翻る髪
まだ覚悟出来る程じゃない。だから、一人分だけしか背負う気は、未だ無い。
「ストップ」
「……は?」
「今、あんた身の上話しようとしたでしょ。ごめん、勘弁」
「───」
火を点けた導火線を踏んで躙って、消すようにノヂシャはイリスを止めた。手のひらを見せるように突き出して、いわゆる制止のポーズ。イリスはノヂシャの言葉と目と鼻の先にびしっと翳された手に瞠視して唖然となる。
やがて氷解するように動き出したイリスはわなわなわと震え出す。憤りを感じたのだろう。こめかみに、また、青筋が立って見える。
「……お前なぁ!」
「だって、あんた勝手に口火切ろうとしたでしょうが」
「お前が聞きたいって言ったんだろうが!」
「私は私を連れるように言った理由を聞かせろって言ったのよ」
はたと、そこまで告げてノヂシャは思い至る。まさかこの王子様。
「……そんな不幸話ぶち撒けるために私を呼んだんじゃないでしょうね?」
「……。違う」
「じゃあ、」
「────お前は何で城に来た。引き籠もっていたくせに、……いや、それ以前になぜ引き籠もったんだ」
「……城に来たのは呼ばれたからで、塔へいた理由は……答える義務は無いし、あんたに聞く権利は無いわね」
突き放すように、宣す。鼻をふんと鳴らす。ぴくりと目元が動いたのを見届けて、ノヂシャは続きを口にした。
「あんたは、よく知りもしない相手に、ほんの数時間しかいなかった相手に喋られるの? 私は……無理ね。私は、
私は私で精一杯よ」
ノヂシャは無意識にいじっていた髪に目を向けた。昔、肩より下くらいまでしかなかった。今や、肩に乗せる形で首に緩く一巻きしてもまだ背を覆い膝まで届く。
髪を伸ばしたのは塔に引き籠もってからだ。一人ではもう手が足りなくて、母親に協力してもらい手入れしている髪。
いつからか億劫になって伸ばした髪。不自由が無かったから。移動も大してしなかったし、したところで、精々塔の階段を下りて出入り口付近を歩くくらい。
髪が長くても困らなかった。
そうして髪は、重たく、ノヂシャに圧し掛かるようになった。
「あんたは、私の過去を聞いて、背負う気が在るの? たった今、会ったばかりの私の」
身の上話を笑い話として聞かせるなら良い。本人が吹っ切れているから、気遣いは必要ないからだ。
けれど、つらそうに、昇華出来ないまま語るのは違う。聞いてしまえば、どうにもならない重みを抱える────喉や胸に。
勿論、そうじゃない人間はいるのだろう。好き好んでやさしさではなく、優越感と酔った偽善で他人の不幸に首を差し込みたがる人種。彼らが、きちんと相手を思いやれるので在れば構わないが……。
大概は気付かず、理解せず、傷付け苦しめるだけなのだ。
「自分のことも、ちゃんとやれないくせに」
表面で憐れ憐れと可愛そうがって人の傷を、触られるのも痛い傷を、撫でさする人間。
簡単に見ず知らずの人間さえ暇潰しで娯楽で快楽でしかない話のネタにする人々。
結局、変わらない、何もわかっていない、一点で。
ノヂシャは笑った。莫迦げてる。
「自分がそう言う未熟な人間だって自覚してるから、私は、覚悟も無いのに傷を観るのも、晒すのも嫌」
「……」
ノヂシャは、イリスの後ろに立つマーシュに目を向けた。息を飲んで事の成り行きを見守っていたマーシュはノヂシャと目が合うとびくっと、体を引き攣らせた。
「もっと身近にいるんじゃないの。あんたのそばに常にいて、……あんた周り見えてるの」
ノヂシャは先のマーシュを思い出す。マーシュは多分、この王子様のために懸命に便宜を図り働いていたのだろう。だから周囲の人間は年若いマーシュを敬愛し、年上の人間だって頭を下げて挨拶したのだ。
ただの王子様のそばで仕える小姓で在ったなら、ああまで皆が皆マーシュへ尊敬の念を表しながらあたたかく接したりはしない。
王子様────イリスがたとえこの城では人望が在ったとしてもだ。王子様が信頼してるからと言ってあそこまで裏の無い笑顔で相対は出来ないだろう。笑っていたとしても上っ面か、嘲笑だけだ。
