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霧幻の彼方 ~霧向こうの世界~  作者: 小池らいか
第一幕 霧の向こう側
5/11

夏祭り



 八月に入って。

 ユーリックはこの国の暑さが少し恨めしくなった。

 バルフェルド王国は山や森が多く、雨季もあることから比較的この国の気象に近い部分もある。

 バルフェルド王国の夏は蒸し暑い。雨季のあとにすぐ夏が訪れるので湿気ている。だが、基本的に穏やかで周囲に緑が多かった為、その暑さで倒れる人間はほとんどいなかったはずだ。

 最初の頃。雨が降って晴れたあとの蒸し暑さはどこか故郷を思い出させた。

 だが今の時期、この暑さは予定外だ。

 蒸し暑いということに変わりはない。だが、地面に反射する照り返しが容赦なくユーリックの体力を削っていったのである。

 【レイボウ】という涼しくなる【キカイ】の下。ソファの上にユーリックは倒れるように横になっている。

 それを見守るのはハルトと遊びにやってきていたユーカだ。

「うーん。やっぱりアスファルトはきっついかなぁ」

 ユーカの「大丈夫?」という【ニホン語】はもう何度も聞いたので覚えてしまった。

 それに対して同じく「ダイジョウブ」とニホン語で返すとユーカはぱあっと顔を明るくした。

 徐々にニホン語を覚えていくユーリックに喜んでいるというところか。

 喜ばしくはあるのだろうが、その先に待ちかまえている来るべき日がなんとなく恐ろしくもある。

 とはいえユーリックは、ばてている状態である。

 とりあえず静かにして、この暑さに体が慣れるまで待つしかない。

 横になっているユーリックを尻目にハルトはユーカやミツキとなにやら会話をしている。断片的に聞き取れる単語もあるがそれだけで、特に意識しなければ雑音にしかならなかった。それが明確な言葉として発せられるようになったのは三十分後。

「ユーリック。夏祭りが今度の土日にあるんだけど行かない?」

 ハルトの提案――正確にはユーカが発案――にユーリックは少しだけ目を開ける。

「夏祭り?」

「うん。そう。近くに神社があるんだけど。そこの夏祭り。あ、お祭りってわかる?」

「……夏に行われる祭りというのはわかった。【ジンジャ】というのがよくわからないが」

「うーん。と神様を奉る社、なんだけど。まあその辺りはまた今度。とにかくそれに行かないかってこと。夜店も出るし、ユーリックには色々おもしろいものが見られると思うけど」

