第66話 揺らぐ光、静かな断絶
辺境伯一派が隠れ里に合流して、十日あまりが過ぎていた。
合流後ほどなくして、ゼフィルの襲撃事件があった。
静かに広がる疑念の芽は、日に日に根を張っていく。
誰が言い出したわけでもない。ただ、重症者と、支援者の失踪。重なりすぎた不運が、“誰かの意図”を想起させた。
見えない敵の気配が漂うなか、革命軍の空気は重く、どこか乾いていた。
「……我らが合流後に、疑惑が持ち上がったのも事実。我が軍が君らに不信を抱かせたこと、遺憾に思う」
淡々とした口調で、辺境伯はそう言った。
「だが、我らは王家に忠誠を誓った者。敵は、共通だ。王妃一派に他ならぬ」
誰も何も言い返せなかった。革命軍の誰もが、表立って責めることなく——けれど目を離さずにいる。それを感じ取ってか、辺境伯は自ら身を引いた。
「後発の部隊と合流すべく、一時離脱する。……疑いを晴らすには、それが最も妥当と判断した」
そう言い残し、フィリオも含む10数人の先発隊の兵を引き連れ、彼らは里を去った。
その背を、私はただ見送るしかなかった。
(……この流れ、知ってる)
ゲームの中で、同じ展開があった。
辺境伯が誤解から部隊を分けられ、別拠点で壊滅する——その直後、隠れ里が襲撃される、バッドエンドのルート。
私は唇を噛んだ。けれど、止められなかった。
もし私が、何かを知っているような素振りを見せれば。今度は私が、疑われる。
(でも、きっと今度は……違う)
そう自分に言い聞かせた。違う流れになったこともある。おばちゃんやフィリオの登場や、ゼフィルがあんなに重症を負う展開は、ゲームにはなかった。
きっと、きっと……。
* * * * * *
その夜。私は、ゼフィルの看病を申し出た。
本当は、まだ体調が万全ではなかった。でも、フィリオもいない今、彼のそばに誰かが必要だと思った。
「……あんた、顔色が、ぬか漬けみたいな色してるけど……?」
おばちゃん——オバサンヌがじっとこちらを見てくる。
「だいじょうぶです。……見てるだけなら、できますから」
ゼフィルの寝顔は、まるで眠る天使のようだった。
まつ毛は長く、血の気の引いた頬は痛々しいほどに白い。
呼吸はかすかに上下する胸元に見えるだけで、あれからまた昏睡状態に入り言葉は何日も聞いていなかった。
(……ねえ、ほんとは、気づいてる?)
問いかけは返ってこない。
* * * * * *
その事件は、翌未明に起きた。
里の端にある物資庫で、小さな爆発があった。誰も傷つかず、火もすぐに消し止められたが——明らかに、誰かが仕掛けた痕跡が残っていた。
「……これは内部の人間しか……」
導火線の燃えかす、火薬の匂い。
外部からの侵入は考えにくい、と皆が口を揃えた。その時点で、空気は決まった。
——スパイは、まだこの里にいる。
目に見えない重圧が、里全体を覆っていた。
* * * * * *
「……う、っ……」
私は、水を汲みに立ち上がろうとした瞬間、視界が揺らぎ、身体が傾いた。
「おい!」
肩を支える腕に、驚いて振り返ると、レオニスがそこにいた。
「無理しすぎだって、言っただろ」
静かな声。けれど、どこか刺さるような優しさがあった。
「これくらい、大丈夫……だから……」
言いかけた言葉を、レオニスの手が遮った。
ひやりとした指先が、私の額に触れる。
「熱、あるじゃないか」
その言葉に、思わず笑ってしまった。
「なんか、先生みたい」
「そういうの、冗談に聞こえないからやめろ」
くしゃりと前髪をかきあげながら、レオニスはぽつりと呟いた。
「……守りたいんだよ、俺は。君のこと」
その一言が、やけに胸に残った。
(死ぬわけ、ないよね。こんなふうに笑ってくれる人が)