「あんたがこの城でどう思われてるか知らないけど、あんたを守るためにそこの坊やは頑張って動いてるんじゃない? 想像したこと在る?」
マーシュは、首が取れんばかりに横に振った。だがノヂシャは気にしなかった。何でもない顔で、冷めた茶を啜った。
「……マーシュは、」
「……」
「あまりここや自室から離れない私の代わりによくやってくれている。それには感謝している」
「ふぅん……」
部屋から出ないとかどれだけなのかとノヂシャは自身を棚に上げて考えた。つまらなそうに応えてノヂシャは考察する。
聞かなくたって、わかる。一般的に知られている王族の内情と、現在のイリスの様子。ノヂシャはイリスを眺めた。
この王子様が第一王子なのに王位継承権は第二位なこと。女の名前。ごてごてしている訳ではないけれど、ひらひらした裾の長い、一見すると女物みたいな服。
弱った母親。
“あの城には眠ったままのうつくしい『姫』が────”
この国の第一王子は病弱だと伝えられていた。ゆえに、表舞台へ姿を現すことはないのだと。
嫌でも、状況は読めてしまう。
それでも。
「あんたは、これで良いの」
関わる気は無い。関心は無い。だけど、訊きざるを得なかった。
この感覚は、衝動だったんだろう。
「あんたはこんなとこで、このまま朽ちるのを待つの。それで良いの」
「……良いなんて、思う訳は無い。しかし仕方ないだろう。母様は私を避けるんだ。私を見るのが苦痛なんだ……好きでもないのにこんな格好してみせてもな」
「母親が望んだの?」
「……母様は言わないさ。一度だけだ……いきなり狂ったように泣き叫んだときだけだ! “男の子に産んだせいだ”と!」
「その科白が何であんたを責める言葉に聞こえたの」
ノヂシャの発言に、イリスは何度めかの瞠目をした。信じられない物を見る目も、幾度も向けられてノヂシャは肩を竦めた。
「前にも責められたの?」
「一度だけだ、と言った」
「……もっと周り見なよ」
複雑な表情で項垂れるイリスにそう吐き捨てると、ノヂシャは立ち上がった。応接セット、要するに相対するソファと挟んだテーブルを横切ってりイリスの背後に回る。目当ては、イリスが執務を行っていた机だ。
「……。おい、何して……」
ノヂシャが横を通ったため我に返ったイリスが問いながら後ろを振り返ると、嫌な音がした。
じゃきんっと、鈍い音。“何か”の束を切り込むような────。
「おい!」
「ノヂシャ様っ!?」
イリスが血相を変えて起立する。今まで、主人たちの話を邪魔しないようにと口を貝の如く閉ざしていたマーシュも悲鳴を上げた。
ノヂシャは、丁度イリスが何かで使用したらしい鋏を手にしていた。もう片方には、髪。
歪な音を立てたのは、鋏で切られたノヂシャの、髪だった。
騒然とする二人を放置して、ノヂシャは髪に鋏を入れる。さすがに一回では切れず、何回も。そのたびに、髪が幾筋か落ちた。やがて、すっかり切り放された髪はノヂシャの頭を軽くして、ノヂシャの手に重く垂れ下がった。用を済ませた鋏を机に置いたノヂシャは、蒼白の二人を余所に淡々と醒めた眼で自らの髪を見詰めた。
“もっと周りを見なくちゃいけないのは、私もいっしょ”“このままで、良くないのは私もいっしょ”、イリスと話していて、ずっと考えていたことだった。
限界だ、と思っていた。
黙っている父親に、付き合ってくれる母親に、甘えているのは限界を感じていた。
だけれど、予定調和の日々になかなか行動出来なかった。
“塔に入るには、髪長娘の髪を梯子のように────”
「もう要らない」
呆然の二人を最後まで構わず、ノヂシャは髪を放り投げた。どうしてか、その髪を、マーシュが慌ててキャッチした。一連の流れに正気を取り戻したイリスが声を掛ける。上着を手に、ノヂシャが扉から出て行くところだった。
「おい! お前っ……」
「もう要らない。もう終わりにする。あんたのお仲間にされても困るし
あんたも、もう目を覚ましなよ」
「……」
ノヂシャは、そうして一度も見返ることなく、足を止めず城をあとにした。
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