二人での朝食
「グレン、おはようございます。今日も良いお天気ね」
「えっ……あ、ああ、いい天気ですね。それとシア様、おはようございます……」
グレンはデリシアの顔を見てホッとする。
昨夜幼馴染であり側近でもあるフランからの恐ろしい忠告を受け、デリシアが命を絶つのでは? と少しだけそんな心配をしていたため、無事声が聞けて安堵したというのが本音である。
自身の寝室に戻り布団に入ってからもフランの言葉が忘れられず、何度も何度も起き上がってはデリシアの部屋を窓から覗いて見ていたのは誰にも秘密だ。
お陰で今日は少しばかり寝不足である。
だがデリシアの元気な姿を見た事で、そんな苦労も吹き飛んだ。
取りあえず生きていてくれて良かったと、グレンはホッと胸をなで下ろした。
「グレン、私達は夫婦なのでしょう? でしたら私に敬称は要らないわ。シアと呼んでくださいませ」
「……あ、ああ、そうだな、ではシアと呼ばせて貰おう……」
昨日のグレンの宣言などデリシアは全く気にも留めていないのか、シアと呼ぶグレンに良い笑顔を見せてくる。
この少女は本当に十二歳か? と疑いたくなるが、一国の王女だ。大人びていて当然。
国を背負っている覚悟があるのだ。年が近くとも自分の息子とは心構えが違って当たり前だと納得する。
「さあ、グレン、朝食にしましょう。私お腹がペコペコよ」
「あ、ああ……そうだな」
本当の妻になったかのように振る舞うデリシアを見て、グレンは「そうか」とあることに気が付く。
この場は新婚になった夫婦二人だけの朝食の場とはいえ、使用人達が揃っている。
そんな中、王命で結婚した二人が険悪な雰囲気を醸し出していれば、由々しき問題となる。
この家の使用人たちは信用に値するとはいえ、どこからどう噂が広まるかも分からない。
辺境伯は嫁いで来たばかりの幼い王女を冷遇している。
そんな噂がたてばまた戦争が起こる可能性もある。
デリシアはそんな事まで気が回っているようだ。
愛さないと宣言したグレンの方がまるで我儘な子供だ。情けない。
(はあ、デリシアは妾妃の子供だが、やはりそれでも王女は王女か……)
デリシアは幼くとも本当の意味でこの王命を理解している。
例えグレンに愛することが出来ないと言われても、それはそれ、周りに仲良く見せることは必要な事だと心得ている。
もう一組の新婚夫婦が ”中睦まじい” と聞こえてくるのも、こういった事情を理解しているからだろう。
昨夜の受け答えといい、今日の様子といい、デリシアはその見た目や年齢よりも大人びている。
まだ幼いからと侮り妻と認められないと我儘を言ったグレンの方がよっぽど子供で、王命を理解出来ていない愚か者だった。
デリシアに後悔しないか? と問いかけられ「勿論」と答えたが、あの時からグレンは後悔ばかり。
(愛せないと分かっていてもそれを口に出す必要はなかったのかもしれない……)
何事も無かったように振る舞うデリシアを見て、グレンは自身の浅慮さを深く感じていた。
「ねえ、グレン、今日の朝食は料理長のチャーリーが作ってくれたのかしら?」
「えっ……?」
一人悶々と考え事をしていると、ほぼ食事を終えたデリシアが料理人の名を呼び驚いた。
「い、いや、チャーリーはもう年で第一線からは身を引いている……多分今日の朝食はアンドレがメインで作っていると思うが……その、今の料理長はアンドレだからな。確認してみるか?」
グレンの言葉にデリシアは「まあ、アンドレが料理長?」と驚いて見せるが、驚きたいのはグレンの方である。
一体いつの間にデリシアはルヴィダ家の使用人の名を把握していたのか、このお姫様は本当に理解不能である。
「じゃあ是非アンドレにお礼を言いたいわ、とても美味しい朝食を頂いたのだもの。ねえ、あとで厨房を訪ねてもいいかしら? 私の我儘は何でも聞いて下さるのでしょう? 旦那様」
うふふと可愛くおねだりをされたが、王女であるデリシアと厨房が似合わな過ぎて違和感がある。
だがこの屋敷内では自由に過ごしていいと言ったのはグレンである。ダメだと注意し約束を破る訳にはいかない。
それにもしかするとリガーテ国にいる間は妾妃の子供であったデリシアは、厨房へ出入りすることを認められていたのかもしれない。
虐待などを受けていたという報告は受けていないが、冷遇されていた可能性はゼロでは無い。
だから身を護るため気が強くなった可能性もあるし、厨房を懐かしんでいる可能性もある。
