第5話 封鎖された村へ
王宮の会議室。
大きな地図が広げられ、数名の騎士たちとノア、そしてライエルが揃っている。
「魔力の揺らぎが観測されたのは、東のルルカ村」
ノアの指し示す先に、ハルカは覚えのある地名を見つけていた。
(ルルカ……ライエルの故郷だった場所……ゲームの中でもそんな設定があったっけ)
『薔薇と鏡の王国』本編にも“ルルカ”の名は出ていた。
ライエルが幼少期を過ごしたと語っていた村。だが、それは数行のテキストにすぎず、イベントとして訪れることはなかった。
(そんなルルカに、まさか行くことになるなんて……)
「封鎖された村に、突如として魔力の揺らぎ。放っておける問題ではない」
ライエルが静かに言った。
「可能な限り、俺の方で調査する。付き添いは必要最低限で構わん」
その瞬間、ハルカの口が勝手に動いていた。
「わ、私も……行きたいです!」
ノアとライエルの視線が向けられる。
「理由は?」
ノアが問う。
「その……その村って……ライエルさんの故郷、なんですよね?」
言いながら自分で赤面する。
(やば、めっちゃオタク全開だった!?)
でも、止められなかった。
「推し……じゃなくて、いえ、あの……! もし何かあったらって思うと、居ても立ってもいられなくて……っ」
空気が一瞬、静まり返る。
ノアが視線を逸らす。
ライエルは何も言わなかったが、ふっと小さく息を吐いた。
「……ついてこい。俺の判断で保護対象の監督ということで通す」
それは拒絶ではなく、許可だった。
ルルカ——推しの背景としてしか知らなかったその地が、今、現実として目の前に現れようとしている。
(どうしよう、今ならどんなファンブックよりもライエルの情報が得られそう……!)
胸が騒いでいた。期待と不安と、そしてちょっとの尊さで。
* * * * * *
ルルカの村は、重苦しい沈黙に包まれていた。
村の入り口には仮設の結界が張られており、魔術師らしき男たちが周囲を見張っている。
村人の姿は少なく、扉や窓は固く閉ざされ、人の気配さえ感じにくい。
「これが……ライエルさんの、故郷……」
どこか懐かしさの漂う石造りの家々も、今は色褪せて見えた。
「封鎖の理由は、村の南端にある祠の周囲で、“集団失踪”が発生したためだ」
ノアが説明する。
「対象者は、突然姿を消し、その後、数日から十日ほど経ってから村の外れで発見されることが多い。
いずれも記憶の混濁はなく、祠付近で何があったのかも全く覚えていない」
ハルカはごくりと唾を飲んだ。
「祠……そこって、何か普通の場所じゃない気がします。もっと深い、見えない“何か”がありそうな……」
ノアが一瞬だけ目を細めた。
「……可能性は否定しない」
ライエルは寡黙に先を歩いていた。彼の視線は、一点、村の奥へと注がれている。
ハルカの胸がざわめいた。
(こんな重苦しい場所が、推しの思い出の場所……?)
やがて、祠へと続く小道の前に立つと、ライエルが足を止めた。
「ここから先は俺一人で調査する。ノア、結界の調整を頼む」
「承知」
「えっ、でも——」
「お前は、ここで待て。何があるか分からん」
その声に、従うしかなかった。
(だけど……)
ハルカは、視線を祠へと向ける。
風がざわりと吹き抜けた瞬間——
かすかに、誰かの声が聞こえた気がした。
『……たす……けて……』
耳元で囁くような、幼い女の子の声。
(……え? 今の、なに……?)
再び風が吹いたとき、祠の方に微かに光が揺れた気がした。
足が勝手に、一歩だけ前に出ていた。
* * * * * *
祠の前で立ち尽くすハルカの耳に、再び声が届く。
『……たすけて……おねえちゃん……』
(誰……? 誰かが……呼んでる?)
風に混じってかすかに届くその声は、確かに“自分”を呼んでいる気がした。
足がすっと、祠への道を踏み出していた。
「ハルカ、待て」
ライエルの低い声が背後から飛ぶ。
「……ごめんなさい、でも……行かなきゃいけない気がするんです!」
何かに突き動かされるように、ハルカは祠の奥へと駆けた。
中は薄暗く、ひんやりとしていて、足元には苔のようなものが生えている。
けれど、その奥に確かに“誰か”の気配があった。
「誰か、いるんですか……?」
問いかける声が、石の壁に吸い込まれる。
そして、奥の石壇に近づいた瞬間——
視界が、突然反転した。
(え……?)
空間がねじれるような感覚。ぐらりと身体が傾き、次の瞬間——
闇の中に立っていた。
周囲はすべて黒く、光もない。けれど、なぜか恐怖は感じなかった。
(夢? それとも……記憶?)
視界の奥に、ひとつの光の粒が浮かんでいた。
それは、幼い女の子だった。
裸足で、白い服を着て、こちらをじっと見ている。
「……たすけて……ここから……でられないの」
その声に、胸の奥がざわりと震えた。
「あなたは……誰?」
少女は答えず、ただ寂しげにこちらを見つめていた。
その言葉と同時に、黒い空間に亀裂が走った。
眩い光とともに、ハルカの意識は現実へと引き戻された。
「——ハルカ!」
ライエルの腕に支えられて、ハルカは祠の前で目を開けた。
「……わたし……今……」
脈打つ胸を押さえながら、見上げた空は、やけに青かった。