007 「拝啓、父上様。とんだ大失態です。」
「で、何も無かったのかよ?」
時は昼。もっとも賑やかになり、店が繁盛する時間。
中央近くのレストランにて、その小さな反省会は行われていた。
「大体、オレには聞こえなかったぞ。」
「いや…でも俺にはしっかり聞こえてたぞ…?」
空耳にしてはおかしいよな、ううむと、頭を掻きながら考えているティールを横目に、
リーウは今一掴み所のない彼について思案を繰り広げていた。
膨大な、いや異常な程の能力があるにも関わらず全く驕らない精神。
その非常に聡明な風格を漂わせながら、常識を知らない無知さ。
そして、戦闘経験皆無を思わせる佇まいに比例しない戦闘時の目。
なにより、その膨大な魔力と非現実な魔法行使と、その使用の隠密性とごくごく当然のような素振り。
どれもが真逆で、見事に矛盾の典型のようだ。相反する二つの存在を無理やり繋ぎ合わせた様な…。
「川魚のムニエルと、白身魚の白ワイン蒸しソテーでお待ちのお客様で宜しいでしょうか?」
そこで考えを打ち切られる。いや、丁度良かったかもしれない。
恐らく彼が何者かは本人に聞かない限りはこの問題は堂々巡りだろう。解決はしない。
信頼し難いからとは言えども、今の所は信頼を置くに値する人材だ。
「あと、Maasikas Magusを御願いします。」
「おっ、おいリーウ…」
「お客様はデザートは如何致しますか?」
「いや…俺は良い。」
「畏まりました、では、食後にお持ちいたします。」
だから、分からない当て付けに少しだけ嫌がらせ。
「リーウ、お代は…」
「勿論オマエだろ?」
昼下がりのレストランに、やや不満げな呻きが漏れた。
それからやや時間が経ったあたりで、二人は会計を済ませレストランから出る。
この後の予定は特には無いため、街をただだらだらと歩くことになるだろうが、それはやや味気ない。
折角来たんだから、とはティールの提案である。
「なんだこれは。」
「見てわかんねーのかよ?闘技場だ!」
「いや、言いたいことはわかる。なんでこんなところに来たんだ。」
連れてこられたのは、所謂円形闘技場(外見はそうであった)の様なもの。
もちろん、地球にあるソレと似ているのだが、作りはしっかりとしており、ただの古代建築物とは一線を画している。
もちろん想像の通り、むさ苦しい男共(雄共というべきか)が剣を片手に、戦いあう。
壁の大きな石作りの板には、オッズが記載され、観客席は大きく賑わう。
「リーウ、これはなんだ。」
「だから、闘技場だって!一般市民の嗜みの場!
ついでに賭博場だな!戦って勝った方に賭けてたら金が手に入る!
ついでに買ったやつも金が手に入る!」
「いや、そこまで言わなくても大体は想像できる。」
問題はそこじゃないんだが。と至極冷静に突っ込みを入れるティール。
「いや、どうしてここに来たんだ。」
「金を稼ぐぞ!」
「はっ?」
思わず間の抜けた声が出る。
一瞬何を言っているのか理解に苦しんだが、ゆっくり自分の中で咀嚼し、飲み込んで行く。
それでも理解できない。
「どうして稼ぐ必要があるんだ?いくらでも―――」
「しーっ!!!こんなところでそんなこと言うな!」
「リーウ、落ち着け。」
周りがこちらを見る。ひそひそと、しゃべる声も聞こえる。
ああ、嫌な思い出が蘇る。
思わず大きい声を上げて、逆に目立った事になったのを認識したのか、顔を恥ずかしそうに赤らめるリーウ。
もう一度、こんどは普通の声でしゃべりだす。
「大体貨幣の偽造は違法なんだ…。それに、オマエはなんか、金銭感覚がおかしいし、
貨幣への執着というか、なんていうか…その…。そうだ、価値感がない!
