第15話 命の代償
ルルカの村は、かつて調査に訪れたときよりも、さらに静まり返っていた。
家々の戸は堅く閉ざされ、人影はまったく見えない。かすかに聞こえる風の音さえ、どこかよそよそしい。
村の入口には煌聖騎士団の紋章が掲げられ、重厚な鎧に身を包んだ兵たちが厳戒態勢で立っている。
格式を重んじる彼らは、威圧感そのものだった。
「王都近衛騎士団の者だ」
ライエルが身分証を差し出すと、門番の騎士は鼻で笑った。
「近衛? 王の飾り部隊が、こんな片田舎に何の用だ?」
ハルカが思わず眉をひそめたが、ライエルは動じなかった。
「我々は調査の任を受けている。祠での失踪事件について、情報を得る必要がある」
「上の許可なしに通すわけにはいかん。ここは“煌聖騎士団”の管理下だ。王直属だろうが平民だろうが、割り込む余地はない」
その言葉に、ゼフィルが一歩前へ出る。
「必要があれば、報告書を経由して手続きは整えます。
ですが、今は“時間”が問題です。……遅れれば、次は戻ってこられないかもしれない」
門番はそれでも頑として譲らなかった。
結局、祠の周囲には強化された魔力結界が張られており、
正式な手続きを経なければ立ち入りは不可能ということが確認された。
「……どうする?」
ノアが小声でライエルに尋ねる。
ライエルは村を見渡し、小さく唸ったあと答えた。
「夜まで待つしかないな」
ノアが軽く頷き、言った。
「結界の境界は、夜になるとやや薄まるからね。」
ライエルが続ける。
「周囲から、誰にも気づかれずに接近する道がある」
「つまり……抜け道ですね」
ゼフィルが苦笑を交えながら頷いた。
「やむを得ません。……無断での侵入にはなりますが、今の煌聖騎士団は“融通”が利きそうにありませんし」
* * * * * *
夜。
村の南、木立の奥に隠れるようにして存在する祠へ、一行は音もなく進んでいた。
ライエルを先頭に、ゼフィルが後方を見張る。ノアは静かに魔力を調整し、結界のゆらぎを探る。
「今なら、通れる……」
ノアが呟くと同時に、ハルカの胸がずきんと痛んだ。
(……なに、この感じ)
鼓動が早まる。呼吸が浅くなる。空気が重い。
でも、それだけじゃない。どこかから、かすかな声が聞こえる気がした。
『……お姉ちゃん……』
小さく、震えるような声。けれど、確かにハルカにだけ届いた。
「ハルカ?」
ゼフィルが振り返る。ハルカははっと我に返り、小さく首を振った。
「……ごめんなさい。大丈夫」
祠の前に立つと、石造りの扉が月明かりに浮かび上がっていた。
古びた装飾。禍々しさと、何か神聖なものが混ざり合ったような気配。
(ここだ。あの子が……この中に)
「準備はいいか」
ライエルの声に、全員が頷いた。
そして、誰もいない深夜の祠の扉が、静かに開かれようとしていた。
* * * * * *
祠の扉が軋みを上げて開いた瞬間、ハルカの胸を締めつけるような気配が強まった。
中は冷え切っていた。灯りの届かない石段を、静かに一行は下りていく。
空気はよどみ、古い封印の残滓のような魔力が肌にまとわりついてくる。
「……これは」
ノアが低く呟く。
「自然の魔力じゃない。明らかに人為的な儀式の痕跡だ」
「供儀……?」
ハルカの口から、その言葉がこぼれた。
やがて、石段の先に小さな祭壇のようなものが現れる。
床には魔法陣のような紋が刻まれており、その中央には今もわずかに光を放つ結界が残っていた。
「これは……時の転位を起こす型に近い」
ノアが目を細めて言う。
「何かを捧げ、その代償に“時間”を超える。そんな構造に見える」
(時間を……超える?)
その瞬間、胸の奥で何かが響いた。
『……お姉ちゃん……』
あの声だ。
ハルカはふらりと歩み寄り、光の残る結界の中心に手を伸ばした。
「ハルカ、待て——!」
ライエルの声が聞こえた、その瞬間——
視界が真っ白に染まった。
* * * * * *
どれほど時間が経ったのかわからない。
目を開けた先は、見覚えのない“過去のルルカ”だった。
石造りの祭壇。草木に覆われていない、整った禁足地の姿。
儀式の準備が進められ、村の人々が緊張した面持ちで並んでいる。
(ここ……まさか……)
「ハルカ——っ!」
声がした。
振り向くと、そこには見慣れた黒衣の騎士——ライエルがいた。
彼もまた、ここにいる。
「……どうして、あなたが」
「わからない。けど——お前の手を掴んだ時、引きずられた」
ハルカは小さく息を呑んだ。祠の中で、確かに彼の手に触れていた。
(だから……)
視線を巡らせたその時——
祭壇の中央で、幼い少女が静かに座らされているのが見えた。
長い髪。あの目。間違いない。
(あの子……っ)
「お姉ちゃん……来てくれたの?」
小さな声が、まっすぐにハルカに届く。
でも、その声には震えと、どこか諦めが混じっていた。
(間に合ったの? これから何が起こるの?)
