フランからの忠告
「グレン様、私は今後午前中はデリシア様の教育に携わらせていただきます。このルヴィダ辺境伯の新しい女主人としてデリシア様には覚えて頂くことが沢山ありますからね」
「はっ?」
身支度を整え朝食までの時間、執務室で仕事の準備でも……そう思って自身の執務室にやって来たグレンは、はつらつとした表情のフランからそんな事を言われ目が一気に冴えた。
一体何があったのか分からないが冗談で言っている訳ではないことはフランの様子から分かる。
自分の幼馴染は一体どうした?
驚き過ぎて「はっ?」と間抜けな声が出た。
「ついでにアレン様の領主教育もそろそろ始めましょうか。学園では問題なく過ごしているそうですが、最初の頃のデリシア様への態度を見れば不安が大きい。学園内とはいえ、他国の王女であるデリシア様をご自身の母君として迎えることに対し不満を口にしていれば大問題です。まあ、今の様子を見れば心配はいらないとは思いますが、アレン様には未来の領主としての心構えを少しずつ学んで行って欲しいと私は思います」
「フ、フラン?」
握り拳を作り気合を入れるフラン。
デリシアやアレンについて語る姿はもはや別人。
こいつは本当にフランなのか? と疑いたくなるほどだ。
「ああ、それと、新しくデリシア様付きの侍女を数名雇わなければなりませんね。それも早急に。キアラ達があれだけの問題を起こしたのです。グレン様のご友人からの紹介者はもう信用できません。王都のタウンハウスに居る父に相談して何名か信頼できるメイドを呼び寄せましょうか……いえ、いっそのこと陛下に相談しても良いかもしれませんね」
「フラン?」
「ええ、うん、それが良い。グレン様、そういたしましょう。では、グレン様、ルヴィダ辺境伯のお名前ですぐに陛下にお手紙をお願い致します。この結婚を決めて下さったのは陛下ですからね、きっと完璧な侍女を紹介して頂けると思いますよ」
そう言って良い笑顔で笑うフラン。
これはもうフランであってフランではない別人だ。
昨日デリシアとアレンと共に街へ出かけたフランは 『無』 と言えばいいだろうか、感情が消え切った表情を浮かべ帰って来た。
デリシアとアレンはいつも通りなのにだ。
二人との間に何か有ったと、その顔で言っているのが丸わかりだった。
その後、グレンの下へ帰宅の挨拶に来たフランの様子も当然可笑しかった為、グレンは「問題なし」という報告を受けた後、すぐに休むようにとフランを促した。
力なく「はい……」と答えたフランは、いつものように毒を吐くことも無く、フラフラとしながら部屋に戻って行った。
「フランは一体どうしたんだ……」
一人残った執務室でグレンは思わずそう呟いた。
いつも斜に構え、グレンを揶揄い、何があっても飄々としていたフランはどこにもいない。
蝉の抜け殻と化したのか、まるで魂を吸い取られたかのように腑抜けていて、何も考えていない人形か何か、そんな状態だ。
そして今日だ。
一晩明けて何があったのか。
フランは何かに燃えているようで張り切り出していた。
顔を見れば寝不足なのか、目の下には隈が出来ているのだが、その薄緑色の瞳だけはギラギラと輝いていて、誰かが乗り移ったのかと心配になる程だった。
その上女主人として全く認めていなかったデリシアの名を出し、ルヴィダ辺境伯家の女主人としての教育を始めるなどと言い出した。
フラン、一体どうした、何があったんだ?
もしかしてお前の中身は別人なのか?
