帰ってきた長男
【チキュウ】と【フォライザ】。
それぞれに違う点はあるわけだが、同じ点がないわけではない。
たとえば、一日の体感時間。約二十四時間で、ひと月が約三十日。
チキュウほどではないがフォライザにも四季はある。
昼は太陽が昇り、夜には月が出る。
それはどちらの世界にも言えることで、微妙な差異は世界の違いではないだろうか。
もちろん、他の部分では全く違う部分が多いのだが。
とにかくユーリックがチキュウに来てから三十日が経過したことは間違いない。
クルマでの移動にも慣れ、買い物もメモを持たされれば出来る。
単語程度でなら【ニホン語】でも会話に支障がない程度にはなった。
とはいえ、まだまだ日常で驚かされるものがたくさんあることには違いなく、本当に自分はやっていけるのだろうかと不安になる回数が減るわけでもなかった。
「ユーリック!」
特に待ち合わせをしているわけではないのに、ユーカは毎日ユーリックの元へとやってくる。
今日も庭で体が鈍らないようにと体術の訓練をしている所に学校の制服姿で現れた。
「ユーカ」
ユーカとの関係はコウゾウがいささか渋っていたが、とりあえず黙認されている。
イアナがユーリックにユーカの事情を話したということと、ユーリックのニホン語能力がまだ使える段階に来ていないことが主な要因だろう。
ユーカが来たことで、ユーリックは動かしていた手足を止める。
滲み出てくる汗をあらかじめ準備していたタオルで拭う。と、ユーカがいつもよりうっとりした様子で何か言った。
それが魔法学校時代の女子生徒の顔と重なるのはもう癖のようなものだった。
そういえばこんな表情をした女子生徒が訓練の様子を見ていたっけ。という程度のものだが、それがある意味ユーリックの感情汚濁の悪循環になっていることを本人は気付いていない。
ともかくここ一ヶ月で、ユーカにとってユーリックはあこがれの存在となってしまったようだ。
それはそれで彼女の目的とは別に困ることになるのだが、今のところ害はないのでよしとする。
ユーリックにとってユーカは語学の師匠とも呼べるからだ。
ユーカが一方的に喋り、ユーリックがそれを聞くだけなのだが、それでもこちらの言葉に耳で慣れる訓練にはなる。
今日も今日とてそれは変わらない。
時折イアナも混ざって通訳されるので、話の概要だけはユーリックに伝わる。
その中ではユーリックが誤解していたことも訂正された。
ユーリックは最初、ユーカが十一歳か十二歳かそれぐらいの年齢だと思っていた。思っていたわけだが、実はユーリックと三歳しか違わないと告げられて固まった。
バルフェルド王国では十五歳の女性というと早ければもう結婚している年齢。大人として扱われて当然の歳だ。それを幼い子供だと思って頭を撫でていたわけだから、ユーリックの中に様々な感情が駆けめぐった。が、当のユーカはそれを気にしているわけでなく、この世界では十六歳から結婚出来るの法律があるのだということも聞いて、胸をなで下ろしたのが数日前。
どうやらこの国の人間は見た目が実年齢よりも若く見えることは珍しくないらしい。
イアナに教えられたその情報。もう少し早くそれを知っていればと思ったが、初対面が初対面だ。ユーリックは初めて過去の自分を殴りたくなった。
かと言って、ユーカに対するユーリックの感情が女性へのものへ変わるかというとそうでもなかった。
ユーカに対して抱いていた印象がこれまでと変わりなかったのだから、変わりようがないというべきか。
「あら、ユウカ」
庭に出て来たイアナがユーカに気付き、微笑む。
無駄のない優雅な動きは流石元貴族というところか。
ユーカが深々と頭を下げ、挨拶の言葉をイアナと交わす。いつも通りの様子をユーリックは眺めた後、傾きかけた太陽の方へと視線を変える。
この世界では今は初夏。そろそろ丁度良いといわれる陽気が蒸し暑い夏へと変わる頃だという。
フォライザというかバルフェルド王国も今頃は雨季のはず。
「ユーリック」
思考に耽っていたユーリックは、イアナに声をかけられて振り返る。
「さきほど息子から電話があったのだけれど。夏休みに帰ってくるそうですよ。あなたに会ってみたいのですって」
にこりと笑みを浮かべるその様子は本当に嬉しそうで、眩しかった。