「昼に出ろ、と言われれば断るぞ」

 とりあえず、それだけは避けたい。途中で倒れる醜態は晒したくない。

「夜店って言ったのに。そこは心配しなくてもいいよ。日が暮れる少し前に出れば、少しは気が紛れると思う」

「なら行ってもいい」

 その返事がハルトから他の2人に伝わると女子特有の黄色い声が上がる。

 喜ぶのいいが、その声はやめてほしい。

 そしていつのまにあの2人は仲良くなったのだろう。

 ぐったりと目を閉じたユーリックは、本気で耳に栓が欲しいと思うのだった。




   ********************




 夏祭り当日の土曜日。

 優佳は友人宅で浴衣を着せてもらっていた。

 残念ながら自分で着るスキルは持っていない。

 白い生地に、向日葵が描かれた浴衣も実は友人の借り物なのだが、友人はもう一着あるからとそっちを着ていた。

 着せてもらった礼を彼女の母親に言って、二人でいよいよ出発する。

 目的地はバスで二十分の霧山神社だ。

 護国豊穣の神様を奉っているのだとかいううんちくがあるが、興味がないのでよく知らない。

 弟の悠斗がいた頃は、まだこの夏祭りにも家族で出かけていたが、いなくなってからは家族で行くこともなくなった。

 今年も父親は仕事だと言って朝からいない。

「優佳ちゃん。ほら、着いたよ」

 夏祭りに合わせて運行される臨時バスが止まったのに合わせて友人の少女に手を引かれた。

 少しだけウェーブのある癖毛を今日は後ろでまとめ上げている。

 志野まどか。

 それが彼女の名だ。

 大人しい性格で、自己主張もあまりしない。だからといって意志が弱いわけでもない。芯のある少女だった。

 そうでなければ、霧が出れば追いかけて行ってしまう優佳の友人など出来ない。

 運賃を支払ってバスを降りるとそこはもう夏祭りの会場だ。

 日が長い夏だからこそまだ明るいが、じきにそれも暗闇に飲まれてしまうに違いない。

「優佳ちゃん。待ち合わせはどこ?」

 まどかに尋ねられた優佳は「こっち」と様々な匂いと音が入り交じった夜店の間を歩き出す。

「神社の境内にいるって言ってたから」

 ということは長い階段を登らなければならないわけで。履き慣れない下駄が少し辛い。だがこれしきで諦めるほど優佳もやわではなかった。

「行こ、まどか」

 たくさんの人をかき分けるようにして階段を登る。

 流石にここの五十段はきつかったが、登ってしまえばあとは真っ平ら。

 広い境内にもぎっしり夜店と人が詰まっていて、これでは待ち合わせ相手を捜すのも一苦労するかと思いきや。

「あ、あそこ」

 まどかが真っ先に見つけた人だかり。なにやら騒がしいのは何故だろう。

「ちょっと、なんであなたが喜里山くんにくっついてるのよ!」

「んもう。うるさいっ。ハルトはあたしの下僕よ。何か文句あるのっ!?」

 語るまでもなかった。

「あれ、檜山さんの声だ」

 まどかの言う通り、優佳にもその声は聞き覚えがある。

 中学時代、ハルトを慕っていた女子生徒のひとりだ。

 彼女が相手取っているのはおそらく昨日も会話したばかりのあの少女。

 みつきだろう。

「なんか、大変なことになってる?」

「多分」

 なんとなく近づきたくない。でも、近づかなければいけない。

 待ち合わせ相手は間違いなくそこにいるからだ。

「とりあえず、行ってみよう?」

 まどかがのんびりと言いながら先に歩き出す。こういう時の彼女の行動力はとても助かる。

 その行動に背中を押される形で優佳もその渦中に足を踏み入れることになった。

 人だかりの中心は、予想通り黒い布地に水仙の花が描かれた浴衣の美少女みつきと優佳やまどかの中学時代の同級生、檜山美樹。彼女も充分美人の中に入るだろうが、みつきと並ぶとやや精彩に欠ける。だがそれはほんの些細なことで美樹は目の前の美少女に怯むことなく、びしりと指を突きつけて言った。

