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霧幻の彼方 ~霧向こうの世界~  作者: 小池らいか
第一幕 霧の向こう側
9/11

新たな故郷



 年末年始。

 ユーリックは初めて迎える異界のそれに興味と驚きを抱いた。

 年末恒例だという歌のテレビ放送。年越しソバ。響き渡る除夜の鐘。そして初日の出と初詣。

 どれも【フォライザ】のバルフェルド王国にはない。

 世界が違うのだから当たり前だが、年末年始を家族で過ごすという習慣だけは同じだった。

 元日の昼過ぎ。

 喜里山家全員で初詣に行くことになり、ミツキが振り袖という日本の伝統衣装を纏い現れた。

 その不思議な衣装は夏に見た浴衣とよく似ていたが、その時とは厚みも華やかさもまるで違っていた。

 鮮やかな赤に鳥や草花が描かれており、ミツキの美少女っぷりを見事に引き立てていたのだ。

「こういうのを馬子にも衣装っていうんだよ」

 余計なひとことを言ってハルトが一発殴られていたのはご愛敬か。

 ともかく喜里山家の三人とミツキ、ユーリックは連れだって夏祭りの会場にもなっていた神社へと向かった。

 元日だけあって参拝客は多い。年末年始を旅行先で過ごす観光客も混ざっているから、なおさらだ。

「神社にお参りしたら、おみくじを引くといい。大吉なら持って帰っていいし、あまりよくなければ木の枝に結びつけて帰る。まあ、一種の運試しだよ」

 神社への怪談を登りながらコウゾウが説明してくれた。

 しんどそうなのは、日頃の運動不足のせいだろう。五十段ある階段はまだ半分を過ぎたばかり。ハルトとミツキはすでに三分の二を登り終えている。

 ユーリックはイアナと共にコウゾウに合わせて登っていた。

「うーん。家でじっとしておくべきだったかな?」

「あら、ユーリックに色々と実地で教えたいから、と言っていましたのに。もう音を上げるのですか?」

「ははは。それを言われると弱いな」

 夫婦の会話には口を挟まず、ユーリックは人の波に乗って階段を登る。

 気が付くとハルトとミツキの姿はなく、先に行ってしまったのだろうと思われた。行き先は同じだから、はぐれても問題はない。

 ユーリックに遅れること数秒。コウゾウが息を切らしながら最後の一段に足をかける。

「やっと登り終えたか」

 感慨深く階段登りの感想を述べるコウゾウに思わず笑みが漏れる。それはイアナも同じだったようだ。

「ふふふ。さあ、行きましょうか」

 イアナがコウゾウの手を取り、先を促すと「もう行くのかい!?」とコウゾウが少し休ませて欲しいという顔をして妻を見る。だが、イアナには通じなかったようだ。

 渋々肩を落としながらコウゾウは妻を伴って歩き出す。

 ユーリックもそれに合わせて歩き、正月につきものの、破魔矢やらお守りやらの説明を聞いた。

 夏は知らなかった参拝の仕方も教わり、神社の拝殿に辿り着く。

 先に行っていたハルトとミツキの姿もそこにあり、ユーリックはその隣にいたある少女の姿に目を奪われた。

 ひと月ぶりに見るその姿に足が止まる。

 夏の祭りのときと同じように、国伝統の衣装に身を包んでいる。

「どうしたんだい?」

 呆然とするユーリックの背後から、コウゾウとイアナが不思議そうに顔を出す。

 そして。

「あの子たちは……」

 頭を抱えたのはコウゾウだった。

 イアナの方は「あらまあ」と声を出して、口元を抑えた。

 ユーリックの視線の先、そこにいたのはその少女だけではなかったのだ。

 一足先に行ったはずのミツキが少女の側に立っていた。

 おまけにこちらがそれに気が付いたこと気づき、あげくにんまりと笑う。

 それだけでこれが彼女の仕組んだことだと気付かされた。

 その側にいたハルトはといえば。ミツキのそんな様子に苦い顔をしている。朝の時点では普通だったから、ハルトもここへ来て知ったのかもしれない。

 ユーリックは改めてその少女を見た。

 ミツキと同じく振り袖を纏っている。だがその色は赤でなく淡い桃色。遠目ではわからないが、その柄はミツキのものと似ているように思えた。

 黒髪は綺麗にまとめられ、かんざしと呼ばれる髪飾りが光っていた。

