第17話 そして、風は再び動き出す
朝焼けに染まる祠の前。
光の余韻がまだ地に漂う中、ライエルとハルカは静かに立ち尽くしていた。
その空気を破るように、飄々とした声が降ってきた。
「まさか、また熱っぽい雰囲気から救助する羽目になるとはねえ。……無事で何よりだけど」
ノアだった。
その隣に、赤い瞳を細めるゼフィルが静かに立っていた。
「おめでとうございます。想い、通じたんですね」
その言葉に、ハルカは目を瞬かせ、ライエルは少し視線を逸らす。
「……見てたのか」
「ええ。ずっと。おふたりの未来がどちらに転ぶのか、見届けたくて」
ゼフィルは微笑む。その目には、ほんのわずかに複雑な色が宿っていた。
* * * * * *
祠の奥にある祭壇の痕跡には、もう封印の気配は残っていなかった。
後から到着した調査隊と村人たちの口から、事件の真相が少しずつ語られていく。
「封印は、完全に断たれた。異界との接続も……」
ノアが魔導器を確認しながら頷く。
「封印は“犠牲を前提とした古い仕組み”だった。けれど今回、魂の共鳴によって封印の構造そのものが変わったんだ」
ノアは魔導器を確認しながら続ける。
「祠に囚われていた魂が限界を迎えたことで、封印が不安定になり、異界の力が漏れ始めていた。
それが原因で村の周辺では集団失踪が起き、遺跡でも魔力の暴発が起きた」
「でも——もう、大丈夫だ。結界は閉じた。人の命じゃなく、心の繋がりによって」
ライエルの静かな言葉に、村の人々は一斉に息を呑んだ。
長く重く降り続いていた“儀式”という名の呪い。
その鎖が断たれたことを、誰もがすぐには信じられなかった。
……けれど。
誰かが、ぽつりと呟いた。
「……もう、子どもを贄に差し出さなくていいのかい……?」
その声に、年配の女性が肩を震わせ、そっと顔を覆う。
背中を丸めた老人が、静かに空を見上げた。
「……本当に、終わったんだな……」
次々と、祠の周囲に集まっていた村人たちが、表情を崩していく。
涙を拭いながら頭を垂れる者、何度も何度も“ありがとう”と繰り返す者。
祠の前で、両手を合わせて静かに祈る者の姿もあった。
ライエルとハルカの姿を見ると、彼らはまるで神聖な存在でも見るかのように目を見張る。
「……あなた方が、この村を救ってくださったのですね……」
ひとりの初老の男が、そう言って深く頭を下げた。
村の中に、ライエルを見知った様子の者はいなかった。
かつてこの地に生まれた彼は、あの儀式が行われた祭り夜の直後、逃げるように村を離れていた。
後ろめたい想いもあったのだろう。母はルルカのことを彼に語らず、彼自身も記憶に蓋をするようにして生きてきた。
やがて、ルルカでの出来事は彼の記憶からも、村の人々の記憶からも、長い年月の中で風化していった。
けれど今、彼はこの地を救った者として、人々の前に立っていた。
ハルカとライエルを囲むように、村の人々が頭を垂れた。
「……ほんとうに、ありがとうございました……!」
祠にかかる朝の光の中で、喜びと解放の涙が静かに降り注いだ。
* * * * * *
帰路につく前、ふと立ち止まったハルカの視線が、ライエルの右腕に吸い寄せられた。
「……ライエルさん、腕……」
囁くようなその声に、ライエルは静かに袖をまくる。
陽の光に透けた肌は、かつてのような腫れも、暗い痣も、もうどこにもなかった。
「もう痛みも腫れもない。……祠が静まってから、急に楽になった」
その言葉を聞いた瞬間——
ハルカの肩から、張りつめていた力がすとんと抜け落ちた。
胸の奥に溜まっていたものが一気にあふれ出す。
声にならない震えとともに、彼女の瞳には涙がにじむ。
「……ありがとう。ほんとに、よかった……」
その声は小さく、でも確かに届いていた。
ライエルは黙ったまま、そっとその頭に手を置く。
優しく、けれどどこか誇らしげに。
朝の光が、二人を静かに包んでいた。
* * * * * *
その日の夜、祠の片づけを終えた一行は、王城への帰還準備を進めていた。
「報告をまとめたら、王に謁見だな」
ライエルが呟く。
「ええ。でも……なんだか、またすぐ嵐が来そうな予感がします」
ハルカの言葉に、ノアが小さく笑う。
「実際、王都では革命軍が動き出しているらしいよ。火種は、もうくすぶってる」
ゼフィルの赤い瞳が、夜の空に向けられる。
「風が、変わりますね。今度は……もっと、冷たい風が」
ハルカは息を呑み、視線を遠くへと向けた。
(次の物語が、もう始まっている——)




