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塔の娘

 



 その塔は、山の中腹を切り開いて建てられていた。

 真っ直ぐ、空へ背筋を伸ばす塔には階段が無かった。内部に入るための扉さえも。ゆえに、塔から見下ろせる町に住む人々はこう、波のようにさざめいた。


“あの塔には、悪い魔女に囚われた憐れでうつくしい髪長娘がいるのだ”


「ばっかみたい」

 出入り口どころかでこぼこすら無いノッポな建物の、唯一存在する窓の手摺りから、賑やかな町を眺め、若い女が吐き捨てた。手摺りに凭れ掛かり、頬杖を突いている。その眼に剣呑が窺えるのは、何も生来だろう目付きの悪さのせいだけではない。

 彼女は、再度、つまらなさそうに零す。ばかみたい。隣りでも聞こえはしない音量で。

 しかし彼女の後ろ、部屋の中で掃除をする母親は聞き逃しはしなかった。やたら目付きの悪い己の娘が、更に凶悪顔を造っていて、母親は箒を動かす手を休め溜め息を吐いた。

「ノヂシャ」

「その名前で呼ばないで」

 窘めようと呼び掛ければ、ぴしゃりと跳ね返された。また、母親は言葉を飲み込んで圧迫された心情から息を吐く。

 彼女、ノヂシャは、この名前が大っ嫌いだった。

 ノヂシャとは、妊婦に良いとされるサラダ菜の一種だ。と言ってもチシャ────レタスなどとは違う。

 だけどどちらにせよ同じじゃない、とノヂシャは思う。ムカついて仕方ない。

 すべてがくだらなかった。眼下の町に蔓延した幻想めいた噂も、意味不明なこの名前も。引き籠もりなだけの現実の自分も、そして。

「……」


 町を挟んで向かいにこちらを気圧すように聳え立つ、あの城も。




 大きくはない田舎町だが、こんな塔の上までそこそこの賑わいを見せる町を、監視するように建つ城は湖の畔の森の中に在りながら、ノヂシャが今いる部屋と同じ程に天辺の窓が在った。山の中腹、小さい山と言え山は山で、しかもそこから更に高く造られたはずの塔と、だ。町より傾斜が在って、ましてや上がり気味にではなく下がり気味になっていて。つまりは、町より、ノヂシャの塔より低い位置に構えながら、一番高い位置のノヂシャの塔と変わらないと言うことだった。

  ノヂシャはあの城が嫌いだった。どこの金持ちのものだか知らないが、何だってあんなところに、何でノヂシャの塔と同じくらいの高さに造ったのか。それも幅は当然あちらが、どでーんと言う風に在るから、制圧されて感じる。

 気に入らない、と思いながら城を睥睨した。小規模でも町が間に在るので、距離を思えば意味なんか無いのだが。

 そうでも、ノヂシャは知っている。あの、この窓と同じ辺りに在るあの城の窓が、開くこと。自分程ではないが、髪の長い人影が時折覗くこと。

 細部はわからない。でも、彼女が───勝手にノヂシャはその印象から『女』と決め付けているが────こちらを見ている気がしていた。

 だから、睨む。何よ、成金。そんな気分で。

 まぁ、人影の表情は判別出来ないので、相手も実際にはノヂシャが睨んでいるなど及びも付かないかもしれない。


「……ねぇ、母さん」

 ノヂシャが背後で忙しなく掃除する母親に声を投げた。受け取った母親は、掃除する手を休めず応える。

「何だい、『サラダ菜』」

「何で『サラダ菜』なのよ!」

「あんたが名前呼ぶなって言うからでしょー」

 しれっ、と、音がしそうなくらいにあっさり言ってくれる。確かに、ノヂシャは名前が嫌いで「呼ぶな」と言いはしたが。けれど『サラダ菜』は無いだろう。名前が嫌いな一番の理由たるこの意味そのものの単語を、何ゆえ選択したのか。

『サラダ菜』、もといノヂシャは母親を振り返った。予想通り。母親は平然としている。はぁあと深々肺の空気を空中に還す。

「……ねぇ、母さん」

「なぁにー、我が子」

「何で、こんな名前付けたの」

「嫌だ。またその話ー?」

 また、と返すように、母娘のこの遣り取りはノヂシャが物心付いた時期から在った。日常の隙間に滑り込むように不意に上がる。

 そのたびに、母親はこう返答して来た。

「だから、父さんが付けたんだって」

 嘘ではない。ノヂシャの名前は父親が付けた。ノヂシャがお腹にいたころ、母親はつわりがひどくあまり物が食べられなかった。だがそんなときに何とか口にしていられた物が在り、それが野萵苣(のぢしゃ)のサラダだったのだ。父親はそのことから「我が妻と我が子の命を繋いだ素晴らしい食物」として産まれた娘にも『ノヂシャ』と付けた。