 だがその顔は以前見たときと同じで地面と平行になるかのように俯いている。

「ユーカ」

 無意識のうちに彼女の名を呼ぶ。

 人が混雑する中でのことだ。当然声は届かない。

 ミツキがそんなユーカに声をかけ、顔を上げさせる。

 指さした先にはユーリックがいる。少女の視線もそれを追いかけ、やがてユーリックの視線と重なった。

 ユーカの目が驚きに見開かれる。そして顔が強張り、また下を向く。

 ああ、駄目だ。

 ユーリックは思った。

 病院にいたときと、十一月の終わりに挨拶に来たときと、まったく同じ反応だった。

 自分はここにいてはいけない。

 そんな気持ちがユーリックの内から湧いて、その時にはもうきびすを返していた。

「あ、ユーリック」

 コウゾウの声の後に。

「ユーリック。待って!」

 遠くから呼ぶミツキの声が続いた。が、ユーリックに止まるつもりはない。

 ミツキが追いかけてくるのはわかったが、それだけだった。

「こら、待ちなさい。待ちなさいってば。このウスラトンカチ!」

 ウスラトンカチ?

 果たしてそれはどういう意味だったろうか。

 はじめて聞く言葉だったが、おそらくいい意味ではないだろうことだけは理解した。

 しかも彼女はそれを大声で叫んでいるわけで、通りすがりの参拝者たちが次々と振り返った。

 徐々に注目されつつある二人。

 夏にも似たようなことがあったな、と脳内で振り返ったところに。

「ちょっと。優佳がせっかく勇気を出して来たっていうのに逃げるの!?」

 思わぬ言葉を落とされてユーリックは振り返った。

 動きにくそうな振り袖をうまく捌いて、ミツキがユーリックの所にやってくる。とはいえ、動きが制限される着物で走るのは一苦労だったのだろう。

「あー、もうっ。話くらい聞きなさいよっ」

 息も荒く、ミツキはユーリックを睨みつけた。

「せっかくお膳立てしてあげたのに」

 そういうのを確か余計なお世話、というのではなかっただろうか。

「……こういうやり方は嫌いだ」

 ため息が出た。

「ええまあ、そうだろうと思ったけど。でも、そうでもしないと優佳もユーリックも全然駄目でしょ。それにね」

 ミツキはそう言うとユーリックの腕を引いて耳元で囁いた。

「優佳、ちょっとやばかったのよ。病院の時より歪みを溜め込んでて。まあ、歪みっていうか、鬱屈した気持ちって言った方がわかりやすいだろうけど。あのままじゃ、せっかく持ち直したお父さんとの関係も駄目になってたわね」

「そうなのか?」

「そうだったのよ」

 周囲を警戒し、落としていた声の音量を元に戻したミヅキは不機嫌そうに口を尖らせる。

「ま、原因はわかってるから、そうならない為にもユーリックとはちゃんと仲直りしてもらわないと困るの。それなのに逃げるなんて許さないわ」

 いかにもユーリックが悪いと言わんばかりの勢いでミツキは喋っている。が、今の今までユーリックはユーカに避けられていたのだ。

 先程ミツキは彼女が勇気を出してと言っていたが、ミツキの性格を考えれば無理矢理連れてきたようにも取れる。

 ユーカはユーリックが思っているよりもずっと繊細な少女だ。

 ここ数ヶ月でそう思い直したばかりなのに。

「それでさらに傷つけたらどうするつもりだ」

「あら、それは大丈夫よ」

 ユーリックの心配をもろともせずに、ミツキはそう言い切った。

「あの子はね。ユーリックに会いたくて今日ここに来たの。だから、会わずにそのまま帰ればその方があの子は傷つくわよ」

「……だが」

「なによ。優佳に会いたくないとか言わないわよね」

「いや、それは」

 会いたくないわけじゃない。むしろ会って話をしたいと思っている。

 だが、ユーリックに会えば、ユーカはまた顔を逸らすだろう。ユーリックはそれが嫌だった。

 ユーカの傷ついた顔も、見たくない。

 だから、会えない。そう思っていたのだが。

「うじうじしないでよ。男でしょーがっ」

 ぺしっ、と後頭部がはたかれる。

「あのねぇ。あんたは優佳じゃないのよ。だから優佳の気持ちはわからないでしょうが。勝手に思いこむ前に、ちゃんと会って確かめなさいよ。だからややこしくなるんじゃない」

