表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/45

第37話 明日も一緒に

 「……ハルカちゃんが来てくれるなら、オレ、朝から全部がんばれる気がする〜」


 扉を開けた瞬間、そんな能天気な声が飛び込んできて、私は思わず呆れたように笑ってしまった。


 「そういうの、軽く言わないで」


 「えっ、軽いかな? でも本心だよ?」


 アスランは、寝癖のままの髪を片手で押さえながら、ベッドの端で器用にパンをかじっていた。

 その姿がなんだか無防備すぎて、見てはいけないものを見たような気になる。


 「……行くよ。今日は配達の手伝いでしょ?」


 「はーい!」


 * * * * * *


 午前中いっぱい、私とアスランは街中を歩き回っていた。

 軽い荷物の配達を手伝うだけの仕事。それでも、ふたりきりで過ごす時間は、いつもより少しだけ特別に感じた。


 「ねえハルカちゃん、あの屋台の前って通ったことあったっけ?」


 「昨日も一緒に通ったけど……ほんとに記憶ないの?」


 「うーん、たぶん。でもなんか、妙に懐かしい気がする」


 彼の言葉には、いつもどこか“前に経験したような響き”が混ざっている。

 それがなんなのか、私にはまだわからなかった。


 * * * * * *


 そんなときだった。

 通りの角から、子犬が駆けてきた。荷車から転げ落ちたらしい。

 それを追って、小さな子どもも飛び出してくる。


 「危ない!」


 反射的にアスランが動いた。


 ぐい、と私の腕を引いて後ろに下げ、自分の身体を盾のように差し出す。


 ……といっても、荷車は止まり、子犬も無事だった。子どもも軽く転んだだけ。


 何事もなくてよかった——と胸をなでおろした次の瞬間。


 「……あ〜〜〜〜〜〜」


 アスランが地面にへたり込んでいた。


 「ど、どうしたの!?」


 「ワンコがぁぁぁああ……!!」


 よく見れば、転んだ拍子に子犬が尻尾を挟んでしまったらしく、きゅんと鳴いている。


 「だ、大丈夫か……?」


 アスランが子犬の頭をそっと撫でる。

 尻尾を挟んだ部分が少し痛むのか、ワンコは「きゅーん」と弱く鳴いた。


 「……ごめんな、ごめんな〜〜〜〜っ!!」


 その瞬間、アスランの目から涙がぶわっとあふれた。

 「オレ、守ってあげたかったのに〜〜〜〜!!!」


 ワンコが心配そうに鼻をすり寄せ、子どもが「あの、お兄ちゃん泣かないで……」とそっと袖を引く。


 ワンコと子どもに逆になぐさめられながら、アスランはぐすぐすと泣き続けていた。


 子どもよりも落ち込んでる彼の姿に、私は呆れながらも——どこか、胸が温かくなるのを感じた。


 * * * * * *


 一方その頃——


 高台の詰所で、ライエルは広場を見下ろしていた。

 アスランがへたりこみ、ハルカが慌てて子犬を抱き上げる。その光景に、思わず目を細める。


 (……笑ってる)


 以前よりもずっと自然な、やわらかい笑顔。


 (守るつもりだった。けど、気づけばもう……あいつは、誰かに守られている側じゃない)


 その事実が、胸の奥をじわりと満たしていく。


 彼は報告書の空欄を見つめたまま、ペンを動かせずにいた。


 『監視対象:特記事項なし』

 その先の文が、どうしても書けなかった。


 * * * * * *


 夜。

 宿の前で、アスランと別れ際に立ち止まる。


 「……今日は、ありがと。すっごく楽しかった」


 「私も。楽しかったよ」


 「……じゃあ、また明日も、一緒にいてくれる?」


 その言葉に、私はほんの少し、照れながら頷いた。


 (“明日も”って言われただけで、こんなに嬉しいなんて)

 (でも——なぜだろう。不安が、胸の奥にずっと、残ってる)


