すべてのはじまり
その日、全ては一変した。
それはバルフェルド王国歴二百三十五年の春のこと。
王国が誇る魔法学校を晴れて卒業したユーリックは同じく王国が誇る【魔法師団】へ入団することになっていた。
【魔法師団】とは優れた魔法使いたちの集団だ。
入団試験は毎年百人以上が受け、合格するのは十人前後。完璧に実力主義であるため、生半可な気持ちで挑めばすぐに切り捨てられる。
回されれる任務の危険度も給与も簡単な検査と審査でなれてしまう【総兵師団】とは比較にもならない。
それ故に敬遠もされるが、密かに人気のある名誉職でもあった。
ただその激務に耐えきれずに二年、三年で辞めてしまう者もいるので、入団出来たことで安心してはいられない。
ユーリック含む合格者全員がその宿舎に入ったのは昨日のことで、一通りの説明を受けた後、翌日の夜明け前から初任務があることを言い渡された。
そうして今、ユーリックは他の新入団員たちと宿舎前に立っている。
まだ入団手続きが終わっただけで制服の採寸も終わっていないので、私服姿である。
「さて。全員集まったな」
まだ夜明け前なので空には星が瞬き、先輩団員が用意した光魔法がユーリックたちを照らした。
「昨日言った通り装備を持ってきたか? 事前にしっかり確認しておけ。いざ、使えないじゃ困るからな」
言われるや否や、それぞれの装備を確認し始める。
動きを妨げないための服。自身を守るための武具。そして魔法を使う際に補助する【魔導具】。
一番重要なのは、最後の【魔導具】だ。魔法を使う時に必ず使用することになる。
魔法の威力を制御したり、成功率を高めるためのもので、核となる魔法を刻まれた【魔鉱石】があれば形は何だっていい。
剣だろうが、杖だろうが、首飾りだろうが身につけていればいいのだ。
なくとも魔法を使えないわけではないが、あるのとないのとでは魔法の成功率、精度や威力も格段に違う。
武具に一体化させるのが一番効率がよいのだが、ユーリックの【魔導具】は籠手だった。
剣は苦手だし、杖は手が塞がって自由に動けない。首飾りは首の下にぶら下がる感覚が嫌だった。指輪や腕輪も考えたが、いざ自分を守るという時には心許ない。なので手を保護できるという特性を生かすかのように籠手になった。
少し重いが、これはもう慣れっこだ。
一通り確認を終えると、目の前でその様子を確認していた制服を身に纏った男がにやりと笑った。
一見して人が悪いとわかる嫌な笑みだ。
「では諸君。これより、本当の入団試験を始める」
一瞬なにを言われたのかわからずに、ユーリックたちは黙った。
本当の入団試験?
「へ?」
「なに?」
「えー!?」
「そんなの聞いてないっ!」
いち早く立ち直った四人が声を挙げると、男はにやけたまま「落ち着けー」と宥めた。
「入団試験ったって恒例の新人研修みたいなもんだ。お前たちだけでルベルツに行き、現地で指定された魔物を倒してくる。それだけだ」
「……ルベルツって、ここから一番近い森ですよね」
「そうだ。今から出立すれば日が昇った頃には森の入り口近くにある村に着ける。そこに案内人がいるから、案内人を守りながら奥へ進め。そうそう。メシは現地調達な。これも研修の一部」
男が言って右手を挙げると馬が嘶いた。
馬特有の調子のいい足音とその後ろの車輪が地面を転がる音が近づいてくる。
そうして目の前までやってきた馬車は十人を乗せなければならないだけあって、2頭引きだ。
「馬扱える奴はいるかー?」
御者をしていた魔法師団員は馬車を持ってきただけらしい。本気で新人だけで行かなくてはならないらしく、全員が顔を見合わせた。
「あ、じゃあわたしが」
申し出たのはユーリックと同じ魔法学校だった赤毛の少女。
「実家が馬牧場やってたので馬の扱いは慣れてます」
「じゃあ任せる」
全員一致で頷くと、男が後ろから急かした。
「おーい。ちんたらしてないで早く行けー。ちなみに今日中に帰ってこなかったら不合格な」
それは困る。
