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第20話 侵蝕の兆し

 「……壊れてしまわないといいのですが」

 「貴方か、あるいは——」 


 ゼフィルの言葉が、耳の奥で反響する。


 意味は、分からない。

 けれど、どこか深くて、抜け出せないものを残していった。


 自室に戻った私は、魔力安定装置を一瞥してベッドに腰を下ろした。

 誰にも触れられていないはずなのに、心臓のあたりがざわざわと軋む。


 (ノアさんは……私を、どう見ているんだろう)


 “観測対象”として、数字や波形の記録を取り続ける彼。

 それでも、私はどこかで信じたかった。

 あの人は、少しぶっきらぼうだけど、きっと——


 (……信じたかった、だけ?)


 問いかけに答えられずにいると、控えめなノックが響いた。


 「ハルカ。入ってもいいかな?」


 ノアだった。白衣の上から肩掛けのようなローブを羽織り、淡い光の中に立っている。


 「はい……どうぞ」


 彼は手に数枚の書類を持っていた。観測記録と、日々の経過表らしい。

 けれど、それを渡す手つきはどこか柔らかくて——以前よりも、近い。


 「今日の測定結果だ。特に異常はなかったけど……君の反応が、面白い傾向を示している」


 「面白い、ですか……?」


 ノアはふっと目を細めた。

 猫のようにシャープな目元に、銀灰色の瞳が静かに光る。


 「いい意味で、ね。君は毎回、何か新しいものを見せてくれる。

 同じ波形のはずなのに、少しずつ“ずれ”が生まれているんだ」


 私は何も返せなかった。

 褒められたのか、それとも“観察物として価値がある”と言われただけなのか、判断がつかない。


 「……私は、何なんでしょうね」


 呟いた声に、ノアは少しだけ口を開けかけて——そして、閉じた。


 「答えは、もう少し時間をかけて探したい。……急がせたくないから」


 その言葉は、優しかった。

 でも、どこか“外側から”の優しさのような気もした。


 「ところで——明日、屋外調査に付き合ってもらえないか?」


 「屋外……ですか?」


 「観測機器のテストを兼ねて、観察区域へ。……魔法生物の挙動と、君の波形にどんな差異が出るか見ておきたい」


 言い方はあくまで理論的だったけれど、どこか“誰かと出かけたい”という微かな雰囲気が混じっていた。


 私は一瞬だけ迷って、それから、うなずいた。


 「わかりました。……明日ですね」


 ノアが静かに頷いたあと、部屋を後にする。


 再び魔力安定装置が小さく光った。


 (……また、反応?)


 彼と話していたときには気づかなかった。

 けれど今、波形の端がごくわずかに跳ね上がっている。

 安定装置が揺らぐのは、私の中に“何か”が起きているとき。


 (もしかして……ノアが近づいたときだけ?)


 胸の奥に、ゆっくりと沈むような不安が広がった。

 嬉しさと怖さが入り混じって、自分でも整理がつかない。


 その夜。研究室の奥、誰もいない部屋で、ノアが一人、記録紙の上に指を滑らせていた。


 「……なぜ、君だけが、僕の理論を逸脱する」


 彼は呟いた。誰にも聞かせない声で。


 「君が——ハルカがいれば、すべて解けると思ったのに」

 


 * * * * * *

 

 翌朝、ノアと共に研究所の裏庭に広がる観察区域へと足を踏み出した。


 魔法生物の観測、という名目で訪れたその場所は、研究施設とは思えないほど静かで、自然の気配に満ちていた。


 「ここには、観察用に何種かの小型魔法生物を放してある。波形の影響を外気で比較してみたい」


 そう語るノアは、いつもとは少し違っていた。

 制服や白衣ではなく、ゆるやかなシャツと長めのローブ。

 そして今日は——メガネをかけていない。

 束ねていた長髪もほどかれて、風に揺れる。


 (……ラフなノア……ギャップ萌えすぎませんか!?)


 不意打ちのようなギャップに、思わず目を奪われる。

 けれど本人はいつも通り、淡々と記録端末を確認している。


 「ふふ……あの子、耳がぴょこぴょこしてますね」


 茂みの陰から顔を出した、小さなうさぎ型の魔法生物を見て、思わず声を漏らしてしまった。

 ノアがふとこちらを見る。


 「君、そういう笑い方するんだね」


 「……えっ」


 「いや。観察の一環だよ。……でも、悪くなかった」


 ノアはそう言って、また視線を戻したけれど——少しだけ頬が緩んでいた気がした。


 観測機器を片手に移動しながら、ノアは小さくメモを取っていく。


 「感情波形、明確に変動。……外的要因は、魔法生物の接近。あるいは、同行者の影響?」


 「なにか言いました?」


 「いや、独り言。気にしないで」


 そのあと、木陰のベンチに座って、軽い水分補給と休憩を取ることになった。

 風が心地よくて、私は思わず目を閉じて深呼吸する。


 「こういう空気、久しぶりかも……」


 「気に入ったなら、また来てもいい」


 ノアはそう言って、ペンを手から離した。


 「……でも、こんなに静かな場所で“君の変化”がはっきり出るとは思わなかった」


 「変化……?」


 「以前より、感情の波が豊かになってる。特に“笑ったとき”。……それが、なぜか印象に残ってる」


 「そ、それは……外の空気が気持ちよかったから、じゃ……」


 顔が少し熱くなる。そんな私の様子を、ノアは真っ直ぐに見ていた。


 「明日以降の観測データと合わせて、もう少し解析してみるよ」


 そう言って歩き出した背中に、なぜか今までよりも人間らしさを感じていた。


 ——そのときだった。

 木陰から小さな叫び声のような鳴き声が上がる。


 「……今の、聞こえました?」


 ノアが頷き、ふたりで音のする方へ駆け寄る。


 そこには、小さなウサギ型の魔法生物が、異様な気配を放つ黒い獣のような魔法生物に追い詰められていた。

 その魔法生物は、狂暴化している。

 牙をむき、目は真っ赤に染まり、まるで理性が吹き飛んだかのように地面を引っ掻いている。


 「ダメ……!」


 私は思わず駆け出していた。

 咄嗟に身を乗り出し、小さなウサギの前に立ちはだかる。


 「逃げて……!」


 背後から聞こえるノアの声。


 「ハルカ、下がって——!」


 けれど私は退けなかった。

 守りたいという気持ちが、身体を動かしていた。


 次の瞬間、狂暴な魔法生物が跳びかかる——その直前。


 「《アンクレール・スクート》」


 ノアの呪文と共に、透明な障壁が私と動物を包んだ。

 衝撃と風が駆け抜け、私は目を見開いたまま、立ち尽くしていた。


 魔法生物は壁に弾かれて地面に転がり、意識を失っている。


 「……間に合ってよかった」


 ノアが私の肩に手を置いた。

 その手は、ほんのわずかに震えている。


 顔を上げると、彼の瞳がまっすぐこちらを見ていた。

 銀灰色のその目は、普段の冷静さとは違っていた。

 抑えていた何かが、表に出てしまいそうな——そんな危うさが滲んでいる。


 「もう……二度と、君を危険な目には遭わせたくない」


 その言葉には、感情があった。

 理性の仮面を突き破って、溢れ出した“何か”が確かにあった。


 「ノアさん……?」


 私が問いかけると、彼は小さく息を吐いて視線を逸らす。

 けれどその横顔には、まだ微かに震える余韻が残っていた。


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