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薔薇と鏡の王国《rewrite》—— “モブ”が書き換える、愛と死と回帰の物語。  作者: 舞見ぽこ
第4章 揺れる絆、灯された革命の火

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第75話 絶望の檻

 毒の霧が、地を這い、空を満たしていた。


 その中を、巨大な毒蛾たちがゆっくりと、まるで舞を踊るかのように漂っている。

 皮膚に触れるだけで痺れを引き起こし、呼吸に混じれば、内臓から蝕んでいく。


 ハルカは咄嗟に口元を覆っていた。

 だが、喉の奥にひっかかるような甘い香りが、もう侵入している気がする。

 視界も霞みはじめ、どこか遠くで誰かが倒れる音が聞こえた。


 足元がふらつく。


 「——っ、来る!」


 そのときだった。


 目前に、一匹の蛾が降り立った。

 翅を広げ、まさにハルカに飛びかかろうとしたその瞬間。


 「下がってなッ!!」


 声と同時に、ひとつの影が飛び出す。エレナだった。


 彼女は一瞬の判断でハルカを背中に庇い、そのまま蛾に覆い被さるようにして押し倒す。


 「な……エレナ!?」


 「アンタは……下がってな……!」


 エレナの声は震えていた。だが、その背中は決して揺らがなかった。


 蛾の脚が、頬を掠め、翅が彼女の肩に触れる。


 「私が……まだ、守るって決めたから……」


 薄く笑った彼女の唇が、紫に染まっていく。


 「……あーあ、なんでこんなとこでさ……。もっと、かっこよく死ぬはずだったのに」


 地面に膝をつく。震える手で、最後までハルカを守ろうとしていた。


 「エレナ……っ!」


 震える声を絞り出すハルカの前で、エレナは静かに、崩れるように倒れた。


 その目に残っていたのは、怒りでも恐れでもなく、どこか微笑に似た表情だった。


 * * * * * *


 「エレナの死を、無駄にするなぁぁぁッ!」


 怒声が響く。カイネルだった。


 彼は尚も指揮を取ろうと、動揺する兵士たちに叫びを飛ばしていた。


 「陣形を保て! 霧の濃いところは避けろ、下がれ! ——ぐっ……!」


 突如、足元が揺らぐ。


 「な……ッ!?」


 地面が捻じれたように見えたかと思えば、視界が一気に歪む。

 幻惑。

 毒蛾の鱗粉が引き起こした錯覚に、カイネルは足を滑らせ、体勢を崩した。


 その隙を狙って、霧の中から伸びた黒い影。


 「っ……貴様……!」


 目を見開く暇もなく、毒刃が背中をかすめた。

 致命傷には至らなかったものの、深く抉られた傷口から血が滲む。


 「……チッ、やってくれるな……」


 膝をつきながらも、カイネルはなおも視線を上げた。


 「まだ……命令を、伝えきってない……んだ……!」


 その声はかすれ、息も荒い。


 それでも、革命軍の仲間たちは、その姿にわずかに奮い立った。


 だが、覆い尽くす毒の霧の中では、どれほどの声も、力も――あまりに無力だった。


 狂気を帯びた笑い声が響く。


 「ふふ……ふふふ……」


 赤い薔薇を散りばめたような艶やかな鎧、長く波打つローズピンクの髪、うっとりとするような微笑み。


 マティアス=ベルフェゴール。


 毒薔薇将軍の異名を持つ、王妃軍の恐るべき指揮官。


 「汚らわしい者たちの――粛清の時間ですよ」


 その声は、甘く優雅で、そして……何よりも、冷たい。


 それは、絶望に彩られた“美”の到来だった。



 毒蛾の群れが舞い踊るように空を覆い、霧の中を旋回する。


 守りの要を失った隠れ里に、静かに、だが確実に終わりが迫っていた。


 毒の鱗粉に晒され、非戦闘員たちが次々と倒れていく。


 おばちゃんが咳き込みながら倒れ、支えようとしたおじいちゃんも膝をついた。


 それでも、革命軍は戦い続けた。


 里の外縁では、王妃軍の重装部隊が静かに撤退を始めていた。


 「毒蛾か……あれは、あの方の技。巻き込まれる前に離脱しろ」


 訓練された兵士たちは一糸乱れず、毒の気配を避けるようにして霧の外へと消えていった。


 

