出立
今日、軍事司から降りて来たのはエザレツカ帝国からの依頼だった。
北方に位置する、極寒の永久凍土の地。不毛の地故に、生き残る為の知恵に長け、数代前の王制から農業に於いては世界一とも言える技術力を備えており、不思議と質も世界一。
異民族からの国土侵略に手を焼いているようで、ついに最高峰戦力を投入した依頼をしてきた。
「エザレツカ帝国に侵攻する異民族の殲滅が今回の任務です」
ロブが指令書を読み上げながら、指令書と共に届いた地図を広げ、駒を置く。
「今回は第二騎士団のグイド副団長と部隊員五名との合同任務になります」
「へぇ?グイド部隊とねぇ?」
ビッテが苦笑いする。
「クライバーンとビッテはグイドと同期だよな?」
「あぁ、今はほとんど交流はねぇけど」
グイドは少々お堅い騎士だ。ビッテとは真逆で、見習いの頃は寄宿舎でもガミガミ言われていたが、クライバーンと共に二強と呼ばれるようになって以来は、多忙さから顔を合わせる機会が減り、二人は第一騎士団へ昇格配属されている。
現在ではせいぜい式典や国王の護衛で顔を合わせる程度で、ゆっくり昔話などする事もない。
「出立は明日だそうです。今日は準備に当てて、早く休みましょう。特にビッテ」
ロブに釘を刺されたビッテがやる気なさげに返事をすると、カルナバはさっさと自宅に帰った。ビッテもだらだらしながら出て行く。
「僕も一度帰って準備したら、今日は団室に泊まります。グイド副団長は夕方、打ち合わせの為にこちらに来るそうですので」
「ありがとう、ロブ」
「いえ。シーヴァはクライバーンの準備、お願いします」
「了解よ」
そうしてロブも一旦、団室を出たので、シーヴァはまず自身の準備を始めた。
行き先は寒冷地。鎧は雪中戦を前提に白銀のそれを用意し、インナーも防寒対策をする。ブーツインナーやグローブもそれに揃え、佩く小剣も装備が厚くなる事まで考慮して選ぶのだ。
何より寒さには弱いシーヴァは、寒冷地装備には特に気を遣う。長期任務になる事を想定して用意を進めれば、やはり荷物量が多くなるのは仕方がない。
自身の準備を終えると、すでに昼が近い。自室を出て団室へ向かうと、ロブがすでに戻っていた。
「ちょうどよかった…食事を用意するから、クライバーンの方をお願い出来ない?ロブも食べるでしょう?」
「了解です!是非ともお願いします!」
昼食は肉と野菜をたっぷりバランスよく摂れる、サンドイッチとポトフ。豪快に肉を焼いて、葉物野菜とサンドする。ポトフには根菜類にソーセージがたっぷり入っていて、クライバーンが気に入っているメニューでもある。
食卓に三人分の昼食を並べていると、ドアノッカーの音が響く。
「第二騎士団グイドだ。任務の打ち合わせに伺った」
予定より早く来てしまったらしい。溜め息一つでシーヴァが扉を開いた。
「…っ⁉」
褐色の肌の男がシーヴァを見下ろして驚く。
「…どうぞ」
構わず扉を開き、彼女は打ち合わせしながら食べられるように食卓を整え直す。
「グイド副団長、食事は?」
「…何故、女がここにいる?立ち入り禁止のはずだ!またビッテの関係者か⁉」
シーヴァはグイドとは初対面だ。騎士同士で顔を知らない事は他団ならよくある話で、女性騎士がいるのは知っているだろうが、目の前の彼女がそうだとは思いもしていないようで。そして彼女また一つ溜め息を付くのだが。
「クライバーンとロブがこれから食事を摂ります。グイド副団長、あなたはどうされますか?」
「質問に答え……っ」
意に介さない態度に腹を立てたグイドだが、言い切る前に腹の虫が盛大に騒いだので、羞恥から顔を赤くして項垂れた。
「そちらへお掛け下さい」
席を示しながらテーブルにマットを敷き、ロブ宅への差し入れにもと必要以上に作っておいたサンドイッチとポトフを並べる。
「コーヒーと紅茶は?」
「……こ、紅茶…」
「リドア産の茶葉ですが、よろしい?」
「か、構わん…」
淡々とした彼女の態度に気圧され、言われるがままに座り、答える。彼女の姿が奥に消えると、クライバーンが出て来て、無意識に安堵した――のも束の間。
「クライバーン!何故、ビッテの女がここにいる⁉」
「ビッテの女…?そんな女など、ここにはいない」
「この食事を用意した女だ!」
眉間に皺を寄せるクライバーンだが、食事を用意した…で、ようやく理解した。
後を追ってロブが姿を見せると同時に、彼女がトレイを持って戻る。
「後はやります」
「じゃあ…お願いするわ」
ロブにトレイを託し、テーブルのコーナーを挟んでクライバーンの隣に着席した。
「グイド、彼女はシーヴァ…四卿の一人だ」