「馬鹿なこと言わないで! 喜里山くんは下僕じゃないわ。王子様よっ!」

 しいん、と周囲のざわめきがそれで消える。王子様呼ばわりされた当の本人は、なんというか居心地が悪そうに俯いていた。

 確かに中学時代、ハルトは外国人とのハーフ――本当は異世界人とのハーフなわけだけれど――というそのルックスから一部の女子生徒に「王子様」と呼ばれていた。

 しかしそれを今ここで、それも公衆の面前で暴露するのもいかがなものか。

 下僕呼ばわりのみつきもどうかとは思うが。

「王子? やだ。ハルト。あんた王子とか呼ばれてたの?」

 ぷっ、と吹き出すみつき。

 どうやら彼女のツボにジャストフィットではまったらしい。

「もーおっかしー。やだちょっと。ハルトが王子様? あはははははっ」

「……みつき。頼むからもうやめて」

 がっくりと肩を落とすハルト。この状態ではにらみ合うふたりよりも本人が恥ずかしいと思っているあだ名を晒されたハルトの方が過酷だろう。

「王子」

「王子さまって」

「いまどき王子?」

 周囲のざわめきもそれに追い打ちをかけそうだ。

 ここ最近で見慣れてしまったハルトの涙目が哀れに思えてならない。

「えっと、どうしよう?」

 優佳は追いついたまどかの背中に声をかける。

「……うんと。どうしよっか」

 まどかと顔を見合わせ、目の前の現状を考える。というか考えてもどうにもならない気がする。

 この中に入って彼らに声をかけることも出来るだろうが、好奇の目に晒されるのはちょっと嫌だ。

「困ったね」

「うん。困ったね」

 優佳たちが顔を見合わせるその時にも女同士の戦いは続いていた。

「何を笑ってるのよ!」

「ちょ、これが笑わないでいられる? 王子よ王子。王……ぶっ、はははははっ」

「し、失礼だわ。あなたなんなの!?」

「いやだから、ハルトのご主人様?」

「疑問系で言う!? っていうかそもそもそれ違わない!?」

 ごもっとも。

 それはそうとして、この状況に収拾がつくのかそっちの方が気になった。

 まあ、それはすぐに杞憂に終わったわけだけれど。

「ミツキ」

 日本人ではあり得ない発音。それほど大きな声ではなかった。だがそれは何故か優佳たちの耳にも届く。

 みつきの笑い声がぴたりと止んだ。顔が笑っていたその状態で固まり、止まる。

 彼女の背後にもうひとり、ハルト以外の人間がいた。

 この騒動でみつきたちがやけに目立ってしまった為に影が薄くなってしまっていたが、そのひとことで彼の存在は一気に色濃く露わになる。

「あー……」

 今までの勢いはどこへ行ったのか。みつきはおそるおそる振り返る。

「ユーリック」

 夕闇の中、提灯の光に照らされて彼はそこに立っていた。

 いつも通りのシャツとGパンという姿だが、その存在感は現在この中の誰よりも際立っている。

 ユーリックが口を開く。異世界の言葉だったが、その表情や口調からしてみつきに対する咎めの言葉に違いない。ここ最近でよく見かける光景なので多分そうだ。

 実際にそうであるとわかったのは、ハルトがユーリックの言葉を通訳してからだったけれど。

「トラブルを起こすなら帰れ、って言ってるけど」

「え、あ、や。トラブルっていうか、だってこの女がっ」

 みつきが美樹を指さして言いつのろうとする。ユーリックはすかさずそれを手で制して。

「言い訳無用、だって。みつき」

「ええええええ!?」

 みつきが抗議の声をあげるが、ユーリックには通用しない。

 おそらく最近の暑さでばてていたことが原因だろう。少しやつれたように見える顔に苛立ちがはっきりと表れていた。

 日本人にはない茶色の目が怖いくらいに細く鋭くなる。

 みつきにもそれはわかったはずだ。

「……ごめんなさい」

 借りてきた猫のようにしおらしく謝罪する。ユーリックがそれに反応してまた何か言う。

「謝る相手が違う。って」

「う……」

 みつきはそっと美樹の方を振り返る。

 美樹は今までのみつきとは違うその反応に戸惑いを覚えているらしく警戒気味だ。

「わ、悪かったわね」

 無理矢理謝らされているのと変わらないので不満げだが、これも謝罪は謝罪。

「な、なによ。いきなり」

 美樹も売り言葉に買い言葉状態だったので、素直にそれを受け入れられないのだろう。

「ま、まあ。喜里山くんとその人に免じて許してあげるわ」

「はあ!?」

 上から目線のそれにすかさず反応してしまうみつき。が、再び制止の声がかかったためその後の言葉は飲み込まざるを得なかった。

「ミツキ」

「……うー、あー、もう。わかってるわよっ」