ルベルツは先程男が言ったように馬車なら日が昇った頃には着く距離にある森だ。
が、討伐対象の魔物が何処にいてどんな魔物で何体倒せばいいのかによってかかる時間も違ってくる。
御者役を務めることにした少女を筆頭にして手早く荷物をまとめて馬車に積み込んだ。
「準備いいですか?」
聞かれれば頷く。少女がそれを確認して手綱を握った。
これが、この日最初の出来事だった。
********************
魔法師団の卵たちを乗せた馬車は、予定通り夜明けと同時にルベルツに最も近い村に到着した。
村人の歓迎を受け、その場で朝食をごちそうになり、ひとごこちついたところで案内人と合流する。
どう見ても猟師の格好で登場した彼らは、一応の武装として弓や斧を手にしており熟練の戦士にも見えた。
彼らの代表がユーリックたちに「待っていたよ」と声をかける。
「君たちが今度の新入りくんだね。今年もよろしく頼むよ」
その顔はにこにこと笑顔だ。
ユーリックはなんとなくその笑顔に胡散臭さを感じた。これから魔物討伐に向かうにしては、あまりに気を抜きすぎている。その代表者だけではない。他の三人も彼と同様とまではいかないが、随分気が緩んでいるように思えた。
ユーリック以外の面々にもそれぞれ奇妙に映ったのだろう。
「はあ」
思わず生返事になってしまったのは仕方ない。
「じゃあ、まず自己紹介を。私はロイド。右隣の弓を持っているのがシャーウッド。左がドゥイとジェリスだ。まあ、あまり時間をかけるのもなんだから、早速君たちに頼む魔物討伐について説明するよ」
ロイドという三十代半ばの彼が取り出したのは一枚の紙。それを全員に見えるように掲げる。
「……え、これって」
紙に書いてあった絵を見た瞬間、ひとりが声をあげた。
大きく突き出た鼻。その下から伸びる牙。鋭い三角の眼。四つ足の毛むくじゃら。
全員が全員同じ気持ちになったに違いない。
「【マッドブル】?」
魔物は魔物だが、実はその肉は食べると非常においしい。ただ、凶暴であるためにその狩猟も非常に危険を伴う。希少価値の高い食用の魔物、だった。
「そう。これを狩ってもらいたいんだ。二頭ほど」
「二頭?」
「うん。この季節、【マッドブル】の肉を食べにやってくる旅の人が多くなるんだよ。だから毎年魔法師団の人たちに頼んで、手伝いをしてもらってるんだ」
にこやかに言う男にそれを聞く面々はただただ呆然としていた。
つまり。
毎年この時期魔法兵団はルベルツの森で【マッドブル】を狩る仕事を受けていて、それは新しく入る団員の試験も兼ねている。
「ちょっと。要は先輩たちの雑用を押しつけられたようなものなんじゃないの!」
御者をしていた少女とは別の少女が、声をあげる。
茶色のくせっ毛を肩まで伸ばした彼女はユーリックと同じ魔法学校の生徒だった。
名前はエイリアナ・ライン。
優秀だがわがままで、何かする度に必ずひとこと文句を言う。
ちなみに一応商家のお嬢様だ。
「エイリアナ。そうは言うけど、これも魔物退治に変わりないんだから」
彼女を宥めにかかったのはまだそばかすの残る赤毛の少年。幼なじみだという彼は、エイリアナのわがままっぷりを諫める役割を進んで引き受けている。
魔法学校時代からの定番の光景だ。
「ちょっとディン。何を言ってるのよ。これが魔物退治? ただの狩猟よ。そんなの魔法師団の仕事じゃないわ」
「って言ってもね」
ディンがため息をついて他の面々に申し訳なさそうに案内人たちへ視線を送る。
「魔法師団の仕事は魔物退治だけじゃないよ。総兵師団もだけど。民の力になってこそだって、先生たちに教わったじゃないか」
「……それは、そうだけど」
「それに出発の時に言われたろ。これは入団試験だって。マッドブルは凶暴な部類に入る魔物。それを倒して実力を見せれば、先輩たちだって納得するよ」
「うー」
エイリアナが唸る。
もちろん彼女が言いたいことはわかる。