「…お初にお目に掛かります、クライバーン四卿が一人…シーヴァ・ゾマと申します」
クライバーンが彼女を紹介したので、立ち上がってグイドに礼をして見せれば、しばし茫然としていたグイドが慌ただしく立ち上がる。
「た、た…大変失礼致した!第二騎士団副団長、グイド・ケラーと申します!先程はご無礼を……」
第一騎士団唯一の女性騎士であるシーヴァ・ゾマは闘爵二位、そして唯一の“魔法”使いなのだ。存在は知っていたが、まさかこんな華奢な淑女だとは思っておらず。
「いえ、それよりも埃が立ちますので、静かにお座り頂けますか?」
「も、申し訳ない……」
慌てたとは言え、並んだ食事を前にしての礼儀も欠いてしまった。大人しく座り直すと、ロブもサーブを終えて席に着く。
「シーヴァ、ポトフはまだあるか?」
「これでもかって量を用意したわ、サンドイッチもね。ロブ、後で持って行って大丈夫だから」
クライバーン対策にポトフだけは何回分だと言う量を作るが、終えてみれば二回には少ない。だから大抵はイグニア家に回るのだ。
「いつもありがとうございます!弟たちも、シーヴァのポトフは大好きなので!」
「俺もこれは好きだ」
片手にサンドイッチ、逆にスプーンで、黙々と食べ進めるクライバーンに呆れながら、グイドがサンドイッチに手を伸ばす。
「(う、旨い……)」
スパイスの効いた肉、野菜と相性のいいソース、堅めのパンに挟まれたそれは、非常に食い出のあるサンドイッチだ。第二騎士団の団棟には食堂もあるが、並のもの。クライバーンが“好きだ”と主張したポトフも、確かに旨い。
気付けばグイドにも追加のサンドイッチの皿が置かれていた。
「………」
クライバーンは無言でスープカップをシーヴァに差し出していて、彼女も無言で受け取る。
「ロブは?」
「いただきます!」
そうしてグイドに視線が向けられた。無言の問い掛けだ。
「……すまない」
スープカップを差し出せば、また無言で。
「グイド、打ち合わせとは?」
腹がある程度満たされたクライバーンが、ようやく話を聞く気になったらしい。お代わりのスープカップを給仕したシーヴァが席に着いたところで、グイドも姿勢を正す。
「エザレツカまでの行軍予定の事だ。第一との合同は初めてだからな」
「行軍……装備して、荷を積んで、馬に乗って行くだけだろう?」
「お前はもっとよく考えろ!」
見習いの頃からのズボラっぷりは理解しているが、やはり対すると苛立つ。こんな男が誉れ高き闘爵一位なのだ。
「グイド副団長、詳細については僕が」
完食したロブがテーブル中央に地図を広げ、駒を用意する。
「明日の早朝にネイザードを出立します。行軍ルートはあえて山岳帯を選び、寒冷地に躯を慣らしながら、一日目はオリグ山で野営し、二日目は山と国境を越え、寒冷地域のガナバ平野でもう一泊、三日目の昼にはエザレツカに入ります」
駒を進めながら、野営地にも印を付けた。
「野営⁉」
声を荒げたグイドが、ちらりとシーヴァを見る。
「任務行軍の際は基本的に宿は使いません。エザレツカでは宿を貸し切りにしてありますから」
「雪中戦対策をするよう、部隊員にはお伝え下さい。インナーやグローブ、ブーツインナー、フェイスガード…荷はかなりになるかと思いますが、現地調達は期待出来ません」
ロブは何を気にするでもないし、シーヴァも無反応だ。第一騎士団では野営は珍しくないようだが、騎士とは言えシーヴァは女性。
「…心得た」
しかし騎士だ。余り女だのと言えば、逆に気に障る事もある。ぐっと堪えて黙り込む。
「では明日、よろしくお願い致します」
全ての打ち合わせ確認が終わると、グイドは食事の礼をしてから第二騎士団の団棟へ引き上げた。
「じゃあもう一度、家に行って来ます」
ロブが鍋と包みを抱えて団棟を出る。昼食のポトフとサンドイッチを自宅に持ち帰る為だ。ロブの母もシーヴァのポトフのファンで、弟妹にはサンドイッチが大好評。
食器の片付けを終えると、シーヴァはクライバーンの準備を確認する。
「このブランケット、何に使うの?荷物になるだけよ?」
「俺の荷はそう多くない。野営の枕だ」
「……荷物は揃ってるからいいけど、増やし過ぎない程度にね」
未だにクライバーンの基準が理解出来ない節がある。シーヴァ的に問題がなければ、大抵はこう言った事も許すが。
「シーヴァ」
「何?」
「お前の荷物くらいなら入る」
「……ありがとう、お言葉に甘えるわ」
口数少なく、空気が読めないと評判の彼が、こうして時折見せる気遣い…過度でないそれが心地よく感じるようになったのは、一体いつからだっただろうか?
