十一人の失踪者
よりにもよって、とユーリックは頭を抱えていた。
仕事が終わろうかという頃に子ども達が通っている小学校から携帯で呼び出され、何事か思えばバス遠足先で失踪事件が起こっていて、現場に急行してみれば警官やら刑事やらパトカーがわんさか駆けまわっていて、話を聞いてみれば【霧の神隠し】そのものの状態で、しかも娘が目撃者。
それも娘と一番仲の良い友人が目の前で【神隠し】に遭ったという。
自宅に戻ってから一連の出来事を娘の口から説明してもらったユーリックは、娘が無事であることに心から感謝した。
他の行方不明者はいいのか。と怒鳴られそうだがそんなことは構わなかった。
おそらく妻もそうだったろう。
流石に言葉にするのは憚られたので、口には出さないままだったが。
全部を話し終えて、娘は大泣きした。
「ちゃんと側にいてあげたら、いなくならずにすんだかもしれないのに」
彼女のせいではなかったが、娘は自責の念に駆られているようだった。
それを妻と二人で慰めて寝かしつけた。
一人放っておかれた息子がいたが、流石に我が儘を言える雰囲気ではないと感じ取ったのか何も言わずに一人で寝たようだ。
そうして気がつけば壁掛け時計が午後十時を指し示している。
「本当に、どうしてこんな……」
テレビをつける気にもなれず、ユーリックは座卓に俯せになった。
昼間、アレイシアの工房で話題にしたのがいけなかったのだろうか。
よもや、こんな事態になろうとは思ってもみなかった。
「ユーリック」
耳慣れたユーリックを気遣う妻の声に頭を上げると、コーヒーの匂いがした。ことり、湯気の上がるマグカップが目の前に置かれる。
「ありがとう。優佳」
揃いのマグカップの片方を手に、座卓の反対側へ座った彼女は「どういたしまして」と微笑んだ。
だが、その笑みもいつものような柔らかさを感じられない。
「大丈夫?」
「ん、ああ。少し疲れてはいるが平気だ」
そう言ってマグカップに口を付ける。砂糖もミルクも入っていない。コーヒーそのものの味が口の中に広がる。
「そう。ならいいけど。でも、辛かったら言ってね」
それは、彼女にも言えることだろうに。
ユーリックは優佳の過去のことを思う。
優佳もまた【霧の神隠し】にまつわる被害者の一人だ。
娘と同じく大切な人を【霧】によって失い、それが原因で家族がバラバラになってしまった。
父親は家庭を顧みなくなり、母親は精神を病み、入院。優佳は一人、いなくなった弟を捜して【霧】を追いかけ続けた。
それがあったからこそ、ユーリックは彼女と出会うことになったのだが【霧の神隠し】は他にも哀れな犠牲者を生み続けている。
幸いなことに、彼女の家族はぎりぎりのところで踏みとどまった。
現在では優佳と父親の関係は良好で、父親はユーリックと優佳が結婚すると同時に母親の入院している施設の近くに引っ越している。
「義父さんにも、連絡しないとな」
「あ、そうだね。でも、今日はもう遅いから明日連絡するわ」
優佳が時計を見上げ、俯く。
「なんで、こんなことになっちゃうんだろうね」
ぼそり、と呟いた彼女はそう目を伏せた。
「そうだな」
近頃の【霧の神隠し】は異常だ。
去年の九月あたりから、合計で六回。今日の分を含めれば七回。
そして行方不明となった人の数は今回が四人。今まで合わせて十人を超えた。
しかも、である。
これまでは、ユーリックの故郷である【フォライザ】からも人が流されてきたが、それが一切なくなったのだ。
ユーリックの友人である霧原町の【霧の門】を監視する役目を負った喜里山家の面々も、この異常さは由々しき事態だと認識しているらしい。
喜里山家と繋がっている、そういった方面に詳しい家に調査依頼を出すと言っていたが、それもどうなっているのか。
娘のエイシャが事情聴取を受けている最中にハルトから連絡があることはあったが、無事かどうかの確認だけで終わってしまった。
調査依頼の件は、確か二ヶ月前から言っていたはず。
改めて確認をした方がいいかもしれない。