願いに似た思いを胸に抱きながら、私はゼフィルの元へ戻った。
* * * * * *
朝。
伝令が駆け込んできた。
「報告! ……本日未明頃、辺境伯一派が合流した革命軍拠点、壊滅! 生存者は、ほとんど——!」
皆が息を呑んだ。
「……生き残ったのは、数名です!」
頭の中で何かが砕ける音がした。
(やっぱり……っ)
止められなかったことへの後悔が押し寄せる。ゲームで見た、あのルートが——現実になってしまった。
そして私は、思い出した。
——この後、レオニスが暗殺される。
私は、飛び出した。
* * * * * *
森の奥。
朝靄に包まれた木々の間を縫うように走り抜け、私は、その姿を見つけた。
「……ゼフィル……?」
色素の薄い髪。血の跡。
霧の中に、ただ静かに立ち尽くしていた。
まるでそこにいたことを当然とするように。
まるで——何かを終えた者のように。
その顔は、いつものように微笑んでさえ見えた。
けれど——
頬を、つ、と涙がひとすじ流れ落ちた。
それが何の涙なのか、彼自身が気づいているのかさえわからない。
けれど、ただ一滴のその雫が、場の空気を冷たく震わせた。
「なんで……あなたが、ここに……」
胸の奥が冷たくなる。答えを聞く前に、目に入った。
ゼフィルの足元。
——レオニスが、倒れていた。
「……っ……レオニス……!?」
駆け寄り、膝をつく。手を取ると、かすかに指が動いた。
まだ、息がある。
「レオニス……!」
その声に、閉じかけていた瞼がゆっくりと開く。
「ハルカ……」
弱々しく微笑む顔。血の気が失せ、もう長くはもたないと直感で分かった。
「だめ……喋らないで。助けを、呼んでくるから……!」
立ち上がろうとする私の手を、レオニスの指がそっと掴んだ。
「君が……泣かなくて……すむように……」
途切れそうな声が、風に乗って届く。
「俺は……君の……ために……」
それ以上は続かなかった。
レオニスの身体から、力が抜けた。
「……あ、あぁ……っ」
目の前で、また、大切な人が——
誰かに殺された。
そして、その場にいたのは——ゼフィルだけだった。
信じたくない。でも、状況がそれを許さない。
「うそ……うそでしょ……?」
心が、崩れた。
「やだ……やだよ……!」
涙が止まらない。視界が滲み、何も見えなくなる。
血の匂いがする。土の匂いがする。レオニスの手は、もう冷たい。
すぐに、深い悲しみが押し寄せて、すべてを飲み込んだ。
——また、救えなかった。
(お願い……戻して……)
(何度でも、やり直すって決めたのに……)
胸の奥に、激しい熱が走った。
——と、そこで、ふと。
胸の奥に、引っかかるものがあった。
言葉にならない、曖昧な違和感。
この場に“何か”が足りないのか、それとも、“何か”が多すぎるのか。
説明のつかないざらつきが、背筋を撫でていく。
(……なんだろう……)
一瞬、思考がその違和感に向かいかけたが——すぐに、灼けるような痛みに意識が飛んだ。
全身が軋む。喉が裂けそうな嗚咽が漏れた。
「……ッ、あ、ぐ……ああ……っ!」
眩い光が迫るのと同時に、頭の奥で鐘が割れるような音が鳴り響く。
(……苦しい。こんなに、痛かった……?)
何度も繰り返してきたはずなのに。
それなのに最近、回帰のたびに、身体の奥がすり減っていくような感覚があった。
(……やっぱり。おかしい。明らかに限界が……近づいてる)
意識が薄れゆく中で、ハルカははっきりと悟った。
この死の戻りは、万能じゃない。
あと何回、できるのか。わからない。
でもそれでも——
(最後まで……見届ける)
光の中に、手を伸ばした。
「……レオニス……!」