バルフェルド王国は元から魔物が生息する山脈や森が多い。縄張りに近づかなければ基本的に平気だが、群れを追い出された魔物が人里を襲う例は少なくない。
時には群れでやってくることもある。
その驚異は辺境の村はもちろん、人口が密集する町にとっても大きな問題とされてきた。
魔法師団はそういった魔物の退治を主とした軍の機関だ。
にもかかわらず、入団試験だと用意されたのは食用にする魔物を狩ること。
ユーリックも内心では雑用じみた入団試験だと思っていた。
だがこれも仕事のひとつ。
先輩たちに自分たちの実力を見せられるいい機会でもあるのだ。
結局エイリアナも気持ち的には納得していない様子だったが、ディンの言う通りだと折れた。
「すみません。ご迷惑おかけしました」
ディンがあちこちに頭を下げてまわる。これも魔法学校を卒業した面々にはおなじみだった。
「じゃあ、続きを言ってもいいかな?」
そう言った案内人の顔に動揺は見られない。
慣れた様子でてきぱきと説明していく所を見ると、エイリアナのような態度を取る新人は珍しくないのかもしれない。
「……ということで。二班に分かれて狩りになるから。よろしくね」
どうやら、一班につき一頭の捕獲が課せられるようだ。
「とりあえず、得意分野の魔法とか色々教えてくれる? 班分けするから」
これも慣れた様子でてきぱきと質問される。
狩りの時に捕獲が手早くうまくいくように、という配慮なのだろう。
「あ、一応言っておくけど火の魔法は使わないように。火事になったら困るからね」
「あのぉ」
案内人の言葉に早速反応した少年がいた。
確かユーリックのいた魔法学校経由ではないところから入団した少年だったはず。
「すみません。火の魔法が得意分野です」
あまりに素直すぎる申し出に案内人の顔が呆ける。
ユーリックもそれを言うか、と呆れたが言ってしまったものは仕方ない。
数秒後、我に返った案内人が気を取り直して少年に尋ねた。
「名前は?」
「イスタ・ハーロックです」
「あー、じゃあイスタくん。他に何か使える? 強化補助系とかは?」
「すみません。俺は魔法を剣に纏わせて戦うのが主なので。火力の調整は得意なんですが」
それはつまり一点突出型の才能で合格したということに他ならない。
どうするのかと思っていると、案内人は問題ないと判断したようだ。
「ってことは剣が使えるわけだ。じゃあうちのドゥイと組んで仕留める時に役に立ってもらおう」
案内人はそう言って斧を持つ体格のいい男を示した。
イスタは戦力外にならずに済んだのでほっとしたようだ。
「じゃ、次は君たちふたり」
エイリアナとディンが指名されて顔を見合わせる。だがディンがすぐに前に出た。
「ディン・クリティカと言います。僕は強化補助系ですね。攻撃系の魔法はあまり。でも、攻撃系魔法なら彼女が得意ですよ。エイリアナは風の系統に精通しています。すごく大雑把ですけどね」
「ちょ、ディン! 何最後に余計なことを足してるのよっ」
エイリアナがディンに詰め寄る。が、これもいつものこと。
「魔法を的に当てるのができなくて、訓練場ごと巻き込んだのはどこの誰だっけ?」
「う……」
さりげなくエイリアナに釘を刺すディンの腹黒さもまた魔法学校では有名だった。
「君たち仲良いな。一緒にしたほうがよさそうだ。じゃあ次は君」
指定されたのはユーリックの隣。
さくさく進むなぁと思ったものの、今日中に全て終えて戻らなければいけないわけだから、そうのんびりしている場合でもないことに気付く。
「え、オレ?」
急に振られた黒いボサボサ頭がびくりと揺れた。
「えー、と。オレは……とりあえず攻撃系魔法全般と自己強化魔法。あとは防御系? 風系で弾くとかそんなだけど」
「へえ、多種多様だね」
「つか、攻撃系は全部下級だけだけどな」
そうは言えども、親友兼幼なじみである彼の魔法の早さと正確さが半端ないことをユーリックは知っている。
一般的に魔法は【魔導具】がなければ制御が難しいが、彼はそれがなくとも普通にこなしてしまう。
それだけでも彼の優秀さは示されていた。
