第33話 ディアル様がいない世界
王都に戻ってから、私は中央庁舎の仮宿舎で暮らしていた。
王命により“魔力異常の調査対象”として扱われている私は、現在も王立魔導研究所の保護下にある。
生活や滞在許可は研究所を通じて管理されており、当面の暮らしには困っていない。
とはいえ、ノアがいなくなった今、所属だけが宙ぶらりんの状態だ。
ノア——私を保護・観察していた彼は、数日前、王命により別任地へと調査に出た。
“沈黙領域”と呼ばれる、魔力反応が一切失われた土地の観測任務らしい。
魔導通信も探知術も通じないという異常地帯で、理論と応用の双方に長けた彼にしか解析できない、王直属の極秘調査だという。
私は彼の背中を見送りながら、何も言えなかった。
でも、寂しいと思う気持ちと同時に、「お仕事だから仕方ないよね」と自然に思えた。
私もかつて、社会の中で働いていたから。
責任とか、命令とか、そこに感情を持ち込めないことがあるのを、よく知っている。
だから今、私は私で“できること”をしていこうと思った。
この異世界で、私は今、小さな仕事をしている。
魔導研究所の片隅で、観測補助や資料整理を任されながら、日々少しずつ言葉を覚えていく。
——不思議なことに、会話はなんとかなるのに、文字はまだうまく読めない。
書くことに至っては、覚えた単語をなぞるのが精一杯。
それでも、前よりほんの少しだけ、“意味が通じる”ようになってきた。
最初は何もかもが手探りだったけど——
今は、わからないなりに、前に進んでいる気がする。
魔法の知識も少しずつ身につけてきた。
この世界の魔法は、魔力素と呼ばれる粒子を術式で制御する仕組みらしい。
術式は古代語に近い言語体系で構成されていて、数式と呪文の中間のような構造を持っている。
ノアが使っていた“魔導端末”と呼ばれる記録装置も、その記録構造が、地球で使われていた古いOSに似た「参照記録と論理削除の挙動」を持っていた。
もしかしてこの世界の仕組みは、元の世界——つまりあのゲーム『薔薇と鏡の王国』の設計思想に近いのかもしれない。
だから、時折感じるご都合主義的な構造も、「ゲーム世界の名残」と思えば、逆に納得できる気がする。
…私は、私なりのやり方で、少しずつこの世界を理解している。
だからこそ、ここでまた“次”を見つけたいと思った。
そんな中。
いつものように資料を整理していたとき、ふと開いた一枚の報告書が目に留まった。
そこに印刷された長い名前の中に、私はある文字の並びを見つけた。
(……ディアル?)
それは、かつてゲームで見た王子の名前と、そっくりだった。
何が書かれているのかは、正確にはわからない。
けれど、その名前の横に添えられた日付や、見慣れない印章の数々に、ただならぬものを感じた。
(まさか王族関連の記録?)
「なにこれ……」
胸の奥に、嫌な予感が膨らんでいく。
「それ、気になりますよね」
不意に声をかけられ、はっと振り返ると、隣の書棚で資料を整理していた若い研究員が顔を上げていた。
「あの報告書、表紙は古いけど、最近まとめ直された複写版なんですよ。
内容は、第一王子の失踪記録です。たしか一年ちょっと前だったかな、突然、王宮から姿を消して——
いまも継承権は保留のまま、行方不明らしいです」
「…………っ」
……え。
(……嘘!!ディアル様が行方不明!?)
(これって、私が転移する前にあった出来事だよね……?)
頭の奥が、きゅうっと締めつけられる。
息を呑む間も惜しいほど、胸が苦しくなる。
そんな展開、ゲーム『薔薇と鏡の王国ロズミラ』にはなかった。
彼はずっと、王宮にいて、ヒロインと出会い、ルートを進めていくはずだった。
エルヴィオン王国の第一王子、ディアル=デ=フィレント=エルヴィオン。
容姿端麗、頭脳明晰、騎士道精神を体現したような人物で、
“王子ルート”の象徴ともいえる存在。
本編では、王宮でヒロインと再会し、やがて王位継承争いに巻き込まれていく——
……そのはずだったのに。
(最推しの……ディアル様が、いない世界……!?)
現実がぐらりと揺らいだ。
この世界はもう、私の知っている“ゲーム”ではない。
完全に、違う時間軸を生きている。
なのに——どうして、私はあの報告書の文字を信じられないでいるんだろう。
「……生きてて、くれてるよね」
私は胸の内でそう願った。
* * * * * *
数日後。
空気の冷たさが、少しだけ和らいできた王都の朝。
私は日用品の買い出しのため、市場の外れに足を運んでいた。
そのとき。
「どわああああああ!!!」
けたたましい声と共に、土煙と爆風があがった。
人々の悲鳴と、何かが焦げたような匂いが鼻をつく。
「ま、またかよー! わりぃってば、ワンコたち〜〜!!」
聞こえてきたのは、呑気すぎる声だった。
私は駆け寄る。
爆煙の中、犬たちに囲まれて立ち上がっている青年がいた。
その姿を見た瞬間、心臓が跳ねた。
(え……?)
