破っ
=3
俺こと佐藤一郎は某中堅企業の総務主任である。
わが社が募集をかけていたアルバイトの採用面接のため、応接室で一人の青年と話しているところだ。
俺はその青年と志望動機や学歴、採用された場合の条件や待遇などを一通り話し合った。
その後、どうしても突っ込まずにはいられなかった、一つの質問を投げかけた。
「ええと、原口くんだったかな。趣味に書いてある『破っ』って、これはいったいどういうものなんだろう」
俺の質問に、彼はあわてる様子もなく答え始めた。
「それは、僕が考えたスポーツ、あるいは武道のようなものです。手のひらに力を溜めて飛ばすことが最大の目標です」
彼の声と言語はこれ以上もなく明瞭だったが、言っている意味が俺にはさっぱりわからなかった。
「わかりやすく言うと、かめはめ波や波動拳のようなものを出すための練習です」
それなら知ってる。ドラゴンボールと格闘ゲームは世代を超えて有名だ。そもそも俺はまだ三十歳で、ジャンプとファミコンの申し子でもあった。
「な、なるほど。今まで、出すのに成功したことがあるのかな」
「努力不足か、一度も出したことはありません」
そんなものを出す能力があったら、俺ならテレビ局に手紙を出すだろう。
少なくとも地元でバイトなんぞ探さない。
混乱したままの俺に不安を抱いたのか、原口くんは観察するような目で俺の対応を待っている。
「ああ、すまんね。とりあえず面接は以上だ。合否は一週間以内に連絡するから、待っててくれ」
やっとの思いでそう言った俺を残し、綺麗なお辞儀と別れの挨拶をして原口くんは去って行った。
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原口くんを採用しようと思った理由は、彼の応対が落ち着いて好印象だったこともある。
それに加えて、帰宅した俺に女房が言ったことが決定打となった。
「あなただって、私と付き合ってたころは金髪でギターを弾いてたじゃないの。あなたを親に紹介する時、すごく勇気がいったのよ」
俺も、女房の両親に会うときは少し緊張した。
だが、その後に義父となる人は俺に会ったとき、淡々とこう言ったのだ。
「人様に迷惑をかけてないなら、どんな趣味があったっていいじゃないか。わしは音楽はわからないが、夢中になれることがあるのはいいことだよ」
あのときは感動したな。惚れた女と一緒になれる上に、すばらしい親まで増えるんだから。
他人の趣味がなんであれ、それで人間性や資質を判断するのは野暮だ。偏見と言ってもいい。
そういった経緯があり、俺はその週のうちに原口くんに電話をかけ、採用を伝えた。彼は素直に喜んでくれた。
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その選択は、俺にとっても会社にとっても正解だった。原口くんは総務係に配属され、業務上のあらゆる雑用を瞬く間に覚えた。
事務所は心なしか綺麗になり、会議や催し物の下準備はスムーズに運んだ。消耗品の補充も先を読んで的確に行われている。
加えて、原口くんは驚くほどの怪力でもあった。分厚いファイルを何冊も抱え、体勢を崩さずに資料室へ運んでいる姿は会社の名物になりつつあった。
「毎日、鍛えてますから」
原口くんは平然とそう言った。やはり、破っ、とか言うのを出すために必要なのだろうか。
「心身ともに充実していないと、とても達成できないと思うんです」
「そうか、俺にはどうやったらそんなもんが出せるのかわからんが、夢中になれることがあるのはいいことだ」
そう答えたときに俺は、これは自分が義父から言われたことじゃないか、と気づいて可笑しくなった。
「毎日頑張ってるなら、いつか出るかもな」
軽い冗談のつもりで俺は言った。しかし原口くんにとっては、真剣に追い求めているテーマなのだろう。
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「佐藤主任、ちょっといいですか? 原口さんのことなんですけど」
総務の女子社員が三時のお茶を飲んでいる俺にそう言ってきたのは、原口くんが採用されて二ヶ月ほど経った頃だ。
「彼がどうかしたか。なにか仕事にミスがあったとか」
たまにはそんな話を聞きたいと思うくらい、彼の仕事振りは完璧だった。最近では簡単な会計作業も任せている。
「あの人、変ですよ。人のいない会議室とか、廊下の角でなにかやってるんです」
「仕事をサボってか? 原口くんはいつ見ても、勤務時間の間はキリキリ働いているじゃないか」
事務所を離れて、会議室や倉庫での雑用があるときは、基本的に俺もその仕事をしている。
彼が人目を避けて仕事をサボっているということはありえない。
「いえ、その。原口さんがお昼の休憩をしているときだと思うんですけど。あれ、絶対にかめはめ波の練習ですよ」
俺はあやうく飲んでいたお茶を吹き出すところだった。笑いをこらえて女子社員を諭す。
「休憩中ならいいじゃないか。俺も昼休みにエアギターしてるぞ」
「でも、気持ち悪いって他の子も言ってるし……」