自室に戻り、一包みを荷鞄から抜く。それだけですっきり纏まった。長期遠征任務の荷の多さには毎回辟易するが、誰より先に気付くのはクライバーンだ。
「それだけか?」
不意に間近に声がして、パッと顔を上げれば、すぐ至近にクライバーンがいる。
「っ…いつ、から……?」
「…呼んでも気付かなかった…どうかしたのか」
「ちょっと、ぼんやりしていただけ」
それほど深く物思いに耽っていた自覚はないが、クライバーンが言うくらいならば相当だったのだろう。すると大きな手が彼女の目元まで覆いながら額に触れた。
「…もう休め、微熱だ。風呂は朝にしろ」
言うなり綺麗に整えられたベッドカバーを毟るように捲り、そこへ彼女の手を引いて転がす。ブーツをすっぽ抜いて放り、ブランケットを掛けた。
「後はロブにやらせる。寝ろ」
ぐしゃぐしゃと髪を混ぜっ返し、彼女の抜いた荷物をしっかり手にして出て行く。それを見送り寝返りを打てば、僅かに眩暈…自身よりもクライバーンの方がよくわかっているような、何とも複雑な心境になった。
人の機微には疎く、空気が読めないはずのあの男が、シーヴァの体調の僅かな変化に気付けるのだ。使いどころが間違っている気がしてならないが、それに助けられているのは事実で――。
目覚めはすっきりしていた。用意をしてシャワーを浴びれば、団室のソファにビッテとカルナバが眠っている。ロブは空いている部屋を使っているのだろう。
馬上でも食べられる朝食を用意し終えた頃、ロブが起きて来て、他のメンバーを起こして回る。一足先にシーヴァは装備を整えに自室に戻り、荷鞄を抱えて厩舎に向かった。
全員分の馬も厩舎から連れ出し、団棟前に繋ぐ頃には、第一騎士団はすぐにでも出立出来る状態だ。
それぞれが騎士団の鎧を纏い、武器を佩く。そんな彼らの姿を一目見ようと、今日も国民が集まっている。
第二騎士団が少々遅れて到着した時には、黒山の人だかり。その先にはネイザードの誉れ、クライバーンとその四卿が揃い踏みだ。
「すまん」
グイドらの登場に、クライバーンはすぐ馬を走らせ始めた。その後に付くのは、体躯からするに多分シーヴァだ。彼らの後に続き、第二騎士団も出立した――。
出立からしばらく、見送りも見えなくなると、第一騎士団が揃って速度を緩め、兜を脱いだ。シーヴァが何やら包みを渡していく。
「あ~…やっと食える」
カルナバが手綱から手を離して取り出したのはサンドイッチ…馬上での朝食らしい。彼らが皆同じように手綱から手を離し、食事を始めたのには、グイド始め第二騎士団が唖然。
「お、スパイス変えたな」
ビッテがぺろりと一切れ完食し、指を舐める。
「これもいいですね!シーヴァ、レシピ教えて下さい」
ロブは次を手にしていた。彼女の手には抱える程の大きな包み…痩せの大食いかと、第二騎士団の面々が一様にそう考えた。
が――。
「グイド副団長」
「は?」
更にペースを落としたシーヴァが、グイドに並ぶ。
「予定通りに進めても昼は取れそうにありません。第二騎士団の朝食の時間は出立後でしたね?朝食分と昼食分です」
差し出されたのは彼女の分ではなく、彼ら第二騎士団の分だ。
「食べ終わり次第、一気に駆けます」
グイドの返事を待たず、彼女はクライバーンの隣に戻るや、クライバーンにハンカチを差し出していた。
包みとシーヴァをしばし見比べていたグイドが、ようやく包みを開く。中は更に二つになっており、一つを荷鞄にそっと納める。残りを更に開けば、また六つの包み。一人に一つを回して行き、手元に残る一つはクライバーンらが食べているのと同じであろうサンドイッチ。
部下たちは貪るようにして食べ始めており、グイドも慣れない馬上での朝食にありつく。
「(…あぁ…やはり、旨い)」
味は申し分ない、その気遣いが何より喜ばしい。クライバーンの世話を焼く彼女の小さな背中を見つめながら、グイドはしっかりとサンドイッチを噛み締めた――。
