第35話 追跡者たち
騎士団本部の仮設拠点にて、彼は王家の者に刻まれるという“魔石印”の有無を調べられたが——何も反応はなかった。
「記録と照合の結果、王族との一致は確認されず。見た目が似ているだけの別人だと判断する」
その瞬間——
「な、なにぃ……!? まさか……このギルゼノール=フレアクライトの千里眼が……この眼力が……この情熱が……!」
団長はがっくりと肩を落とし、マントを引きずりながらゆっくりと片膝をついた。
「嗚呼、栄光の若き日々よ。剣を握るその手には迷いなく、微笑みに宿るは王たる気品。
民の心を照らし、仲間の背を押し、まさしく蒼穹の王子と称えられたあの御方の幻影を、我はこの瞳に見たぞよ……」
拳を握りしめ、空を仰ぐ団長。
「だが……違ったのだ。すべては我が妄執の所産、ただの空似。
若き日のディアル殿下の面影を追い求めた我が心、いまここに散る……っ!」
「……話が長いので要約しますと、ただの空回りだったということです」
副官が冷静に締めくくり、周囲の騎士たちは無言で視線を逸らした。
アスランはきょとんとした顔で首を傾げていた。
「……ね? 言ったでしょ、オレ超普通の民間人だって!」
私は少しだけ、肩の力を抜いた。
* * * * * *
煌聖騎士団の仮設詰所を出た帰り道、私はまだ胸のざわつきを抑えきれずにいた。
「いや〜、オレってば無実でよかったー! 巻き込まれ体質、極まってきたな!」
アスランはいつも通りにこにこしているけど、私は素直に笑えなかった。
(似てるだけにしては、出来すぎてる)
(……ほんとに、ただの他人の空似?)
* * * * * *
夜。宿のテラス。
涼しい風が吹き抜け、空にはいくつもの星が瞬いていた。
私は手すりにもたれ、遠くの空を眺めていた。隣には、素足で椅子に座ったアスラン。
「なーんか、変な感じなんだよね」
「……なにが?」
「いや、こうして無事解放されたのはいいんだけどさ。なんか、“違う”って言われたことにホッとしてる自分と、ちょっと……がっかりしてる自分がいるっていうか」
「……がっかり?」
「うん。ほら、もしかしたらオレ、王子だったりしてー!ってノリで言ってたけど……案外、信じたかったのかも」
冗談めかして笑うけど、その横顔は少しだけ寂しそうだった。
「でも、魔石印は反応しなかった」
「うん、確実に一般人認定。たぶん、道端でスープ売ってる人生がオレの宿命」
私は彼の横顔を見つめながら、そっと口を開いた。
「……それでも。アスランは、自分の過去を思い出せないんだよね?」
「うん。最近特に、なんかおかしいんだ。全部が薄ぼんやりしてて。……たまに夢に見るんだよ。誰かの声とか、光とか……」
「誰かの声?」
「うん。はっきり聞こえないけど……名前を呼ばれてる気がする。目が覚めると、胸がぎゅーって苦しくてさ」
(……やっぱり、私と同じ? だから魔石印に反応しなかった……)
そう思ってしまう自分が、怖かった。
* * * * * *
一方その頃、煌聖騎士団仮設本部——
ギルゼノール=フレアクライト団長は、豪奢な椅子にふんぞり返っていた。
「ふむ……反応せなんだか。だが、どうにも腑に落ちんぞよ」
「団長、検査結果は明確です。王家の魔石印には一切の反応がありませんでした」
副官は書類を片手に淡々と告げる。
「見た目、骨格、立ち居振る舞い……あれほど殿下に酷似しておる者が他におるとは考えにくい。魔石の波長が変質している可能性は……?」
「それは……加齢や体質の急変などがあれば、理論上あり得ますが……若返るなどということが本当に……」
「ロマンがあるではないか!」
「……またそれですか」
「よいか、ロマンを追わずして何が騎士か! 我らが剣は夢を斬り拓くのぞよ!」
「話が長いので要約しますと、“まだ気になっている”ということでよろしいですね」
「うむ、よろしいぞよ!」
* * * * * *
宿の部屋に戻った私は、ベッドに身を沈めながら天井を見上げていた。
アスランは隣のベッドで、すでに寝息を立てている。
(……ただのそっくりさん、である方がきっと平和)
(でも、もし彼が——私と同じ、“ここじゃないどこか”から来た人だったら)
(……私は、見捨てられない)
小さく、胸が痛んだ。
目を閉じても、その感覚だけが残っていた。
朝の静けさを破るように、街道に響き渡るマントの音と、やたら通る声。
「民よ、朗報ぞよ!! 王都近衛騎士団より、鋼の剣が届いたぞよーッ!!」
……ぞよがうるさい。
宿の窓から顔を出した私は、広場に集まった人だかりの中心で、マントを翻しながらポーズを決めているギルゼノール団長を見つけて、すでに頭が痛かった。
そのとき、彼の隣にもうひとり、姿勢のいい男が立った。
漆黒の軍服。短く刈られた黒髪。鋭いスチールグレーの瞳。
「……っ」
心臓が跳ねた。
「ライエルさん……」
* * * * * *
その数刻後。宿の前で、ライエルと再会した私は、言葉がうまく出なかった。
「久しぶりだな」
それだけで胸がいっぱいになる。あのときと変わらない、ぶっきらぼうな声。でも……。
(少しだけ、優しくなった……?)
「王都近衛騎士団からの正式な通達だ。アスランと名乗る者の監視任務を一時引き継ぐ」
「えっ、監視!?」
アスランが慌てて飛び出してきた。
「ちょっ、なんで!? オレ無実だよ!? 魔石も反応しなかったし!」
「だからこそだ」
ライエルは冷ややかに告げる。
「正体不明で、殿下に酷似した存在が野放しにされるわけにはいかない」
「こわっ! この人、絶対オレのこと嫌いだ〜!」
* * * * * *
そこへ、ギルゼノール団長が両腕を広げて駆け寄ってきた。
「おお〜! ヴァレストではないか! 我が宿敵にして友よ! 騎士見習い時代より共に鍛錬を重ねた、あの青春の刻よ!!」
「……やめろ」
「まさか貴様が来るとは! これは運命! これこそ、古き良き腐れ縁というものぞよ!!」
「やめろ」
「照れるな照れるな。お主が南の剣なら、我は東の炎よ!」
「黙れ」
「団長、少し静かにしてください」
副官が冷静に挟んでくる。
* * * * * *
その後も、アスランとライエルのやり取りは続いた。
「とにかく、しばらくはこの街を出るな。必要があれば拘束も辞さない」
「え、まじで!? この人ほんとに怖い!」
「……何かあれば、私が報告します。ライエルさんの負担にならないように」
思わずそう口にしていた。
ライエルが、ふとこちらを見る。
その瞳が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
「……無理はするな」
その声に、胸がきゅっと締めつけられる。
(やっぱり、好き……なんだ)
でもその一方で、隣でアスランが目をぱちくりさせていた。
「……ねえねえ、ハルカちゃんって、あの人のこと……」
「ち、違うから! そういうのじゃないから!!」
「ふぅ〜ん……?」
「およおよおよ〜!?!?!? ヴァレスト!? なんだその目線は!?
声が、柔らかかったぞよ!? まさか、まさかの、ま・さ・か〜〜!?」
「うるさい」
「団長、それは野暮というものです。」
副官のいつもの突っ込みが響く中、私は胸の奥に残る感情を、そっと押し込んだ。
(……今は、考えない。今はまだ)