「で、名前は?」
「ルワレ・ムージィ」
「で、隣の君は?」
流れでユーリックに回ってきたが、時間をかけるべきではないとわかっていたので焦ることなく答えられた。
「ユーリック・フォーンです。攻撃系なら全て中級まで行けます。ちゃんと準備してれば上級も。あとは自己強化系と体術を少し」
「ふむ。君も優秀そうだな。魔法学校卒業生でも上級を使えるのは一握りだと聞くが」
「それはそうですが、俺は【魔導具】と【紋章】両方の力を借りないと上級は使えないので」
魔法の中でも上級に位置する魔法はどれも危険度が高く、【魔導具】の補助なしでは使用が禁じられている。だがその【魔導具】を使ってもなお、上級魔法を使うのは危険が伴う。
魔法を使うとその瞬間使用者の体には普段と違う圧力がかかる。外側から内側へ体が重くなるのだ。これは魔法を使用するために必要な魔力を集めるために起こるもので、下級魔法は少し違和感を感じる程度だが、中級は体全体が重くなる。上級に至ってはその重圧に耐えきれずに意識を手放してしまう者もいるくらいである。
それを少しでも和らげるために使われるのが【紋章】だ。
属性によって【紋章】の形はそれぞれ違うが、これは魔法を使う人間の魔力を集めやすくするのと同時に、【魔導具】と同じく魔法を制御するための補助にもなる。
あらかじめ魔力を込めたそれを地面に描くことで魔法を使う人間への負担は三分の二程度に軽減されるが、【紋章】を描くのには時間がかかるため実戦には向いていない。
「彼女……セシュカの方が俺よりよっぽど優秀だと思いますけど」
ユーリックはそう言って、ここまで御者を務めて来た赤毛の少女を示した。
「え、ちょ、ユーリック!?」
いきなり振られて少女は動揺しはじめた。
「【紋章】なしでも水系と地系の上級魔法を使えます。俺は苦手なんですが、混合魔法も得意ですよ」
「それはまた。希有な素質の持ち主だな」
案内人の気がそちらに向いたのでユーリックは続ける。
「それに、そっちに立ってるジェインも混合魔法なら学校一でしたし、その隣のトーマも自己強化魔法を使った模擬戦では負けなし。マリソンは少し荒っぽいですが上級の混合魔法を使えます。みんな俺よりずっと優秀ですよ」
流れでついユーリックは全員の特性を上げてしまったが、言いたいことはそれなので言い切ってしまう。
「って、お前。主席で卒業したやつが何を言うか」
親友の立ち位置にいるルワレが毒づいたり、その言葉を肯定するかのようになにやら痛い視線がいくつも刺さっている気がするが、無視。
「主席と言っても紙面試験の成績がの人間よりよかったからだ。実力では俺の方が下」
「あのなぁ。どの魔法も一発で覚えちまうお前が言えることか!」
「失敗もあっただろ。上級魔法とか」
「……即座にやり直して成功させちまっただろうが!」
段々とルワレの声が低くなっている。
これ以上は何も言わない方がよさそうなのでとりあえず黙る。
「あー、とりあえず全員分の紹介ありがとう。っていうかあとひとり残ってるけど」
案内人も急激に冷え切っていく空気に変化を与えた方がいいと思ったらしく、最後のひとりに目を向ける。
全員の注目を浴びたその少女はびくっと体を震わせたが、意を決してか一歩前に出た。
「みんな凄いから、ちょっと恥ずかしいけど。ハンナ・ウェリーです。自己強化系が主ですけど、剣の彼と同じで私は矢に魔法を纏わせて放ちます。下級の魔法だったら全部大丈夫です」
こうして全員のお披露目が終わり、あえて組み分けとなった。
********************
ディンが低く魔法言語を唱える。
【遠く、近く、何処までも見通せる眼をここに】
言葉が終わると同時にその瞳に光が宿った。
薄暗い森の中だ。端から見ると気持ちの悪い光景だが、これはこれで仕方ない。
使用したのは【千里眼】と呼ばれる望遠魔法。
「どうだ。いるか?」
問いかけたのは案内人の一人。外見からして二十代半ばだろうか。斧を抱えたドゥイだった。
