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第18話 硝子の観測者

 王都の空は、こんなにも灰色だっただろうか。


 ルルカの村を離れてから、数日が経った。 

 私は王都の保護下にある屋敷で過ごしながら、再び魔力測定や体調観察を受けていた。

 ライエルは任務のため、一足先に騎士団へ復帰している。


 すこしずつ、日常が戻ってきているはずなのに——

 心のどこかが、まだ、ずっと遠い場所にいるような感覚が残っていた。


 そんな折、王立魔導研究所から呼び出しを受けた。

 簡単な聴取と観察と聞かされ、案内された研究所の一室。

 整然とした調度品に囲まれた室内は、どこか緊張感が漂っていた。


 その扉をくぐった瞬間——

 「……久しぶりだね」


 その声に足を止める。

 甘く、よく通る、どこか懐かしい音色。振り返ると、そこに彼がいた。


 淡い青緑のような、不思議な色の長髪を後ろで束ねて、 

 美しい顔立ちに整った制服姿で私を見下ろしている青年——ノア=アルフェリア。 

 魔道研究所の主任研究員にして、かつて私が“推し”と呼んでいた人。

 皮肉屋でまさに研究者然とした姿だけど、ふと眼鏡の奥の瞳が揺れる時に、時折見せる無防備な本音がとんでもなくズルい。


 「元気そうで何より。……いや、相変わらずひねくれたユーモアだなと思われたらごめん」


 その目は笑っていなかった。 けれど、私はその空気を覚えている。理性と皮肉を縛った彼の声——ああ、本当に久しぶりなんだ。


 「王からの命令でね。君を“魔力異常の調査対象”として、当研究所で保護・観察するように、と」


 ノアが歩み寄り、書類の束を私の手に押し当てる。 魔力量測定の経過報告書、行動記録、そして——


 「つまり、これからは僕が君の監督責任者になるということだよ」


 「……監督……者?」


 呆けたように繰り返した私に、彼は口元だけで笑った。


 「驚かないで。君を研究対象として扱うつもりはない。 ただ僕は、君が“何者であるか”に強い興味があるだけだ。」


 そのときだった。 ノックも前振れもなく、扉が静かに開いた。


 「失礼します。……ああ、お二人とも、もう顔を合わせておられたのですね」


 ゆっくりと入ってきたのは、ゼフィル。 長い睡毛に縁取られた赤い瞳が、ふわりと柔らかく細められていた。


 「観察記録の提出に参りました。……とはいえ、ちょうど良いタイミングのようで」


 「また君か。……時間ぐらいは選べないのか」 ノアが短く、ため息交じりに言う。


 「すみませんね。観察対象の動きは、こちらの都合を待ってくれないものでして」

 「そちらこそ、ずいぶん近くで見つめていらっしゃいましたけど。……距離感、誤解されません?」


 「僕が踏み込むのは必要なときだけだ」

 「“見るだけ”で満足するような性分じゃないからね」


 「ああ、知ってますとも。誰かさんの研究対象は、よく“壊れる”って噂ですから」


 思わず私は目を瞬かせた。 ……あれ? この二人って、こんな感じだったっけ?


 火花は散ってるのに、どこか馴染んでいて、緊張感がなぜか妙にズレている。 それが逆に怖い。というか——なんか面白い。


 「……ま、とにかく」 ゼフィルが軽く一礼する。

 「再会の場に立ち会えたのは光栄です。では、私はこれで」


 扉が閉まり、静けさが戻る。


 ノアが机に視線を戻したまま、ぽつりと告げた。


 「ハルカ。……君のことを、知りたいと思っている」

 顔を上げた彼の視線が、真っすぐにこちらを射抜いた。


 猫のようにシャープで、華やかな目元。

 長い睫毛の奥で光る、冷たい銀灰色の瞳が——、静かに私を見つめていた。


 (……近い、近いって……)

 (というか、裸眼のノア、破壊力高すぎない……?)