「優佳」
「ん、なに?」
「明日、ハルトのところへ行ってくる」
ハルトは今、高校の教師をしている。昼のうちに約束を取り付けて、夜に家に行くようにすればおそらく大丈夫だろう。
ハルトが駄目ならば、その父親でもいい。
「話、聞きにいくの?」
「ああ。流石にこのままというわけにはいかないだろう。こんなことがあったんだ。今度は本当に家族の誰かが【神隠し】に遭うかもしれない」
「……ユーリック」
「聞きに行ってどうにかなる問題でもないのはわかっている。だが、何もしないでいるよりいい」
それが単なる自己満足のための行動であることはわかっている。
だが、それでも「もしも」が起こったときに何もしないままでは後悔の念で潰されてしまうだろう。
下手をすれば、過去の優佳の家族のようになりかねない。
ようやく訪れた平穏の日々を、手に入れた家族の絆を失いたくはない。
この世界で生きると決めたユーリックには、もうここしかないのだから。
「……なにか、わかってるといいね」
「そうだな」
出来ることなら、どうか今の幸せが続くように。
ユーリックは祈った。
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かつてはユーリックの家でもあった喜里山家の玄関。そこで彼を出迎えたのは大きなお腹を抱えた妊婦だった。
「いらっしゃい。待ってたわ。ユーリック」
妖艶、とも言える笑みを浮かべた彼女は十五年前よりも綺麗になった美貌を惜しげもなくユーリックに晒す。
その足下。
「こんばんは。いらっしゃい、です」
彼女によく似た少年が、ぺこりと頭を下げた。
喜里山家の嫁とその息子である。
「久しぶりね。優佳はどう? 落ち込んだりしてない?」
家族ぐるみでつき合いのある家庭だ。
優佳は彼女と仲が良い。
「一応電話で話はしたんだけどね。昨日の今日でしょ。顔が見えないから、ホントのとこどうなのかわからなくって」
「不安そうにしてはいるが、辺に取り乱したりはしてないな。今のところは落ち着いてるよ」
「不安、か。まあ、そうだよね。下手したらエイシャがいなくなっちゃってたかもしれないんだし。あたしもこの子たちがいなくなってたら、って思うと怖いもの」
そう言って彼女は自分の息子の頭を撫でた。
「あ、入って。ハルトなら、もう客間で待ってるわ」
かつて住んでいただけに、勝手知ったるというやつだが、ユーリックはとうにこの家を出払った身だ。
彼女に導かれるまま、客間に通される。
その最中。
「あの、ユーリックさん」
息子の方がおずおずと声をかけてきた。あの快活な母親の子どもとは思えない性格だが、この辺りは父親の方に似たのだろう。
「エイシャちゃんは、大丈夫ですか?」
休みの日など、お互いに家族連れで出かけたりするのでエイシャとこの子もそれなりに仲が良い。
小学校も学年は違えど、同じ学校だ。
それに、子どもと言えど【霧の門】を監視する役目を持つ喜里山家の人間だ。【神隠し】のことは言い聞かせられて育ってきただろうから、心配になるのも仕方ない。
「心配してくれてありがとう。拓」
ユーリックはその気持ちに感謝の意を込めて笑みを返した。
「今はショックを受けているから落ち込んでいるが、そのうち立ち直る。またその時に遊んでやってくれ」
「は、はい」
少年は素直に頷くと満面の笑みを浮かべた。やはり美女と言っていい母親によく似ている。将来異性には事欠かないだろう。ただ、性格は父親似のようだから苦労するに違いない。
客間の前で、拓はユーリックに頭を下げると去っていった。
現在の時間は午後八時半。そろそろ寝る準備をしなければいけないらしい。
それを見送ってからユーリックは客間に入った。
「あ、来たね。いらっしゃい。ユーリック」
テーブルの上に書類らしきものを広げていた男が顔を上げる。
成長し、異邦人としての顔立ちが以前より目立つようになったハルトだ。
「ああ。久しぶりだ」
「だね。待ってたよ。散らかしてるけど」
