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第83話 再始動の朝に

 里を守る防衛結界には、ひとまず応急的な修復が施された。

 かつての完全な封印──沈黙の帳とは程遠いが、最低限の外敵侵入は防げると、魔導の専門家たちは判断している。


 それでも、戦いの爪痕は深く、里のあちこちには黒く焦げた柱材や、ひしゃげた鍋、瓦礫の山が残されていた。


 「こっちはもう運び出せそうだ!」


 「次は井戸の補修だ、急げ!」


 声を張り上げる兵士たちが焼け残った木材を仕分けていく。

 仮設の炊き出し場では、おばちゃんと女性たちが湯気を立てる鍋を囲んでいた。香ばしい匂いが、乾いた空気を和らげる。


 ハルカは荷車の側で、泥のついた手を拭いながら空を仰いだ。


 (……もう、あの静寂の夜じゃない)


 赤く染まり始めた空を見つめるその瞳には、確かな意志が宿っていた。


 * * * * * * 


 

 一方その頃、王都では、冷たい風が民を締め付けていた。


 表向きは静かだったが、実際には王の姿はほとんど見られず、政務の一切を王妃ヴァレリアが取り仕切っていた。


 徴税の強化。強制的な労働動員。王妃に都合の悪い噂を流しただけで、処罰される例が出始めているという。


 そんな中、レオニスが密かに回収した一通の書簡には、王都近郊の村々で子どもたちが兵站作業に駆り出されているとの記述があった。


 「……狂ってやがる」


 拳を握るレオニスの目は、氷のように冷えていた。


 怒りと恐怖の影が、王都を覆う一方で。民のあいだに、密かに語られ始めていた──地下に潜む、反旗の灯火のことを。


 

 * * * * * *



 小さな会議室に、六人の影が集っていた。 

 

 「……現在、里の人口は百五十名を超えたところ。馬は五十頭以上。非戦闘員は四名、うち一名は魔力異常の観測対象」


 冷静なカイネルの声が会議の口火を切る。各地の報告を受けた彼が、手際よく資料をまとめたらしい。


 「補給線の整備と、施設の修繕が限界に近い。避難民や新たな戦力候補はゼロ。今後も受け入れは難しいだろうな」


 報告を聞いたヴィスが、深くため息をついた。


 「馬の世話だけでも人手が足りねぇ。水も食料も備蓄に回す余裕はねぇし、訓練場も満足に使えねぇ状況だ」


 「防衛線の再構築も必要だ。毒蛾への対処と、再侵攻に備えた備えは急務」

 冷静な口調で、カイネルが言う。


 「加えて──王妃の魔法に対抗する術も必要だ。

 〈魅了〉や〈操り〉に対する結界。内部への侵入や、潜伏しているかもしれないスパイへの対策も、視野に入れるべきだろう」


 その言葉に静かにうなずいた辺境伯が、重々しい声で続けた。


 「……我が領地は、既に王妃派の手に堕ちた。援軍も資源も、もはや見込めぬ。……すまぬ」


 誰も彼を責める者はいなかった。ただ、今ある状況を受け入れるしかない。


 「だが、我が隊の兵士たちは実戦経験豊富な者ばかり。防衛再編や訓練、あるいは偵察任務など、役に立てるはずだ」


 その言葉に、仮面の梟がわずかに頷く。


 「有り難い。あなたたちの知見と経験は、これからの要となる」


 そのとき、フィリオが静かに手を上げた。


 「……結界術に関しては、私が協力できます。沈黙の帳には手を加えていませんが、仕組みの解析は進めています。時間をいただければ、応用可能かと」


 エレナが目を細めて彼を見つめた。


 「……アンタねぇ、無茶しすぎないでよ。結界ってのは、下手すると術者の命削るんだから」


 「無理はしません。……誰かの役に立てるなら、それが……生きている意味だと思うので。もちろん――あなたのためにも」


 「っ……あんた、ほんと……」


 エレナはぷいと顔を背けながらも、どこか安堵したように息をついた。


 そのやりとりに、小さく笑みが漏れる空気が流れたが、すぐにカイネルが締め直す。


 「とはいえ、現状のままでは長くもたない。まずは外郭の強化。構造の補修や再編には専門家の助けが必要だ」


 「……俺が王都に潜る。目立たないようにな」


 仮面の梟が、低く言った。


 「建築士や鍛冶屋、腕の立ちそうな奴らを引き抜いてくる。里の未来を築くには、外からの力が要る」


 「ふん。ま、お前なら潜っても生きて帰ってきそうだな」


 ヴィスが小さく呟き、苦笑を交える。


 会議の終盤、仮面の梟が静かに立ち上がる。


 「……里を砦にする。攻められないようにではなく、守りきるための砦に」


 その声には、静かながらも確かな意志があった。


 「構造の強化、防衛陣形の再編。毒蛾や魅了魔法への対策も講じたい。……誰一人、もう奪わせないために」


 その言葉は、場にいた全員の胸に深く刻まれた。

 


