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第26話 魂に触れる理論

 王城の地下、厚い石壁に守られた巨大な扉の前で、私は無意識に息を呑んだ。



 この場所を訪れるのは、何度目だろう。

 最初にここを訪れたとき、

 一緒にいたのは——ノアとゼフィル。そして、あのときの私は……。



 (ライエルの死を止めるために、必死だった)



 禁書庫は、私にとって“知識を得る場所”ではなかった。

 “大切な人を救うために飛び込んだ場所”だった。



 そして——この扉に向かう少し前、初めてゼフィルと言葉を交わした。

 それが、私の最初の死に戻りの起点となった。

 だからこそ、この場所は、何よりも印象深い。



 目の前の扉は、時そのものを閉じ込めたように重たく沈黙していた。

 魔術式が緻密に刻まれ、時折、脈打つように淡い光を放っている。



 「またここに来たんだ…」



 呟いた私の隣で、ゼフィルがゆるやかに頷いた。


 

 「王の直轄管理区域。許可がなければ、扉に触れることすらできません。

 ここに入れるのは、記録されている限りでは王族とごく一部の魔術研究官だけです」



 ゼフィルは懐から魔力認証付きの文書を取り出すと、扉の中央に差し込まれた魔法陣に触れさせた。

 淡い青の光が走り、重々しい音とともに結界が開く。



 「中にどうぞ。……足元にはお気をつけて」



 その言葉に押されるように、私は一歩、踏み出した。



 禁書庫の中は、静寂と、膨大な記憶の気配に満ちていた。



 高い天井まで続く書架。黄ばんだ羊皮紙。銀の帯で封じられた魔導書。

 奥に進むほど、空気がひんやりと重くなる。



 「……ここに、ノアさんが来てたの?」



 「ええ。記録によれば、数回。すべて短時間でしたが、特定の棚に集中していました」



 案内されて立ち止まった一角には、古い巻物や魔導書が整然と並んでいた。


 私はその中の一冊を手に取った。


 表紙に記された魔導文字は、私には読めない。


 「なんて書いてあるの?」


 「……『共鳴理論基礎稿』。魂の周波と魔力の同調に関する初期の理論書です」


 ゼフィルが淡々と答える。


 中には、「魔力と魂の周波同調」「魂を通じた魔力転移」といった難解な単語が並んでいた。

 私は意味もわからぬまま、ゼフィルの言葉を反芻する。


 (ノア……あなた、こんなものを……)


 ページの隅には、ノアが使用した照合マーカーの痕跡がいくつも残っていた。


 (魂の同調……?)



 ノアの研究は、ただの魔力理論なんかじゃなかった。

 魂、感情、存在の“重なり”——もっと深い領域に踏み込もうとしていた。



 私は思わず、祠の中で出会った“あの少女”のことを思い出した。



 ——震える声。

 ——助けを呼ぶ気配。

 ——私の中に入り込んできたような、不思議な感覚。



 (あの時、私と……共鳴、していた……?)



 指先が、震えた。

 


 「何か、見つかりましたか?」



 ゼフィルが静かに問いかける。

 私は頷きながら、もう一冊、棚の奥から不自然に浮いていた本に手を伸ばした

 

 表紙には、銀の封印符が貼られている。


 「……この本、なんて書いてあるの?」


 私の問いに、ゼフィルがひと目見て、ため息のように小さく言った。


 「《禁記:魂相図録》。魂と魂の相関関係を分類・記述した、王国制定の禁書です」


 「禁書……?」


 「魂の干渉、共鳴、転写、操作——あらゆる理論の基礎がここにあります。

  ですが、使用法によっては極めて危険なため、封印された」


 私は思わず、その銀の封印に触れるのをためらったが、意を決した。

 触れた瞬間、封印の魔法陣がわずかに反応した。

 図録の中から、鈍く低い音が響く。


 

 「……っ」


 

 私の指先に、ぴたりと重なるように、赤い瞳が差し込んだ。

 ゼフィルが、わずかに目を細めていた。

 


 「貴方の魔力が……反応しましたね」


 

 「……この本、私にしか……?」



 「それは、まだわかりません。ですが——」

 「開けるには、鍵が必要です。……あるいは、“魂の共鳴”か」



 彼の言葉に、心臓がひとつ、大きく鳴った。



 (私の中に、何があるの……?)