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キリヤマ・ハルト。十六歳。性別は男。
キリヤマ・コウゾウと異世界からやってきたイアナ・ルヴェ・ナハムディの長男であり、ひとり息子。
コウゾウと同じ能力を持っており、現在は修行を積むため、ある一族の元へ居候中。
その姿を記録できる【シャシン】という媒体で確認したその顔はどちらかというとイアナに似ていた。
イアナよりも少しだけ薄い肌の色。整った顔立ちに、真っ直ぐな黒髪。柔らかな笑顔。
ユーリックが事前に仕入れたハルトに関する情報はそれだけだ。
女性受けしそうだ。という別の感想も持ったりしたが。
七月下旬。
それはいつも通り、ユーリックが庭で体術が訓練をしている時のこと。
実家に帰省してきた少年は、思ってもみないおまけを連れて帰ってきた。
それもげっそりと疲れた様子で。
イアナは息子の好物を作るのだと張り切って料理中。コウゾウが駅までクルマで迎えに行ったわけだが、そのコウゾウも何故だか苦虫を噛み潰したように表情が冴えない。
果たしてその原因はなんだろうか。と考えた時にユーリックは少年と目が合った。
少年の黒い瞳から疲れの色が消える。
「もしかして……」
シャシンで見るよりも少しだけ大人びた少年が発した言葉は【フォライザ】のもの。
荷物をその場に放置して、少年はユーリックの元へやってくる。
「あなたが、ユーリック?」
変声期を終えたにして高い声。その響きはやはりイアナに近い。
「はじめまして。僕は喜里山ハルト。フォライザだとハルト・キリヤマ、になるのかな。ハルトって呼んで下さい」
やや斜め下を見下ろす形でユーリックはその自己紹介を受け止める。
「よろしく」
出された手を握り返すとハルトはにこりと笑う。だがそれもここまで。
「ハルト!」
聞き覚えのない少女の声にハルトはびくっ、と体を震わせた。ユーリックからしてみれば、大げさすぎる反応だと思えるほどに。
「……みつき」
強張った表情でハルトが振り返る。つられるように追った視線の先にはクルマから降りたばかりの少女がひとり、腰に手を当てて立っていた。その顔に浮かぶのは紛れもなく怒り。
少女はそのままハルトに【ニホン語】で怒鳴りつける。ハルトもそれにニホン語で答え、肩を落とした。
「すみません。本当はもう少しお話をしたいんですけど」
「……いや」
あの少女の様子では無理だろう。言葉はわからずともそれぐらいユーリックもわかる。
ぺこりと頭を下げたハルトは急かすように少女に呼ばれ、その荷物を運ぶことになる。その間、少女の視線がこちらに向けられ、ユーリックはなんとなく嫌な予感を覚えた。
だがこの時は何も起こらなかった。そう、この時は。
予定外の客の来訪は、予定外の騒動を巻き起こす。
ユーカやその友人までもを巻き込んで。
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「やっぱり異物として感知してしまうのよね」
そう言ったのは招かれざる来客の少女だった。
この国の人間の特徴である黒髪に黒い目、髪は胸の辺りまでで、一カ所をリボンで結んでいる。
表情はすぐに勝気とわかる性格を正確に表していて、態度もそれに合わせて不遜にも見える。
その彼女が見ているのは異世界の言葉で穏やかに会話をする二人。
ハルトの母であるイアナとこの世界に来たばかりのユーリック。
「……そうなんだ?」
ハルトにはわからない感覚に、ハルトの居候先の主の娘である少女は「そうなのよ」と頬杖をついた。
「ハルトは半分はこちら側の人間の血を引いているから異物として認識されることはないんだけど。やっぱりあの二人は理が違う世界から来ただけあってなんていうか」
少女はそこで一旦言葉を切った。
「あたしたち見鬼の一族からしてみたら、妖怪とか魔物的存在ね」
「みつき!」
普段は温厚なハルトも、流石に少女の言うあまりにもな表現に声を荒げる。
ハルトにとって母親は大事な存在だ。それを人間を害すると言われるそういった存在と一緒くたにされて気分が良いわけがない。
「ああ、もう。わかってるわよ。例えだってば。悪かったわ」
少しも悪いと思っていないのが丸わかりだが、これがこの少女の性格でもある。
「……例えでも人の親をそういうふうに言わないでほしいなぁ」
無駄だとは思いつつ、ハルトは抗議した。
