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薔薇と鏡の王国《rewrite》—— “モブ”が書き換える、愛と死と回帰の物語。  作者: 舞見ぽこ
第4章 揺れる絆、灯された革命の火

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第57話 小さな信頼

 霧に包まれた山間の隠れ里。

 革命軍の訓練は、まだ夜の名残が残る早朝から始まっていた。


 その日、ハルカは補助要員として、団員たちの山狩り訓練に同行していた。

 背中には予備の水筒と簡易救急セット。足元は慣れない登山靴。冷たい朝露が靴の縁から染み込み、心細さがじわりと胸に広がる。


 (ここでは、誰も私を知らない。それでも、何かできるって思いたかった)


 訓練は実戦さながらで、団員たちは黙々と足を進め、岩場や倒木を越えていく。誰も雑談などしない。

 その緊張感に呑まれそうになりながらも、ハルカは黙って後ろについていった。


 そのときだった。


 「わっ!」


 乾いた叫び声。

 先頭付近の団員が足を滑らせ、崖下へと消えた。


 「落ちたぞ!」「どこだ、見えない……!」


 一気に空気がざわめき立つ。だが霧と茂みに遮られ、落下地点は見えない。


 そんな中、スフレが「ワン!」と一声吠えて、斜面の一角へまっすぐに走り出す。


 「おい、あの犬、何か見つけたのか?」


 団員の一人がスフレの後を追って草をかき分けた。やがて声が響く。


 「ここだ!生きてる、意識もある!」


 緊張が一気にほどける。ロープが投げ下ろされ、救助が始まる。


 すぐ隣でその様子を見ていたエレナが、ぽつりとつぶやいた。


 「……ちょっとは、役に立つのね」


 その横顔は、どこか呆れたようでいて、ほんの少しだけ目元がやわらかかった。

 スフレは静かに戻ってきて、ハルカの足元にぴたりと寄り添う。


 (ありがとう、スフレ)


 心の中でそっとつぶやいた瞬間、誰かに小さく認められた気がした。


 * * * * * *


 訓練の後、山から物資を運び下ろす作業に移った。

 エレナと同じ班になったハルカは、荷運び中も無言で指示に従い、黙々と動いていた。


 (空気はまだ冷たいけど、……少しずつ、何かが変わってる気がする)


 その矢先だった。


 「——ッ、くそっ!」


 エレナが足を取られ、斜面を滑り落ちた。

 慌てて駆け寄ると、彼女は膝を押さえて蹲っていた。


 「大丈夫ですか……!? 動かさないでください」


 ハルカはすぐさま膝の様子を確認し、口を引き結ぶ。


 「裂けてる……出血もある。縫うほどじゃないけど、放っておくと泥が入って感染します。まずは……」


 ハルカは小さく息を吐き、ポーチの中から小型の水筒を取り出した。


 「ちょっと冷たいですけど、我慢してください」


 そう言うと、綺麗な水を傷口にそっと注ぎ、泥と血を洗い流す。エレナがわずかに眉をひそめたが、声を上げはしなかった。


 「……よし」


 すぐさま清潔な布で水気を押さえ、次に細い針金を取り出す。

 即席で“蝶形の止血テープ”のように、傷口の両端を引き寄せ、丁寧に固定していった。


 「……そのやり方、あんた……」


 エレナの声がかすれた。


 「前に言ってたこと、本当だったんだね」


 ハルカは手を止めず、かすかに笑った。


 「信じてなかったんですか?」


 「……信じてなかったんじゃない。ただ、初対面でそんなこと話してくる奴、見たことなかったから。

 ……でも今思えば、あたしのこと、信頼して話してくれてたんだね。ごめん、疑って」


 ハルカは少しだけ目を丸くし、それからゆっくり首を振った。


 「私も、あの時……誰かに話したくて、たまらなかったのかもしれません」


 二人の間に、少しだけ静かな時間が流れる。


 その足元で、スフレが「くぅん」と鼻を鳴らし、そっとエレナの膝に頭を寄せた。


 「……なんか、悪いやつじゃないのかもね。こいつも」


 エレナがそうつぶやくと、スフレはふわりとしっぽを振り、さらにぴたりと身体を寄せた。


 淡い友情の火種が、確かにそこに灯った瞬間だった。


 その様子を、少し離れた場所から団員たちが遠巻きに見ていた。はじめは冷たい視線を向けていた彼らも、次第に表情に戸惑いが混じる。


 「……応急処置、できるんだな」


 誰かがぽつりと呟くと、それに呼応するように、もう一人が「しかも結構、手際よかった」と小さく漏らす。


 「犬も役に立ったしな」


 硬かった空気に、かすかに亀裂が入った。小さな波紋のように、それは確かに、周囲へと広がっていく。


 

 * * * * * *


 朝の食堂。木の床を歩く足音と、湯気を立てる鍋の香り。

 ハルカはスフレと共に、壁際の席に静かに腰掛けていた。


 以前なら、彼女の隣はぽっかりと空いたままだった。だが今、数人の団員がさりげなく近くの席を選び、無言のまま食事をとっている。


 (……少しだけ、空気が変わってきたかも)


 食器を下げた帰り道、給仕係の青年がふと声をかける。


 「おかわり、どうぞ」


 それだけのひと言に、ハルカは一瞬きょとんとする。

 (こんな当たり前の言葉が、こんなに胸にしみるなんて)


 洗い場では、あの無口な初老の男性が軽くうなずいてくれた。

 山狩り訓練のあの団員も、通りすがりに「犬、賢いな」と小さく呟いた。


 エレナに至っては、すれ違いざまに「あんた、ちょっとはマシになったかも」とニヤリとする始末。

 もちろん、それが“本心”なのかはまだわからない。でも——


 (まだ警戒されてるのはわかってる。けど……)