 * * * * * *


 深夜。

 アスランは汗ばんだ額を拭いながら、ベッドの上で息を荒くしていた。


 夢の中で誰かが泣いていた。

 手を伸ばした。届かなかった。


 『まって』『まだ行かないで』


 声にならない声が、耳の奥で響く。


 「……オレは……」


 言葉の続きを言えないまま、目が覚めた。


 窓の外には、誰もいないはずの路地に、確かに何かがいた。


 影。気配。わずかなざわめき。


 アスランは、胸の奥が冷たくなるのを感じながら、ゆっくりと手を伸ばした。


 その手が、誰かに届く日は来るのだろうか——


 

 * * * * * *


 アスランと合流した翌朝、私は目覚めてすぐ、彼がいないことに気づいた。


 ——また、勝手に出て行った?


 怒る気力もなく、私は身支度をして簡単な朝食を済ませる。

 彼の行動にはもう、いちいち驚かなくなってきていた。


 けれど、それでも。

 彼がいつもの調子で帰ってきたとき、思わず口から出たのは、呆れたような安堵のような言葉だった。


 「……おかえり。アスラン」


 「おう、ただいま。……朝ごはん、もう食べた?」


 「とっくに」


 「そっかー。じゃ、オレの分……って、えっ、ないの!?」


 「自分で用意してください」


 「ちぇー……」


 そんなやり取りを交わしながらも、アスランは全く気にしていない様子で荷物を下ろす。


 その後、調査報告のため、ふたりは王都との通信端末に向かった。

 とはいえ、ハルカが操作できるはずもなく、アスランが代わりに端末を操作する。


 通信端末といっても、王都と各地を繋ぐ魔導通信は、視覚的な操作が中心だ。

 魔力の流れに反応するスロットを押し込んだり、定型文が刻まれたパネルを選んで送信するだけ。

 文章の読み書きができなくても、魔力に感応する直感的な仕組みで十分にやり取りは可能だった。


 「ハルカちゃんは、こういうの苦手?」

 「……うん。ボタンの形はわかるけど、文字が全部……魔導文字で」

 「そっか。じゃあ、オレがやっとくね。……えーと、次の定型、これ……っと」


 アスランは、指先を魔導盤に軽くかざし、何の迷いもなく定型通信を送信していく。

 その手際のよさに、私は素直に感心した。

 

 しばらくすると、通信盤の魔法陣が明滅し、淡く光の柱が立ち上がった。

 その中に、魔導研究所の研究員、シェイドの姿が浮かぶ。


 「……予定通りか」


 淡々としたその口調は、相変わらず感情が読めない。


 「補佐は、順調か?」


 最初からこちらを見ていた。問いかけというより、監視の継続確認のように思えた。


 アスランが苦笑いで肩をすくめる。


 「まあまあ、ってとこかな」


 シェイドは何も言わず、一瞬だけ視線を私に流す。

 冷たいというより、無関心に近い視線。


 「……報告は見た。引き続き、任務を」


 それだけを告げると、通信は唐突に切れた。


 空気が少しだけ冷たくなった気がした。


 アスランが、モニターから目を離さないままぽつりと呟く。

  

 「ねえ、ハルカちゃん。昨日、ちょっと眠れてなかった?」


 「え……なんで?」


 「うーん、なんとなく。目の下、少し赤いなーって思っただけ」


 彼の声はいつも通り軽くて、どこか優しい。

 シェイドの無機質な言葉のあとだから、余計に心に染みた。

 

 「大丈夫だよ、ちょっと眠れなかっただけで——」


 「……眠れないときに、いいって聞いたことがあるんだ。『月白草(げっぱくそう)』って花」


 「月白草?」


 「うん。夜にしか咲かないやつで、ちょっと甘い香りがしてさ。薬草にも使われるんだけど、なんか……落ち着くんだって」


 私は、彼の言葉に目を見張った。

 アスランが、そんな風に人の体調を気遣うなんて、ちょっと意外だった。


 「アスラン、詳しいんだね」


 「たまたまだよ。昔の知り合いが、よく探してたから覚えてただけ」


 そんなやり取りに、つい笑ってしまう自分がいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