稼いでもらうっていうありがたみがない!」
「いや、だってな?いくらでも作れるんだし、なぁ…。有難味も糞も無いぞ?」
だぁー!っとリーウが頭を掻き毟る。
そのまま、俺の尻尾をむんずと鷲掴みにする。おもわず、変な声が口から出てしまった。
「いいか!とりあえず稼げ!」
「お…おいっ、やめろ尻尾を引っ張るな!!!」
ぎゃいんぎゃいん!っと痛みに耐えつつも、その引っ張る力に耐えれずに受付かと思わしき場所へと引っ張られて行った。
☆
「んで、俺はコイツを倒せばいいのか…?」
目の前にいるのは―――、犬、でいいのか。毎回呼称に困るのだが、目の前にはハスキー種とでも言おうか。耳が立った勇ましい犬獣人が立っていた。
武器は巨大なアックス。勿論それを持つに相応しい体つきなのだが、いかんせん武器が大きすぎる。
一体どこにそんな物を持つ力があるのかと疑いたくなる。いや、きっと魔法でどうにかしているのだろう。そう考えたい。
「なんだ、武器も持ってねぇただのガキじゃねーかよぉ。ったく、ガキがこんな所に来んなって話だ。」
「…油断すると痛い目に合うぞ。」
見た目は硬派な獣人かと思っていたが、チャラかった。
選手は戦闘相手の詳しいプロフィールを与えられる。コイツはどうやら、このコロッセウムで賞金を荒稼ぎしている奴らしい。
いや、荒稼ぎという言い方は失礼だ。ここで生計を立てている、の方が正しい。特段彼だけではないらしいし。
齢21、戦闘(対人上)経験は8年と長い。対戦も10回に1回負けるかどうかという負け知らず。
「あんだと?テメェ、殺すぞ。」
「…。」
沸点も低かった。外見はいいのにもったいない。性格ですべてを潰している。
このコロッセウムでは殺しは起きない。厳密にいうと、死ぬ程度のダメージを受けると時間が戻るらしい。
詳しい原理は謎だが、この闘技場の地下に解読不能の巨大で緻密な魔法陣があるらしい。
また、地底深くを流れる『龍脈』という魔力の流れを使用しており、この効果は尽きる事が無いという。
というのは、パンフレットを読んで知ったことだ。
「ティールー!がんばれー!」
「獅子のガキの"おともさん"かよ…。へっ、程度が知れてるな。」
「ティールー!そいつ殺せよ絶対!!!」
「いや、だから殺せないと…。」
相手がこっちを挑発する。ちなみにティールは観客席ではなく、その下の控室(開閉式窓から顔をのぞかせている)から試合を見ている。
どうやらリーウも戦闘をするらしい。すごく心配だ。あのナリだ。細い。前の筋肉ダルマと比べると破格の差だ。
『―――それでは本日の第62試合目を始めたいと思いますッッッ!!!』
そう、石造りの板の上に鎮座した実況席から大きな声が響き渡る。拡声の呪法というものを使っているらしい。
実況者の声が響き渡ったところで、会場がどっと沸く。みみが劈かれるかと思う大きさだ。
『鋼の肉体、殺人的武器を振り回すその姿は正に野生の獣そのものッ!東から!アイデン・シルフスキー!!!』
会場が沸く。うるさい、とこの世界に来て初めて思ったことだ。
『対するは、西!出で立ちは闇その物!絢爛な装備に身を包んでいるが、その実力はいかにっ!ティール・グレイシスッッッ!!!
さあ、果たしてどちらが勝つのかッ!会場は大いに賑わっているっ!
この賑わいを裏切らない勝負を見せてくれよーっ!
昼下がりの第62回!スタンバーイ?トライッッッッ!!!』
えっ、もう始まりかっ?思わず辺りを見回す。瞬間、何かが飛び散る。
「うっらあああああああああっ!」
「うぉおっ!?」
―――主、制御を!
よそ見をしてる暇じゃなかった。
目の前には先ほどの獣人、アイデンが目の前に飛び出し、すでにその巨大なアックスが目の前に下がって来ていた。
「ちぃっ、ちょこまかと!」
「そんなもんで攻撃されたら死ぬだろう!逃げるのは当然だ!」
間一髪、だ。思わずティールに感謝をしてしまう。
地面に大きくめり込んだアックスがその威力の強さを物語っている。
「…。今度は此方から行く…!」
―――青臭ぇガキが武器も持ってねェ。闘技場をナメてんのか。
そう思ってたが、意外と良い反応をしやがる。最初のあの攻撃はたいていのやつは片が付く。
よけられるとなるたぁ、少しは戦闘慣れしてるってぇ事だ。
そう考えていた瞬間、突然全身の毛が逆立つような感覚に蝕まれる。まるで、高位の魔物に睨まれ、死ぬ瞬間かと錯覚する程に。
「今度は此方から行く…!」
そう言った瞬間だった。その今までの呑気な雰囲気は消え去る。目はまるで獣の様に鋭く。
―――コレは、数人殺してきたレベルじゃねぇ…!