 人の糧になり人を生かせる、素晴らしい子になってほしい、と願ったのだけど。

「……単に面倒臭かったからじゃないの」

 当の娘はこの有り様で在る。だけども母親も。

「かもねー」

 これだ。実にあっけらかんと娘に頷いて見せた。

 吐息を床に落とすように深く長く体内から出し、再びノヂシャは前に向き直った。でも、視線は遠くの城ではなく窓の下へ。

「ねぇ、母さん」

「何だい我が娘」

「下に誰かいる」

「はぁああ!? 誰っ?」

「何か……すっごい良い身なりのおかっぱ坊や」

 嘘ではない。ノヂシャの見下ろす場所、少年が立っている。

 おどおどと気弱そうに、少年は何かを大事そうに抱えていた。服は、ノヂシャのような一般人があまりお目に掛かれないような上等品だ。母親も窓へ駆け寄り少年を視認すると、目をひん剥いて一目散に部屋のドアへ走る。

「莫迦、あんたアレはお城の使者じゃないか! ああああ! お迎え、お出迎え!!」

 母親は叫びながらドアの向こうへすっ飛んで行った。ノヂシャはその様を、醒めた顔で眺めた。慌てた母親は、今ごろ絡繰りを解いているのだろうなと思って。


 塔は、無粋な侵入者を阻むために出入り口が絡繰り式になっているだけで、無い訳ではないのだ。町の噂の、“窓からしか出入りが出来ず、この際は閉じ込められた女の髪を使う”などと言うことは決して無い。

 この塔を建てたのは、建築家の父親だった。石工の友人と二人掛かりでノヂシャのために建ててくれた。

 父親は年老いてから結婚した。若いころは腕の良い大工として有名で、建築家として成功した時分に母親と結婚した。年老いたと言っても、結婚当初は四十代。今だって六十を過ぎたが、頑健な心身は衰えを知らないようだった。

  母親は、未だ四十を迎えて幾許も無い。十八歳で父親の元へ嫁ぎ二年程してノヂシャを産んだ。

 父親は母親を愚直なまでに愛し、ノヂシャを可愛がった。たまに不器用な父親とぶつかることも在ったが、基本甘い父親をノヂシャは嫌ったことはない。母親も。生活は上流で言えば下だが中流では上位置だ。比較的にしあわせだった。


 口喧しくてもこんな我が儘を受け入れてくれる両親に、己を情け無く思うくらいには。


 しばらくして、母親が少年を伴って舞い戻った。あの威圧感バリバリな城の使者にしては、何とも頼りない態度だった。

「はっ、初めまして、ノヂシャ姫! わ、私は、あそこに見えます城で、」

「何の用?」

 緊張からか吃る少年を切り捨てるように遮って、ノヂシャは質した。

「ノヂシャ!」

 正直、自己紹介なんかノヂシャはどうでも良かった。母親は嫌いな名前で叱責を飛ばすけれど聞く耳はない。服装だけなら立派に従者と呼べる少年は、ノヂシャの苛立った気分がまま表れた声音に畏縮してしまった。……泣かれたら厄介だな、とノヂシャは舌打ちを堪えて対応を軟化させることにした。

「ええと、何? あんたがあの城の使者なのは、良いモン着てるからわかってるけど、何でわざわざこんな辺鄙な山にまで来たの」

  可能な限りノヂシャは自己の体に命令を送った。“やさしくなくて良いけど、相手は自分より十歳は下かもしれない。やわらかく、やわらかく”────心掛けて仏頂面、抑揚の無い喋り方なのだから、随分なことだけれど。

 塔に引き籠もるようになったノヂシャは、もう何年も両親以外と接していなかった。幼少から他人との接触を避けて来たが、今はもっと顕著だった。

  理由はいろいろ在る。一つは、子供時代に名前を揶揄われ続けたこと。ゆえにノヂシャは名前を呼ばれることを良しとしない。

 一つは……思い出すのも腹立たしい出来事だ。

 そんな訳で、ノヂシャにしてみればこれでもマシなほうだった。時間が経つに連れ、『笑う』と言うことを忘れてしまったみたいだ。特別愛想を向けたいとも考えていないから良いかと、ノヂシャは思考から現実に切り替える。

 従者の少年は、些少柔軟となった気配に勇気付けられ、一文字にした唇を開いた。さくっと、それはノヂシャの望む通り用件だけだった。


「私の仕えます城の主が、あなたに会いたいと仰せなのです、ノヂシャ姫」


 きっぱりと吃音無く言い放った少年は堂々として、ここはさすがに城から遣わされた使者だと感じられた。


 が、ノヂシャは内心で見直した少年に駄目出しをした。

 しかもかなりどうでも良い────ノヂシャがぶった切った雑談に近い部分でだ。


「私は姫じゃないわよ。一般市民よ!」






 

   【How about the following fairy tale?】




   ⇒next...『いき路』

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