 ふん、とそっぽを向くみつき。

 ユーリックはそれを見て嘆息し、続けて美樹の方に視線を向けた。ハルトが「言うの?」と困ったようにユーリックを見上げる。

「まあ、いいけど。ねえ、檜山さん」

 ユーリックに促されてハルトが美樹に声をかける。

「君も謝るべきだって、彼が言ってるんだけど」

「えっ?」

 ハルトを慕う美樹からしてみれば、話しかけられたことで気分が高揚したわけだが、残念なことにその内容は逆ベクトルに向いたもの。

「この状態を作った原因はみつきが君に突っかかっていったからだけど、こんなに騒ぎが大きくなったのは君がみつきの挑発に乗ったからだ、って」

「あ……」

 思い当たることだらけなのだろう。改めて周囲を見回し、野次馬だらけのこの状態に年頃の女子らしい反応を見せた。

「そ、そうよね。やだ。ごめんなさい」

 恥ずかしい、と割と素直に謝ったのはハルトに言われたからだというものあるだろう。これにみつきが絡むとまたややこしいことになりそうだが。

 事実、顔を赤くして謝罪する美樹を見て、みつきの表情がこれ以上ないくらいにまで険しくなっていた。行動に出ないのはユーリックの睨みが効いているからである。

 これ以上ないくらいにその空間だけぴりぴりしていた。

 ややこしいことにならないといいなあ。

 優佳は心の中でそう呟いたが、世の中そう簡単にはいかないのが世の常だ。

 こうして夏祭り一日目の騒動は幕を下ろしたわけだが、この後しばらく彼らの行動に注目が集まっていたことは、余談である。




   ********************




 疲れた。

 気がつくと既に日は暮れていた。【チョウチン】という明かりがいくつも頭上に並んでおり、ハルトが言っていた夜店が【ジンジャ】の敷地内にぎっしりと詰め込まれている。

 訪れる人も多く、まさかそんな中でミツキがハルトの同級生だった女子と騒ぎを起こすなどとは思わなかった。

 いや、想定しておくべきだった。と言うべきか。

「ユーリック。ごめん。ほんっとにごめん」

 深いため息をついたユーリックにハルトが頭を下げる。ハルトが悪いわけではないが、ある意味ハルトが元となって起こった騒動だ。責任を感じているのだろう。

「息抜きっていうか、それの為に連れ出したのに」

「……いや。ミツキがいる時点で想像しておくべきだった」

 【リンゴアメ】。リンゴという果物が中に入っている飴を舐めていたミツキが自分の名前が出てきたことで「ん?」と首を傾げた。

 ハルトの隣に陣取って、何故かあの後一緒に行動することになったヒヤマ・ミキという少女に睨まれているがお構いなしだ。

 ハルトがなんでもない、と首を振ってため息をつく。

 なんというか、この世界に来てからいらぬ苦労が増えた気がする。特にここ最近。

 ハルトやミツキは夏休みというものが終わればまた別の場所に戻るというから、期間限定の苦労なのだろうが。とはいえハルトは毎日こんな状況のようだし、とりあえず彼がここにいる間はその負担を軽減するのに手を貸そうと決めていた。

 決めていたわけだが、最近の暑さにやられてその気持ちが少し緩んでいたのかもしれない。

 ミツキがミキを挑発したその時に止めることが出来なかったのが悔やまれた。

「ユーリック」

 自分の左隣。いつもと違う【ユカタ】という服に身を包んだユーカが心配げに見上げてくる。

 大丈夫だ、と【ニホン語】で答えるとユーカはユーリックの手に自分の手を繋いだ。抱きついてくることも珍しくないから、もうそのままだ。

 ユーカの隣にいる少女――こちらはシノ・マドカというらしい――はそんなユーカに少し驚いているようだった。

 とりあえず注目を浴びすぎた彼らは人目を避けて【ジンジャ】の裏手に陣取っていたわけだが、それでも完全に避難できたとは言い難かった。

「喜里山!」

 少年の声がしてハルトが目を丸くする。

「鈴倉」

 ハルトがその少年の名前を呼んだかと思いきや、その後ろから何人もぞろぞろと同い年くらいの少年たちが現れる。

 ハルトが彼らに近づいていくのと同時に、他のユーカやマドカたちも彼らを見て名前らしきものを呟いていた。

 どうやら皆知り合いらしい。

 外見からして、同級生というのが妥当なところだろう。

 年相応の顔で笑い合うハルトを見てそう判断する。

 時々こちらに視線が来ては外されるので、ユーリックのことでも話しているのかもしれない。そのうちにその集団の中にミツキが加わり、少年たちのなかにどよめきが起きる。ミキが突進してミツキに突っかかって行ったから、おそらくまた先の騒動と似たようなことを言ったのだろう。