 ミツキはそう言って目をつり上げた。

「どうしてお互いにどう思ってるか、ちゃんと確かめないの? ユーリックは自分を見ない優佳を見て距離を取った方がいいって思ったんでしょうけど、そこがそもそも間違いの元よ。勝手に自分で線を引いて、そこから先に踏み出さないでいたんでしょ。傷つけるのが怖かったから、それ以上何もしなかった。違う?」

 ずばり、その通りだった。

 反論のしようがない。

「ま、誤解されるような態度を取った優佳も悪いんだけどね。相手に確かめないうちに結論を出すなんて馬鹿のすることよ」

 だから、と彼女はユーリックの腕を引く。

「今度こそ、間違えないようにちゃんと向き合ってよ。優佳はもう覚悟を決めてるわ。だから、ユーリックも逃げずに覚悟なさい」

 傷つけてしまうと怖がらずに、相手を見て、その話を聞く。

 目が醒める思い、だった。

 言われてみればその通りで、ユーリックはユーカに避けられているということを重点に置いて行動していた。

 ユーカがどうして自分を避けているのか気にはなっていても、聞かなかった。

 聞いてもあの様子では教えてはくれないだろうと決めつけていたからだ。

「ミツキ。君は」

 凄いな。という言葉はミツキの指一本で止められた。

「あたしと喋っていても仕方ないでしょ。さっさと優佳の所に行って、話して、謝ってきたら?」

「……俺が謝るのは決まりなのか」

「あら、当然でしょ。ユーリックが優佳を泣かせてるのよ。どんな理由があろうと悪いのはユーリック」

 無茶な理屈ではあったが、ユーリックはあえて反論はしない。したところでそれは意味のないものだ。

 その代わりの礼。

「済まない。ありがとう、ミツキ」

「お礼はあとで。今はとにかく優佳のとこに行って。また泣いてるかもしれないから」

「ああ」

 どこかすっきりした気持ちでユーリックはもと来た道を戻っていく。

 ミツキの話は少なくとも、何ヶ月も心の奥に刺さっていた棘をいくつか抜いてくれた。

 ユーカにもその棘が刺さっているのならば自分が話すことで、話を聞くことで抜くことができるかもしれない。

 そうしたらあの頃のように笑ってもらえるだろうか。

 少しの期待と不安を抱きながらユーリックは少女の元へと向かうのだった。




   ********************




 振り袖を用意したのはみつきだった。

 着付けはまどかの母親にしてもらって、まどかは優佳の振り袖姿に喜んでいた。

 浴衣はともかく、振り袖は流石に恥ずかしい。

 まどかは振り袖ではなく、いつもの服にコートを羽織った。

 どうして優佳だけこの格好なのか聞くと、みつきが持ってきていた振り袖が2種類だけだったからということらしい。

 そこにどうしてか作為的なものを感じたような気もしたが、神社にたどり着くとそれどころではなくなった。

 元日の人の多さによろめきながら階段を上って境内を目指す。着物はやはり動きにくく、手を引いてくれているまどかが普通の服で助かった。と思ったのは内緒だ。

 待ち合わせ場所は拝殿で、こちらが先に着いたらしくみつきの姿はまだ見えない。

「先にお参りしとく?」