 * * * * * * 


 

 夜明け前の空は、まだ深く青いままだった。


 ハルカは、レオニスの部屋でそっと扉が閉じられる音を聞いた。戸口に影が差すのを見て、スフレが「くぅん」と控えめに鳴く。


 「……もう行くの?」


 問いかけると、レオニスは肩に荷を担いだまま、ふっと目を細めた。


 「悪い。起こすつもりはなかったんだけどな」


 「起きてた。というか、スフレが敏感すぎるんだよね」


 軽く笑ってみせると、レオニスは足元のスフレを一瞥し、そっと頭を撫でる。


 「……頼む。こいつのこと、守ってやってくれ」


 「……わたしじゃなくて、こっちが?」


 ハルカが指差すと、スフレがくしゅんと鼻を鳴らした。


 「どっちも、だな。……君がここに来てから、俺……救われてたんだと思う」


 ハルカが何か言いかけたとき、彼はすっと顔をそらし、背を向ける。


 「……気をつけて!……ね?」


 その声に、レオニスは一瞬だけ足を止めた。


 そして、振り返らずに片手を軽くあげる。


 「……おう。行ってくる」


 朝焼けの光の中、彼の声はいつもより少しだけ優しく響いていた。


 

 * * * * * * 



 「……ヴィスさん、これ、今朝の最新データです」


 ハルカが手渡したのは、彼女が手を加えた魔導端末の画面だった。

 一から作るのは難しかったが、既存の資源管理アプリのコード構造を読み解き、使い勝手の悪かった機能を中心にアップデートを施した。


 物資の出入り、住民の人数、負傷者の回復状況、さらには馬の給餌間隔までが一覧で確認できる。


 「ほう……部隊ローテーションの重なりまで見られるのか。こりゃ……」


 ヴィスは低く唸り、腕を組んだ。


 「……前にも言ったが。やるな嬢ちゃん。無駄のねぇ構造だ」


 そのひと言に、隣で作業していた若手兵士がぽつりと漏らす。


 「……今のって、褒めてますよね?」


 「え、マジで……あのヴィスさんが?」


 周囲がざわつくと、当の本人は眉をひそめて「うるせぇ」と吐き捨てたが、耳の先がわずかに赤く染まっていた。


 その光景に、周囲からくすりと笑いが起きる。


 焦げ跡の残る拠点の一角に、ほんのひととき、小さな笑い声が満ちた。


 

 * * * * * * 


 

 里の入り口に、新たな影が現れ始めていた。


 焦げた服のままの若者。幼子を背負った若い母親。傷ついた元兵士。

 ──彼らは皆、王都を離れ、山道を越えてこの隠れ里を目指して来た者たちだった。


 「仮面の梟が、受け入れてくれる場所があるって……」

 そう口にする者もいる。


 レオニスが密かに声をかけ、手を差し伸べた人々。

 かつては避難民だった彼らも、今では革命軍の名のもとに集い始めている。

 まだ装備も編成も未熟だが──その目には、確かな意思と覚悟が宿っていた。


 「……お願いです。ここで……ここで、働かせてください……」


 深く頭を下げたのは、二十代半ばほどの女性だった。

 名はリュミナ。夫を内乱で亡くし、姉妹を抱えて王都を逃げてきたという。


 「何でもします。子どもも、手伝いくらいなら……」


 その腕に抱かれていたのは、小さな女の子。五つになる妹のリゼ。

 そして、その隣には八歳になる姉のティナが、しっかりと母の服を握って立っていた。


 「……子どもには無理させないよ。でも、あんたが動けるなら、少し手伝ってくれると助かる」


 エレナはぶっきらぼうにそう言って、リュミナの肩を軽く叩いた。


 「ほな、あんたら風呂と飯やな! ついでに寝床も見とかなあかん!」


 どこからともなく現れたおばちゃんが、かかえた鍋をぼすんと地面に置き、すぐさま段取りを始める。


 「その子ら、好き嫌いある? うち今夜は芋粥やけどな、ちょびっと塩入れてうまいで〜」


 リゼが「いも……すき!」と笑うと、おばちゃんは「そらええこっちゃ!」と豪快に笑い飛ばした。


 その様子に、リュミナの目尻がほんのり濡れる。


 この地で生きる。

 そのための始まりが、今ここにあった。


 少しずつ、少しずつ──この里が、避難所から生きる場所へ、そして革命の拠点へと変わっていく気がしていた。


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