とっさに身の危険を感じ、アックスを盾にする。鋭く高鳴る金属音が鳴り響く!
どこから出したのか、その疑問も考えている暇すらない猛攻。
まるで闇のように黒いその細身の剣の様な物で、こちらを切り刻もうと幾多の攻撃を仕掛けてくる!
それを避けるので精いっぱいな状況でありながら、相手は息一つ乱していない事に気づき、戦慄が走る。
『おおーっとぉー!?一体どんな動きをしているのか全く分からない!
ティール選手っ、その黒い剣はいったいどこから出したんだぁっ!』
「っ…くそっ…!」
思わず悪態をつく程度に、追い詰められている。
その状況が信じられない自分に、また悪態をつきたくなる。
ここまでの実力差を知らしめられたのは一体いつのことだろうか。
―――そうだ、壮年の男、ギルと言ったか。あいつの時以来だ。
アックスの柄が切られる。
―――そうだ、慢心するべからず、そう云われたのを忘れてたな…。
黒い剣が首を捉える
―――こうして首を狩られて、負けたんだったな。
首をはねる。
そこから何も覚えていない。
『おおおおおおっっとおおおおおおお!?
ティール選手、なんとなんとなんとぉっ!一瞬でアイデン選手を倒してしまったああっ!
これはっ、どういう事だぁっっっ!』
会場が大いに賑わう。軽く乱れた息を整える。
勿論、体を動かしていたのはティールであって俺じゃあないが、
疲労や痛みはそのまま俺が受け持っていたため、どっと疲れが押し寄せる。
腕の筋肉はパンパンになっているのを認識できるほどだ。後でリーウに揉んでもらおう。
目の前には首を切られた亡骸が。…本当に復活するのだろうか。心配だ。
その亡骸を見て、なんとも思わない。普通だったら吐いたり、泣いたり、気絶したりするのだろう。
ピンとこないが、こんな自分に対してなんとも言えない感情が沸き起こった。
『勝者っっっ、ティィィィィィィィィル・グレイシイイイイイイイイッッッ!!!!』
賑わった会場に大きな拍手が加わる。褒め称えられて居るのだろうが、なんとも微妙な心地だ。
そこにてくてくとリーウが走ってくる。
「やったな!すごい!あんなのに勝てると思わなかった!」
「お、おう…。」
そのまま飛びついてきたリーウに、ついつい頬が綻ぶ。
まるで自分の身に起きた出来事のように喜ぶ姿がなんとも愛らしい。
「戻ろうか。」
「そうだなっ!」
『勝者はティール選手。今回のオッズは東が2.624、西が62.963、よって、西に賭けた人は賭けた金額の62.963倍を配当金として手に入れられますッッッ!!!』
大いに賑わう会場。落胆と感激の怒号が響き渡る。
その賑やかな、いや、騒々しい会場を背にして、喜ぶリーウを見ながらその場を後にするのだった。
☆
「カッコいい…。」
「…お嬢様。あまり窓から身を乗り出すと、危険で御座います。」
「あら、私がそんなへまを仕出かすとでもおっしゃるのかしら?」
「…大変失礼いたしました。そのようなお言葉として言上させて頂いたわけでは決してございません。」
「ウフフ、まぁいいわ。今の私はとっても機嫌が良いの。」
「…左様で御座いますか。お嬢様。ティータイムのお時間で御座いますが、如何致しましょう。」
「いつも通りの…いいえ、薔薇を中心にしたメニューでお願い。」
「畏まりました…。すぐにお持ちいたします。」
ある煌びやかな部屋であった会話。犬の執事は部屋を出ていく。
「ウフフ、本当に格好良い。私だけのものにしてしまいたい。」
不穏な空気が、平和な二人を脅かし始める。
「 私 の 王 子 様 は 、 彼 に 決 ま り 。 」
気づかぬ二人は、その幸せを十二分に謳歌する。一時の凌ぎであっても。
Maasikas=苺の果肉入り
Magus=甘い
asで「~入り」の接尾語とする。