「え……一緒の方がよくないかな」

 落ち着かない優佳の言葉にまどかはあっさりした答えを返す。

「もしかして、緊張してる?」

「だ、だって……」

 みつきが必ず連れてくると言っていたユーリック。

 彼のことを考えると少し怖い。

 本当に来るだろうか。来たとして、ちゃんと話せるだろうか。

 話を聞いてもらえるだろうか。

「大丈夫だよ。優佳ちゃん」

 優佳の震える手をまどかが握る。

「きっと大丈夫。だってみつきちゃんがそう言ったんだよ」

「……そうかな?」

「うん。そうだよ、きっと。だから来るまではそばにいてあげる」

 何も心配はいらない。

 まどかの笑顔が、優佳の心にわずかながらも平穏を与える。

「ありがとう。まどか」

「うん。だって友達だもの」

 お互いに笑い合ったところで。

「わ、お嬢さんかわいいねー」

 声をかけられた。

 見れば全く知らない顔で、短く刈った黒髪にピアス、という格好から想像するに大学生くらいだろうか。

 知らない男の人で、その後ろにもひとりいる。こちらは茶髪にピアスをしている。

「おー、振り袖」

 どちらの青年も背が高く、優佳たちはすっぽりとそれに隠れてしまった。

「……あの、何か?」

「いや、お兄さんたちは君たちとちょっと話をしたくて」

 にこり、と笑う青年たちはぐるりとふたりを取り囲んだ。

 やばい。ナンパだ。

 そうは思ったが、逃げるに逃げられる状態ではない。

「待ち合わせしてるのでごめんなさい。そういうわけには」

 まどかが怯えつつ、一応の断りを入れる。だが、こういう場所で話しかけてくるくらいだ。そう簡単に引く相手でもなかった。

「えー、ちょっとくらいいいじゃない」

「そうそう。それに待ち合わせってどうせ女の子だよね。その子も含めてさ。どっかで遊ぼうよ」

 不意に黒髪の青年が優佳の肩に触れる。

「あの、手」

 みつきからの借り物だが、なんとなく優佳は青年に触られたくなかった。

「え、あ。ごめんごめん。君かわいいからついさ」

 そうは言いつつ、青年は手を離さない。

 怖い。という感情が膨れあがり、泣きそうになる。

「なにやってんの。おっさん」

 頼もしい声が聞こえてきたのはそのときだ。

 ぐえ、と優佳に迫っていた青年がくぐもった声を上げて体勢を崩す。

 その後ろで拳を握りしめた鮮やかな赤い振り袖の美少女が不機嫌そうに立っていた。

「シンちゃん!」

 茶髪の方が脇を押さえてうずくまる黒髪の青年に驚いてまどかから離れた。その隙にふたりはみつきの後ろに隠れる。

「みつき」

「みつきちゃん!」

「みつき。あんまりやりすぎないでよ」

 呆れ気味な声を出したのは優佳たちの同級生。ハルトだ。

「な、なんだお前っ!」

 黒髪の青年が脇を押さえながら立ち上がる。振り返ってみつきの顔を見た途端絶句することになるのだが、みつきはまったく構わなかった。

「あら。なんだとは失礼ね。このアホども。大方どっかの馬鹿大学の学生なんでしょうけど。人の連れに手を出すなんていい度胸してるわ。悪いけど今日はあんたたちに割く時間はそうないの。今日は下手に目立てないのよ」