ハルトは笑って、ユーリックに椅子に座るよう勧めた。
「あ、みつき」
「ええ。あたしはちょっとコーヒーでも準備してくるわ」
昔の一方的な意思の向け合いはどこへ行ったのか。夫婦で視線を交わすとみつきは一端客間をあとにする。
「みつき、そろそろだろう?」
何が、とは言わない。
「うん。予定日まであと一週間くらいだよ。母さんが待ちわびて、また色々用意してる。三人目なんだから、あんまり物を増やすのも困るんだけどね」
そう苦笑するハルトだが、言うほど困っているという風には見えない。
「よほど嬉しいんだな」
「まあね。母さん自体が七人姉弟だったらしくて。母さんは僕一人しか産めなかったから、寂しかったんだって。だから僕たちの子どもが増えるのは大歓迎みたいだよ」
「なるほどな」
他愛ない話に相づちを打って、ユーリックは勧められた椅子に座った。
しかし、テーブルの上に広げられた書類はそんな軽い話では済まされない。
写真付きの書類の一枚に目を留めれば、それが失踪者に関するものであることはすぐにわかった。
「あ、そこのは最近【神隠し】に遭遇したと思われる人に関する書類。一応部外秘なんだけど、ユーリックも関係者だし」
ハルトはそう言って肩をすくめた。
「エイシャちゃんも目撃者になっちゃったんだってね。友達も一人巻き込まれたんだって?」
「聞いたのか」
「うん。みつきが優佳さんと話したって言ってたから。だいぶ、落ち込んでるって聞いたけど」
「ああ。友達がいなくなったのは自分が側にいなかったからだと思っているらしい。今日は【神隠し】(その)のせいで学校が臨時休校になっただろう。一日中部屋に籠もっていたようだ」
「それは重傷だね。いっそのこと、ユーリックの過去を話しちゃう? 気休め程度にはなるかもよ」
「いや、それは」
エイシャが生まれたとき、ユーリックはもうひとつの世界のことを伏せることを心に定めた。優佳にも、決して子ども達に【フォライザ】のことを言わないように言い含めた。
だから子ども達はユーリックが外国人どころか異界の人間だということを知らない。
それはユーリックがこの世界で生きていくという決意を形にしたもので、これからも言わないつもりだった。
「気持ちはわかるつもりだよ。ユーリックだっていつまでも【フォライザ】に未練を残したくないから、そういう風にしたんだろうけど。ただね。今は異常事態だから」
一枚の書類を取り上げて、ハルトはそれに目を通した。
「浦賀詩織、城島圭一、松田怜治に山下里愛。全員小学四年生。キャンプ場のトイレ付近で霧が発生後、行方不明になる」
読み上げたそれは昨日の失踪についてのものだった。
「昨日だけで四人だ。その前も合わせたら全部で十一人。九ヶ月でこれだけだよ。この先もこれが続くかもと思うと頭が痛いよ。だからさ、少しばかり方針を変えてもいいんじゃないかな」
「…………」
ハルトが言いたいことは、よくわかる。
しかし、一度決めたことであるし、今のユーリックの心は複雑だった。
「ま、無理にとは言わないよ。ユーリックの家のことだから、それはユーリックの判断に任せる。ただ、これだけは覚えておいて。今回は運良く無事だったけど、次回はどうなるかわからない。それはエイシャちゃんだけに限らず、この町に住む人間全てにあてはまるんだ。もしかしたら次は響くんかもしれないし、優佳さんかもしれない。知識はあっても無駄にならないと思う」
否定できない。
息子や妻の名前まで出されて、ユーリックは言葉に詰まった。
わかっている。
身近で起こっているにもかかわらず、エイシャがこの騒動に巻き込まれるまで自分はこの件を楽観視していた。
だからこそ今、こうしてユーリックは焦ってハルトの所に押しかけてきたのだ。
「……どうにも、ならないのか?」
持ち出された提案の答えを今すぐ出すことは出来ない。
ユーリックは縋るようにハルトを見つめた。
「お前は霧原町の【霧の門】の監視者なんだろう。調査もすると言っていたはずだ。どうにか出来るようにならないのか?」
