第81話 あなたの背中に触れて
戦が終わって2日後。
隠れ里には、久しぶりに活気が戻っていた。
焼け焦げた屋根、崩れた柵、割れた石畳。
あちこちに爪痕は残っていたが、人々の手は止まらなかった。
「こっち! 梁、もう一本足りない!」
「はいよ! 解体班、急いで運んで!」
普段は静かな里に、叫び声と道具の音がこだまする。
ヴィスとカイネルが先頭に立ち、仮設の厩舎や住居の建て増しが急ピッチで進められていた。
──援軍を含めた人員は150名を超え、馬も50頭以上。
もはやこの谷では手狭で、水や食料の供給も限界に達しつつある。
「物資は……あと二日が限度だな」
カイネルが報告書を睨みながら低く呟く。
ヴィスも頭を抱えた。「水場の分配、調整が必要だ。……また揉めるぞ」
そんな中、白衣の青年が静かに図面を広げていた。
フィリオ=セリオス。結界の要となる結界術士。
未明に戻ってから、彼は一睡もせず、崩壊した「沈黙の帳」と「魔導結界」の再構築にあたっていた。
「既存の防御式は、すでに突破されました。……同じ構成では、もはや意味を成しません」
フィリオの声は冷静だったが、その眼差しは決意に満ちていた。
「ですので――新たに構築する必要があります。従来の構造を基盤としつつ、防御層を追加する形で、“多重展開”を前提に再設計を進めます」
彼の背後には、新たに描かれた魔方陣の素案が並ぶ。
贖罪のように、彼はその指で細部まで書き込みを続けていた。
* * * * * *
朝露が乾ききらぬうちから、隠れ里の一角に湯気と喧騒が立ち上っていた。
仮設の炊き出し場には、大鍋と桶が並び、野菜や穀物の匂いが立ちこめている。
その中心で、威勢のいい声が響いた。
「男手ばっかり来て、野菜の皮も剥けんのかいな! 包丁は剣より重たいんか!?」
おばちゃん──オバサンヌ=デシマルが、割烹着姿で新入りの若い兵士たちを叱り飛ばしていた。
彼女の手は止まらない。大根を切りながら、鍋を見て、米の水加減に目をやる。
まるで戦場の指揮官のように、炊事場を取り仕切っていた。
最初こそ兵士たちは戸惑い気味だったが、次第にその手際の良さに引き込まれていく。
いつしか彼らは黙々と作業に没頭し、指示を待つ顔になっていた。
「その芋、芽ぇ残ってる! やり直し!」
「ひゃいっ!」
ときおり飛ぶ小言は的確で、むしろありがたがられている始末だった。
少し離れた桶場では、ハルカが腕まくりして、芋の泥をこすり落としている。
袖口にはうっすらと水飛沫がかかり、額にも汗がにじんでいた。それでも、どこか楽しげに笑っている。
その様子を、少し離れた木陰からレオニスが見ていた。
仮面越しに目元がやわらぐ。
(……良かった。ちゃんと、笑ってる)
彼はそう呟くと、少しだけ視線を逸らした。その胸の奥に、どこか安堵に似た熱がじんわりと灯っていた。
* * * * * *
日が高くなった頃。
ハルカは崩れた柵のそばで、地面に手を当てながら結界の基盤を探っていた。
この地に残る感触──そこに、今も薄く魔力の名残があることを確認する。
(ここが繋ぎ目。きっと……このあたりに)
「……おい」
背後から声をかけられ、振り向くとカイネルがいた。
「……カイネルさん?」
彼は腕を組んだまま、ぽつりと口を開く。
「……あのとき、先遣隊の接近に気づけたのは、お前の警告があったからだ」
「……え?」
ハルカの目がわずかに揺れる。
だがカイネルは、そのまま続けた。
「毒蛾の件も同じだ。勘じゃ済まない精度だった。……何か掴んでいるのか?」
「それは……ただの直感です。ただ、嫌な予感がして、なんか……その、匂いが……」
言い訳のような言葉を重ねるハルカに、カイネルはふっと鼻を鳴らす。
「それが感ってやつだ。お前のは……当たる」
そう言って、彼はくるりと背を向けた。
「次も、何かあれば言え。俺は信じる」
その言葉に、ハルカの肩が小さく震える。
──自分が、誰かの役に立てているという実感。
(……必死に頑張ってきて、よかった)
思わず唇が、ほっと緩んだ。
風が、ひとすじ、吹き抜けていった。
暮れかけた空に、仮設小屋の影が長く伸びていた。
日中の復興作業を終え、里はひとときの静けさを取り戻している。
ハルカは両手に包みを抱えて、レオニスの部屋の前に立っていた。
「……乾いた洗濯物、持ってきたよ」
声をかけると、すぐに中から気配が動き、扉が開いた。
「……ああ。悪いな」
レオニスだった。ちょうど入浴を終えたばかりのようで、上半身はまだ濡れたままの髪を拭いている最中だった。