 ユーカとマドカがおろおろとし始めたので、ユーリックは再びその仲裁に乗り出すことにした。と言ってもひとことミツキの名前を呼んで終わりだったが。

 効果は抜群でミツキはぐっと何かを堪えた後大人しくなった。ミキの方はそれで溜飲が下がったらしく、ユーリックに丁寧なお辞儀を返してそれで終わりだ。

「もう勘弁してほしいなぁ」

 というのはハルトが【フォライザ】の言葉で漏らしたものだが、ユーリックの耳までは届かなかった。

 それはさておき、少年たちはユーリックに興味津々だったらしい。

 気が付くと囲まれていて、それぞれ名乗るといろんな事を聞いてきた。

 どんな国か、どんな遊びがあるのか、どんな女の子がいるのか、などだ。

 流石に異世界から来たというのは言えないので、当たり障りのないことだけ答えたがきちんと伝わっているかはユーリックにはわからない。

 ハルトは単に外国人が珍しいだけだから質問の内容に深い意味はないと言っていたが、そんなものなのだろうか。

 とにかく大人数でしばらく喋った後、そろそろ帰った方がいいとその場で解散になった。

 時間は九時。

 大型の【クルマ】である【バス】の運行もなくなろうかという時間だ。

 最後の会話は、明日。夏祭り二日目に開催される【キモダメシ】というもののこと。

 待ち合わせ時間を決め、ユーリックも彼らもそうして帰宅していった。

 十五分ほどバスに揺られ、ユーリックはその間に聞いてみた。

「え、肝試しのこと?」

 参加することに同意を示していたので、てっきりフォライザにもあるのかと思った。とハルトが目を丸くする。

「聞こうにもすでに決定事項のような感じがしたからな。話の腰を折るのも悪いだろう」

「あー。まあねぇ。全員ノリノリだったから」

 ごめんね、とハルトは軽く謝る。

「霧原町の夏祭りの定番なんだ。毎年町ぐるみで準備してる。そうだなぁ。ひとことで言うと、真っ暗な中、手元の明かりだけで決められた道を辿ってゴールまでたどり着く遊び、かな? 人気のない夜道を歩いて、怖い思いをして涼しくなろうっていうのが主旨」

「怖い思いをして、涼しくなる?」

 それがどう繋がるのかユーリックにはわからない。

「うん。そう。ほら、悪寒が走るって言ったりするでしょ。フォライザには目に見えないものが悪さをするっていうような怖い話があったりしないの?」

 そう問われて、ユーリックは少しの間考える。

「そうだな。子供に聞かせるような教訓のような話なんだが。悪さをすると魔物に精神を食われるというのはあったな。実在する魔物で、目には見えるが触れることは出来ず、魔法でなければ倒せない。【ファルディム】という名だが」

「うーん。ちょっと違う気もするけど。まあいいや。ともかくそういう怖い話をするとぞくっとするよね」

「確かに子供の頃は怖がっていた気もするが」

「つまりはそれが目的なわけ」

「……?」

 ユーリックは首を傾げる。

「恐怖で暑さを忘れよう、ってことだよ」

 やっぱり、難しいのかな。とハルトは苦笑する。

「暗闇は恐怖を刺激するっていうのはわかる?」

 それはなんとなく理解したので頷く。

「特にこっちの世界では魔法がおおっぴらには存在しないことになってるから、正体不明の何かに敏感に反応しちゃうんだ。夜に草が揺れただけでも怖いって感じる人もいる。もちろん平気な人もいるけどね。肝試しっていうのは、そういう状態を故意に人間の手で作り出す一種の遊びってこと。まあ他にも怪談って言って怖い話をいくつもするって似たようなものもあるけど。とにかく明日実際に体験してみたらわかるよ」