「ユーリック。落ち着いて」
ハルトは両手を前面に出し、ユーリックが身を乗り出すのを抑えた。
「僕たちだってこの状態を放置するつもりもないよ。今だって全力で事に当たってる。でも、残念だけど現状では打つ手なしとして言いようがないんだ」
ふ、と息を落としたハルトの顔色はあまり良くない。
「今、僕たち喜里山の本家、門守も重大な問題を抱えているみたいでね。随分前に言ってた調査の依頼。あれも人員が足りないからっていう理由で先延ばしにされてたんだ。霧原町の【門】は他の土地のように管理することが出来ないっていうのは周知の事実だから」
「……調査しても無駄だと思われてるのか」
「有り体に言えばそういうことだね。ここの優先順位は最低ラインだし」
とっくに諦めている、という風にハルトは笑った。
「でもそれで納得するつもりはなかったから、せめて【霧の門】の発生を抑えられる方法だけでも見つけられないかと思って。【門】の解析の専門家か、それに準ずる調査員を寄こせってしつこく言い続けたんだ。そうしたら二週間くらい前にようやく了承されて。一人だけだけど、回してくれたよ」
「じゃあ……」
「うん。もう動いてはくれてる」
それなら、少しは希望が持てるかもしれない。
ユーリックは胸をなで下ろしかけたが、ハルトの表情は優れなかった。
「……ハルト?」
「あー、うん」
どうした、という問いにハルトは愛想笑いを浮かべ「なんでもないよ」と取り繕う。
「それよりこっち」
ハルトが書類の中から一枚抜き取った。そうしてユーリックへ向けられたその書類は。
「これ、調査員にも渡した資料の最新版」
去年の九月から五月までの【霧の神隠し】の被害者の名前と場所をまとめた時系列表だった。
目に留まったのは、その日付の部分。全ての日付にカラーペンで印が付けてあった。
ユーリックは疑問を差し挟もうと口を開きかけたが、そこで客間の扉が叩かれた。
内部の返事を待たずに扉が開く。
「おまたせっ」
トレーを抱えたみつきが入ってくる。そのまま妊婦にしては軽い足取りでやってくると、コーヒーの独特の薫りが周囲に振りまかれた。
ひとまず書類を一箇所にまとめて、コーヒーのカップが二つ、ハーブティーらしいものが一つ置かれる。
どうやらみつきも参加するつもりらしい。
「ありがとう。みつき」
「いえいえ、どういたしまして。それで、どこまで言ったの?」
ハルトの隣に座った彼女はテーブルに置かれた書類とユーリックが手にした書類に視線を言ったり来たりさせる。
「まだ、大したことは言ってないよ。今から説明するとこ」
「あ、そうなんだ」
「うん」
ハルトはミルクを入れたコーヒーを一口飲んで、ユーリックが持つ書類を指差した。
「それ、日付に印つけてるのわかる?」
「ああ」
「【神隠し】の感覚がどんどん狭まっていって、おかしいな。って思ったときからいろいろと調べてはいたんだ。だけど、場所はいつも通りばらばらで安定しないし、時間も朝から晩まで様々だし、行方不明になった人たちの性別も年齢も全然違う。共通の知人だとかそういう繋がりも一切なかった。それで、残ったのが印を付けたそこ」
マーカーが引かれた日付部分。ということか。
だが、これだけではなんのことかわからない。
「九月、十一月、十二月、二月、三月、四月。そして五月。日付だけ見たってわかんないだろうけど。ユーリック。昨日がなんの日か覚えてる?」
「え……?」
急にそんなことを尋ねられてユーリックは首を傾げる。
なんの日、と聞かれても、すぐに思いつくのは小学校の遠足の日ぐらいしかない。
眉を寄せるユーリックに、ハルトが「ま、普通はそうだよね」と笑った。
「普段あまり気にしないから、気付くのが遅れた。もう少し早く気がついていれば、とも思うけど。【霧の門】は気がついたところでどうしようもないものだから……」
「どういうことだ?」
普段気にしないことが、印のついた日付にある……?
