アコーディングを引く男
「アコーディングを弾く男」
となりにいくのに、いまどきのバスは三カ月かかるらしい。
時計台をみあげると、ふくろうが巣をつくり、眠たげな鳴き声で吹聴している。
「かっこう、かっこう。アコーディオンを弾く男がいてね、そいつのアコーディオンは本なんだ。
アコーディオンがゆらゆらゆれると、ページがめくれて、青白い光のさす森のおくの湖畔がみえる。
たまに潮騒の音をきき、たくましいシロナガスクジラの尾びれが波間にひるがえるのをみる。
声が聞こえる。別れの声、恋人たちが夜のあいま、夕暮れのとばりで交わしあったささやき声。
そうでなければ、喧噪がもれきこえてくる。
わりあい、こっちのほうが多いくらいだ。
ものが倒れる音、壊れる音、怒声、悲鳴、泣き声、奇声、叱声、猫なで声、あらゆる声……
そして、いつのまにか、静寂。
アコーディオンを弾く男は疲れもしらず、ただ弾きつづける。
観客はあなたがたで、私ではない。
長い旅に飽きれば、いつでも旅路のよきつれあいになってくれるでしょう。
かっこう、かっこう。アコーディオンを弾く男がいてね、そいつのアコーディオンは……」
時計台のふくろうは飽きもせず、この三カ月間わめき散らしている。
アコーディオンは弾きつづけられる。
そのページは不運なことに、時計台のふくろうの絵しかえがかれていない。
いつかむしゃくしゃとして、男に言ってやった。
「そんなアコーディオン、質屋にでも入れてしまえ!」
アコーディオンを弾く男は、うろんな目で私をみかえした。
「このアコーディオンの価値をどこの質屋が分かるって言うのかね? それじゃ、あんまりにもふくろうがかわいそうだ」
アコーディオンを弾く男は、ふくろうのためにアコーディオンを弾いているのだろうか。それとも価値ある演説をきかせるアコーディオンを弾くことに誇りをもっているのだろうか。
定期バスが二週間おくれて停留所にとまった。
窓の向こう側に、観客のいないアコーディオンを弾く男が立っている。