ディンはしばらく視線をあちこち移動させた後、頷く。
「ここから西、小川の側にいますけど、群れになってますよ。五頭くらいですね。餌を探してるみたいです。あれをまとめて相手しろと言われたら絶対にお断りですが」
「……いや、流石にそれは言わないな。一頭でもこの太い木を倒しちまうやつらだ。危険は侵したくない」
言って側の人間二人分がよりそったくらいの大きさの木の幹を叩く。
「そうですか。ならよかった」
ディンが笑顔で魔法を解く。
「だがさて。どうしたものかな」
気がつけば昼を回っている。
昼食はその辺りで採れた実と途中で狩った動物で済ませた。
町で育ったユーリックは食べるために生き物を殺す様を見たのは初めてだったので、流石に少し引いた。
だが今度は自分たちがそれをしなければならない。
それが狩りだ。
「罠を張って一頭だけでも引きはがすとか?」
そう言ったのはルワレで、エイリアナが反論する。
「そうは言っても確実にそれにかかるとは限らないわ」
「だから餌まけばいいんじゃね?」
「馬鹿じゃないの? 一頭だけ罠にかかるとは限らないでしょう。それならいっそのことまとめて一気になぎ払うほうがいいわ」
なにやら物騒なことを言いはじめたエイリアナに、ドゥイが「それはやめてくれ」と頭を抱えた。
「森を破壊すれば、他の魔物も刺激することになる。そうなると近くの村が標的になってしまうんだぞ」
「……それぐらい私にもわかってるわ。例えで言っただけよ」
その表情にやや苛立ちが感じ取れるのだが、言わぬが花だろう。
「あの、それなら」
控えめにハンナが申し出る。
「ここの森ってセンプシナ草生えてますよね」
「ああ。その辺にも少し生えてるな」
ドゥイが頷く。
「あ? センプシナ草?」
「って、あれでしょ。別名【安眠草】」
眠れない夜などに有効で、精神を落ち着ける効能を持つ睡眠補助の薬草だ。
一本の茎に大量に付いた細長い葉と太い根が特徴で、苗を植えたあとは放っておいても勝手に育つ。田舎では畑の隅などによく植えられているものだった。
「センプシナ草の根は煎じて飲めば安眠できます。葉の方も香として焚けば同じ効果が得られます。ちょっと強引ですけど、【マッドブル】相手ならなんとか」
「ああ。なるほど」
ディンがすかさず反応した。
「眠らせて、その間に狩るわけですね。それならこちらの危険も少なくて済みます」
「ほう、よく考えたな」
「あ、いえ。ありがとうございます」
ディンとドゥイの感心したという感想にハンナは顔を紅潮させた。
だがそこに一石を投じた人物がいた。
「ちょっと待ちなさいよ。それ、下手したらこっちが不味いんじゃないの?」
エイリアナがハンナに詰め寄る。
「多分それって、葉を焚いてやるんでしょ。あたしたちが吸い込むかもしれないじゃない」
「え、あ。そうですけど」
エイリアナの迫力に大人しめのハンナは目を伏せて逃げた。彼女の性格からしてエイリアナ相手に強く出るのは無理だろう。
ハンナを代弁したのは当然と言うべきか、エイリアナの幼馴染みのディンだった。
「……エイリアナ。頭使いなよ。だから馬鹿だっていうのに」
「だ、誰が馬鹿よっ!」
容赦なく言い放つディンにエイリアナの顔が険しくなる。
ディンが「どうしてわからないかなぁ」と突きつけたのは彼女だけではなく、ユーリックたちにも当てはまることだった。
「あのね、僕らは魔法使いなわけ。で、何のために班分けするときに得意分野を言ったと思ってるの?」
「ど、どういう意味よ」
「だからね。センプシナ草を燃やしてマッドブルたちに煙を浴びせるでしょ。その時に風の魔法で煙が僕たちの方に来ないようにする。それだけで任務完了。でしょ?」
エイリアナが言葉なくディンを見つめる。目が見開かれているので、驚いているのだろう。
ディンはそんなエイリアナを放ってその場の全員に笑いかけた。
「ということで、役割分担といきましょうか」