 呼吸の仕方を忘れそうになる。喉の奥が詰まりそうで、何も言えなかった。


 「君が、“何者なのか”をね」


 その声が胸に残るまま、私は返す言葉を見失っていた。


 ——そしてその直後、ノアは端末を手に取りながら、ごく自然な口調でこう言った。


 「……君って、以前よりずっと、表情が柔らかくなった気がする」


 「え?」


 「いや、観察の一環としての感想だよ。……感情の波形にも、きっと変化があるだろうね」


 思わず顔が熱くなる。


 けれど、ノアはそれ以上は何も言わず、机の上の資料に視線を戻していた。


 その横顔は、相変わらず整っていて、近寄りがたくて——なのに、どこか見たことのない柔らかさが混じっていた。



 * * * * * *


 

 研究所の測定室は静寂に包まれていた。


 ノアが前回の測定結果を見つめ、薄く眉を寄せる。


 「……以前はまったくのゼロ。正確には、微弱すぎて測定不能領域だ。

 人の魔力値としては、最低限以下だった」


 その言葉に、私は苦笑を浮かべてしまった。


 「ですよね……やっぱり、そうなんだ」


 ノアは軽く肩をすくめる。


 「ただ——今回は少し違う。測定不能ではなくなった。

 ごくわずかだが、数値として“2”程度の反応がある」


 「……え?」


 「君の魔力は、まるで影のように存在している。

 でも今は、その影がかすかに“輪郭”を持ち始めているんだ」


 「……それって、ルルカの村での事件が何か影響してる……?」


 ノアは頷いた。


 「結界干渉や、“共鳴”の影響かもしれない。

 君の中で何かが目覚め始めているのかもしれないね」


 測定機器が唸りを上げる。


 「さあ、これが本当の君の姿だ」


 モニターに映し出された波形は、一見すると安定しているように見えた。

 だが、よく見ると、そこには通常の人間にはありえない“断層”と“揺らぎ”が映し出されていた。


 ノアの目が輝く。


 「これは……異質だ。魔力波形が、まるで異界と干渉しているかのような揺らぎを示している」


 彼は古びた魔術書を取り出し、その頁を指でなぞる。


 「境界に“断層”を生じさせる術式がある。

 普通はそれを使えば異界の影響を遮断できるのだが——君の場合は逆だ」


 「どういうこと?」


 「君の体は、境界の揺らぎを取り込んでしまっている。

 それは……通常の人間の魔力構造では、説明できない現象だ」


 その言葉に、心臓が早鐘を打つ。


 「異界って、そんなに近いの?」


 「まるで君の魔力が、異界にちょっとお邪魔しているみたいだね。面白い」


 その時、部屋の扉が静かに開き、軽やかな足音が響いた。


 ふわりとした笑みを浮かべて現れたのは、ゼフィルだった。

 「観察記録の提出に参りました。……とはいえ、ちょうど良いタイミングでしたね」

 ノアは軽くため息をつきながら、ゼフィルの言葉に応える。


 「また君か。……時間くらいは選べないのか」


 「観察対象の動きは、こちらの都合を待ってはくれませんからね」


 「……まあ、いいさ。見守るだけなら僕だって同じことだ」


 ゼフィルはくすりと笑い、すっと退室した。


 静かになった測定室に残り、ノアは言った。


 「君の魔力の異常は、君の“何者か”を示している。

 これから長い検証が続くだろうが、僕は君のことをもっと知りたい」


 私はただ、言葉に詰まりながら頷いた。


 ノアはそのまま私の横を通り過ぎ、測定機器の出力端末を操作する。

 ふと、彼の視線がこちらに向けられた。


 「……さっき、椅子から立ち上がる時に『どっこいしょ』って言ったね。君、そういうとこあるんだ」


 「えっ!? う、うそ……言ってました!? 無意識で……!」

  顔が一気に熱くなる。思わず両手で頬を覆ってうつむいた。

 (やだもう、どっこいしょって……完全に38歳のおばちゃん出たじゃん……!)


 「……忘れてください、ほんとに。ほんとに!」


 慌てふためく私を見て、ノアは不意に息を小さく漏らした。

 笑ったのかと思ったけれど、違った。

 その横顔には、どこか緩んだような、微笑にも似た表情が浮かんでいた。

 

 「観察者の立場から言えば、興味深い発声だよ。……以前の君は、もっと無表情で、硬かったのに」


 ノアの言葉は淡々としていたけれど、その瞳はどこか真剣だった。


 「……ああ、ごめん。気分を害したなら、忘れて」


 「い、いえ、そういうわけじゃ……」


 視線が合わないように、思わず顔を背けた。

 今のは——観察? それとも……?


 けれど、ノアはまた何事もなかったように端末へ視線を戻していた。


 その横顔がやけに冷たくて、そして、どこか優しかった。


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