 * * * * * *


 銀の封印符が貼られた図録を手にしたまま、私はしばらくその場を動けなかった。


 《禁記:魂相図録》


 触れただけで反応した魔力の脈動が、まだ指先に残っている。


 (これ……私の魔力にだけ反応した? どうして……)


 図録は、かすかに魔力を受け付けたものの、完全には開かない。


 封印はまだ解けていなかった。


 「……不思議ですね」


 ゼフィルが横から覗き込む。


 「普通、これほどの封印が反応するには、強い意志か、魂の“重なり”が必要だと言われています」


 「魂の重なり……」


 その言葉が、胸に重く落ちた。


 私は図録をゆっくりと棚の脇の閲覧机へ運び、慎重に開ける角度を探るように、ページをめくる隙間を探した。


 すると——淡く光る文字が、浮かび上がった。

 ゼフィルが図録の表面を撫でながら、低く呟いた。


「……この図録、内部に魔力記録が残っているようですね。ここに——ノア氏の名前が」


 私は思わず身を乗り出す。封印の奥に、微かに文字のような痕跡が浮かんでいた。


(……ノア)


 ゼフィルが淡々と読み上げる。

 《共鳴検出ログ》

 《個体識別:研究官ノア=アルフェリア》

 《共鳴対象:識別不能》


 「ノアさん……やっぱりここに来てた」


 ゼフィルが、目を細めた。

 「この図録に記録が残っていたとは。……面白い」


 さらに表示された補足ログには、いくつかの注釈が残されていた。


 ゼフィルが画面をスクロールしながら、落ち着いた声で読み上げる。


 「……ノア氏の仮説ですね。以下の通り、記録されています」


 《魂の共鳴とは、互いに認識し、影響を及ぼし合う状態》


 《一方通行の感情は、魔術的な"揺らぎ"を起こさず、干渉しない》


 ゼフィルはそれ以上、何も言わなかった。


 けれど私は、その言葉を、胸の中で何度も繰り返していた。


 (……認識し合うこと。想いが、届くこと。それが——)


 ノアは、私と“共鳴しなかった”と感じていたのだろうか。

 それが、“観測を終了する”というあの言葉の意味……?


 喉の奥がつまる。

 息が苦しいのに、誰にも何も言えなかった。

 (だから……私が拒絶したあの夜、ノアとの“共鳴”は……)

 (途切れてしまっていた……それで、回帰は発動しなかった……)


 けれど——


 (でも、それだけじゃない。もし、彼の側に“揺らぎ”が起きていたなら……)


 私は、ノアの研究端末で見た観測記録を思い出した。

 回帰が起きなかったにも関わらず、彼の最期の記録には“共鳴波形の反応”が確かに残っていた。


 (彼は、最後の最後まで……私を想ってくれていた)

 (共鳴は、途切れていなかった。切っていたのは……私のほうだった)


 その痛みに胸が詰まる。けれど、涙はもう出なかった。


(“魂の共鳴”……これが、本当の鍵。私が……もう一度、あの人に手を伸ばすための)


 ゼフィルは黙って私を見つめていたが、やがてゆっくりと言葉を紡いだ。


 「……共鳴を再現するには、相応の代償もあるでしょう。

  魂を他者と繋げるというのは、そういうことです」


 彼はそこで少しだけ言葉を切り、私の目を見て問いかけた。


 「……貴方は、それでも、踏み込みますか?」


 私は、ほんの一瞬、目を閉じた。

 

 浮かぶのは、ノアの微笑み。あの甘く穏やかな声。手帳に残された、あの言葉。


 ——“僕の世界には、彼女しかいなかった”


 「……ある。私はもう、二度と後悔したくない」


 「……そうですか」


 ゼフィルはそれ以上、何も言わなかった。

 ただ一冊の書物を、私の前に差し出した。


 「……なら、道はあります。ノアの理論から導ける答えが、きっと」


 私は静かに頷いた。


 魂と魂が、また重なるその時まで。


 もう一度、あの人に——会うために。

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