みなさんはもちろんわかってましたよね。という無言の圧力にルワレが大げさに反応したのは見なかったことにする。
「とりあえず、この袋一杯になるくらい集めてね」
差し出された袋は人間の頭ほどの大きさで、近くにあるセンプシナ草の量では少し足りない。
「じゃあ、あまりここから離れずに二手に分かれて捜そうか」
ドゥイがディンとエイリアナを連れて行ったので、ユーリックは自動的にルワレとハンナ、そしてもうひとりの案内人、弓を抱えたシャーウッドと組む事になる。お互いに見える位置にはいるのではぐれることはないだろうが。
「行こうぜ」
ルワレが先頭になって歩き出す。
「……つーか、ディン怖えー。あんな奴なんだな」
しみじみと言うルワレの感想に、ハンナが反応した。
「え、と。同じ魔法学校だったんですよね?」
「や、そうだけどさ。教室は別だったし、友達だったわけじゃねーからさ」
「そうなんですか?」
今度はユーリックに質問が飛んできた。
「学年ごとに五教室。ひとつの教室に二十人でそれが六学年あるから、合わせると結構な生徒数になる」
「うわぁ。すごい」
目を輝かせるハンナ。
「私、学校には行ったことなくて。同い年くらいの友達もいなくて。ちょっとうらやましいです」
「そうなのか?」
「はい。【塔】って知ってますか?」
「……東の方にある薬草園か」
確か国の依頼を受けて薬の研究をしている機関で、人の手で栽培できる薬草のほとんどが揃う場所だったはずだ。
【塔】と呼ばれているのはその研究施設が塔として建っているからで、命名は至って単純だった。
「私、十歳からそこで働いていて。字や学問、魔法はそこの研究員の方たちから教わってました。本当はそのまま【塔】で働いていたかったんですけど。いい腕試しになるからって勝手に魔法師団の入団試験に申し込んでしまって」
「で、受かったのか」
「はい。申し込んだ人もまさか受かるとは思ってなかったみたいです。私もですけど。辞退しようかとも思ったんですよ。でもせっかくだからがんばれってみんなから送り出されて」
それが血気盛んという言葉からは縁遠い雰囲気を醸し出している少女がここにいる理由らしい。
だが。
「賢明な判断だとは思うけど、それは他の人に言わない方がいいな」
「え?」
聞き返してくる純粋そうな眼差しは、本来殺伐とした軍隊の中では危うく思える。
ユーリックは放っておいたら危なさそうだと判断した。
「受かりたくても受からなかった人間もいる。君のその言葉はそういった人たちを馬鹿にしているとも取れる」
下手をするとやっかみで手を出されることがあるかもしれない。
「あ……そうですね。ごめんなさい」
注意されればすぐに謝る。本当に素直だ。
いい人間に囲まれて育った証なのだろうが、不安になる。
「おーい、こっちあったぞ」
ルワレが声を挙げてしゃがみ込んだので会話はそこで途切れたが、後でもう一度注意しておいた方がいいだろう。
「あ、本当ですね」
ハンナがルワレのいる先に群生地を見つけたようで駆けだしていく。ここまで黙っていた案内人もハンナについて行った。
それを見送ったユーリックはなにやら視線を感じてやや斜め下を見下ろす。
「なーんか、いい雰囲気じゃね?」
ルワレの笑みが少々歪んで見えるのはおそらく気のせいではない。
勝手になにやら想像してにやついているのは簡単にわかったのでため息が出た。
「そういうんじゃない。ただ、少し危機感が足りないようだから気になっただけだ」
「ほー。けどそっからいい関係になってもおかしかねえだろ。手が早え」
「……途中から何も言わなくなったと思えば。おかしな気を回すな」
「女っ気の足りない友人に気を回すのが悪いか」
常に誰それと噂を作る友人としては、噂さえ作らないユーリックが心配だったようだ。
「余計な世話だ」
目端にセンプシナ草を発見したのでこれ以上追求される前に逃げることにした。
一本の茎に大量に付いた細い葉。
しゃがみ込み確認すると、葉をもぎ取っていく。