そんな言葉が飛び出しそうになるほど、フランはグレンの知っているフランではなくなっていた。
「フ、フラン、ちょっと待て、先ずは落ち着いてくれ。いくらデリシアが王女であっても、陛下に直接侍女を斡旋してくださいと申し込むのは可笑しいだろう」
「そうですか、でしたら宰相に」
「いやいやいや、侍女の事を宰相に相談するのも可笑しいだろう。そもそも辺境伯領でのメイドとの出来事を話せばデリシアを任せられないと陛下にも宰相にも言われてしまうかもしれないぞ!」
「ハッ、確かにそうですね。それでは本末転倒、デリシア様の為にもなりませんよね……」
ふむと声を出し考えだしたフランは、明らかに力が入り過ぎて空回りしている様子だ。
そう言えば子供の頃のフランはグレンの無鉄砲な行動を止めるのではなく、勢い余って一緒に飛び込むようなタイプだった。
フランの父フラタには良く一緒に叱られ、グレンは領主として落ち着きを持てと言われ、フランは従者として主を止める力を付けろと何度も言われたことを思い出す。
(そう言えば、フランが何事にも無頓着になったのはいつからだっただろうか……)
フランはいつだって仕事はちゃんとしていた。
幼いころからの優秀さも変わらない。
ただ時折見せる笑顔が嘘っぽくなったのは確かだった。
グレンと共に突っ走っていたフランだったのに、気がつけばいつの間にか受け身な性格になり、何事にも自分から行動を起こすことは無くなっていた。
デリシアを妻として迎え入れる時も、フランは特に反対することも無く 「王命では仕方がないですよね」 とどこか冷めた様子だった。
そしてグレンがデリシアを愛する気は無いとそう告げると宣言した時も、止めるのでもなく「姫様可哀想に」というだけで夫婦関係には無関心。
もしくは幼な妻を迎えるというグレンに振りかかった苦行を面白がっているようにも見えた。
(そうだ……アレクシアが亡くなってから、フランは本当の意味で笑わなくなった……)
フランにとってアレクシアは妹の様な存在だった。
幼いころから知り合いだったアレクシアとグレンとフランは、常に一緒に居て楽しく過ごしていた。
もしかして……
フランは、アレクシアを女性として愛していたのだろうか……
だからこの歳になってもフランは結婚もせず一人で淡々と生きているのだろうか……
フランのあまりの可笑しさにふとそんな考えが浮かび、グレンはいやいやと首を横に振る。
確かにフランはアレクシアを可愛がってはいたが、恋とは違う兄弟愛に近いものだったはずだ。
もしフランの心を疑ってアレクシアの事をどう思っていたのか? などと聞けば、きっとフランはグレンを軽蔑し主人とは見てくれなくなるだろう。
けれど、もしかしたら……
急激な幼馴染の変化にそんな思いが浮かんでしまう。
何も言えないグレンがジッとフランを見つめていると、フランはニコリといつも通りの笑顔で笑い、もの言いたげなグレンに話しかけて来た。
「グレン様、その顔はまた馬鹿なことを考えている顔ですね。今度は何を言おうとしているんですか?」
「うっ、そ、そんな事は……」
従者であり長年一緒にいた幼馴染は、グレンの考えもお見通しなのかそんな事を言い出し、グレンはつい動揺してしまう。
初夜の夜に己の考えで馬鹿なことを言った記憶があるので尚更だ。
「はぁ~、グレン様、私は別に可笑しくなってなんかいませんから安心してくださいね」
「う、うん……そうか……そうなのか……」
「それと、デリシア様には早く初夜の夜の浅はかな行動をきちんと謝った方が良いですよ」
「うっ……」
やはり幼馴染はグレンの思考が読めるのか、失敗したと思っている事もお見通しなようだ。
フランのその顔には笑みが浮かんでいるはずなのに、瞳はとても冷ややかに見えてグレンの胸を刺す。
「いいですか、でないと後悔するのはグレン様の方なんですよ。まあ、もう十分身に沁みているとは思いますが、謝るのは早ければ早いほどいいと思います。幼馴染であり従者でもある私からの忠告はそれだけです。よく考えて下さいね」
侍女の件について父には私から手紙を書きますと言って、フランはグレンの執務室から出て行った。
残されたグレンはまた悶々と悩みだす。
「皆、一体なんだと言うんだ……デリシア、デリシアって……デリシアは一体何をしたんだ……」
一人呟くグレン。
今のこの状況を思えばデリシアがこの屋敷の皆を掌握したのは確実で、認められない自分は一人取り残されたかのようだ。
それに……
フランの言う通り、すでにここまでのデリシアへの態度を後悔しているグレンには、十分すぎるほど心に響く忠告なのだった。
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フラン気持ちを入れ替えました。
うん、良かった、良かった。
世間様はもうお盆休みですかね。
八月も中旬、暑さよ早く落ち着いてくれ……