黙っていれば男がいくらでも寄ってくるような容姿なのに、性格が性格だ。
まあそれが司馬みつきという少女なわけだが。
そのみつきに気に入られてしまっているハルトは、舎弟というか使い走りというかそんな微妙な立場にいる。同い年なのに。
そもそも今回の帰省はハルトのみのはずだった。
居候先から通わせてもらっている高校の夏休みに一度帰ることはみつきの両親にも伝えてあった。
夏休みに入り、帰省の準備も終えて「じゃあ、いってきます」というところになってみつきは「自分も行く!」と荷物を抱えて出てきたのである。全て準備済みで。
ハルトもみつきの両親も慌てて止めたが、みつきのほうがひとつ上手だった。
ハルトが乗るはずだった電車をみつきはどうやって知ったのかキャンセル。二人分の切符を手に連れていかないと帰さないと脅したのだ。
基本みつきに甘い両親のこと。
みつきの必死――これも一族のためだとか、社会勉強だとか――の説得に両親は折れ、ハルトはみつきを連れて実家に帰るしかなかったのである。
そんなみつきを両親と引き合わせるのは非常に不安だったが、今のところはまあなんとかやっているのでいいだろう。
「さて。ご飯もいただいたことだし。ねえ、ハルト」
にっこりと誰もが見とれるだろう笑顔がみつきの顔に浮かぶ。
ハルトは経験からその笑顔に騙されることはないが、身構える。みつきがこういう顔をするときはろくなことを言わない。
「ハルトの部屋でイイコトしよっか」
ハルトの右腕に抱きついて、みつきがそう言ったのを目撃した父、浩三がお茶を吹き出す。
「みつきー!!」
ああもう、どうしてこうなるんだろう。
父親の信じられないという視線が痛い。そして自分の大声に反応して振り向いた母親とユーリックの視線も痛い。
「……ハルト。まさかとは思うが」
ひとつ咳払いして尋ねてくる浩三の視線は真剣だ。
不味い。完全に誤解している。
「父さん。みつきは僕をからかってるだけだから、本気にしないで」
とは言ったものの、みつきは小悪魔的な笑みを浮かべてハルトの腕にしがみついたままだ。
引きはがそうとするが、みつきは「ひっどーい。彼女に向かって」と更に誤解に向かう発言を繰り返す。
完全にみつきの思惑通りに操られているとわかる父親の顔にハルトは絶望にも似た感情を覚えた。
母親も生来の暢気な気性のためか、その目を見れば「お似合いだ」と言っているのがわかる。
出会ったばかりのユーリックはまだこちらの言葉を完全に理解するまでには至っていないだろうから何を考えているのかわからない。が、動いたのはユーリックだった。
近づいてきてハルトとみつきの前に立つ。そしてひとつため息をつくと厄介な女性だな。と異世界の言葉でハルトに言った。
どうやら彼だけは彼女の外面に騙されてはくれなかったようだ。それはハルトにとって現状唯一の救い。
ユーリックは続けて彼女を交えて話をしたいと申し入れてきた。
ハルトにそれを断る理由はない。むしろ歓迎すべきことだった。
助かる、とユーリックは言い、それはこちらも同じことだ。とハルトは笑った。
これはまた後日の話になるが、最初にそれを渋っていたみつきがユーリックの話を聞くにつれて興味を示し、結果としてハルトがみつきの被害に遭う回数が減ったことは、彼にとって幸いだったといえよう。
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夏休みに入っても優佳の日常はそれほど変わらなかった。
午前中は高校の宿題に精を出し、午後は喜里山家でユーリックと過ごす。数少ない友人と遊ぶこともなかったわけではないが、比率としてはユーリックの所へ顔を出す方が格段に多かった。
その日も優佳は午前中に自分に課したノルマを終え、午後には喜里山家の門の前にいたわけだが。
目の前で繰り広げられる光景に優佳は目を疑った。
「人が増えてる」
いつものように庭で行われているユーリックの体術訓練。それにもうひとり加わっているのがわかる。
胸のあたりまである髪を後ろでひとつにまとめた少女。というか美少女。
彼女とユーリックが向かい合い、手合わせをしていたのだ。
そちらに気を取られて気付かなかったが、声をかけられてもうひとりいることに気付いた。
「日渡さん」
「あれ、喜里山くん?」