袋がないので、とりあえず持っていた布を広げてその上に置いていった。
一本分の葉を全て取り終えて顔を上げると、森の奥が白く濁っている。
「もや?」
段々と近づいてくるそれに、ユーリックは声をあげた。
「ルワレ。ハンナ。シャーウッドさん!」
「お、どした?」
葉を取るのに夢中だったルワレが不思議そうにユーリックを見た。
シャーウッドはユーリックが声をかけたことで異変に気付いたようだ。
「珍しい。もやが出るか」
珍しいと言いつつその声は警戒心に満ちている。
「これは戻った方がいい」
だがその時にはすでに白いもやは彼らの元まで届いていた。
あり得ない早さだ。
そう感じると同時に、体にまとわりつくように漂うそれはあっという間に視界を白く覆い尽くした。
「うおっ。なんだこりゃ!?」
「きゃっ」
戸惑うルワレの声と何かにつまずいたらしいハンナの悲鳴。
かろうじて見えていたお互いの姿が完全に消え失せるまでほんの数秒だ。
「動くな!」
シャーウッドが行動を起こそうとする少年少女たちを制する。
森の緑さえ、完全に隠されてしまうほどのそれはもはや霧としか言いようがない。
ユーリックは大人しくシャーウッドの声にに従った。
霧が晴れるまで待つ。それしかやりようがない。
風魔法で払うことも可能だろうが、魔物が潜む森の中では何を刺激してしまうかわからないのでやめておいたほうがいいだろう。
全く何も見えない中、ユーリックはため息をつく。そして顔を上げかけて、上から押さえつけられる感覚を得た。
「……?」
体が重い。
それで思い当たる感覚に戸惑いを覚えた。
「魔法を使うときと同じ……?」
だが魔法を使った覚えはない。魔力を集めている自覚もない。ただ魔法を使ったときと同じ重圧がユーリックにのしかかっていた。それも徐々に圧を増していっている。
原因はなんだ、と自分に問いかけた瞬間目に入ったのは霧。
「っ!?」
押し寄せる白い空間。
ルワレたちにも同じことが起こっているのだとしたら……
叫ぼうとするが、最早そんなこともできないほどの圧が体にかかっていた。
これは上級魔法に匹敵する。
耐えきれずに膝を突いた瞬間だった。
唐突に重圧が消える。
無意識に抗うため強張っていた体はその反動で後ろに倒れる。尻餅をついた。
「……今のは、一体?」
急激な疲労を覚え、ユーリックは背中を倒す。どうせ地面は草だらけなのだ。かまわないだろうと思ったのだがその結果は彼に戸惑いを与えた。
「いっ!?」
目に火花が散る、というのはこのことだ。
後頭部に勢いよく固い衝撃が走った。
慌てて起きあがり、頭を押さえる
そこでユーリックは初めて自分が座っている地面が柔らかな土ではないことに気付いた。
触れている地面は岩のように固く、そして黒かった。実際に岩なのかもしれない。だが、妙になだらかでそれが見える先まで続いている。
先程までのようなまとわりついた感じの霧ではなくなっていたし、ゆっくりではあるが、周囲も見えはじめているが、それにしてもこれはおかしい。
どう考えても森ではない場所だった。
どういう事だ、と混乱する頭で状況を把握しようと立ち上がる。膝を立て力を入れた瞬間に再び尻餅を付くとは思わずに。
「っ!」
思った以上に体に力が入らない。これではしばらく動くのは無理だろう。
ユーリックはそれに逆らわず、ひとまず他の面々はどうしただろうという思考に辿り着いた。
「ルワレ!」
友人がいた方角に声をかける。が、返事はない。
もし彼の身にも同じことが起こっていたのだとしたら、耐えきれずに気絶でもしているのかもしれない。
ルワレは中級魔法の圧力にも耐えきれないくらいに圧が苦手だ。
こればかりは魔法に対する資質の問題だからしょうがない。
ハンナや案内人に関してはわからないが、ユーリックでさえこんな状況なのだから彼らの状態も気になった。
しかし。
「ハンナ! シャーウッドさん!」
他の名前も呼ぶがやはり返事はない。他の面々も同じように気絶しているのか。
流石にユーリックも少し焦ってきた。