 確かに話を聞いただけではわかりづらい。実際に体験するのが一番だろう。

 ユーリックは頷いてバスが目的地に着くのを待つことにした。




   ********************




 夏祭りの二日目。

 この日の最大のイベントはなんと言っても肝試しだった。

 親子で参加しても良し、友達と参加しても良し、カップルで参加しても良し。

 毎年好評を期して名物となったこのイベントの裏には、実行委員会の地道な努力がある。

 様々な工夫を凝らした恐怖をあおる細工の数々に、わざわざ各地からやってくるコアなファンもいるくらいだ。

 まあ、それはハルトにとってはどうでもいいことで。

 彼が今一番困っていることは、この順番待ちの最中に起こっている両隣のにらみ合いだ。

 待ち合わせした友人たちからしてみれば「うらやましいじゃないか」というところなのだろうが、ハルトにしてみれば災難以外のなにものでもない。

 右にみつき、左に美樹。

 名前も似ていてややこしい。

 まあ、美樹に関しては名字で呼ぶので問題ないが。

「ねえ、ほんっとに三人で行くの?」

 これは美樹。

「ああら、怖いんだったら大人しく待ってていいのよ~?」

 挑発するみつき。

 流石に背後にはユーリックが控えているのであからさまな敵対行動はしていない。ユーリックという抑止力はハルトにとって非常にありがたい存在だった。

 ただし、この後彼とは別行動になるのでそこが心配であったが。

「ふふ。誰が怖いですって? そんなことあるわけないでしょ。このイベントはあたしのパパも関わってるの。どこにどういう仕掛けがあるかぐらい想像つくわ」

「へえ……」

 みつきが胡乱な瞳で美樹を見つめる。

 やばい。これは何かする気がする。

 ハルトはそう思ったが表だっては何も言えない。

 みつきの実家、司馬の家は人外の存在を監視、あるいは捕縛し時に退治するのを生業としている。

 彼女自身も人外の存在を見ることのできる目を持っているし、退治するための破魔の札も常時持っている。これはいわゆる超常現象にも似たことを起こすことが可能なので、下手をするとみつきが美樹の挑発で札を使う可能性もあった。

 普段であれば流石にそれはしないだろうが、なにしろ肝試しという特殊なイベントの真っ最中である。多少変なことがあっても仕掛けだと思われてそれで終わりだ。

 使わせないように見張るのが一番なのだろうが、ハルトは胃が痛み出すのを感じていた。

 事前に胃薬は飲んできたが、効いているかどうか定かではない。

「ハルト」

 にらみ合う美樹とみつきを尻目にユーリックが声をかけてきた。

 大丈夫なのか、と問いかけられて「どうにか」と返答する。

 一応事前にユーリックがみつきに釘を刺してくれていたので、その辺りはありがたい。

 そのユーリックの手を握るのは優佳。ご機嫌のようで、その状態で隣に大人しく佇むまどかと話し込んでいる。

 彼らもまたハルトと同じく三人での行動だ。

 昨日久しぶりに会った友人たちは「なんでお前らだけっ!」と思い通りにならなかったことを悔しがっていた。実は今も視線が痛かったりするのだが、なら代わって欲しいというのがハルトの本音だった。