それに全く思い当たるふしのないユーリックはさらに眉を寄せるしかできない。
そこへ。
「月、よ」
みつきが静かに口に乗せる。
「鍵になるのは新月。月に一度訪れる、月が生まれ変わる日ね。いつも夜に霧が現れるなら思いつきもするでしょうけど、霧に時間なんて関係ないでしょ」
確かにそうだ。
思いもよらないところにあった答えに、だがそれならばと納得する。
「あたしたちの世界では、月の満ち欠けによっていろんなものが左右されるわ。あたしの見鬼の一族にも、月の満ち欠け次第で作用が変わってしまう術が存在するの。ユーリックの世界でもそういうのはなかった?」
ある、とユーリックは即座に魔法学校で学んだ知識を引っ張り出した。
「確かに月の満ち欠け次第で魔物が活性化したり、【魔素】の状態が変化したりというのはあるようだった。学校の研究資料でもそれに関する考察がいくつか本になっていたはずだ」
学校の卒業論文の題材として、友人が用いていたから覚えている。
「そっか。やっぱりね」
「やっぱり?」
疑問符しか浮ばないユーリックを置いて、ハルトが神妙な顔で告げる。
「ユーリック。去年の九月より以前の話になるけれど。それに気がついてから、以前の記録もずっと遡って調べてみたんだ。でも、同じような共通項は見つからなかった」
「新月じゃ、なかったってことか?」
「うん。新月の時もあったよ。でも、それだけに限られてなかったんだ。様々な日に、今と同じように【霧の門】は開いていた。それを調べるのに色々と記録を引っ張り出さなくちゃいけなくてかなり時間がかかってしまったけどね。行方不明になる人間がこちら側だけっていうのもおかしい。不自然だ」
ハルトがそれに確信を持って断言する。
「どうやってかはわからないけど【霧の門】を操ってる人間がいるね。確実に」
「は……?」
ハルトが辿り着いた結論に、ユーリックは戸惑った。
「どうしてそんな結論になるんだ。【霧の門】は人の手ではどうにも出来ないものだと言ってなかったか」
「うん。言ったよ。それに間違いはない」
では、何故そうなるのか。
生じた矛盾に、ユーリックは頭を振った。
「【霧の門】が僕らの手に負えないものだっていうのは事実なんだ。発生するタイミングも場所も僕らにはさっぱり予測がつかない。だから【門】を封じるための術式もかけるにかけられないし、制御する方法も見つけられていない。でもそれは、僕らが知らないだけかもしれないんだ」
「簡単な事よ」
ハルトの言葉の跡を継いで、みつきが笑う。
「あたしたちの知らない制御方法あって、それを誰かが見つけて使ってる。とかね。ま、あくまで仮定の話だけど」
「あり得ない話じゃない」
夫婦は抜群のコンビネーションでもって、お互いの言葉尻を繋いだ。
「だが、【門】の監視はハルトの一族に任されているんだろう? それなのに、知らないというのはあり得るのか?」
「うーん。ない、と言いたいところではあるけど断言は出来ないね。僕たちみたいな力を持つ人間は大抵一族ごとにまとまってるんだけど。普通に暮らしてる人たちの中にも突発的にそういう力を発現させる人もいるんだ。そういう人たちも含めて全部を把握するのは無理だし、その中に【門】を操れる人間がいたとしても驚きはするけどおかしくはないね」
「だから、あたしたちの知らない奴が霧原町の特異性に気付いてこういうことをしている可能性は充分にあるわ。と、言いたいところなんだけど」
みつきはそこで一端、言葉を止め、
「どうもそれっぽくないのよね」
これまで喋ったことを否定することを言って、頬杖をついた。
「それっぽくない?」
「ええ」
ユーリックが反芻するように発した問いにみつきは頷く。
「問題は、こっちの世界じゃなくて【フォライザ】にあるんじゃないかって思えるの」
ユーリックは瞬いた。見ればハルトも同意見のようで、視線が合うと同時に頷かれた。
「……どうしてそう思うんだ?」
確かに可能性はいくらでもあることはわかっている。
だが、彼らがそう言うからにはその根拠となるべきものがあるはずだ。
「第一にコレよ」
みつきは頬杖をついていた方の手を前に突き出す。そこには何処から取り出したのか、一枚の札が現れていた。ユーリックには読めない文字のようなものが書かれたそれは、みつきの一族が使う術とやらに使用するものだったはずだ。
「あたしはこういう符を使うんだけど。他にも祝詞だったり呪文だったり色々あって、普通はその大きい、小さい関係なく、術を使えばその痕跡が残るの」
ここまではいい? と尋ねられて、ユーリックは頷く。
「【門】に関してもそれは同じ。通常、術式によって開かれる【門】は、術式によって管理されてるの。それも恐ろしく複雑で巨大な特殊なものよ。この世界において最も大きな術の部類に入るわね。そういうものだから、使用されればその痕跡はとても大きなものになるわ。だけど、今までの【神隠し】にはその痕跡は見あたらなかった」
