第6話 黄昏の決意
目を開けた瞬間、見慣れた軍服の胸元が視界に飛び込んできた。
逞しい腕にしっかりと抱きとめられて、ハルカは思考を飛ばしかける。
(えっ……ちょ、え? ライエルに抱きとめられてる!? しかもこの距離感!? 近い!!)
頬が一気に熱くなる。
思わず心の中で叫ぶ。
( これッスチル化決定ですよね!! 夢じゃないよね!?!?)
「……あ……あの……わ、わたし、祠の中で——」
なんとか気持ちを押し殺し、祠で何を見たのか伝えようとした。だけどもうまく説明が出来ずつっかえてしまう。
「誰かの……声がして、それで……気がついたら、祠の中で……その……」
ライエルは何も言わずに見つめていたが、その視線に急かされることも拒まれることもなかった。
「女の子が……いたような気がして。でも顔はよく見えなくて。でも、たしかに“助けて”って……」
言葉が途切れがちになる中、ノアが横から補足する。
「一時的に祠内の魔力干渉が強まっていた。内部空間に擬似的な精神リンクが形成されていた可能性がある」
「それって、つまり……」
「何者かが、彼女に“直接語りかけた”ということだ」
ハルカは自分の手を見つめる。
そこで起きた出来事は、夢とも幻とも言い切れなかった。
「信じてもらえないかもしれないけど……わたし、ちゃんと感じたんです。あの子の声と、気配と……必死な想い」
「信じてみる価値はある」
そう言ったのは、ライエルだった。
ハルカは彼の顔を見上げて、安堵した。
そして、その言葉が、胸の奥に静かに染み込んでいくのを感じた。
(信じてもらえた……わたしの言葉を、ちゃんと)
どんなに小さなことでも、自分の見たもの、感じたことを信じてもらえるということが、こんなにも温かいなんて。
少しだけ、自分の存在が認められたような気がした。
* * * * * *
焚き火がぱちぱちと音を立ててはぜていた。
村の中心にある集会所前。そこで、私はようやく落ち着いた呼吸を取り戻していた。
ライエルは地図のような書類を膝の上に広げ、静かに何かを考え込んでいた。
「……まだ調査は終わらない。祠の周囲に似た構造物がないか、明朝から周囲を確認する」
「……一緒に、行ってもいいですか?」
自分でも驚くほど自然に、その言葉が出ていた。
ライエルがちらりと視線を寄越す。
「なぜだ?」
「わたし、何もできないのは、もう嫌なんです」
火の明かりで手をぎゅっと握った自分の拳が見えた。
「魔力もないし、剣も振れないし、邪魔かもしれないけど……あの子の声、聞こえたのは私だけで……。
それを、ちゃんと知りたいと思ったんです」
ライエルは何も言わなかった。
けれど、しばらくして、ふっと目を細めた。
「……勝手な行動さえしなければ、好きにしろ」
それは、拒絶ではなく——許可だった。
「ありがとうございます」
私は小さく頭を下げる。
(え、なに今の、やば……。口はぶっきらぼうなのに、優しいってどういうこと……!? 推しが優しいと理性が飛ぶんだが!?)
(オタクの矜持ィ!!)
——明日も、ライエルの隣を歩こう。
そう、決めた。
* * * * * *
ルルカの村の朝は、どこか張り詰めた静けさを帯びていた。
昨晩の出来事——祠で感じた“誰かの声”と、それを信じてくれたライエルの言葉が、ハルカの胸にまだ熱を残していた。
(あの子の声……ただの幻覚じゃなかった。絶対に)
夜は、集会所の一角で簡易寝床を取った。毛布を一枚敷いただけの床。
それでも、ハルカにとっては十分だった。
ノアには「床で寝るのは体に障る」と心配されたが、正直まったく問題なかった。
(会社で徹夜続きだった時、椅子並べて仮眠とってたなあ。あれより、だいぶ快適……)
ノアは集会所の壁際に支給品らしき折り畳み寝具を広げ、静かに目を閉じていた。
整った顔立ちは、眠っていても絵になる。
(推しが……右にも左にも……寝てる……!?)
ライエルは焚き火のすぐそば。防寒のためにマントを羽織ったまま、目を閉じていた。
近くで響く規則的な呼吸音が、かえって落ち着かなかった。
(このシチュ、神!!)
ひと晩中、ハルカの心臓はバクバクしっぱなしだった。
夕食は、持参した調味料のようなものを鍋で湯に溶かしたスープに、パンと干し肉を添えたもの。
料理が得意なわけじゃないけど、できる範囲で頑張った。
「案外やるじゃないか」
ライエルがぼそっと言ったその一言に、ハルカの心がふわっと跳ねた。
(……推しにご飯褒められる日が来るなんて……え、人生のご褒美!?)
心の中で、思わずガッツポーズ。
(何かが、この村で起きてる。そして、私も……その渦中にいる)
昔の私なら、黙って見ているだけだった。
誰かに任せて、自分は端っこでじっとしていた。
でも今は——
(逃げたくない)
この世界では、私はまだ“誰”でもない。
でも、“誰かになりたい”と思うようになっていた。
「……できることを、やってみよう」
小さく呟いて、ハルカは身支度を始めた。
村の中心にある集会所では、ライエルとノアが地図を広げていた。
すでに次の調査についての話が始まっているようだった。
ハルカは扉の前で一度深呼吸してから、そっと部屋に入る。
「ハルカ」
ライエルがすぐにこちらを見た。
「体調はどうだ」
「大丈夫です」
短く答えると、ノアもちらりと視線をよこす。
「ならば同行してもらう。次の調査地点は、祠からさらに奥、禁足地となっている森だ」
「……禁足地?」
「過去にも村人が立ち入って、戻らなかった例がある。だが今回、そこから微弱な魔力反応が検出された」
再び、あの“何かがいる”という感覚が、ハルカの背筋を撫でた。
(あの子の声と……関係あるのかもしれない)
恐い。でも、逃げない。
昨日の“信じてもらえた”経験が、ハルカに小さな勇気を灯していた。