 そうは言えども、実はみつきという和服の美少女に既に注目が集まっていたりしたのだが、そのあたりは無視の方向で行くようだ。

「だからさっさと終わらせてあげる」

 目は笑っていないのに、唇だけが笑みを形作る。真正面からそれを見た黒髪の青年は顔を引きつらせ。

「はあ!? お前なに言って……」

 その横から割り込んできた茶髪の青年はその顔を見ないままみつきに詰め寄る。手を出そうとして彼は、しかし次のみつきのひとことで動けなくなる。

「去れ」

 その声音は、常のみつきよりもずっと静かでそれなのに重く、目の前のふたりを縛り付けた。

「それ以上近づけば、汝が命は保障せぬ。死にとうなくば、疾くと去るがいい」

 みつきの顔は優佳からは見えない。けれど青年たちの顔がいきなり青ざめたのを見て優佳はみつきがなにかしたのだとわかった。

 その手にいつのまにか一枚の紙が握られている。けれど優佳は気付かない。青年たちが怯える姿に驚いていたからだ。

「ひっ」

「ば、化け物っ」

 青年たちは後ずさりし、そして一目散に逃げ去った。

 みつきは彼らの姿が見えなくなると優佳たちに振り返り、極上の笑みを浮かべた。

「他愛ないわね」

 手から紙がどこへともなく消えるが、誰もそれに気付かない。

「……何したの?」

「ただの催眠術よ。あたしの顔がお化けに見えるように暗示をかけただけ」」

 優佳の問いにみつきはあっさり答えたが、それにしてもあの怯えようは尋常ではなかった気がする。

 ハルトが頭を押さえていたが、それ以上は聞かない方がよさそうだった。

「ごめんね。ちょっと遅くなったわ。あんなのに絡まれてるなんて」

「ううん。助けてくれてありがとう」

 お礼を言って、ふと周囲を見る。

「ユーリックならハルトのおじさまたちと一緒よ。ゆっくり登ってくるみたい」

 みつきと一緒にいるはずのユーリックの姿を捜していることはバレバレだったようだ。

 思わず顔が赤くなって、優佳は俯いてしまった。

「みつき。まさかと思うけど。ふたりを会わせるつもりで……?」

「そうよ。いつまでもこのままじゃ困るでしょ」

 何も知らなかったらしいハルトが唸り出す。

「大丈夫よ。そのあたりはあたしがうまく……あ、ほら。来たわ」

 みつきが促したその先に、ユーリックがいた。

 ユーリックは優佳よりも先にこちらの存在に気付いていたようだ。

 顔を上げた瞬間に目があって、優佳は思わず以前のように下を向いてしまった。

 あっ、と思ったときには遅い。

「ユーリック。待って!」

 みつきがいきなり走り出したので顔を上げる。するとその方角にユーリックの背中があった。

 背中。

 それはつまり。

 避けられた。ということで。

「……やっぱり、怒ってるのかな」

 ずっと、入院していた時から避けてきた。

 ユーリックはそれを何も言わなかった。何も言わずに優佳の視界から姿を隠していた。

 もしかしたら優佳がユーリックを嫌っていると思ったのかもしれない。だからユーリックも優佳のことが嫌いになったのかもしれない。

 そう思うと悲しくなって、隣にいたまどかにしがみついた。

「どうしよう」

「優佳ちゃん?」

「どうしよう。まどか。ユーリックに嫌われた」

 泣きたかった。

 誰かにすがって、泣きわめきたい気分だった。

 自分の態度が原因で優佳はユーリックを怒らせたのだ。

「え、ちょっと。優佳ちゃん」

「……うーん。なんかすごく誤解しているような気が」

 慌てるまどかと冷静なハルト。

 優佳に彼らを振り返る心の余裕はなく、ぼろぼろと流れる涙は止まらない。

「どうしよう。どうしよう」

 周囲も泣き出してしまった優佳を見て「何があった?」と遠巻きに見始めている。

「き、喜里山くん」

「うーん。困ったな」

 まどかに助けを求められたハルトはとりあえず優佳を慰めるのに参加することにしたようだった。

「日渡さん。とりあえず僕が言えるのはひとつだけ。ユーリックは君を嫌ってないよ」

「嘘! だって帰っちゃったじゃない」

 優佳に背を向けて去っていったユーリックの姿は思い出すだけでも涙を誘う。その目で睨みつけられたハルトは少し体を引いた。

「そ、それは多分日渡さんが目を逸らしちゃったからだと思うよ。日渡さんが自分のことを嫌ってるって思ったのかも。だから会わない方が日渡さんの為だって思ったんじゃないかな」

「……あたしのため?」

「うん。そう。ユーリックって思ってることを自分の中に溜めちゃう性格みたいだから。みつきが言うには自己完結型なんだって。自分で勝手に納得して、全部自分の中に収めちゃう」

 そういえば、つい先日みつきが家に遊びに来たときにもそんなことを聞いた気がする。

「だから日渡さん。ユーリックはちゃんとみつきが連れ戻してくるはずだから、そこはちゃんと聞いておいた方がいいよ。誤解のないようにね」

 奇しくも同じ頃、似た会話をみつきとユーリックがしていようなどとはハルトも優佳も思わない。

「日渡さんも思いこみ激しそうだし。他人と自分は違うんだから。お互いが何をどう思ってるか、わからないことはちゃんと聞かないと駄目だよ。そうじゃないとあとで後悔することになるからね」