「痕跡を消した、とは考えられないのか?」
「無理ね」
みつきは断言する。
「小さな術なら誤魔化すくらいは出来るかもしれないけど、【門】は違う世界同士を繋ぐのよ。大がかりな準備も必要だし、一人では絶対に無理ね。そんな大それた術、発動した瞬間にバレちゃうわ。特にハルトのように感知する能力が高い人間には一発よ。一発」
そうしてみつきが腕を振るうと、それだけで手品のように持っていた札が消失した。
「どんな術式が使われたのかまでわかっちゃうんだもの。ハルトはそういう勉強もあたしの実家でやってたのよ。【門】を構成する術式も理解してるし」
「術を使える訳じゃないから、大まかにしかわからないけどね」
ハルトが苦笑する。
「でも、勉強して実際に他の【門】を見てわかった。霧原町の【門】には日本にあるような術式は使われてない」
「それで【フォライザ】が、と考えたのか」
「可能性は高いと思うよ。この世界の【門】が人の手で管理されている以上、【フォライザ】で同じことが出来てもおかしくない。その証拠、って言ったらいいのかな。【神隠し】の現場に残っていた痕跡が前とは違ってきてるんだよね。最初は気のせいかと思ったんだけど、【門】の開く回数が増すごとに気配が濃厚になってく感じで。何かの意思を感じる、というのかな。目的があって【門】が開いてるような気がする」
「ねえ、ユーリック。何か心当たりあったりしないの?」
「…………」
【フォライザ】側がそれをやっているというのはもう確定事項らしい。
少なくなくともみつきの中では決まってしまっているようだった。
「こっちから【門】を開いて人間を向こうの世界に送り込むことにメリットがあるとはどうしても思えないの。【門】を開いた本人が行くとかならともかく、この人たちってホントに普通の一般人よ。特殊な能力を持っているわけでもなし、ホントに術者の家系でもなんでもない人たちなんだもの」
書類に纏められた行方不明者たちの身元は、既に確認済みらしい。
「最悪愉快犯ってこともあり得るけど、そんな奴が【門】を開けられるとは思わない。となるとやっぱり問題は【フォライザ】なんじゃないかな、と思うわけ」
「と、言われてもな」
ユーリックが知ることは、せいぜい【フォライザ】の中でも祖国であるバルフェルド王国についてと聞きかじった程度の外国のことだけだ。
【霧の門】については専門外過ぎてなんとも言えない。
そんなユーリックにみつきは「なんでもいいの。関係ありそうなことない?」と身を乗り出した。
「ほら、よくあるでしょ。ライトノベル。だっけ。ああいうので召喚されたら勇者になってくださいって言われました。異世界に行ったら、特別な力を手に入れましたとか」
「いや、勇者だとかそういうのは聞いたことがない。英雄、と呼ばれた人間のことは有名だが、異世界から来たと言われている者はいないな」
「そうなの?」
「ああ。少なくとも、俺はそういった者のことは知らない。各地に異界に纏わる【霧の伝承】の逸話があることはあるが、地方の言い伝えに過ぎないぞ」
「例えばどんな?」
「そうだな」
ユーリックはすぐに思い出せた部分を口に乗せる。
「ある村に霧が出たあと魔法使いが現れて、村長の息子と結婚した。とか、魔物に襲われていた視察中の王子を霧の中から現れた剣士が助けて、城に召し上げられた。とかだな」
「うーん。それって後者は勇者的行動になると思うんだけど」
「そうかもしれないが、取り立てて何かがあるとは言えないな。【神隠し】で流された人間全てが無事に生き抜けるほど【フォライザ】は優しい世界じゃない。初めて訪れた場所が魔物の巣窟だったりすれば、数時間と経たずに死ねるぞ」
「う……それは壮絶だわ」
みつきが気持ち悪そうに口元を抑える。
だが、それが現実で、都合の良い物語のようなことなどそうありはしない。
「こちらから向こうにいくことで生じるメリット、か」
ハルトも思うところがあるのか、口元に手を当てて何かを考え込んでいた。
「あとで母さんにも聞いてみよう」
「あ、そうね。お義母様も何か知ってるかもしれないし」
「ああ。俺一人に聞くよりはいいだろうな」
ただ、それを聞いて予測を立てたところで現在の状況がなにか変わるわけでもはない。
結局の所、ユーリックたちが注意しなければならないのはただ一点のみである。
「新月、か」
ユーリックはやや冷めたコーヒーをすすって呟く。
次にそれが訪れるのは一ヶ月後。それがわかっただけも、収穫はあったと言えよう。
それまでに事態が収束出来ればいいのだが。
終わりが見えないこの状況に、誰もが不安を抱えていた。