筋肉が盛り上がる。

「おおっ」とアレクが感嘆の声をあげると、女将が亭主の頭を引っ叩いた。


「おやめ、筋肉亭主! アレクちゃんがあんたみたいになったらどうするんだい!」

「いいじゃねえか。アレク坊、俺みたいにならねえと女にもてねえぜ。いっぱい食って筋肉つけな!」

「ふざけんじゃないよ。アレクちゃん、ほどほどに鍛えるんだよ。

せっかく綺麗な顔をしてるんだ。こんな筋肉ダルマになっちゃだめだからね」

「なにおう! てめえ、亭主に向かって筋肉ダルマとはなんて言い草だ!」

「筋肉ダルマを筋肉ダルマと言ってなにが悪い! たまには筋肉じゃなくて頭を使いな!」

「なんだとう!」


二人は再びいきり立つ。アレクは二人の間に手を挟んで、まあまあと宥めた。


「落ち着いてよ、二人とも。仲がいいのは知ってるけど、喧嘩は良くないよ」


二人は一応口論はやめたが、ふんっと、お互いそっぽを向いた。

アレクは苦笑を隠しきれない。この二人は本当に仲がいい。


「アレクちゃん、ゆっくりしていけるのかい? なにか作ってあげるよ。うちの料理も久しぶりだろ」

「あー、ごめん。あまりゆっくりしてられないんだ」

「またあの兄さんが捕まえに来るのかい?」


女将は、ははっと笑った。

今まで何度となく家を抜け出しているアレクだが、一度この店にいる所を見つかっている。

その場で頭に拳骨をもらい、担がれて帰るという醜態を見せた。


「あの兄さんは今家にいないんだけど、他の兄さんがいるからね。

抜け出したのがバレるとやっぱりまずいんだ。だから、今日は顔を見せに来ただけ。

これから幸福堂って店に行かなくちゃいけないから」

「幸福堂って、ルー婆さんがやってる怪しい薬屋だろ?

そんなところに何の用だい? アレクちゃんみたいな子はあまり近づかない方がいいと思うけどねえ」

「そうだな。あまりいい噂は聞かねえし」


幸福堂は魔女に繋がりのある老婆のやっている店、という噂がある。

老婆が扱う薬は目玉が飛び出るほど高価だが、それに見合う効き目があると評判で、様々な怪しい薬を頼む、貴族や金持ちが後を立たないとか。


二人の怪訝な様子を察して、アレクは瞬時に思いついた理由を説明する。


「父さんが最近、薄毛を気にしていてね。だいぶ禿げ上がっちゃったんで、一か八かで噂のよく効く薬に頼ってみようって」


嘘である。アレクの父親はふさふさだ。


「怪しい薬に手を出すってことは相当気に病んでんだな。おまえさんの親父さんは。

だからって、息子に行かせるとはふてえ野郎だな」

「みんなには内緒だからね」

「だからって子供に行かせるか? そんな怪しい店へ。その親父、一発殴ってやりたいね」


亭主は向かいで、重い一発を自分の左手に入れている。隣で女将もうんうんと頷いた。

アレクは脳内で父親に向かって謝罪する。父親は自分の預かり知らぬところで評判が下落してしまった。

ただ、面前の二人はその父親がこの辺りの領主だとは知らないが。


「アレクちゃん、あたしが代わりに行ってあげようか?

ルー婆さんの店はそれほど遠くないけど、子供が行くにはちょっと良くない地域だからね」


やはり女将の中では自分はまだ子供らしい。アレクは苦笑した。


「大丈夫だよ、場所はさっき聞いたし。一人で行けるよ」

「そうかい? でも一人じゃ危ないよ。やっぱりついて行ってあげるよ。

あんた、夜の仕込み任せていいかい?」


女将は早々に立ち上った。そのまま本当に着いて来そうな様子に、アレクは慌てて立ち上がった。


「いいよ、女将さん。そこまでしてくれなくても」

「なに言ってんだよ。子供が遠慮なんてしなくていいんだ」

「でもこれから忙しい時間だろ? 悪いよ」

「いいってことよ。たまにはかかあの顔を見ないで済む時間も欲しいさ。連れてけよ」


亭主が手を振りながらにやにやと笑みを浮かべる。女将がそれを軽く睨み、


「そうだよ、あたしだってたまにはこの筋肉亭主から離れて気晴らししたいさ」

「なんだと、このおかちめんこ!」

「言ったね、このひょっとこ親父!」


再び言い争いを始めた二人を宥め、アレクは仕方なく、女将と幸福堂に向かうこととなった。

そして無用の毛生え薬を手に入れてしまったのだが、これどうしよう?



✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎



ぎぃっと軋む音を立てて、その扉は開く。

店内は薄暗く、薬草と香料と、色々なものが混ざった独特な匂いを醸している。


幸福堂に女将と寄った帰り道、アレクは女将と一緒に少し街をぶらつき、買い食いをして、亭主へのお土産に菓子を買い、二人は別れた。

今度はウチにご飯食べにおいでと言ってくれた女将に笑顔で別れを告げ、アレクが来たのは、先ほど後にしたばかりの幸福堂だった。


奥から背筋のしゃっきりとした、灰色の髪の老婆が出てくる。

きちんと纏められた髪に黒の足元まであるワンピース、ベージュのショールをかけた姿は、歳を重ねた普通の婦人だった。

店の女主人の老婆は、笑みを浮かべてやって来た。


「なんだい、坊ちゃん。用事は済んだんじゃないのかい?」


老婆は言いながら、店内にある粗末な応接セットーー古びたテーブルに、椅子が4脚ーーにアレクを促した。


「さっきの毛生え薬、返品出来ないかな?」

「出来ないね。ウチはどんな理由だろうが、金は返さない」

「そうか」


きっぱりと言われ、アレクは項垂れた。出費が痛い。話に聞いた通り、ここの薬は高かった。


「そんなことより、本題に入ろうじゃないか。あんたがウチに来たのは買い物の為じゃないだろ、王子様」


老婆の言葉にアレクは背筋を正した。


「分かってた?」

「さっき店に来た時からね。

それなのに毛生え薬をくれなんて言うから、どうしようかと思ったよ。

まあ、折角だからいいやつを売ったけどね」


老婆はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。アレクはそれに口を尖らせた。


「分かってたんなら毛生え薬を返品させてくれてもいいじゃないか。僕、他に欲しいものがあるのにもうお金がないよ」

「またくればいいじゃないか、今度はおまけしてやるよ」

「そうそう来れないんだよ。今日だって、やっと抜け出して来たのに」

「王子様をやめても自由になれないか。そりゃあ難儀なこって」


老婆の揶揄するような言葉にアレクは眉を顰める。初対面なのに遠慮もなにもない。


「王子様ってのはやめてくれないか。僕はアレクだ」

「お互い名乗りはいらないさ。あたし達は関わりのない人間。今日が過ぎれば二度と会うことはない」


老婆は真っ直ぐにアレクを見る。アレクもそれを受け止め、頷こうとしたが、老婆によって遮られた。


「そう思ってたんだけどね。どうやら事情が変わったようだ」

「どういう意味だ?」

「まずは当初の用件を済まそうじゃないか」


老婆の促しに、アレクは怪訝に思いながらも、傍らにおいた革の袋をとった。

中から一振りの短剣が出てくる。

鞘は金で装飾が施され、柄に緑の宝石が嵌め込まれた美しい短剣。

アレクはこれを返す為に、訪れた。

最も返す相手は本当は違う人物。目の前の老婆に託すだけだが。


「やっぱりね」


老婆は短剣を一目見ると、目を伏せ、息を吐き出した。それは長く重い息だった。


「あたしにとっちゃ、嬉しいことでもあるが、なんとも複雑な気分だね。あの人はたぶん、生きている」


老婆はその皺だらけの顔をアレクに向けると、重々しく告げた。


「あんた、まだ自由になれないよ」



✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎



「お前は、アホか⁉︎」


ごすっ。

声とともに降ってきた拳はアレクの頭を外すことなく、打ち付けた。


「いっだぁ」


アレクは頭を抱えて蹲る。

街の雑踏の中、声をかけられ振り向けば、そこにいたのは一つ年上の兄、エルマー。

栗色のふわふわした髪に緑の目、たれ目がちな甘い顔立ちの男を確認し、あっと声を上げる前に拳骨をもらった。

エルマーにもらうのは初めてで、力加減が下手なのか、他の兄よりも痛い。


「なにするんだ、エルマー」

「なにするんだは僕の台詞だ! 心配しただろうがっ! っというか、なぜ黙って出かける!