霧原町の外の高校へ行くと言っていた中学時代の同級生。外国人の血を引いているだけあって顔の彫りは深く、密かに周りの女子生徒のあこがれの的だった。霧原町から離れると聞いたときに泣いた女子の数も両手では足りない。
「戻ってきてたんだ」
「うん。夏休みだしね。日渡さんは……あ、ユーリックに会いに来たの?」
両親から話を聞いていたようで、少し考えるとすぐに彼女の目的を言い当てた。
「うん。そうなんだけど」
ちらり、と見たユーリックの表情はいつもよりどこか楽しげだ。
手合わせをしている少女の方も楽しそうに見える。
「ああ、彼女は僕の居候先の娘さん。こっちの生活が知りたいからってついてきたんだ。夏休みの間だけだけど」
ハルトの言葉の先に苦さが見え隠れするのは気のせいだろうか。
「ユーリックが訓練してたら、自分も体を動かしたくなったみたいで、あの通り」
「……そう、なんだ」
なんでだろう。なんだか面白くない。
「日渡さん?」
どうしたの、と声をかけられた瞬間。
「ハルトー!」
「いたぁっ」
ハルトを呼ぶ声とハルトの悲鳴が間髪入れずに続いた。
優佳は驚いて頭を押さえるハルトを見た。その先で、ジョウロらしきプラスチックが落ちるのを見る。
そこからはあっという間。
「あんた、審判はどしたの?」
「し、審判!? そんなのはじめからな……」
「お黙りなさいっ!」
ぱかん、と今度は少女の拳がハルトの頭に炸裂する。平手ではなく拳である。その痛みは優佳には想像できない。
「いったぁ……」
しゃがみ込んでしまったハルトに優佳は慌てて声をかける。
「だ、大丈夫?」
おろおろとハルトに手を触れようとして。優佳は唐突に悪寒を覚え、手を止める。そっと目線を上げると極上の笑みを浮かべた美少女がいた。
「うふふ。こんにちは」
「こ、こんにちは」
「ハルトの知り合い?」
少女がひとつ喋るごとに、空気が震える。それに合わせて無意識に一歩下がってしまったのだが、当の本人は少女の剣幕にそれどころではなかったので気付かない。
「え、と。中学の時の同級生です」
嘘はついてない。
なんとなく名乗るのは危険な気がした。
相手も名乗らないので、とりあえずそのままだ。
「ふうん。そう」
少女は素っ気なく言い捨てると今度はハルトに向かってにこりと微笑む。
「じゃあハルト。行きましょうか」
「何処に!?」
ハルトがこんな風に叫ぶ様など、優佳は見たことがない。驚くばかりの優佳を置いて、少女はハルトの腕を掴んだ。
「運動して汗かいたんだから、シャワー浴びるに決まってるでしょ」
「ちょ、それのどこに僕が付き合う必要があるのさ!」
「あら、あたしはここに来たばかりでこの家のシャワーの使い方なんて知らないもの。当然教えてもらうために決まってるでしょ」
「昨日の夜、あーすっきりした。って風呂場から出てきたのは誰だっけ? っていうかそもそもシャワーの使い方なんてどこでも一緒だよ!?」
「そうだったかしら。あたしってば、物忘れがひどくって」
「白々しい嘘をつくなー!」
目の前で繰り広げられる攻防戦に、優佳はただ呆然と立ちつくす。
ハルトの今までのイメージが崩れたのもだが、目の前の美少女の行動もまた優佳には信じがたいものだ。
ハルトのひとことひとことを曲解して受け止めるこのパワー。
わざとなのかそれとも地か。
多分前者だろうけども。
「嘘じゃないわよ。お母様がわからないことはハルトに教えてもらいなさいって仰っていたのに」
「うわー、もうどこにどう突っ込もうかなぁ」
すでにハルトは遠い目をしている。
そうして。
少女がもじもじとハルトを突こうとしていたところに、その声は落ちた。
「もう、やだハルトってば。突っ込むなんてそんな――」
「ミツキ」
なんだか怒っているようにも聞こえるその声は、紛れもなく。
「……ユーリック」
少女もなんとなくそれに気付いたようだ。振り返るその様は少しぎこちない。
ユーリックが優佳の知らない言葉で何か言うのを受けて、ハルトが少女に伝える。
「途中で訓練を放り出すな」
「え、別に放り出したわけじゃ……」
「言い訳はするな。やり直しだ。ってさ」
「ええっ!?」
少女が抗議の声をあげるも、ユーリックの眼光がそれを尻すぼみにした。
「うー。わかった。わかりましたよぅ」
「ま、自分が言い出したことなんだし。最後までやり遂げるのが道理じゃない?」
「そりゃそうだけどさぁ」