 実際には無理だけど。

 友人たちは大人しいまどかに色々と猛アタックしたようなのだが、それがいけなかったようでそれ以降は優佳の後ろに隠れるようになっていた。

 そうなると必然的に彼女は優佳とユーリックの二人について行くことになる。

 ハルトに恨めしい視線を送ってくるのは主に一人身の友人たちだが、それはもう自業自得だ。中には彼女持ちの友人もいたが。

 ようやく順番が回ってきたのは九時を過ぎた頃。今日はバスとは別に帰りの足は確保してあるので時間は気にしなくてもいい。

 友人たちの視線を逃れたのも束の間。予想通りの展開がハルトを待っていた。

 明かりは懐中電灯ひとつ。

 遠くに前を行く人の明かりが揺らめいているのが肝試しらしい雰囲気を醸し出している。

 にも関わらず。

「あーあ。なんかチャチねぇ」

 色々と台無しになるような台詞をぽつりと漏らすみつき。

 人外の存在を相手にすることもあるみつきからしてみれば、仕掛けだとわかっている肝試しは遊び以外のなにものでもないのだろう。

 もちろん、美樹を挑発する意味も含めての発言だろうが。

「なんの仕掛けも見ないうちからそんな感想を言ってほしくないわっ」

 挑発に乗った美樹がぎろりとみつきを睨む。

「ああら、失礼。肝試しってはじまったその時から怖いものが出てくるのだと思ってたわ。最初のつかみが肝心なのに、あんたのパパはそこがわかってないのね」

「パパを馬鹿にしないでよっ!」

 ハルトは早速始まったののしり合いにひとり嘆息する。

 おかしいなあ。なんでこんなことになったんだろう。

 中学時代にはこんなことはなかった。

 真面目に勉強して、友達と遊んで、気になる女子の話をして。

 それが今は。

「あら、馬鹿になんてしてないわ。期待はずれだって言っただけよ」

「それが馬鹿にしてるっていうのよっ」

 肝試しを楽しむどころではない。


 というか肝試しをする気があるの??