ちゃんと言ってから出かけろよ」


エルマーは言いながらアレクを大通りから路地へと引っ張っていく。

その後ろには背の高い従僕が一人。路地に入ると、従僕は路地の前に立ち、表を見張った。


それを横目で見ながら、アレクはエルマーに向き直った。

普段、軽薄軟派を信条とするエルマーだが、怒っているようでアレクの前で腕を組んでいる。


「だからって殴ることないじゃないか。

黙って出ていったのは悪かったけど、この格好だから表から出て行けなかったんだよ」

「だとしても、せめて僕に一言言って行け」

「悪かったね。エルマーに断りをいれるっていうのは思いつかなかったから」


アレクの悪びれない様子に、エルマーの額にぴきりと青筋が浮かぶ。


「お、ま、え、なぁ。

もしお前が出かけていって怪我したり、帰ってこなかったりしたら、僕がシュテファンたちに責められるんだぞ!

勝手に出かけるな! せめて護衛を連れて行け! 頼むから」

「だって、僕の護衛なんて、今はいないじゃないか。

いたとしてもラドのように自由にさせてくれるとは思えないし。

だから僕は一人でいいよ、この辺りは慣れてる」

「いい訳あるかっ! さっさと帰るぞ!」


エルマーはアレクの手首を掴み、路地を出る。


「ちょ、エルマー! 僕まだ行きたいところがあるんだけど」

「知るかっ、今屋敷は大変な騒ぎだ。

王太子殿下が訪ねて来たのに、肝心のおまえがいない」

「え? 殿下、また来たのか? 帰ったばかりなのに?」


王太子ジークムントは二週間ほど前に、嵐のように来て去っていった。

王都からこのバークリー侯爵領バッヘムまでは馬車で7日ほど、騎乗だとしてもトンボ帰りだ。


「ジーク様と愛馬テオにかかればこの辺りも庭のちょっと先ってところだろう。

彼の方も馬も特別だからな」


エルマーは嫌そうに顔を顰めた。

嫌そうにする意味が分からず、アレクは首を傾げる。


確かにジークムントは特別な存在だ。

だがそれは疎まれる意味ではない。

人とは一線を画する身体能力を有するジークムントやアレク達の兄ーークレメンスなど『恩恵を受けし者』は、国にとって有益な者だ。

先だって亡くなった前王太子アレクシスのように信仰を受ける者ーー王家の守り神、白蛇の姫の愛し子ーーではないが、少なくても疎まれるものではない。

兄の様子の意味が分からず首を傾げていると、エルマーはブツブツと零した。


「あんな性格の人間に特別な力なんて与えるなよ。たちの悪い」


その言葉にもアレクは首を傾げる。意味が分からない。

あんな性格とは?

アレクが知る限り、ジークムントは実直な好青年だ。

アレクが兄でも男でもないと知った二週間前はちょっと暴走していたが、概ね好青年の筈だ。


エルマーはブツブツ言いながらもずんずんと歩を進める。


「殿下、何の用だって? 僕を探してたってことは僕に用事?」

「王妃殿下の書状を持って来たようだが、一番はおまえのご機嫌伺いかな」

「はあ?」


意味が分からずアレクは素っ頓狂な声を上げる。


「なんで僕が殿下にご機嫌を伺われるんだ?

今では殿下の方が立場が上だし、なにより、僕もう殿下に会うつもりなかったんだけど」


エルマーはピタリと立ち止まり、体ごと振り返った。眉間に深い皺が刻まれている。


「頼むから、ジーク様の前でそれを言うなよ。絶対に言うなよ!」


エルマーは言うだけ言うと、またずんずんと歩を進める。

アレクは全く意味が分からず、取りあえず、エルマーについて歩いた。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




「あんた、生きてるんだね」


薄暗い部屋の中、粗末な椅子に座り、老婆は手元のカメオを撫でた。

カメオには女性の横顔が掘ってあり、髪飾りのように緑の小さな石が嵌め込んである。

老婆はその石をひと撫でし、


「まさかとは思ったけど、やっぱり生きてるんだ」


重い息を吐く。立ち上がる際、椅子がぎぃと不快な音を立てた。窓際により、外を眺める。

まだ明るいが、やがて日は陰り、夜がくる。


「あんたが生きてるってことは、あの女も生きてるって事だ。

どうしてそうなったのか知らないが・・・、あまりいい予感はしないね」













お読みいただきありがとうございます。

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