第7話 供儀の記録と王都への帰還
禁足地とされる森は、ルルカの村のさらに南西。地図にもはっきりとは記されていない未踏の地だ。
日の出とともに、調査隊は少人数で出発した。
ライエル、ノア、護衛の騎士一名、そしてハルカ。
森の入り口に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
湿り気を含んだ冷たい風と、肌にまとわりつくような静けさ。
(空気が……重い)
深い緑の中を進みながら、ハルカは無意識にライエルの背中を追っていた。
黙々と歩くその姿が、なぜか心強く思える。
「ここから先、魔力の揺らぎが強くなる。気をつけて」
ノアの警告に、ハルカは思わず息を呑む。
足元の草がざわりと揺れたかと思うと、周囲の木々から小さく軋むような音がした。
「……誰か、いますか?」
思わず漏れた声に、ノアがちらりと振り返る。
「“残留意識”かもしれない。記録では、禁足地で行方不明になった者の数は少なくない」
(そんな場所に、私、来ちゃったのか……)
怖気はあった。でも、それでも——
「ここです」
騎士が指差した先には、崩れかけた小さな祠があった。
前夜、ハルカが見た祠よりも古く、苔に覆われてほとんど原型を留めていない。
「残留魔力反応、微弱ながら継続中」
ノアが計測具を確認しながら言う。
その時だった。
——ハルカの耳元で、誰かの声が囁いた。
『……きづいて……』
ビクリと肩が跳ねる。
「今……声が……」
言いかけた瞬間、目の前の祠の奥で“何か”が動いた気配がした。
ライエルが即座に前へ出る。
剣の柄に手をかけ、ハルカの前に立ちふさがる。
「下がれ」
(また……あの声)
今度ははっきりと聞こえた。
『だれか……きいて……わたしの……こえ……』
(……知ってる。あの子の声だ)
祠の奥から、微かな光が漏れていた。
* * * * * *
朽ちた祠の前で、ハルカはじっと奥を見つめていた。
少女の声——いや、“あの子”の声が、確かに聞こえた。
そして、その震えるような言葉の響きが、胸の奥に不思議なざわめきを生んでいた。
(……気づいてほしかったんだ)
そう感じた瞬間、祠の奥へと足が動いていた。
視界の端が揺れて、次の瞬間、意識がふっと遠のく。
気づくと、またあの闇の空間に立っていた。
前よりもはっきりと、少女の姿がそこにいた。
「……だれ……?」
か細く、震える声。
「私は……ハルカ。あなたの声が聞こえたの」
少女はゆっくりと顔を上げる。
白いワンピースに裸足、腰のあたりで切りそろえられている長い髪。
その表情はおそろしくあどけなくて、それがかえって胸を締めつけた。
「ここ、暗いの……さむいの……でも、出られないの」
「どうして……ここにいるの?」
少女は、はにかむように微笑んで、小さく首を振った。
「わかんない。でも、待ってるの。きっと、誰かが来てくれるって……」
空間が揺れる。
遠くで、誰かの呼ぶ声がする。
(戻らなきゃ——)
「あなたの名前、聞かせて」
その問いに、少女が何かを言いかけた瞬間、光が一閃して——
ハルカの意識は現実に引き戻された。
「ハルカ! 聞こえるか」
ライエルの声。
ノアもすぐそばにいて、計測器を睨んでいた。
「微弱な魔力反応が一時的に急上昇……精神干渉が限界に達しかけていたんだ」
「……わたし、大丈夫……たぶん……」
体を起こしながら、ハルカは祠を見つめる。
(あの子は、確かにそこにいた。そして……誰かを、ずっと待っていた)
(だったら、私が——気づいた“誰か”が、ここにいる意味があるはず)
* * * * * *
ルルカの禁足地から戻ったのは、陽が傾き始めた頃だった。
ハルカはまだ体の奥に残る微かな震えを感じながらも、歩調を崩さずに集会所へと戻った。
ノアはすぐさま魔力測定器の記録を確認し、ハルカの言葉と照らし合わせながら無言で思考を巡らせている。
「……少女の姿。名もわからない声。空間の歪みと精神干渉。どれも整合性は低い……」
「でも、確かに“そこにいた”んです」
ノアはちらりと視線を向けた。
ライエルも黙っていたが、否定の気配はない。
「もし……あの子が本当に、誰にも気づかれず置き去りにされた存在だったとしたら」
ハルカは言葉を選びながら続けた。
「調べるだけじゃなくて、何かしてあげたいんです」
そのとき、ノアが静かに口を開いた。
「“供儀の祠”という言葉を知っているかい?」
「……それって、供物とか、生贄とか……そういう?」
ノアは頷いた。
「古い記録の中に、“ルルカ近隣に存在した儀式場”という文言があった。だが当時の詳細は、王都の禁書庫にしか残っていない」
ライエルが腕を組んだまま呟く。
「つまり、そいつが何だったのか知りたければ——」
「王都に戻るしかない、ということだ」
* * * * * *
王都に戻った翌日、ハルカはノアとともに王宮の謁見の間へと足を運んでいた。
「魔力異常の調査対象」「聖女の可能性あり」として保護されていた彼女に対し、
王として正式な判断を下す必要があるというのが、表向きの理由だ。
天井の高い謁見の間、大理石の床に響く足音。金色に彩られた装飾が眩しく感じられる。
そしてその玉座にいたのは——
端整な顔立ちに銀の髪。威厳と穏やかさを併せ持つその人物が、
王——ディアルの父であるアストリア=デ=フィレント=エルヴィオン三世だった。
ゲームでは立ち絵もボイスも存在しなかった、シナリオテキストの中だけの“王様”。
今、まるで乙女ゲーにおける隠しルートのように、圧倒的存在感でそこにいた。
(イケオジ……! 渋い声…… いや、ボイスはなかったはずなんだけど!?)
ハルカの脳内がしばしバグる。
「報告を」
王の声は静かで、しかし圧を孕んでいた。
ノアが一歩前に出て、禁足地での出来事、祠に現れた少女の声、そしてハルカの体験を淡々と伝える。
最後に王が、ハルカに目を向けた。
「——お前は、何を見て、何を思った?」
その問いに、ハルカは小さく息を吸ってから答えた。
「……誰かが、ずっと……ずっと助けを待っていました。もしその存在が今も祠に囚われているなら、
私、ちゃんと向き合ってみたいです」
しばしの沈黙のあと、王は頷いた。
「よかろう。禁書庫の閲覧を許可する」
それが、王の意思だった。
——そして、玉座の隣に静かに立っていた青年が、フードを外しふとこちらを見た。
ハルカは、その姿を見た瞬間に動けなくなった。
(えっ……うそ、ゼフィル!?)
軽くウェーブのかかったプラチナブロンドの髪が、差し込む陽に淡く揺れている。
赤い瞳が、まっすぐにこちらを射抜いた。
(ゼフィル=アルネスト、十九歳。王直属の監察官にして、最年少攻略キャラ。儚げな見た目に反して、
その正体は“王妃派のスパイ”。裏の顔が見えた時の、感情を排したような微笑は、ゾクッとするほどに美しい………)
(わたし……今、ゼフィルに見つめられてる!? 無理、尊い、無理、死ぬ)
身体のどこかが震えた。
だが、ゼフィルの表情は変わらず静かだった。
その目に映るのは、命令通り対象を見つめるただの視線。優しさの仮面を持ちながらも、その奥にあるのは感情ではなく使命。
その視線の意味も、彼の立場も、まだわからない。だが確実に、次の章が始まろうとしていた。