その話を聞いて俺は邪推した。原口くんは電話番の都合で、他の職員とは時間をずらして休憩をとっている。
原口くんの修行を目にしたと言うことは、お前らが仕事をサボって人目に付かないところへ行ってるんだろう。
「わかった、俺のほうからそれとなく言っておくよ」
そう言ってその子を納得させ、仕事に戻らせた。
彼女たちの気持ちもわからないではない。新入りのバイトが働きすぎると、今までサボっていた職員が相対的に目立つ。
だが、心の中で俺は吐き捨てた。
自業自得だ。給湯室ですることがないなら原口くんの爪の垢を煎じてろ。
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それでも少しだけ気がかりになった俺は、一部で「気持ち悪い」と噂される、彼の修行風景をこっそり覗いてみた。
奇声を上げていたり、アクロバティックな鍛錬をして怪我でもされたら、仕事にも支障が出るからな。
休憩中の彼は、半地下の資料室にいた。
そして、まさにかめはめ波か、波動拳かと思うような動作を、声も発さずに繰り広げている。
腰の辺りで両手を構え、溜めた力を放つかのようにその手を前に突き出す。
ただそれだけの行動を飽きもせず続けている。目つきがやけに真剣だ。
最初は声を殺して笑ってしまったが、五分も見ていると俺が飽きてきた。
十分くらい、彼の挙動を見守り続け、特に危険がない事を確認して俺は仕事に戻った。
そんな日が何日か続いた。
サボり常連は原口くんの修行場所を避けてサボるようにしたのか、その後は特にトラブルもない。
俺はたまに彼の様子を覗きに行ったが、破っとやらが出た雰囲気はなかった。
人目を気にしてか、資料室がメインの修行場所になったようだ。
仕事が終わって会社を出ると、同じく定時で仕事を終えた原口くんが道端でアキレス腱を伸ばしている。
「走って帰ってるのか」
「はい、なにごとにもまずは体力ですから」
こんなに頑張ってるんだから、いつかはきっと出る、俺もたまにそう思う。原口菌が伝染したかな。
「成功しても、会社の壁には穴を空けないでくれよ。改築したばっかりなんだ」
応援のつもりで俺は言った。少しだけ驚いた表情をした原口くんは、
「気を付けます。では、お疲れ様でした。また明日」
と告げて走り去った。すごく速くて驚く。
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次の日、出社した原口くんからの申し出は、俺の目を二倍に大きくさせた。
「こちらでの仕事を、辞めさせていただこうと思うんですが」
「辞めるって、ど、どうしてだ? なにかイヤなことでもあったか?」
俺は、彼がそんなことを言い出す理由がわからずにパニックになっていた。
一部の女子社員のようなアンチ原口派も、今ではまったく訴えに来ない。
「いえ、ここの皆さんはとてもよくしてくれました。特に、佐藤主任には感謝の言葉もありません」
それならどうして、との言葉が出ずに唖然としている俺に、原口くんはこう説明した。
「出すことばかりに集中して、力の制御を考えていませんでした。昨日、主任に言われたことで、破っが出たとき、会社に迷惑をかけると思ったんです」
俺はなんと言った。壁に穴は空けるな。
その前に、いつか出るかも、と言ったかな。
「この趣味を話して、今まで何度もバイトの面接に落ちました。受かっても気持ち悪がられたり」
確かに俺も以前は、彼を採用しようか迷っていた。しかし今では違う。
部長と飲むときなど、彼の正社員登用をそれとなく持ちかけたりするほどだ。
「主任は、僕の生きがいを理解してくれて、そのおかげで僕も、ここでは居心地が良くて……」
原口くんが声を詰まらせていた。彼の感情がこれだけ動いてるのを見るのははじめてかもしれない。
なんてこった。俺が軽い気持ちで放った言葉を、彼は真剣に思いつめていたのだ。
――そんなものは出ない、壁も壊れない、だから安心してここで働き続けろ。
俺は、危うくそう言いかけた。しかし、言えば彼のすべてを否定することになると思い、言えなかった。
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原口くんの意志は固く、新しく採用されたバイトくんに仕事を引き継ぎ、会社を去って行った。
今では道路工事の現場にいるという。彼の体力なら向いているだろう。
俺は新人バイトと一緒に、資料室の書類整理に汗を流している。
ああ、原口くんの怪力が懐かしい。
青空の下で働いている原口くん、俺にも力を分けてくれ。
「佐藤さん、ちょっとここ見てくださいよ」
新人バイトくんが何かに気付いたように俺に話しかける。
彼が指差すのはコンクリ打ちの壁、胸の高さほどの場所。
「……暗くて分かりにくいけど、なんか変じゃないですか?」
よく見るとコンクリートの壁が、人間の手のひら二つ分ほど、陥没していた。
俺は恐怖よりも感動で目が潤んだ。汗を拭くフリをしてごまかしたけどな。
おしまい
田中くんを主人公にしていつかなろうで長編を書くと思います。
そのための名刺、あいさつとしてこちらにも投稿させていただきました。