ぶつくさと文句を言いつつも少女は元の場所へ戻っていく。
その際ハルトがユーリックに向かって声をかけ、ユーリックもまたハルトに声をかけたわけだが、その内容はもちろん優佳にはわからない。
「はあ、疲れた」
盛大にため息をつくハルト。その瞳が少し潤んでいるのが痛ましい。
「頭、大丈夫? 痛くない?」
「あー、うん。まあ、慣れてるから。っていうか慣れさせられた、かな」
地面に転がったジョウロを拾い、ハルトが笑う。
「居候先じゃ毎日あんな感じ」
「そうなんだ。でも、喜里山くんがあんな風に焦るところって初めて見た」
「……だろうね。僕もこんなことになるなんてこっちにいるときは思わなかった」
ははは、と疲れ切った表情のハルト。
優佳もそんなハルトに追い打ちをかけるほど非情ではなかったので「あの子、喜里山くんが好きなんだね」というのは言わないでおいた。その代わりに別のことを聞く。
「ユーリックにさっきはなんて言ったの?」
「え、あ。ああ。助けてくれてありがとうって」
「ユーリックは?」
「どういたしまして、的なことかな」
「ふうん。喜里山くんもユーリックの言ってることわかるんだ?」
「うん。母さんの国でも使われてた言葉だったみたいだから」
それは本当に何気ないひとことだったけれど。
「……ということは、喜里山くんのお母さんも霧の向こう側から来た人なんだ」
同時に決定的な証拠でもあった。
今までもなんだかおかしいな、と思ったことはあった。
外国人であるイアナ。そのイアナと会話できているユーリック。
そしてたった今見たハルトとユーリックの会話。
「……あれ?」
ハルトがふとその動きを止め、優佳の顔をじっと見つめる。
どれぐらいそうしていただろうか。
「え、と。日渡さん?」
少女に絡まれていた時以上の動揺が顔に見て取れる。どうやら自分の失言を悟ったらしい。
「なあに?」
にこ、と笑う優佳。蒼白に近いハルト。
「い、今の忘れて」
「無理」
みつきに限らず女の子は怖い。とこの時ハルトは認識を改めることになるのだが、それは優佳にはどうでもいいこと。
目的に一歩近づいたことを確信した優佳は少女と向かい合うユーリックを見つめるのだった。
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その日の夜のハルトは家族ですらそこまでするかと思うほどの動揺っぷりだったようだ。
「本当にごめんなさい!」
土下座、という床に頭をつけてまで謝る体勢をとってユーリックに向かっていた。もちろん家族に対してもそれは同じ。
「いや、まあ。いずれこの調子ならばれるだろうとは思っていたけど」
というのはコウゾウで。
「それにしてもユウカったらハルトを手玉に取るなんて」
感心しているのはイアナ。
【ニホン語】でミツキが何か言っているのに対してハルトが涙目になっているから、少し責められたのだろう。
「まあ、ハルトにそこまで注意をしてなかった僕たちにも非はあるからね。ほら、立ちなさい」
ハルトを立たせたコウゾウはふむ、と腕を組んだ。
「ユーリックの日本語がつたないうちはまだ大丈夫だろう。僕たちを通じて聞く、というのはおそらくない。まあ、そこは散々拒否してきたことだしね。ただ、彼女が今までよりも積極的にユーリックの側にいようとするのは確実だろう」
「コウゾウ。この際ユウカに全て話してしまってはいかがですか?」
妻の提案にコウゾウは「そうだなぁ」と考え込む。
「最近、彼女の向く方向が今までとは少し違うのではないかとは感じているよ。以前より大丈夫だと思えないことはないが……それでも不用意にそれを伝えて、走っていってしまうようなことは避けたい」
「ああ、でも」
コウゾウの言葉に反応したのはハルトだった。
「久しぶりに日渡さんを見たけど、ずいぶん変わったように見えたよ。前はいつも追いつめられている風だったけど、今日はなんだか明るくて楽しそうだった」
つい半年前までは同じ学校に通っていたハルトの言葉だ。コウゾウが「楽観視はできないが、悪くはないというところかな」と呟く。
「ともかくしばらくは様子見だなぁ。彼女の出方次第ということにしておこう」
この日の家族会議はこれで終了となり、その後はハルトとミツキの痴話喧嘩なのだかそうではない喧嘩なのだか以外、いつも通りの夜が訪れた。
2011.10.14 一部修正&訂正