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アレクシアとの想い出

「グレン」


 ああ、これは夢だ。

 アレクシアが微笑むその姿を見てグレンはそう気づく。


「見て、アレンが笑ったわ」


 生まれたばかりの息子を抱き、アレクシアが聖母のように微笑んで見せる。


 愛しい息子と愛しい妻。


 グレンの目の前には幸せが溢れていた。




 昨日デリシア王女から懐かしい菓子を貰ったせいか、グレンはアレクシアの懐かしい夢を見ているようだ。


 グレンが一番幸せだった時間。


 愛する妻アレクシアが居て、可愛い息子アレンが居て、そこにグレンが寄りそう。


 もう二度と訪れないと思っていた幸福なその瞬間を、夢で合ってももう一度体現できることは、今もまだアレクシアを愛するグレンにとって只々幸せでしか無かった。





「グレン、お願いよ、アレンを守って……私はもうすぐ死んでしまうわ……」


「アレクシア、そんな事を言うな! 君はきっと治る、病気などに負ける筈はない!」


 もとから身体が弱かったアレクシアは、アレンを出産後少しずつ弱って行き、そしてその冬流行り病にかかると命の危機に陥った。


「グレン、ありがとう……でも聞いて、お願い」


 励ますグレンの言葉にアレクシアは弱々しく微笑む。

 自分の命の期限は分かっている。時間がない。

 そんな決意の見える笑顔がグレンの胸に鋭い刺のように刺さる。


「私が死んだら、私の事は忘れて欲しいの……」


 そんなものは無理だ!


 心の中でそう思っていても、グレンはアレクシアにそう言うことは出来ない。

 精一杯、今残る力を使い言葉を発するアレクシアの願いを、ただ黙って聞くしか無力なグレンには出来ないからだ。


「新しく好きな人を作って……アレンに母親の愛情を注いでくれる人を伴侶にして……貴方にも、もっと幸せになって欲しいの……」


「アレクシア……」


 君が居ない人生で幸せなど感じられるわけがない。

 そう思っていても、グレンは涙を堪えアレクシアの言葉を一言も溢さないように聞くしかない。


 大丈夫。

 大丈夫だから。

 そんな未来は来ない。


 全く根拠のない、希望の見え無い言葉を小さく呟きながら、グレンはアレクシアの言葉に答えを返せない。


「約束よ、お願いね……アレンを、辺境の皆を守って……貴方も、幸せになって……」


 無理だ、無理だ。

 君が居なければ、幸せになるなど出来るはずがない。


 そう思っていてもグレンは無理矢理作った笑顔で頷いて見せる。

 

 アレクシアに悔恨を残させるな。


 男として夫として見栄を張れ。


 どうせならば彼女を安らかに逝かせたやりたい。


 未練は何も無いと、安心して送り出してやりたい。


 グレンは必ず幸せになると、アレクシアに出来ない約束をする。


「よかった……グレン、ありがとう……愛しているわ……」


 グレンの妻アレクシアは最後にそう言って命を落とした。

 まだ十九歳。

 結婚してたったの一年半。


 それはグレンにとって短すぎる幸せな時間だった。





 アレクシアの事を、もっともっと幸せにしたかった。


 グレンだって、幸せになりたかった。


 アレクシアにずっとそばにいて欲しかった。


 年老いて 「もういい」 と言われるほど、ずっと寄り添っていたかった。


 アレクシアが隣にいてくれるだけで、幸せだった。

 

 グレンの傍にいてくれるだけでよかったのに……


 何故君は……


 先に逝ってしまったんだろう……




「アレクシア……」




 グレンは亡くなった妻の名を呼び目を覚ます。


 窓へ視線を送れば外はまだ薄暗く、起きるにはだいぶ早いと分かる。


 灰色の世界の中、身を起こし、そこで初めて自分が泣いていることに気づいた。


 涙が頬を伝い、亡くした者の大きさに心が痛む。


「アレクシア……」


 彼女の名をもう一度呟く。


 もしかしたら……


 そんな可能性は無いと分かっていても、名を呼ばずにはいられなかった。


「アレクシア……」


 夢の世界のように彼女がグレンを呼ぶことは無い。


 そして当然グレンの問いかけに返事はない。


 グレンしかいないこの部屋の中は静まり返っていて、アレクシアの温もりなどある筈はない。


 ここまで封印していたアレクシアへの想いが、デリシアを妻に迎えてから大きくなっているように感じる。


 デリシアの雰囲気や仕草がアレクシアと重なる時がある。


「愚かすぎる考えだな……」


 自分の望みが余りにもあり得なさ過ぎて失笑が漏れる。


 彼女はきっと神の国で幸せになっている。


 そう分かっていても、グレンの心に灯った希望は消えはしなかった。










「グレン、私の顔に何かついていますか?」


 朝食の席、グレンは無意識のうちにデリシアをじっと見つめていたようだ。

 幼い新妻が可愛らしく首を傾げグレンを見つめる。

 その姿がまた妻に似ている気がして、夢のせいかグレンは自分の思考が可笑しくなっている事を感じる。


(あんな夢を見てしまったから……)


