第9話 巻き戻る運命
王都から南に一日ほどの距離にある、かつて儀式が行われていたという遺跡。
そこに“魔力異常”の報告が上がり、ハルカはライエル、ノア、ゼフィルと共に調査に向かっていた。
空は薄曇り。風はなく、空気はやけに重たい。
「瘴気反応がある。おそらく、この下層に結界の残滓……いや、“供儀場”だったものがある」
ノアが魔導器を操作しながら、低く呟いた。
「ハルカ。ここから先は俺の背から離れるな」
ライエルの一言に、ハルカは無言で頷いた。
——そして、それは唐突に起こった。
「っ、魔力の流れが——逸れた!? まずい、離れろッ!」
ノアの叫びが飛ぶと同時に、結界の奥から突風のような魔力の奔流が吹き荒れた。
何かが崩れる音。
誰かが叫ぶ声。
——そして、目の前で。
「……っ、ハルカッ!!」
ライエルが、走ってきた。
光の奔流が迫る中、彼は迷いなくハルカを突き飛ばし——
その直後、魔力の直撃を受けて、吹き飛ばされた。
「……やだ、嘘……」
ライエルの身体が、無防備なまま崩れ落ちる。
その黒い軍服が、真っ赤に染まっていく。
その場に立ち尽くすハルカ。
ノアがすぐに駆け寄り、魔導器を構える。
ゼフィルも躊躇なく膝をつき、傷口を押さえるのを手伝った。
「出血が多い……意識が……」
ノアの声がわずかに震える。
「傷の周囲が黒ずんでいる。魔力毒の可能性も」
ゼフィルの指先が慎重にライエルの頸動脈を探る。
「ノア様、回復魔法を」
「……試みている。だが通らない」
その言葉に、ハルカの視界がにじむ。
膝をついて駆け寄る。
でも、彼は——動かなかった。
胸元に手を当てる。何度も呼びかける。 「……ライエル、さん? 聞こえてますよね?」
けれど、その胸に鼓動はなかった。
「……いや、うそ……嘘でしょ……? 貴方が、こんな……」
現実を、拒絶した。
頭ではわかっていても、心がどうしても追いつかない。
「やだ……だめ……お願い、返事して……!」
繰り返し名前を呼んでも、目の前の彼は微動だにしない。
まるで時間が止まったようだった。
涙が頬を伝う。胸の奥が冷たくなっていく。
(やだ……まだ、何も言えてないのに)
悔いと絶望が渦を巻き、張り裂けそうな思いが胸に満ちた、その瞬間——
身体の奥から、なにかが震えた。
——世界がわずかに軋むような感覚。
熱が、心臓の奥に灯る。光のようなものが波紋を描き、広がっていく。
(……これ……なに……?)
そう思った瞬間、身体がふっと浮くような感覚に襲われた。
視界の縁が淡く歪み、色が滲む。
痛みはなかった。ただ、やさしく——でも確かに、世界が崩れていく。
「ハルカ!?」
ノアの声が、どこか遠くで響いた。
「ハルカ様——!?」
ゼフィルの声も聞こえた。手が伸びてくる気配。
でも、その手は——
届かなかった。
そして、すべてが——白く、光に包まれた。
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——風も、音も、すべてが戻ってきた。
けれど、それは死後の世界ではなかった。
耳に届いたその声で、すべてが凍りついた。
「ハルカ様ですね?」
凛とした声。
(……え、ゼフィル…?)
「王命により、あなたの行動を監察するよう命じられました。
ゼフィル・アルネストです。以後、よろしくお願いします」
ハルカの背中を冷たいものが走った。
この場面を——確かに、彼女は“知っていた”。
(どうして……? ここって……?)
ゼフィルの動きも、言葉も、まるで“既視感”のように正確に再現されている。
ハルカは思わず、口元を手で覆った。
(あの遺跡で……確かにライエルが、死んだ)
喉の奥がひりつく。身体のどこかがまだ“死”の感触を覚えていた。
(でも……今、あの人は——)
視線を横に向ければ、そこには確かに。
——ライエルが、無傷のまま立っていた。
無表情のその顔が、今はただ、当たり前のように存在している。
(……生きてる……生きてる……)
胸が詰まる。
膝が崩れそうになる。
その姿を見た瞬間、胸の奥からこみ上げるものがあった。
(……神様……ありがとう……!!)
言葉にならない叫びが、心の中で炸裂する。
涙が、知らぬ間に頬を伝っていた。
震える唇を押さえても、胸の震えは止まらなかった。
(私……生きてる。戻ってきた)
(……私は、あのとき確かに“死んだ”)
鼓動も、呼吸も、なにもかも途切れた感覚——
あれが幻だったとは、どうしても思えない。
——そして今、確かに“巻き戻った”。
確信などない。けれど、記憶と状況の一致があまりにも正確すぎる。
違う。夢じゃない。これは現実だ。
(もう二度と……絶対に、貴方を死なせたりしない)
ハルカの決意は、そこで初めて真に形を持ったのだった。