ルベルツは比較的魔物が少ない方だが、それでも安全とは言い難い森だ。気絶してのんびり回復を待っていられるほど悠長にはしていられない。
ゆっくりと待っている場合ではないようだ、と判断して他の人間を呼ぶ。
「エイリアナ。ディン。みんなどこだ?」
嫌な予感がする。
力の入らない体の心許なさは目を瞑るとして。
再びユーリックが立ち上がろうとした時、足音が聞こえた。石を叩く耳慣れない音だが間違いない。
それにかさなって少女の声がした。
だが、何を言っているのかわからない。
少しだけ期待して、少しだけ警戒する。
そうして徐々に霧の向こうから現れた影は見覚えのないものだった。
年は十一か十二かそれぐらいだろう。肩口を過ぎた辺りの黒髪をふたつにわけて結んでいる。服はユーリックが見たことのない上下で、上は胸のあたりにリボンがついていて、下は縦にぎざぎざの折り目が付いた膝までのスカート。そうして足を包む黒い靴。
驚いた顔でユーリックを眺めているが、それはユーリックも同じだ。
まさかこんな少女から危害を加えられるとは思わないが、ユーリックは一応の警戒をしながら立ち上がった。
予想通り、少しでも気を抜けば膝を突きそうなくらいに体が重い。だが隙を見せるわけにはいかず、上から強い目線で見下ろす。
「君は誰だ?」
びくり、と少女がユーリックを見上げる。
優しいとは言えない声色を使ったので、当然かもしれない。
「ルワレやハンナたちはどこにいる」
少女が怯えながらも首を傾げて何か言う。だがユーリックにはわからない言葉だった。
「……通じないのか?」
何かが引っかかってユーリックは考え込む。
大事なことを忘れている気がした。
その頭の隅でふと、先程感じた魔法の気配を思い出す。
森の中で感じた魔法を使う時に感じる圧力。
普通は、自分自身が使う魔法にのみ感じられるものだ。
他人が使う魔法も感じ取れないことはないが、それとはまた感覚が違う。
だから違和感を感じた。
ユーリックは自分が魔法を使ったという記憶も事実もない。にもかかわらず、自分で魔法を行使したかのような圧力と疲労感。
そして霧と今までいたのとは違うであろう場所。
更には知らない言語を操る謎の少女。
何かはわからないが嫌な予感がして血の気が引いた直後。ユーリックは少女に腕を引っ張られ、我に返った。
心配そうにこちらを見上げているのに気付いて、思わず嘆息する。
こちらをだまそうと考えての行動ではない。というのがわかったので、肩の力も抜けた。
霧はゆるやかに晴れていってはいるが、まだ全体を見通せるまで時間がかかりそうだ。
とりあえず周囲の観察をする。
黒い地面に白い線がいくつも引かれていた。そして、よくわからない箱のようなものがその線にそっていくつか置かれている。
こんな少女が一人でいるくらいだから危険はないのだろうが、少し不気味だった。
地面を揺るがす低い音が近づいてくるのに気付いたのはそれからすぐ。
最初に見えたのは正体不明の二つの光。それが同時に近づいてきて、ユーリックはぎょっとした。
真っ直ぐにこちらを目指してやってくるそれに対し、ユーリックは少女を連れて隠れようとするが、少女の足はそこから動かない。
引っ張るが、逆に引っ張られる。
「駄目だ。何があるか……」
強引に連れていこうとすると、何故かにこりと笑われた。
その口元がなんとなく大丈夫だと言っている気がして、力が抜けた。
音は大きくなり、やがて奇妙な形の箱が姿を見せる。
白い線に止まっている箱によく似ていて、ユーリックたちの前に来ると止まった。
内側から人が出てきたのはそれからすぐだ。
少女と同じ黒髪の男だった。年齢は三十を過ぎているだろうが、判断が付きにくい。
男は少女を見ると呆れたように何か言い、少女は少女で男に向かって何か言った。
知り合いなのだろうか。
それが数度繰り返された後のこと。
「……君が今度の【霧幻人】か」
ユーリックの知る言葉で男は呟いた。
10/7 色々修正。