 そう思うが夢でもアレクシアに会えたことは嬉しかった。

 ただ夢のせいで、デリシアの一挙手一投足が妻と重なって見えてしまう。

 デリシアとアレクシアは全く似ていない。

 そんな事はあり得ないと分かっていても、微かな希望を持ってしまう自分が情けなかった。


「グレン?」


 また名を呼ばれハッとする。

 幼い声もその髪色も瞳も、何もかも妻とは違う。


 ただ妻という存在に心が乱されているだけ。

 自分にそう言い聞かせグレンは何でもない風に笑顔を浮かべた。


「いえ、何でもございません。少し考え事をしていただけです」


 無難に答えたはずのグレンにデリシアは疑惑の目を向ける。

 王族らしい笑顔は浮かべているが、その漆黒の瞳は何かを疑問に思っている様だった。


「旦那様、私にそんな嘘が通用するとお思いですか?」

「いえ、本当になんでも……」

「グレン、貴方は嘘が下手です。その笑顔を見れば嘘だと分かりますわ」


 それに言葉も他人行儀に戻ってますし、食事も進んでいませんよ。


 そう言われてしまえば、グレンはもう何も言えない。

 夫婦としては名ばかりだが、デリシアはたった数日でそこまでグレンの様子に気付くのだ。

 人を見る目を持つ王族出身のデリシアに言い訳などしても無駄だと悟る。


「デリシア様は……」

「グレン、シア、でしょう?」


 キッと睨まれ苦笑いが漏れる。


 この少女はどうしてもシア呼びが良いらしい。


 グレンが今、アレクシアを思い出すような名を呼ぶことが辛いなど気付くことも無い。


「ああ、ええ、そうでした。シアは、どこで料理を学ばれたのですか?」

「料理?」


「ええ、先日のクッキーが美味しかったので驚いたのです」

「ああ、あのクッキー」


 王族であるデリシアが料理をする機会などある筈がない。


 やはり冷遇されていた姫だったのかとそんな疑惑を込めてグレンは問いかける。


 それにまさか 「貴女はアレクシアを知っているのか?」 などと聞けるはずはない。


 ましてや 「貴女はアレクシアの生まれ変わりか?」 などと問いかけることが出来る筈もなかった。


「フフフ……グレン、あのクッキーを食べて下さったのね」


 嬉しそうに笑うデリシアの姿に毒気が抜かれる。


 そうだやっぱりアレクシアを知っているなどあり得ない。


 それに生まれ変わりなどそんな事ある筈もない。


 自分の勝手な思い込みで初夜以上にデリシアを傷つけるところだった。


 言いたい言葉を飲み込んだ自分を褒めてやりたいぐらいだ。


「私があのクッキーを作ったのは初めてだったのよ」

「えっ?」


 楽しそうにクスクスと笑いそう答えるデリシア。


 あのクッキーを作るのが初めてだったとすると、料理長のアンドレに手伝わさせたクッキーだったのだろうか。


 ならばアレクシアの味に似ていて当然だ。

 疑問が疑問で済んで、グレンはホッとした。


「私、貴方があのクッキーを好きだろうと思って作ったのよ」

「えっ?」


「私の初めてを貴方に貰って頂けて、嬉しいわ」


 ウフフ……とそんな効果音が付きそうな顔でデリシアに見つめられ、グレンは頬が熱くなるのを感じた。


 たった十二歳の少女の言葉に動揺するなど……そう思いながらも、心は素直でデリシアの言葉と表情にドキリとしてしまう。


「なーんて、本当はチャールズのお見舞いの品として作った物なのよ。貴方はついでなの、ごめんなさいね」

「ついで……」


 デリシアとグレンは政略結婚だ。


 その上グレンが白き結婚を望み、彼女の事は愛せないし、今後も妻として愛せるとは思えないと伝えた。


 実際幼過ぎるデリシアを妻と思えることは無いと今もそう思っているグレンだったが、お前はついでだったとデリシアにハッキリと言われ、微かに傷ついている自分に困惑する。


(これはアレクシアの夢を見たからだ……こんな幼い少女に気持ちが揺らぐはずはない……)


 そう思っていながらも、グレンはこの後もデリシアを見つめることをやめられなかった。


 不思議な魅力を持つデリシアが、どうしても気になって仕方がないグレンだった。

  

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