「……喜里山くんは、あるの?」

 ふとハルトの表情が曇ったのに気付いて優佳は問いを発していた。

 ハルトはそれにどこか遠い目をして答える。

「いや、なんというか。みつき関係でいろいろとね」

 それ以上は聞かないでくれ、と目を逸らされた。

 どうやら優佳とは別の方向で大変なことが起きていそうだ。

「さて。そろそろかな」

 優佳が泣きやんだので、野次馬はゆっくりと流れていく。

 代わりに正月の参拝客の流れが戻ってくる。

 その中に彼らはいた。

 参拝客たちの流れを縫うようして、やってくるその人。

 優佳が微笑むと、彼もまた微笑むのだった。




   ********************




 自分たちはいない方がいいだろうから。と一時間後に待ち合わせをしてユーリックとユーカはミツキたちと別れた。

 その時のミツキの顔がにんまりと笑っていたのが気になったが、ろくでもないことになりそうなのであえて思考から追い出した。

 ふたりで少し歩いて、話が出来そうなところを捜す。

 無言なのは、まだ少しお互いの距離が遠いからだろうか。

 人通りの多い境内からはずれた場所に鉄製の柵があったので、とりあえずそこにユーカを寄りかからせる。座れないのはきついだろうが、それでも幾分ましだろう。

 慣れない格好をしたせいで、足の指の間が痛いらしい。

「済まない」

 ユーリックが言うのと。

「ごめんなさい」

 優佳が言うのはほぼ同時だった。

 きょとん、とお互いの顔を見合わせて笑う。

 ユーリックはユーカのその笑顔を見て、心からほっとしていた。

「よかった」

 こぼれ落ちた言葉もユーリックの心情をそのまま表したもの。

 ユーカが「え?」と首を傾げる。

 普段とは違う髪を結い上げた少女の何気ない仕草。ユーリックはそれにユーカの中の女性を感じて心臓が跳ねた。

 振り袖という格好のせいだろうか。以前よりもずっと年齢が上に見える。よく見ると化粧もしているようだった。こうなると一番最初に彼女を見たとき、実年齢よりも三、四歳下に見えたことが不思議に思える。

 女性というのは服装と化粧で見た目が変わる。とは聞いていたがそれを今実感することになるとは。

「いや。ユーカの笑う顔がまた見られるとは思っていなかったから安心したんだ」

 今まで妹のようだと思っていた彼女の変化に戸惑いながらユーリックは言葉を紡いだ。

「ユーカの笑顔が見られて嬉しい」

 本心からの言葉。

 それを告げた途端にユーカが顔を赤く染めた。息を吸い込む、その状態で顔を固定し、すぐさま体ごと顔を逸らされる。ユーリックは思わずしまった、と思ったが遅かった。

 話をしようとふたりになったのに、これでは話にならない。

「済まない、ユーカ。怒らせた、か?」

 ここはミツキの言うとおりにしようと、ユーリックは問いかける。するとユーカが慌てて否定した。

「ち、違うよっ。ユーリックの言ったことがあまりにも予想外だったから……その。照れただけ」

「照れる?」

 果たして自分はユーカが照れるようなことを言っただろうか。

 自覚のないユーリックは動揺してあわあわと手を振るユーカの顔を見て首を傾げた。

 ユーカがユーリックの顔にそれを見たのだろう。

「もう、いい」

 今度は拗ねたように顔を逸らした。

 その顔は実年齢よりも低く見えるいつものユーカで、思わず笑ってしまう。

「どーしてそこで笑うのっ」

 ますます拗ねるユーカにユーリックは笑みのまま「済まない」と手を伸ばす。自然とユーカが入院するまでは当たり前だった定位置に手が置かれた。

「悪かった」

 綺麗にまとめられた髪を崩さないように撫でる。いつもならさらさらと指の間をすり抜けていく前髪は整髪剤で固定されて固かった。

 それを少し残念に思って。

「みつきに感謝しなければいけないな」

「え?」

 頭から手をどけると、ユーカがユーリックを見上げた。

「俺は勝手に、君が俺を嫌っているのだと思っていた。だから俺を見ようとしないユーカが会いに来ないのは当然だと。全てを、【フォライザ】のことを知ったのだからもう会いに来なくて当然だと思っていた。だが、俺はユーカじゃない。そしてユーカは俺じゃない。言葉にしなければわからないこともあるのだと怒られた」