 (ちゃんと見てくれた人もいた。無視されるだけじゃない)


 ほんのわずか。だけど確かに、風が変わり始めている。

 そんな予感を抱えながら、ハルカは静かにスフレの頭を撫でた。

 スフレは「くぅん」と甘えるように鼻を鳴らし、彼女の膝に顔を寄せた。


 

 * * * * * *


 「ちっくしょう……またかよ!」


 革命軍の工作場に、ヴィス=ネブラの荒い声が響いた。

 目の前の小型魔導装置が、鈍い音を立てて停止し、筐体の隙間から「ぷしゅーっ」と白い蒸気が虚しく漏れ出す。


 (……昨日から、あの装置。何度も調整してるけど、どうしても安定しないみたい)


 ハルカは、少し離れた場所から様子を窺っていた。

 ヴィスの額には汗が滲み、工具を握る手は苛立ちを隠さない。


 ふいに、ヴィスと目が合う。


 「……何だよ、“観察対象”さん。傍観が趣味か?」


 口調は刺々しいが、どこか疲れたような響きだった。


 「……いえ。さっきから、ずっと気になってて……」


 ハルカは一歩だけ前に出た。

 ここで引いたら、たぶん何も始まらない気がして。


 ヴィスの装置は、魔力の流れを調整する“制御盤”を内蔵した特殊な魔導道具だった。


 「昨日まで動いてたのに、今朝から突然こいつだけ暴れてる。魔力過熱のエラーが出ちまってな」

 ヴィスは装置を叩きながら、唸るように言った。


 「これ、制御式ってどこに表示されるんですか?」

 「ここだ。下の石板の列……だが、読めるのか?」


 石板に刻まれた魔力式と数値。表示されていたグラフの変動に、ハルカは目を細めた。


 (この出力のログ、どこかで見たことある。揺らぎ方といい、デフォルトの閾値といい……

 あの時、ノアの端末を復元した時よりは、ずっと理解できる。

 この世界の数字や基本的な言葉くらいなら、なんとか読めるようになってきたから——)


 「ちょっと気になったんですけど……この設定、初期値のままですか?」

 「おう。いじってない。なんかあるのか?」


 ハルカは数値を指差した。


 「この出力値、周期的に上振れしてます。たぶん、閾値が低すぎて過熱エラーが出てるんだと思います。

 ……試しに、この数式の定数、少しだけ上げてみてもいいですか?」


 「……ダメ元でな。壊すなよ?」


 ハルカはおそるおそる数値を入力し直す。変化はすぐに現れた。


 「安定した……?」

 「出力、一定になったな。おい……嬢ちゃん。お前、本当に何者だ?」


 ヴィスの視線に、ハルカはほんの少しだけ困ったように笑った。


 「……専門とかじゃないんです。昔ちょっと、似たようなことをやった記憶があって……。

 仕組みの流れ方が、なんとなく似てたから、気づけただけです」


 (正直、装置の中身の構造まではわからない。けど——

 情報の流れとか、過負荷のパターン。

 そういう“兆候”を読む感覚なら、まだ……)


 「……おいおい。感覚で動いてると思ったら、“読み”だったのかよ。余計にこえーわ、嬢ちゃん」


 ヴィスがそうぼやくように言って、初めてハルカを「嬢ちゃん」と呼んだ。



 * * * * * *


 

 「おーい、嬢ちゃん。ちょいと、来てくれ」


 食堂でパンをかじっていたハルカに手を振ったのは、ヴィスだった。

 彼に連れられ、作戦室の一角へと向かうと、そこには黒い仮面の男が、地図を広げて待っていた。


 (……仮面の梟)


 フードの奥、鋭く作られた梟の仮面。

 姿勢はあくまで静かで、だがその存在感は強く、部屋の空気が張り詰める。


 「……来てくれて助かる。ハルカ」


 仮面の奥から落ち着いた声が響く。

 それは、からかいや冗談とは無縁のものだった。


 「ヴィスから聞いた。……“読み”で装置の不具合を突き止めたそうだな」


 「えっと……たぶん、偶然じゃないと思いますけど……」


 「その“たぶん”が肝心なんだよ」


 仮面の男は、わずかに頷き、指で地図の一角を示した。


 「旧帝国軍の封鎖拠点だった場所だ。数日前から、異常な魔力波が観測されている。

 封印が緩んだ可能性がある。再調査と、物資の運搬も兼ねて、少人数で向かう予定だ」


 そして、声を少しだけやわらげて続けた。


 「専門家としてではなく、“外の目”として参加してほしい。……ハルカ」


 “外の目”——その言葉に、ハルカは一瞬、胸が詰まる。

 ここではずっと“異物”として扱われてきた。

 でも、それを武器にできると——彼はそう言ってくれている。


 「……わかりました。私でよければ」


 * * * * * *

  

 出発の朝、支度を整えたハルカの前に、エレナが足を引きずりながらやって来た。


 「……あんた、大丈夫なの?」


 まだ治りきっていない膝を抱えたまま、それでもエレナは淡々と言う。


 「あんたの顔見てると、ほっとけないのよ。いい加減、勝手に目立つのやめなさいよね」


 「……すみません。足手まといにならないよう、頑張ります」


 ハルカが頭を下げると、エレナは苦笑しながら肩をすくめた。


 「ま、せいぜい死なないで。スフレもついてるから、大丈夫ね」


 その足元で、スフレが静かに尻尾を揺らす。


 山道へと向かっていく小隊の背に、霧が薄く流れていた。

 その中に、小さな決意が確かに並んでいた。

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