その無防備な姿に、ハルカはどぎまぎして、慌てて視線を逸らす。
「ご、ごめん! ちょっとタイミング悪かったかな……」
「ああ、いや。平気だ」
タオルを首にかけながら、彼はいつもの調子で静かに答える。
けれど、ハルカはふと、彼の背中に目を奪われた。
その白い肌に、いくつもの細く深い痕が走っているのが見えたのだ。
思わず、息をのんだ。
「……それ……」
レオニスの動きが止まる。
彼はゆっくりとタオルを手から離し、背を向けたまま、ぽつりと口を開いた。
「昔の傷だ。気にするな」
「でも……それって……」
ハルカの声が震える。
ただの怪我じゃない。無数の傷が、何年も前から刻まれていたことを物語っていた。
レオニスは黙ったまま、棚にかけてあった上着を手に取り、羽織ろうとした。
だが、ハルカの小さな声が、それを制した。
「待って……」
その言葉に、彼は手を止めた。
「……誰に、やられたの?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、彼は上着を置き、仮面も外して床にそっと置いた。
ゆっくりと腰を下ろし、薄暗い室内の中、静かに語り始める。
「母は、俺を産んですぐに死んだ。……平民の出だったらしい。父王が気まぐれに手を出した女、ってことになってた」
ハルカは、黙って彼の隣に腰を下ろす。
「その後、ディアルの母……つまり前の王妃が形だけ育ててくれた。
俺にとっては継母だったけど、少なくとも人扱いはしてくれた」
彼の口調は淡々としていたが、ところどころに、微かな熱がにじむ。
「けど、彼女が死んで……ヴァレリアが王妃になってから、地獄が始まった。
平民の血を引いた穢れた子供として、俺は存在を否定された。
“躾”って言葉で、罰が日常になった。誰も止めなかったよ。王妃が睨めば、使用人も目を逸らす。
……王子なんて呼ばれた記憶、ほとんどない」
ハルカの胸が、痛みで締めつけられる。
ゲームでは、彼の過去は断片的にしか語られなかった。こんな壮絶な背景があったなんて。
「ディアル様は……?」
その問いに、レオニスはわずかに目を伏せた。
「兄上は……多分、全部わかってた。でも……見て見ぬふりをしてた。
何もしてくれなかった。でも、恨んじゃいない。
……俺はただ、期待するのをやめただけだ」
ぽつりと、ひとすじの言葉が落ちる。
「唯一、俺に優しくしてくれたのは、下働きの女性だった。名前はもう覚えていない。
でも……よく、夜中に薬を持ってきてくれて」
そこまで言って、レオニスはわずかにうつむいた。
「でも、それも長くは続かなかった。王妃に目をつけられて……手打ちにされた」
「そのとき、思ったんだ。力がない奴には、耐えるしかないって」
彼は、まるで自分自身に語りかけるように呟いた。
レオニスの話が終わったとき、ハルカの視界は涙で滲んでいた。
「……ひどい……そんなの、ひどすぎるよ……」
頬をつたう涙をぬぐうこともできず、ハルカはそのまま彼の背を見つめていた。
くっきりと残る傷跡。その一つひとつが、語られた過去の証だった。
──ゲームの中では、こんなにも具体的には描かれていなかった。
「過酷な環境で育った」とか「王妃とは確執があった」とか、プレイヤーの想像に任せるような曖昧な表現で済まされていた。
それでもレオニスは人気キャラで、カリスマ性のある革命のリーダーとして称賛されていた。
でも今、自分の目の前で語られた真実は、そんな曖昧な想像をはるかに超えていた。
この人は……生きて、ここにいる。たった一人で、地獄のような日々を。
(なのに、どうしてそんな顔で笑うの……?)
胸の奥が、じんと熱くなった。言葉にできない感情が波のように押し寄せる。
「……それでも、生きていてくれて、よかった」
そう呟くのが精一杯だった。
レオニスがそっと目を伏せた。その瞳がわずかに揺れたのを、ハルカは見逃さなかった。
(私、何も知らなかった。何もできなかった)
唇をきゅっと噛む。泣くだけでは足りない。彼が背負ってきたものに対して、涙だけでは応えられない。
(でも、これからは……)
ハルカは、彼の背中に、そっと手を伸ばした。
「あなたの背中に、触れてもいい?」
その問いに、レオニスは静かにうなずいた。
傷跡をなぞるように、優しく、温かく──彼に触れたその瞬間、何かが自分の中で変わった気がした。
(この人の隣で……力になりたい)
彼の痛みに寄り添いたい。革命という過酷な道のりの中で、少しでも希望になりたい。
──それは、ハルカ自身の中に灯った、確かな覚悟だった。