銀髪。
碧眼。
完璧な骨格。
まっすぐな鼻梁に、整った口元——
(まさか……ディアル様!?)
私の心が一瞬、強く引き寄せられた。
だが——
「おおっ!? おねーさん、心配してくれた? うれし〜!」
「てか、君さあ、なんか見たことある気がするんだけど……名前なんだっけ?」
笑いながら、砂まみれの手で頭を掻く少年。
その口調は軽く、礼儀もへったくれもない。
それに——声が、思っていたよりも若い。軽くて、少しだけ幼くて。
良く見ると、私の知っているディアル様ではなかった。
歳のころは十八歳くらいだろうか。
まだ少年のようなあどけなさが少しだけ残っていて、ディアル様よりもずっと若く見える。
ディアル様の腹違いの弟と言われたら納得できるかも、と思えるくらいの雰囲気だった。
(……ちがう。ディアル様が、こんな、わけない)
胸に浮かんだ高鳴りは、スッと冷めていった。
「……別人か」
私は自分にそう言い聞かせた。
でも——
その笑顔の奥に、どこか懐かしい光を見た気がして。
私は、なぜだか目が離せなかった。
* * * * * *
市場の裏通りで、またあの声が聞こえた。
「おーい、そこのおねーさん! また会ったね!」
うわ、来た。
その軽快すぎる声に、私は反射的に足を止めた。
振り返ると、やっぱりいた。
銀髪碧眼の少年——いや、青年……いや、ポンコツ魔法暴発男。
「ハルカちゃんでしょ? この前は助かったよ〜!」
にこにこと満面の笑みで手を振ってくるその人は、前回爆煙の中から現れた、あの青年だった。
(……なんで名前知ってるの、と思ったけど。
そういえば、前に名乗ってたっけ)
彼の名前はアスラン。自称、旅の魔法使いらしい。
「奇遇だねー! さっきワンコに魔法ぶっ放しちゃってさ〜、また怒られるとこだったんだよ」
どこか悪びれず、でも申し訳なさそうに頭を掻く仕草が、なんだか憎めない。
「この前も犬だったけど……犬と魔法、相性悪いの?」
「オレにもわかんない! でもワンコって自由じゃん? 魔力が引っ張られるんだよ、たぶん」
根拠ゼロの理屈に、思わず笑ってしまった。
その瞬間、彼が目を丸くする。
「……あ、今の。いいね」
「……え?」
「その笑い方。なんか、懐かしい感じする」
そう言って、ほんの一瞬だけ、彼の瞳が寂しげに揺れた。
……気のせいかもしれない。
* * * * * *
その後も何かと目に入るようになった彼——、アスランは、どうやら王都の魔導管理局に登録された“旅の魔導士”として、地方のちょっとした問題解決を請け負っているらしかった。
「気づいたらさ、辺境の変な森にいたんだよね。で、名前も覚えてなくてさ。
気がついたら杖は持ってるし、魔法は撃てるし、服もけっこうイイやつで……あれ、俺って何者?って」
最初は誰も信じてくれなかったらしい。でも、たまたま助けた村人の紹介で王都に出てきて、なんとか今に至るとか。
「それって……記憶喪失?」
「うん! でも悲壮感ゼロで生きてるよ、オレ。人生はノリが大事だから」
(……いや、あなた…。それでいいの?)
軽くツッコみたくなるけれど、不思議と嘘をついているようには見えなかった。
それに、会話はできるのに文字は読めないという点も、どこか自分に似ていた。
「読み書きは……まぁ、からっきし。最近やっと“犬”って読めるようになったんだよね!」
得意げに笑う彼に、私は笑いながら少しだけ安心していた。
でも、その安心が崩れるのは、ほんの数日後のことだった。
「ハルカさん、臨時で補佐を頼めますか? 魔力量の異常反応が出ていて……」
声をかけてきたのは、研究所の若い研究員だった。
差し出された端末の画面に映るのは、どこかで見たことのある顔。
——アスラン。
「暴発癖があるので、付き添いが必要で……主任からも許可は取ってます」
まさか、それが私になるなんて。
……いや、それにしても。
魔法もまともに使えない私を、なぜ?
小さな違和感だけが、胸の奥に残った。
「わあ、ハルカちゃんとペア!? やった〜!!」
喜ぶ彼を見ながら、私はひとつため息をついた。
(……なんでだろう。この人、すごくポンコツなのに、目が離せない)
まるで、
何かを——思い出しそうな気がするから。