そう考えればグレンの答えは自ずと分かるものだった。
「……仕事の邪魔にならなければ厨房へ顔を出しても宜しいですよ……デリシア姫」
「まあ、グレン有難う。フフフ、今日の楽しみが出来たわ」
旦那様と問いかけられ思わず姫と呼んでしまったが、デリシアはそこも気にしない。
ご機嫌な様子で笑顔を見せるデリシアの寛容さに己の小ささを感じてしまう。
(だが俺は彼女だけを愛し続けるんだ……)
元妻への想いから、グレンはどうしてもデリシアに心を開くことをためらってしまう。
妻として愛さなくとも、家族として愛せばいいのにそれも出来ない。
「料理人の皆に会えるのが楽しみだわ」
厨房へ行く事の何が楽しくて何が嬉しいのかは分からないが、取りあえず「姫様」呼びが嫌味には受け止められていなかった様で良かったとホッとする。
昨夜の大失敗を考えると、グレンは胃が痛くなる。
今更ながら何故あれ程の事を言ってしまったかと反省ばかりだ。
他国からたった一人で嫁いできた少女に愛せないなど言う必要はなかった。
まだ幼いからと、それだけ伝えて初夜を回避すればよかっただけだ。
だがのびのびとこの屋敷で過ごしてもらう為には、グレンの気持ちを知っていて欲しかった。
夫の夜の通いがないことを常に不安がらせる訳にはいかない。
そんな事をすればデリシアも心休まらないだろう。
そう思って出た言葉があれだったのだが……
グレンの朝食は一向に進まなかった。
「では、グレン、私は準備がありますので、お先に失礼いたしますね」
「あ、ええ……はい……」
厨房へ行くのに何を準備する必要があるのかは分からないが、もう食事を終えたデリシアを引き留めておく理由はない。
それにデリシアが目の前にいない方が今のグレンの心が安定し、朝食がはかどるのも確かだった。
チュッ。
グレンが物思いにふけっていると、不意に頬に柔らかい何かが触れ、そして奇怪な音が聞こえた気がした。
気がつけばデリシアが真横にいてグレンを良い笑顔で見つめていた。
「ウフフ、では、旦那様、お先に失礼いたしますわね」
茶化すような顔でニッコリと笑い去っていくデリシア。
どうやら頬にする挨拶の口づけを落とされただけのようだが、グレンは驚きのあまり言葉が出ない。
呆然とするグレンを面白がるように、デリシアは小さく手を振り食堂を去っていく。
残されたグレンは自身の頬を摩り暫く呆然としたままで、勿論この後も朝食は一向に進まないままだった。
「いやー、あのお姫様なかなかやりますねー、普通あんなことがあった次の日にグレン様にああいう態度は取れないですよ。本当に十二歳の少女なのですかねー」
執務室に戻ると、何故か上機嫌でフランがそんな事を言う。
リガーテ国の王族は全員あんな感じなんですかねーとなにやら感心もしているようだ。
先程の食堂では存在を消し、ただ黙って様子を見ていただけの側近に、グレンはちょっとだけ苛立ちを覚える。
(昨日お前があんな事を言うから……)
とそんな恨み言が喉まで出掛かるが、元を返せばグレンがデリシアに不躾な事を言ったのが原因だ。ここでフランを責めればまた面白がられるだけだろう。
仕方なくグレンは沈黙を貫き面白がるフランの話を聞き流した。
(デリシアのあの頬へのキスは俺への意趣返しだろうか……)
姫様呼びへの報復や愛せないと言った事への仕返しとしては可愛いものだが、今のグレンには効果がてき面過ぎた。
妻とは認めないと言ったが、昨夜からグレンはデリシアのことばかり考えている。
これではまるで新妻に執着しているようで、幼な妻に夢中になっている変態な夫のようだ。
自身の思い描いていた結婚生活とは余りにも違い過ぎて、グレンは頭が痛くなってきた。
「グレン様、でも本当に姫様に愛人が出来たらどうするんですか? それも許すと言ったんですよねー」
フランの言葉に苦い顔で頷く。
幼い見た目から今すぐ愛人など作ることはないだろうと高をくくって出た言葉だったが、グレンよりよっぽど大人で、扱い上手なデリシアの様子を考えると、その可能性がゼロではないことに恐ろしくなった。
「最低限の人の出入りは見張らせるしかないだろうな……」
自由にしていいと言いながらも、結局はこちら側の都合でデリシアを縛る形となる。
結婚早々新妻に愛人がいる。
そんな噂が出回ればどうなるか、愚か者のグレンでも簡単に想像できる。
(ああ、また彼女を傷つけるのか……)
逆らえなかった王命を受けた時点から、グレンの心はずっと重いままなのだった。