シーヴァの予告通り、昼食も馬上だった。淑女のような形をしているが、やはり第一騎士団の騎士なのだ。山岳の際どい山道でも、じわじわと空気が冷たくなっても、遅れる事はない。
夕暮れが迫ると、野営する為の場所に到着した。そこでも第一騎士団は慣れた様子で野営準備に取り掛かる。カルナバが大量の薪を集め、ビッテは薪を割って行く。クライバーンは風避けのテントを張り、ロブが荷鞄から食材を取り出す。シーヴァは薪を組み、指先を降るだけで薪に火を付けた。
野営準備は彼らだけで終えてしまう。
「どうした、グイド」
「……いや、手早いな」
「いつもだ」
「そ、そうか……」
第一騎士団に野営は珍しくないらしい。だが第二騎士団は短期任務が多く、宿を取るのが常だ。野営経験があるのはグイドくらいなもの。
「夜間、見張りを立てる。そっちもローテーションを組んでおけ」
クライバーンがグイドと話す間に、ロブが第二騎士団の部隊員たちに火の傍を勧め、食事の提供もこなしていた。
「……お前たちはどう組んでいる?それに合わせる」
「ロブ」
「クライバーンの代わりに僕が説明します」
何故か一番歴の浅い彼がよく動く。グイドは前日の打ち合わせから不審に思っていたのだが、クライバーンのズボラを考えれば納得だし、あのビッテが進んで仕切るわけもない。
「一人二時間制で、うちならまずカルナバが初回一時間を一人でこなします。それからビッテが入り、ビッテが一時間を越えるとカルナバが終了、シーヴァが入って一時間後にビッテが終了し、クライバーンが入ります」
「…一人二時間、一時間ごとに面子がスライドか…」
二時間同じ状態より、一時間ごとに変化がある方が緩みにくくはあるだろう。それを考えたのがクライバーンだとロブに知らされ、発案者を見やる。
彼は大きなブランケットを広げ、シーヴァを包んだところだ。その中でシーヴァが何やらごそごそしている。
「……グイド副団長、余り見ないで下さい。着替えなので」
「きっ……⁉」
盛大に目を反らすが、顔が熱くなるのは焚き火のせいにしておきたい。
「僕では背が足りなくて、カルナバは注意散漫なので持っていられず、ビッテは問題外なのでクライバーンの仕事なんです」
「………」
いよいよ寒さが本格化するので、今のうちに寒冷地向けのインナーに替えておくのだそうだ。ブランケットは着替えが済んだ彼女に巻き付ける。
朴念仁だと思っていたクライバーンだが、それなりに気遣いが出来るようで、見習い時代から知っているグイドには妙に感慨深い。まるで我が子の成長を見守る父親の心境――息子どころか女性とそう言う関係すらないが――だ。
あれから随分、ズボラは治っていないが、それなりに成長したようだ。
「クライバーン、ローテーションはいつから始める?」
「もうしばらく、だな。後はロブと調整しろ」
そう告げる視界に、着替えを済ませたシーヴァが、荷鞄の整理をして火の傍へ戻る。
「お前が指示するのでは……」
「シーヴァ」
グイドの言葉をぶったぎって、クライバーンがシーヴァを呼んだ。やや怒り混じりのトーンで、だ。第二騎士団の部隊員が肩を揺らす程、その場にはよく響いた。
「来い」
それに応えるように、彼女が立ち上がる。声に驚いた部隊員は歩み寄るのを見守った。
すぐ傍まで来ると、クライバーンが腕を伸ばす。グイドが思わず仲裁に入ろうとするより早く、彼女の腕を引き寄せてブランケットで包み直した。
「こんな場所で直接座るな、冷える」
胡座をかいた足の間に彼女を座らせたではないか。
「お~、シーヴァ専用椅子」
「クラ椅子バーン!久々に見るよな?」
ビッテとカルナバはそうからかうが、クライバーンはロブに勧められて食事を始め、シーヴァはしばらく身動ぎしてポジションを落ち着かせると、すっかりクライバーンに凭れる。
「ロブ、シーヴァに暖まるものを」
「了解」
どうやら日常茶飯事らしいやり取りに、最早第二騎士団は開いた口が塞がらないような状態だった――。