 ハルトは眼前を過ぎ去っていたこんにゃくらしき塊を視線だけで追いかける。

「……帰っていいかなぁ」

 平穏が欲しい。 

 自分そっちのけの状態でボルテージを上げていくふたりにハルトは本気でそう思うのだった。




   ********************




 ムードを出すどころではない先行する3人の名残は後に続くの三人にも影響していた。

 みつきと美樹。ゆっくり歩いているにもかかわらず、ふたりの声が次第に大きくなっているからである。

 それが肝試し特有の脅かされての悲鳴ならまだ救いはあるが、お互いをののしり合う声であるためなので、脅かす側もびっくりだろう。

「なんか喜里山くんが可哀相になってくるよね」

「だね」

「檜山さんも、あんな風に言うなんてびっくりだし」

「うん」

 みつきはともかく、美樹はあそこまでムキになる性格ではなかったはずだ。

 確かに気の強いところはあったが、ああして誰かを怒鳴りつけるようなことは、少なくとも中学時代には見ていない。

 クールビューティと男子が噂していたのも聞いたことがある。

 告白されたという話もいくつも聞いた。

 ハルトが好きだという噂もその時既にあったが、告白したという話は聞いていない。

 おそらく、ではあるが、昨日境内でみつきがハルトに無理矢理じゃれているのを見て我慢ならなくなったのではないだろうか。

 そんなことを考えていた優佳の左側からまどかが声をかける。

「優佳ちゃん、ごめんね」

 唐突の謝罪。

「ふぇっ!?」

 優佳は訳がわからず変な声を上げてしまった。右側で懐中電灯を手にしたユーリックがどうかしたのかと見下ろしてくる。

 なんでもない、と慌てて首を横に振ると、不思議そうに視線を前方へ戻す。

「なんで謝るの?」

「だって」

 まどかの視線がユーリックに向けられる。

「肝試し、ふたりで行きたかったんでしょう」

「えええええっ!?」

 うっかり叫んでしまった口を押さえたかった。が、残念ながら右手はユーリック、左手はまどかと繋がっていてそれは出来ない。そして一度出た声は戻せない。

「ユーカ、ドウシタ?」

 ユーリックが再び優佳に声をかける。

「あ、や。ホントになんでもないから。大丈夫!」

 暗がりだったから顔が真っ赤になっていたのはわからなかったはず。多分。

 というか、どうして優佳が真っ赤になっているのか本人もパニック状態だ。

「ちょ、まどか。なんでそうなるの?」

「え。だって好きなんでしょ? 手を繋いでるし」

 どうしよう。絶対的に手に汗をかいている自信がある。

 優佳は盛大に頭を横に振った。

「違うよ。まどか勘違いしてる。あたしがユーリックにくっついてるのはね」

 ユーリックが霧の向こうからやってきた人だから。弟の、悠斗の手がかりが欲しいから。だから少しでも仲良くなって話を聞きたくて。

「ユーリックの国のことが少しでも知りたくて」

 だから少しでもこの世界に馴染んで欲しくて。

「だから……」

 だから、のはずなのに。

「あれ、おかしいな?」

「……優佳、ちゃん?」

 胸の動悸が治まらない。

 右側の、繋がれた手の感覚だけが鋭くなっていく。

 自分と違う固くて大きな男の人の手。

 見上げた先の、日本人とは違う光を放つ鋭い瞳。

 とても三歳だけ年上には見えない大人びた顔。

「ど、どうしよう」

 まどかに言われて初めて気が付いた。

 ずっとこの数ヶ月、弟の手がかりが欲しくて、その手がかりを逃したくなくて、その一心で、ユーリックを逃すまいと抱きついたり、手を握ったりしてきた。

 今までその思いだけで行動してきたが、よくよく考えてみるとその行為は【彼女】が【彼氏】にするそれではなかろうか。

 しかも今改めてユーリックの横顔を見て優佳はそれを自覚してしまった。

 彼は男の人なのだと。

「もしかして、自覚なかった?」

「……うん」

 まどかが目を丸くする。

 これで周囲が明るければ耳まで真っ赤なのが見て取れたことだろう。

 暗闇であることがこれほどありがたいと思ったことはない。

 だが。

「ユーカ、マドカ!」

 不意に繋がれていた手が引き寄せられ、バランスを崩した優佳は体ごとユーリックにぶつかる。優佳と手を繋いでいたまどかも自動的に引き寄せられて、二人はユーリックの腕の中にすっぽり収まった。 

「な、何事!?」

「ナニカ、トンデ、キタ」

 頭の上から降ってきたのは片言の日本語。

「え、何かって何!?」

 優佳はあわててユーリックから離れようと折れていた膝を立て直し、顔を上げる。

「あ」

 まどかが小さく声をあげ、指を示したのは頭上。

 ブランコのように揺れているそれは。

「こんにゃくっぽいね」

 肝試しの定番中の定番である。

 暗闇の中、ちっ、と舌打ちが聞こえたのは気のせいではないだろう。

 たぶん仕掛け人だ。

 誰かひとりには当てたかったのかもしれない。

「なんだあ。びっくりした」

 ほっと胸をなで下ろして優佳はまどかと顔を見合わせて笑う。

 そうならなかったユーリックは。

「コレ、キモダメシ?」

 と、こんにゃくらしき物体に懐中電灯の光を当てて不思議そうだ。

「クンレン、ニ、テル」

「訓練って訓練?」

 思ってもみない方向から感想が来た。

 もしかしてだから避けるように優佳たちを引っ張ったのだろうか。

「これ、単なる遊びだよ?」

 本当にどんな所から来たんだろう。

 優佳は昼間にユーリックが行っていた体術の訓練とやらを思い出してため息をつく。

 空手とも柔道とも違う動き。とても滑らかで、素人目から見ても無駄がほとんどないとわかる動きだった。

 もしかして軍人だったりしたのだろうか。

 それが的を射ていたことを優佳が知るのはまだ先のこと。

「ユーカ」

 ユーリックが左手を差し出してくる。その手を無意識に取って、優佳は気付いた。

 自然すぎて、忘れていた。

「イコウ」

 ユーリックが微笑む。

 気持ちを自覚したばかりの少女にとって、それは心臓が破裂しそうなほど強烈だ。

 何も考えられない。でも絶対に顔は見せられない。

「うん」

 俯いて、火照りすぎた顔を隠す。

 まどかがその一歩後ろで友人が自覚した乙女心を温かく見守っていた。




2012.3.3 いろいろ修正

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