「あたしもさっき喜里山くんに似たようなこと言われた」

「……そうなのか?」

「うん。自分と他人は違うんだから、わからないことはちゃんと聞かないと駄目だって」

 ユーカが苦笑してユーリックと正面から向き合う。そしてぺこりと頭を下げた。

「ごめんなさい」

 数秒間そうして腰を折り続け、ユーリックが「もういい」という前に体を起こした。

「あたしの方がずっと勝手だったよ、ユーリック。入院してたときも、退院してからも。ずっとずっと勝手に決めつけてた。事故のあとはお父さんに悠斗はもう死んだんだ、って怒鳴られてすぐだったから自分自身が拒絶されたみたいに感じてた。それでユーリックにも同じように感じちゃってたのかもしれない。ユーリックに何を言われたわけでもないのに怖がってた。ユーリックがいることで、悠斗はいないんだっていう証拠を突きつけられてるような気がしたの」

 ユーカがその時のことを思い出したのか、体を小さくして俯いた。

 震えているのだと気がついて手を伸ばそうとすると、ユーカの顔が上げられた。

「でも」

 泣きそうだが、堪えている。そんな風に見える顔。

「でも、ユーリックが病院でお父さんに対して怒ったっていうその内容を聞いたらそんなの吹き飛んじゃった」

 気丈だ、と思うのは簡単だった。

 ユーリックはそんなユーカの自分自身を告白するその勇気に応えたいと「もういい」と言いそうになる自分を押さえる。

「生まれたところに二度と帰れないのに、家族とも会えないのに。ユーリックがどんなに辛かったかあたし全然考えてなかった。悠斗のことばっかり考えて、結局あたしは自分のことしか見えてなかったんだ。ってその時にわかったの。謝りたいって思ったけど。入院してからずっとあんな態度だったし、ユーリックはあれ以来病室にも来なくなっちゃったから」

「そうだったのか」

 ユーリックはユーカの為だと思って自分の取った行動が、今に繋がってしまったのだとようやく理解して苦々しく思った。

「済まない。俺が行くと君はいつも顔を逸らしていた。だから俺がいない方が君のためだとばかり」

「あ、謝らなくていいよ」

 ユーカが慌てて首を振る。

「だってそれもあたしの勝手でそうなっちゃったんだもの。それに退院してから挨拶に行ったときにだって謝ろうと思えば謝れたのに、ユーリックにどう思われてるのか怖くて謝れなかった。言えなかったあたしが悪いの」