だが、それを考える間もなく、周囲の村人たちが一斉に動き始めた。
儀式が、始まる。
——少女を、供儀に捧げるための儀式が。
ハルカは思わずライエルの手を握る。
「止めなきゃ。絶対に——!」
* * * * * *
石造りの祠の奥、過去のルルカ。
供儀の儀式が、静かに、そして確実に進行していた。
祭壇の中心に座らされた少女の周囲に、魔法陣が淡く光を帯びていく。
詠唱が始まり、空気がぴんと張り詰めた。
ライエルが歯噛みしながら剣を構えた。
「……声も、届かない。剣も、すり抜ける」
結界は、過去と現在を隔てる壁のように、冷たく彼らを弾いていた。
少女がふと顔を上げ、結界の向こうからハルカを見つめる。
か細い声が、確かに届く。
「……お姉ちゃん、来てくれて……ありがとう」
「っ……!」
ハルカが一歩、祭壇へと足を踏み出す。
その瞬間、光の陣が揺らぎ、詠唱が一瞬だけ止まった。
眩い閃光が走り、視界が反転する。
次の瞬間、ハルカとライエルの目に、過去の儀式の光景が流れ込んできた——
* * * * * *
それは、ある村の祭りの日。
花を手にした子どもたちが、無邪気に笑い合っていた。
「この中で一番優しいと思う子に、花をあげてね」
その言葉に従って、皆が一輪の花を持って、誰かに手渡していく。
ただの遊びのように——しかし、それは儀式の始まりだった。
村の祠は、かつて“異世界との裂け目”だった場所。
その異質な空間を現世から隔離するためには、強い魂が錘となって境界を保ち続ける必要があった。
だから贄には、最も純粋な想いを持ち、他者を想う力が強い——すなわち、“優しい”子どもが選ばれる。
その魂の純度こそが、封印を保つのに最も適しているからだった。
しかしその選び方は、子どもたち自身に「選ばせる」ことで、村の大人たちの罪悪感を和らげるための仕組みでもあった。
——優しい子を選んだのは、あなたたち自身。
だからこそ、誰のせいにもできない。
そして少女——かつての“あの子”が、最も多くの花を受け取った。
「たくさん、もらっちゃった。……うれしいね」
「これで、わたしが“あの場所”に行くんだって。……村のみんなを、守るために」
「怖いけど……でも、仕方ないよね。わたしが一番、優しいって……選ばれたんだから」
その姿を見て、ライエルは動けなくなった。
「俺は……どうして……忘れていたんだ……」
「……そう。思い出した……あの子、突然いなくなったんだ」
「“引っ越した”とか、“体が弱かった”とか……はぐらかされてた」
「でも……祭りの夜、彼女が泣いていたのを見たんだ。……なんで、あの時、気づけなかった……」
「俺も……花を渡してた」
「迷いもせず、真っ先に。だって、彼女は本当に優しくて……」
「なのに……それが、彼女を贄に“選んだ”ことになるなんて……!」
ハルカがライエルの顔を見つめる。
彼の瞳は揺れていた。
「守れたかもしれなかった。あの子を、俺が——」
拳を握る彼の手が、微かに震えている。
「だから、今度も誰かが贄になって終わるなら、俺が——」
「違う!」
ハルカが振り返り、彼の手を強く握る。
「命を代償にするなんて、もう、誰にもさせない!」
「あの子も、あなたも、わたしも……誰も犠牲にしたくない!」
その言葉に、結界がびり、と音を立てて揺れた。
赤い衣の少女が現れ、静かに言う。
「……ならば、あなたの“想い”が届くかどうか——試されるでしょう」
封印の中心に光が集まり始める。
愛するもののために迷わず自分の命を差し出せる、純度の高い魂が、封印を維持するために引き寄せられていく。
光はゆっくりと、ライエルへと伸びていく——
「ダメ……お願い、やめて……!」
ハルカが涙をこらえながら叫ぶ。
「彼は……大切な人なの……!
だったら……その想いごと、私の命も差し出す……!」
「私の全部を、ここに置いていくから……お願い……!」
ふたりの想いが重なった瞬間、光が逆流する。
封印の力が揺れ、あの子の結界が、静かにひび割れていく——
「行こう……今度こそ、救うんだ——!」




