紅の詩
天気晴朗なれど波高し。海豚の群れにて吉凶を占うも、良い目は出ず。
前半においては潮の流れに乗り、我ら紅が有利に戦況を運ぶ。しかして、潮の流れが一転すれば、戦の趨勢も白に傾きにけり。
白の大将、ひらりひらりと天を駆け、船を七艘八艘と跳ぶ。その姿まさに軍神。
側に控えしは白の猛将。紅の武士を千切っては投げ打ち合っては砕き、一騎当千万夫不当。単身のみにて数十の紅き船を制圧せり。その見目はまさしく鬼神。
「我らが負けを覚悟せねばならんな」
その御館様の発した言葉が、悲観ではなく今の真実そのものであることをだれもがみな感じ取っていた。
紅白の最終決戦。事ここに至るまでに我らの流した血がどれほどのものだっただろうか。白は我らが紅をより強き紅へと染め、己の白を際立たせる。紅白の激突に善悪はない。ただ、上を目指し武士の頂点を極めんがための戦だ。だが、我々はあとしばしの時をもって悪となる。それは、歴史の必然にして敗者たるものの義務。
盛者必衰。
我々は夢の、絢爛たる夢の水底にまどろみすぎたのか。満ちた月もいずれ欠けおちる。その歴史の語りかけに我ら紅の一党は気づくことができなかった。結果。敗北に次ぐ敗北。逃走に次ぐ逃走。そして、事実として滅亡が目の前にある。
諸行無常。
たとえ全てがはかなく散り行く定めだとしても、せめて武士の誇りを持って散華する。それが武士を忘れ、貴き者に紛れてしまった我ら紅の一族、最後の意地。
上がってくる戦況の報告は常に悪し。白き軍神は、我らが旗船へ後数隻と迫った。
御館様が主上の御前にて告げる。
「もはや、これまでにございます。御身を彼奴等にさらす訳にはまいりません。なあに、竜宮城にてまたお会いいたしましょう」
最後の一言は下手な洒落か気遣いか。しかし、結局のところ、それは年端もゆかぬ幼子に死ねといっていることには違いがない。我らのようなものが主上の言葉を直接聞くことはできるわけもなく。女官より発せられた言葉はわかりましたの一言だけだった。
とぷり。またとぷりと海に身を投げる音がする。主上も母君に抱かれて、波の切れ間に消えていかれた。皆ただただ哀しみに眼を濡らし白の武士らを切る。死ぬ時間を稼ぐために敵を切る。なんという無駄な行為かと責める者は味方にも、まして敵にもいない。我らが武士であった証。それは、もはや散ることで刻むしかない。
「我らが終焉を、しかとその眼に焼き付けよ!」
その轟く咆哮とともに御館様は自らの首を太刀で突き、水底へと旅立たれた。それに続けと我が戦友も次々とその身を波打つ水面へと投げる。
我も続こうとするが、太刀も矢ももはや手になく、自らの命を絶つことは望めなかった。敵の手にかかるよりは、皆と波に揉まれて散り行こうとそのまま海を目掛けて跳んだ。
ざぶりと水が取り巻いて、身体と心を深いところへ持っていく。幾多の武士の流す血で紅に染まるその海は、まるで我らを迎えるためにその色を変えたようだ。
ああ、これで我らは終わる。終われるのだ。
しかし、我は終われなかった。
寺だろう場所で気がついた。断言できないのは、我は光を失っていたからだ。己の生がまだあるのだと自覚した瞬間。我は死のうと考えた。生き恥をさらすなど、散っていった者達に申し訳がなさ過ぎる。だが、暗闇の中では自らの命を絶つための刃も探すことはできない。死なせてくれと、寺の坊主に情けなくも懇願した。しかし、我に手渡されたのは命を絶つ刃ではなく、爪弾けば音色を発する琵琶だった。
「武士としてのあなたは死んだ。しかし、まだあなたの生があるのは何かをなせとの御仏のお導き。ならば散っていった者たちを忘れぬように語り継げばいかがでしょうか」
坊主の言葉を受け、弦を少し弾いてみる。物悲しくも力強い、そんな音が寺に響く。我は生きていてもいいのだろうか。
迷う心がわかるのか。坊主はさらに言葉を続ける。
「死ぬことはいつでもできます。ならば、あなた方の在り様を人々に刻んでから死ねばよろしいでしょう」
諸行無常。
全てがはかなく散り行くならば、せめて散ったということを刻みたい。それが我が生き残った意味なのか。我らが紅の想いを残す。そのために生きる。
――御館様。竜宮には遅参いたすことになりそうです。
「ならば詠おう。我らが紅き栄光を。そしてその落日を」
そうして我は詩を詠う。琵琶の音色に載せて。
「祇園精舎の鐘の音。諸行無常の響あり…」
了