 その頃——前線では、カイネルが血を滴らせながらも、ひとり立ち尽くしていた。


 その身体には無数の毒刃が刺さり、腕も足もまともに動かない。


 それでも彼は、崩れることを拒んだように、最後まで仁王立ちしていた。


 (ここで散るわけにはいかん……我らの矜持も、誓いも、玉座まで届けると決めたッ!)


 その背は、誰よりも大きく、誇り高かった。


 やがて視界に毒蛾の影が広がっていく。


 (……悪いな、レオニス。先に行く)


 カイネルは、敵を睨みつけたまま——息を引き取った。

 


 ヴィスもまた、別の戦線で抗っていた。


 負傷者の盾となり、毒蛾の群れに突撃する。


 「いけっ、今のうちに!」


 仲間を逃すために、自らを犠牲に。


 毒の翅に裂かれ、腹部を刃で穿たれても、彼は笑っていた。


 「……まだ、終わっちゃいねぇ。俺たちの革命は……!」


 次の瞬間、毒に焼かれるようにその場へ沈んだ。


 そして、ついに革命軍の戦線は崩れ落ちる。

 

 「撤退だ」


 仮面の梟の低い声が、霧の中に落ちる。


 その瞳には、怒りと悔しさ、そして燃え尽きぬ炎が揺れていた。


 「ハルカを連れて、隠し通路から里の外へ――!」


 その直後、霧の奥から響く無機質な声。

 

 「革命軍リーダー、仮面の梟と異常個体を確保せよ——」


 灰色の仮面をつけた抑制班が、霧の中から音もなく現れる。


 その中に、ただひとり異様な気配を纏う男がいた。


 ビル=カランデル。

 冷ややかな瞳と、血すら通わぬような白い肌。王妃直属の副官。


 「この戦場で生け捕りなど……非効率です。殺してから運んでも、遺体は残る」


 ビルは淡々と、クロスボウの照準を定めた。


 向けられた先は、仮面の梟。


 「仮面の梟。お前には最も惨めな死をくれてやる。――さらし首としてな」


 矢が放たれる刹那、ハルカがレオニスを突き飛ばし、身を投げ出す。


 鋭い音とともに、彼女の胸に矢が突き刺さった。


 「……なぜ、君が……!」


 レオニスが目を見開く。


 ハルカは微かに微笑んだ。


 「あなたが……生きて……」


 膝から崩れ落ち、地に伏す彼女のもとへ、小さな白い影が駆け寄ってくる。


 「……スフレ……」


 ハルカがかすかに名を呼ぶと、スフレは彼女の頬にすり寄った。


 ぺろり、ぺろりと傷口を舐め、服をちょいちょいと引っ張る。


 まるで「起きて」と懸命に訴えるように。


 けれど、ハルカの目からは、ゆっくりと光が失われていった。


 「ごめんね……守って……あげられなかった……」


 その言葉とともに、彼女の意識が遠のいていく——。


 「ハルカ……! いやだ、行くな!」


 レオニスの叫びも虚しく、彼女の意識は崩れていく。

 

 そして次の瞬間。


 魂の共鳴。


 強い想いが、死を越えて、時を引き裂く。


 ハルカの体から光があふれ出す。


 地が、空が、時間が、ひっくり返る。


 「——ッあああああああああっ!!」


 これまでのどの回帰よりも激しい痛み。骨が砕ける音、内臓が焼けるような感覚。


 喉から血が溢れ、声が出なくなる。


 それでも彼女は、願った。


 “どうか……今度こそ、あなたを——”


 そして。


 光の向こうに、新たな「始まり」が訪れる。

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