 だから、とユーカは姿勢を正すともう一度深々と頭を下げた。

「ごめんなさい」

 端から見れば、それはおかしな光景だったのだろう。

 外国人に見えるユーリックに頭を下げる日本人の少女。

「お、にいちゃん。フラレたのかい?」

 酔っぱらいと見られるふらふらと現れ、中年男がユーリックの背中を馴れ馴れしく叩いた。

「!?」

「え、あ。ち、違いますっ」

 困惑するユーリックの目の前で中年男の言うそれを否定するユーカ。

「ま、まだ告白もしてないのにっ」

 ユーカが慌てるあまり口を滑らせ、中年男がにやりと笑った。

「ほうほう。いいねえ。若いねえ」

「え、あ。や」

 赤くなったり青くなったりユーリックと中年男の間をユーカの視線は行ったり来たり。

 中年男はジャケットのポケットから酒瓶を取り出して直接口を付ける。

「ははぁ。おう、坊主」

 がしり、と肩を掴まれ、ユーリックは事態が把握できないまま自分を坊主扱いした中年男を見た。

 顔が近いので息が酒臭い。

「まぁ、がんばれや」

 それだけ言うとユーリックを解放し、中年男は次に涙目になりかけているユーカの肩に手を置いた。

 それを見た瞬間、ユーリックの胸の奥がざわめいた。その腕目掛けて掴みかかり。

「お嬢ちゃん。あんたもがんばんな」

「ひゃいっ!?」

 中年男はユーリックの手が届く前に素早くユーカから離れた。

 目論見ははずれたが、ユーリックはそのままユーカと中年男の間に入り込む。

 近づくな、と睨みつけるユーリックに中年男は肩をすくめた。

「おお、怖い。怖いねえ」

 豪快に笑い。再び酒瓶を傾ける。

「悪くない反応だ。まあ、しっかり彼女を守ってやんな。その時が来るまで」

 怖い、と言う割に少しもそんな素振りを見せなかった中年男はやってきたときと動揺にぶらりと去っていく。

 後ろ手に手を振り、酔っぱらいらしく足下はおぼつかなかったが。

 その姿を一瞥し、ユーリックは動揺して酔っぱらいの中年男並みに足下がおぼつかなくなっているユーカに声をかける。

「ユーカ。大丈夫か」

「ふぇっ? あ。だ、大丈夫だよ。大丈夫っ」

「とりあえず落ち着け」

 大丈夫、とは言いつつもユーカのその慌てぶりは見ていられない。

「は、はい」

 流石に自分でも不味いと思ったのか、ユーカは鉄製の手すりに手を突いて呼吸を整える。

 ユーリックはその先に見える町の姿をユーカが落ち着くまで眺めることにした。

 町の中心部から外れた農業地帯と、いくつかの集落。その中の車と人の流れが見える丘の上。

 冷えた空気は乾燥していてやはりバルフェルド王国とは違う。

 魔物もいない、王もいない。人間が安全に出歩けるそんな国。

「ユーリック?」

 声をかけられて隣を見れば、ユーカが少し不安そうに見上げていた。

「大丈夫? ちょっと悲しそうな顔をしてた」

「……そんな顔だったか?」

「うん」

 自分では気が付かなかったが、ユーカにわかるほど表情に出ていたらしいと知ってユーリックは苦笑した。

「済まない。故郷のことを思い出していた」

「故郷って、フォライザ?」

「そうだ」

 正確にはフォライザという世界の中にあるひとつの国。バルフェルド王国なわけだが、ユーカにはどちらも同じ異世界だ。

 ユーリックはユーカの頭をそっと撫でて頷く。

「俺がいた国は、森と山に囲まれていて、常に魔物の恐怖と戦っていた。だからこんな風にゆっくり景色を見る機会はなかった。改めてここは安全な土地だと思っただけだ」

「魔物……たくさんいたの?」

「町の外に出るのも命がけだ」

「そっか。大変だね」

 きっとユーカには言葉でそう言うことは出来ても、実際には理解できないだろう。

 ここは紛れもなく安全で、豊かな国だから。

 けれどそれでいいとも思う。

 安全で、安心して暮らせるのならそれに越したことはないのだから。

 それが彼女の故郷だ。

「うらやましい、と思う」

 ユーリックの父親は魔物に殺された。そしてユーリックはその事をきっかけに魔法師団に入団した。結果は今の通りだが、それを後悔はしていない。

 ただ、こんな平穏な世界があるのだと思うとやるせなくはなった。

「ね、ユーリック」

 ユーカがそっと自分の頭に乗せられていた手を取り、腕に抱き留める。

「あたしね。ユーリックの世界のことは全然知らないし、ユーリックの気持ちを全部わかってあげられることは出来ないけど。でもね、こう思うの」

 少しだけ、悪戯っぽく笑って彼女は言った。

「うらやましいって思うなら、ここをユーリックの故郷にしちゃおうよ」

「……え?」

 それは思ってもみない発想だった。

 ユーリックが目を見開いて固まるのを見たユーカは「いい考えでしょ」と片目を瞑ってみせる。

「もちろんその為の協力はちゃんとやる。みつきや喜里山くんたちもきっと協力してくれる。ユーリックが寂しくならないように側にいてあげる。だから……」

 ユーカは一度言葉を切った。

「だから、笑って」

「ユーカ」

「あたしもユーリックの笑顔が見たい。ユーリックがここで、この世界で生きるしかないのであれば、この場所を故郷にして欲しいの」

 ユーカのその願いは数年後に叶う。

 これはふたりがともに歩もうとするその最初の一歩。

「大好き」

 体を預けるように飛び込んで来たユーカを胸に抱いて、ユーリックは呟く。

「ありがとう」 

 新しい年が、はじまった。




2012.3.3 いろいろ修正。


霧幻の彼方 ~霧向こうの世界~


第二幕 あらすじという名の予告

ユーリックが現代日本にやってきてから十五年の月日が過ぎていた。二度と帰れない異世界を思いながらも、霧原町を第二の故郷として生活する日々。仕事は順調。子供もふたり得て、幸せだと思えていたある日。霧は再び無慈悲にもその全てを奪い去る。辿り着いたのはかつての故郷。なぜ、と問う声に応える者はいない。


第二幕からわずかながら残虐表現が入ると思われます。

表記は第二幕の更新からしますのでそれまではこのままで。

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